再会した商人(?)と追われる私とサンタクロース
◇
「……う」
目蓋を開け、身体を起き上がらせる。
先ず私が目にしたのは、変わり果てた王都の姿だった。
煉瓦という外装を失い、地肌を曝け出している地面。
地面の上に転がっている植木鉢だった破片と朽ち果てた木の椅子。
子どもの落書きが描かれた外壁は粉々に砕け散っており、倒壊した建物には死臭がしがみついていた。
「……な、何が起きて……?」
空を仰ぐ。
固形化した極光と赤黒い雲が今にも泣き出しそうな空を覆っていた。
表通りから人の声が聞こえて来ない。
人の気配を感じない事に違和感を抱いた。
「あの藍色の炎は……?」
地震の原因であろう藍色の炎を探し始める。
何処を見渡しても、人の形をした藍色の炎の姿は私の視界に映らなかった。
(あの藍色の炎と揺れは夢……? いや、だったら、何で王都がこんな姿に……? もしかして、長時間気を失っていたのだろうか……?)
考える。
答えは出ない。
考えても答えが出ないので、行動に移す事にした。
先ず表通りに出ようと、地面を蹴り上げる。
走って、走って、走り続けて。
表通りに辿り着く。
真昼間だというのに、人っ子一人見当たらなかった。
屋台だった残骸が、道の隅に横たわった白骨死体が、ひび割れた石畳にこびりついた渇いた血が、家屋だった破片が、表通りを埋め尽くしている。
辺り一面に死の匂いが漂っていた。
命の香りは感じ取れない。
一体、何が起きたのだろう。
状況を飲み込もうとする。
その瞬間、死の匂いを纏った『何か』の足音が私の鼓膜を揺さぶった。
(この匂い……!? まさか……!?)
振り返る。
裏路地から出てきたばかりの『彼』と目が合った。
艶のない絡まった糸のような髪。
私の拳よりも大きい瞳。
豚のような耳。
団子のような鼻に大きな口。
贅肉をこれでもかと蓄えた身体は緑色に染まっており、装飾品は腰に巻いたボロ布しか身につけていない。
一見、見覚えのない『モノ』だった。
「聖女、……さん?」
けど、彼から漂う匂いが、彼の顔に僅からながら残っている面影が、そして、聞き覚えのある声が、私に一つの事実を突きつける。
「商人……?」
裏路地から出てきたのは、異形と化した商人だった。
◇
「聖女さん、生きてたのか……」
緑色の化物に成り果てた商人は、まるで幽霊にでも合ったかのような形相で、私の瞳を覗き込む。
彼の瞳からは安堵と罪悪感と怒りが漂っていた。
……普通ではない。
異形と化した事よりも、彼の眼の色が変わっている事に危機感を抱く。
何が起きたのか分からない。
けど、私の鼻が、聖女時代に培った経験が、警鐘を鳴らしている。
今の彼を刺激したらいけない、と。
「うん、どうやら死に損なったみたい」
敢えて『いつも通り』を装う。
商人が欲している言葉を与える事で、彼の警戒心を解こうとする。
「なんか雰囲気変わっているけど、髪切った?」
「切ってねぇよ」
軽快なツッコミを披露しつつ、商人は笑みを溢す。
うん。いつもの商人だ。
でも、目から危険な香りが漂っている。
「というか、もっと変わった所あるだろうが。そっちに触れろよ」
「鍛え直した?」
「だったら、こんな腹出てねぇよ」
私の軽口に不快感を示す事なく、商人はいつも通り自らの髪を右手で撫でながら、私の瞳を覗き込む。
肥大化した彼の眼球は、いつもと違う匂いを発していた。
「まあ、冗談は置いといて……商人、一体何があったの?」
「色々だよ」
そう言って、商人は明後日の方に視線を向ける。
どうやら何があったのか答えたくないらしい。
生暖かい風が私と商人の間に雪崩れ込んだ。
「とりあえず、『みんな』の所に行こうぜ。話はその後だ」
商人の大きな目から嫌な匂いが漂う。
迷いと殺意が入り混じった香りが私の身体を締め付けた。
……彼の提案を断る訳にはいかない。
断ったら、間違いなく彼の機嫌を損ねてしまう。
「──行かない」
にも関わらず、拒絶の言葉をを口にしてしまった。
彼が求めていない言葉を口にしてしまった。
その所為で、商人の眼から殺意と暴力に満ちた臭いが放たれる。
それを感じ取った途端、見えない縄が首に巻きついた。
「どうして……?」
「貴方の身に何が起きたのか分からない。けど、これだけは断言できる」
心臓が跳ね上がる。
本能は訴えた。
『商人に逆らうな』、と。
『私の生殺与奪は、商人が握っている』、と。
それでも、私は口にした。
彼が求めていない言葉を。
「──今の貴方は、間違っている」
私の鼻が、聖女時代に得た経験が、教えてくれた。
目の前にいる商人が、いつもと違う事を。
「……まさか、お前、見た目で判断してんのか?」
緑色の化物になった商人が瞳に怒りを滲ませる。
彼の身体から放たれる死の匂いが、より濃くなった。
「見た目が化物になったから、俺を差別してんのか?」
「間違っているのは、外見じゃない」
額に汗を滲ませながら、腰を少しだけ落とす。
「間違っているのは、思想の方だ。今の貴方は命を軽んじている」
「軽んじていない」
「なら、何でそんな禍々しい殺意を放っているの?」
目を逸らす事なく、商人の目をじっと見つめる。
……やはり負目があるのだろうか。
彼は私の目を見てくれなかった。
「以前の貴方はそんな匂いを纏っていなかった。……今の貴方は、……濃い死の匂いを放っている」
噴火寸前の火山のように、商人の身体から嫌な匂いが湧き立ち始める。
今、ここで口を止めたら、彼の機嫌を損ねずに済むだろう。
だが、私の中の本性が最善の選択肢を奪い取った。
「……一体、貴方は何をしでかしたの?」
その一言を発した瞬間、商人は決壊した。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
野太い声を上げながら、私の顔面目掛けて拳を振るう。
攻撃を予知していたお陰で、何とか躱す事ができた。
躱した商人の拳が煉瓦に覆われた地面に突き刺さる。
色褪せた煉瓦が砕け散り、地面に彼の拳の跡が刻み込まれた。
「何でそんな事を言うんだよ!?……お前は、……! お前は、聖女じゃない!」
「だから、元聖女だってば……!」
両足に強化魔術を付与しつつ、商人が放ったニ撃目を避ける。
大振りだったため、彼の放った拳は非常に避け易かった。
両足の機能が強化された瞬間、私は商人に背を向け、地面を思いっきり蹴り上げた。
「待てっ!」
商人の声が聞こえてくる。
私は彼の声を背中で受け止めると、脇目を振る事なく、全速力で走り始めた。
◇
道を覆っている筈の煉瓦は朽ち果てていた。
その所為で、地面が露出している。
でこぼこして歩き難い道を、私は全速力で駆け抜けた。
何度か転びそうになる。
緑色の化物になった影響なのだろうか、商人の脚は強化魔術を使用した私よりも速かった。
「くっ……!」
このままでは追いつかれてしまう。
このままでは商人に要らない十字架を背負わせてしまう。
そう判断した私は、商人を止めるため、僧侶服の中に閉まっている魔道具を取り出し──
(なっ……!? 魔道具がない……!?)
護身用に持っていた筈の魔道具がない事に気づいた途端、背筋に冷たいものが流れる。
その瞬間、背後から生じた爆音が私の背中を押し出した。
「逃せねえぞ!」
地面の上を数度跳ねた後、即座に体勢を整える。
体勢を整えながら、商人の方に視線を寄せた。
緑色の化物になった彼の右掌に『紫の炎』が灯っていた。
多分、あの紫の炎で私を攻撃したのだろう。
私の推測を肯定だと言わんばかりに、商人は紫の炎を投擲する。
私は強化魔術で強化された両足で地面を蹴り上げると、近くにあった長方形の建物──王国劇場の上に跳び乗った。
(とりあえず、今は逃げよう……! 何処かで態勢を整え……)
屋根の上を駆け抜けようとする。
一歩踏み出したその時だった。
王国劇場の屋根から嫌な匂いを感じ取る。
その瞬間、私が踏もうとしている屋根が、瀕死状態である事に気づかされた。
「しまっ……!」
気づいた時には、もう遅い。
踏み出した右脚が屋根を踏み割ってしまう。
重力に掴まれた私の身体は下に落ちてしまった。
落下のダメージを最小限に抑えるため、身体全体に強化魔術を付与する。
強化魔術の付与が終わった瞬間、私の身体は地面に激突してしまった。
「いつつつ……」
強打した背中を摩りながら、周囲の様子を伺う。
先ず知覚したのは、生臭い鉄の臭いだった。
即座に周囲を見渡す。
埃を被った観客席、天井に空いた大きな穴から差し込む光、疲弊した舞台、そして、舞台に並べられた数多の十字架。
「……っ!」
十字架に架けられた数多の肉塊を見て、思わず言葉を詰まらせてしまう。
十字架に架けられた肉塊は、見覚えのある貴族達だった。
言葉を交わした事は、……多分、ない。
でも、彼等の匂いは知っている。
だって、彼等の殆どは第一王子生誕祭に参加していたのだから。
(し、死んでる……)
息をしていない人型の肉塊を見た途端、脈が早くなる。
何度も刃物で斬りつけられたかのか、顔面はズタズタになっていた。
手の指は全部切り落とされていて、耳だったものが舞台の上に落ちている。
なんかよく分からない感情が、私の胸を埋め尽くした。
状況を把握するよりも、胸中にて蠢く感情の正体を知るよりも先に、事態が進展する。
「いたぞっ!」
王国劇場の出入り口の扉が開く。
扉を潜ったのは、商人──だけじゃなかった。
「ここにいたのかっ! 聖女の偽物っ!」
劇場内に緑の肌をした『何か』が入ってくる。
人型ではあるが人ではない、商人と似た容姿をした何かが。
「もう逃げられんぞっ!」
『何』の容姿は商人の容姿と殆ど一緒だった。
艶のない絡まった糸のような髪。
私の拳よりも大きい瞳。
豚のような耳。
団子のような鼻に大きな口。
贅肉をこれでもかと蓄えた身体。
緑の肌をした人型の『何か』は、舞台にいる私を威嚇する。
『何か』の数は、ざっと数えて数十名。
両手両足の指の数を優に超えている。
戦闘力は不明。
だけど、商人の身体能力が強化魔術を付与した私と同等なのは確認済み。
肉弾戦に持ち込まれたら、戦闘力皆無の私では太刀打ちできないだろう。
……殺される。
このまま、此処にいたら、私も、ただの肉塊になってしまう。
「……貴方達が殺したの?」
ゆっくり立ち上がりながら、劇場に入ってきたばかりの『何か』達を歓迎する。
「……ああ、そうだ」
商人ではない『何か』が私の疑問に答える。
私の疑問に答えた『何か』からは嫌な匂いがした。
心臓が高鳴る。
否応なしに身体が強張ってしまう。
「そいつらが悪いんだ……魔王が現れて生活が不安定になったのに、貴族、オレ達から搾取しようとしたんだぜ!?」
商人じゃない緑色の『何か』が野太い声を上げる。
その声からは憎しみと罪悪感の匂いが漂っていた。
「そうよ……これは正当防衛なのよ……! 彼等は殺されて仕方なかったのよ……!」
ちょっとだけ声の高い緑色の『何か』が声を上げる。
恐らく女性であろうその声からも憎しみと罪悪感の匂いが漂っていた。
「正当防衛? これが?」
十字架にはりつけられた肉塊達を一瞥する。
全ての指を切り落とされ、顔面がズタズタになった貴族の成れの果てを横目で見る。
「正当防衛にしては、やり過ぎだ。本当にここまでやる必要があったの?」
誰も私の疑問に答えてくれなかった。
返答だと言わんばかりに、石が飛んでくる。
飛んできた石を敢えて頭で受けた。
鈍い痛みと共に零れ落ちた右眼の上の方から血が零れ落ちる。
「先代の聖女は言っていた。『人も命を糧にする獣だ。幾ら綺麗事で濁そうと、生きるために必要な殺しは存在する。それは紛う事なき真理だ』、と」
流れ落ちる血を拭う事なく、私は思った事をそのまま口にする。
「貴方達が貴族達を殺したのも、生きるために必要な行為だったのかもしれない。だから、私は否定しない。でも、これはやり過ぎだ。奪った命を辱める殺し方だ。心の底から殺人を愉しんでいないと、こんな殺し方はできない」
殺される。
このまま、此処にいたら、殺される。
「貴方達は糧にした命の尊厳を踏み躙った。人として、生物として、あるまじき行為を行った」
生存本能が訴える。
今すぐ此処から逃げろ、と。
此処で死にたくない、と。
でも、私の理性が許さなかった。
「奪った命から目を背けるな」
反論しようとした緑色の『何か』を睨みつける。
私の視線を浴びた途端、緑色の『何か』は押し黙ってしまった。
心臓が高鳴る。
目の前の絶体絶命が私の両脚を縛り上げる。
欲望が絶体絶命を乗り越えろと訴える。
「命を奪った自分から逃げるな」
緑色の『何か』達の身体から危険な匂いが放たれる。
逃げたい。
死にたくない。
胸の内から湧き上がる生存本能を押し殺しながら、私は目の前にいる彼等をじっと見つめる。
……ああ、そうだ。
ここで私が逃げたら、彼等は永遠に救われない。
罪を犯した自分を正当化し、過ちを延々と繰り返す。
なら、此処で食い止めないと。
たとえそれが無理難題だったとしても。
私に力がなくても。
今の私が聖女じゃなかったとしても。
「たとえ殺した相手が絶対的な悪だったとしても、命から目を背ける限り、貴方達は善になり得ない」
奪った命を踏み躙り、辱め、貪る者の行き着く先は、草木のない荒野だ。
他者の命を尊重しない者は命から嫌われる。
目の前にいる彼等に悲惨な結末を辿って欲しくない。
「──命と向き合え、咎人。たとえ神が赦したとしても、私は許さない」
それが開戦の狼煙だった。
緑の肌をした『何か』達が舞台にいる私の下に向かって駆け出す。
心臓の鼓動が早くなる。
得体の知れない感情が、高揚感に似た何かが、私の身体を──
「──嬢ちゃん。命を説くには、ちと青過ぎるぜ」
何処からともなく、鐘の音が聞こえてくる。
それと同時に吹雪が劇場内を駆け抜けた。
「だが、まあ、及第点だ。此処で死なせるには、ちと粋過ぎる」
吹雪が緑色の『何か』の進軍を押し留める。
吹雪に晒された緑色の『何か』達は身体を縮こませると、暖を取るため、その場に膝を着いた。
「粋な啖呵見せてくれたお礼だ。嬢ちゃんの寿命、ちょっとだけ伸ばしてやるよ」
再び鐘の音が鳴る。
その瞬間、暖を取るため身体を縮こませていた緑色の『何か』達は突風によって吹き飛ばされてしまった。
「……だ、誰……?」
天井に空いた穴から赤い服に身を包んだ金髪の青年が舞い降りる。
青年の頭には赤いナイトキャップが乗っかっていた。
「俺? 俺の名前は、……うーん、そうだな……サンタクロースとでも名乗っとくか」
悪怯れる事なく偽名を口にしながら、赤い服と赤いナイトキャップが特徴的な青年は真紅の瞳を輝かせる。
「短い付き合いになると思うが、よろしくな。ケツの青いお嬢ちゃん」
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次回の更新は明日7月16日(日)12時頃を予定しております。