落ちた橋とお姫様抱っことオーガの街
「う、うそ……!?」
サンタと出会って、サンタと生存者を探し始めて約一ヶ月経ったある日の朝。
王都から西に百数キロ離れた街に向かっている途中、崩れた橋を見た私は、つい動揺の言葉を口にしてしまった。
「向こう岸までの距離は大体一キロ弱って所か」
谷底を覗き込みながら、サンタは溜息を吐き出す。
彼が覗き込む深い谷底の奥の奥には、青い空が広がっていた。
橋だった残骸は何処にも見当たらない。
きっと橋だったものは、谷底の奥で佇む青い空に吸い込まれてしまったんだろう。
アクシデント勃発だ。
これじゃ向こう岸にある街に辿り着けそうにない。
「……他の橋を探そう。私の記憶が正しければ、ここから徒歩二日の所に吊り橋があったはず……」
記憶を頼りに、私は次の橋を探すべく歩き出す。
が、それよりも先にサンタが動いた。
「いや、時間の無駄だ」
そう言って、サンタは私の身体をお姫様みたいに抱き抱える。
彼に抱き抱えられた途端、彼の大きな掌が私に触れた途端、私の心臓が早鐘のように鳴り始めた。
「え、ちょっ……!」
「嬢ちゃん、口閉じてろ」
何をするのか一切伝える事なく、サンタをお姫様抱っこしたまま、後方にジャンプする。
そして、何の断りもなく、助走を少しだけつけると、サンタは私を抱き抱えたまま、向こう岸目掛けて思いっきりジャンプした。
「え、は!? え!?」
心臓が破裂しそうなくらい鼓動し続ける。
視線を下に向ける。
足下に広がる谷の底。
白い雲に薄ら覆われた青い空が私の顔面に死の恐怖を突きつけた。
──ああ、私、高い所が苦手だったのか。
谷底に落ちないよう、必死にサンタの首にしがみつく。
死んでも落ちたくない。
その一心で私は自分の身体をサンタの身体に擦り寄せる。
「ぎゃあああああ!!」
落下死してしまうかもしれない恐怖が私の心臓を強く揺さぶる。
サンタが着地するまでの間、私はずっと悲鳴を上げていた。
◇
「嬢ちゃん、流石に『ぎゃあああ!!』はねぇと思うぞ」
「うるさいっ!」
向こう岸に辿り着くや否や、サンタはお姫様抱っこしていた私の身体を地面に下ろす。
私は急いでサンタから距離を取ると、近くにあった大きな岩の陰に隠れた。
まだ心臓がドクンドクン言ってる。
多分、私はスリルを楽しめる側の人間じゃないのだろう。
自分の新たな一面を発見しながら、岩陰に隠れつつ、サンタを睨みつける。
サンタは悪怯れる事なく、岩陰から顔をちょっとだけ出す私を見つめていた。
「信じられないんだけど!? 本当にあり得ないんだけど! あれやるんだったら、事前に声掛けて欲しいんだけど!! こっちだって、心の準備が必要なんだけど!? 今度から私に聞いてからやって! 胸がドキドキでワクワクするから! 私、肝っ玉小さいんだから!」
「嬢ちゃん、肝っ玉小さいヤツは『ぎゃああああ!!』なんて叫ばねぇ」
「『ぎゃああ!!』弄りするなっ!!」
全身の毛を逆撫でながら、ヘラヘラし続けるサンタを威嚇する。
サンタは呆れたように溜息を吐くと、何処からともなくクッキーを取り出した。
「ほら、嬢ちゃん機嫌直しな。クッキーやるから」
「しゃああああ!!」
「クッキープラス一枚」
……ちょっとだけ岩陰から出る。
別にお菓子に釣られた訳じゃない。
「今ならキャンディーも用意してるぞ」
完全に岩陰から出てしまう。
別にキャンディーに釣られた訳じゃない。
ただこれくらいなら譲歩してやってもいいかなって。
「今ならクッキー更にもう一枚」
「仕方ない。今回は許してやろう」
サンタの下に向かって走り出す。
『ちょっろいなー』という言葉がサンタの口から漏れたが、聞かない事にしてあげた。
まあ、私、二十歳だし?
こんな事で腹立てるのも大人気ないかなって思っただけだし?
別にお菓子食べたくて許した訳じゃないから。
そんな事を考えながら、クッキーに齧り付き、キャンディーを頬張る。
うん、いつも通りサンタがくれるお菓子は美味しい。
これなら幾らでも食べられそう。
「よし、嬢ちゃんも機嫌直した事だし」
「直してない。譲歩しただけだ」
「ちゃちゃっとレベール街って所に行こうぜ。嬢ちゃんの推測が正しければ、そこに人が集まっているんだろ?」
首を縦に振る。
レベール街は王都の次に栄えている場所だ。
商人や先代聖女曰く、レベール街は物流・商業の中心地らしく、生活物資の多くが一旦レベール街に集められた後、王都や他の街のに送られているんだとか。
「嬢ちゃんはレベール街に行った事ないのか?」
「聖女見習い時代に一回だけ来た事ある。一日しか滞在した事ないから、どんな町なのかよく知らないけど」
歩いて、歩いて、歩き続けて。
今にも息を引き取ってしまいそうな煉瓦道を歩き続ける事数十分。
オレンジの屋根が特徴的な家屋の大群が視界に映り込み始めた。
レベール街だ。
槍のような形をした屋根の教会、二等辺三角形みたいな屋根の家、そして、町の中心で鎮座している時計台が、遠目で私とサンタを眺める。
町から聞こえてくる生活音は躍動しており、私達の鼓膜を微かに揺らしていた。
「嬢ちゃんの推測は当たってたみたいだな。あの街にかなりの人が集まってる」
街の方に意識を傾ける。
ちょっとだけ嫌な匂いはするけど、危ない匂いは嗅ぎ取れなかった。
もしかしたら、あそこは比較的平和な場所なのかもしれない。
「魔力の流れから察するに、あの街を牛耳っているのは元人間達だな。もしかしたら、奴等が憎んでいる王族貴族とやらを排除した後なのかもしれねぇ」
サンタの指摘により、半月前の出来事──レベッカと現聖女の死んだ時の事を思い出してしまう。
現聖女が死んだ後、私は現聖女の死を喜ぶオーガ達に声を掛ける事なく、村を去ってしまった。
あの後、あのオーガ達が、逃げ出した貴族達が、どうなったのか分からない。
私は選べなかった。
どっちに味方するべきか、選べなかった。
だから、どちらに加担する事なく、逃げてしまった。
「………」
オーガ達は言っていた、貴族達が自分達に負担を強いた、と。
魔王が現れて例年通り税を支払えないのに、王族貴族達は例年の倍以上の税を支払うように要求した事を。
貴族達は否定しなかった。
それどころか、困っている彼等に税を払えないお前が悪いと罵った。
自分達の食い扶持を持っていかれないようにするため、オーガ達は暴力で抵抗した。
暴力の効果を最大限に発揮するため、『黒い龍』から力を分け与えてもらい、化物となった。
多分、王族貴族がオーガ達を追い詰めなかったら、オーガ達は貴族を痛めつけたり殺人に手を染めたりしなかっただろう。
だけど、原因を作った貴族だけが悪いのだろうか。
現聖女の死を嗤うオーガ達の姿を思い出し、吐き気を催す。
あれはやり過ぎだ。
正当防衛の域を超えている。
あれを見せられた所為で、一番悪いのは王族貴族だと思えなくなってしまって。
(……逃げて、正解だったんだろうか)
サンタの横顔を一瞥する。
あの時、彼はオーガと貴族達から逃げようとする私の選択を尊重してくれた。
逃げる私を否定する事なく、受け入れた。
理由は分からない。
態度に出さないだけで私に失望してしまったのかもしれない。
一体、彼は何を考えて、私の選択を受け入れたのだろうか。
考える。
幾ら考えても答えは出てこなかった。
「お、着いたぞ」
街の中に足を踏み入れる。
ちゃんと点検されていないのか、街は所々擦り傷を負っていた。
剥げた地面の煉瓦。
落書き塗れの壁。
糞尿で埋め尽くされた裏道。
そして、食いかけのゴミと残骸物が屯している表通り。
以前来た時と比べて、レベール街はかなり品のない街になってしまっていた。
「おい、あれ、聖女じゃないか……!?」
表通りに辿り着いた途端、緑の肌をした肥え太った男性が私を指差す。
すると、表通りにいたオーガ達の視線が私の身体に食い込んだ。
「本当だ! 聖女様だ!」
「やっぱ、生きてたんだ!」
悪意も敵意も抱く事なく、オーガ達は私の下に駆け寄る。
ふと先日の出来事──悪意なく現聖女を突き落とした小さなオーガ──を思い出してしまう。
つい私もサンタも身構えてしまった。
「──お姉ちゃん」
何処からか聞こえてきた甲高い少年の声が、表通りの奥から聞こえてくる。
私の下に近寄っていたオーガ達は、足を止めると、奥から聞こえてきた少年の声に道を譲り始めた。
「良かった、生きてて」
聞き覚えのある声が私の鼻腔を擽る。
『彼』の顔が脳裏を過った。
顔を上げる。
割れた人波の奥の奥。
ゆっくり私とサンタの方に歩み寄りながら、見覚えのない少年が頬を歪ませる。
緑の肌。
尖った耳。
頭に生えた一本の角、背中に生えた翼、そして、全身から放たれる禍々しい匂い。
私よりも頭一個分小さい少年を見て、正確には少年の顔に残っている『彼』の痕跡を見て、ようやく私は『彼』の正体を把握する。
「知り合いか?」
サンタが疑問を呈する。
私は首をゆっくり縦に振ると、『彼』の名前を口にした。
「……うん。彼はヴァシリオス……私達が保護している孤児の一人だよ」
ジェリカと同じ匂いを発する彼を見て、私もサンタも表情を強張らせる。
変わり果てたヴァシリオスは私に手を振ると、いつもと同じように人懐っこい笑顔を浮かべた。
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次の更新は7月29日(土)12時頃に予定しております。
 




