五年と川面と電話
◇
浮島が崩壊して早五年。
サンタと別れて、早五年。
彼から貰った秘薬で幼くなってしまった身体も、元の大きさに戻りつつある、とある冬の日。
聖華アヴィス女子高等学校に通っている女子高生である私──鈴木エレナは、いつも通り通学路である河川敷を歩いていた。
(……今日も大変だったな)
本日の学校生活と放課後にやったボランティア部の活動を思い出した途端、充足感と倦怠感が同時に襲いかかる。
心地良い気怠さが帰路につく私と足を引っ張った。
最近クラスで流行っている青春ソングを心の中で歌いながら、西陽に照らされた川面を一瞥する。
川の中には揺らめく夕陽が映し出されていた。
あと数分足らずで夕陽は沈み、街は夜の闇に包まれるだろう。
そういや、鈴木莉子さん──私が今お世話になっている戸籍上の母アンド児童養護施設の園長──の話が本当ならば、今日の夜は雪が降るんだっけ。
『久しぶりにホワイトクリスマス味わえそうな』とウキウキしながら呟く莉子さんを思い出しながら、息を短く吐き出す。
雪の到来を予期しているのか、吐いた息は真っ白に染まっていた。
「……そっか。あれから五年か」
振り返る。
商人、ジェリカ、ヴァシリオス、聖女見習い時代からの友人。
浮島にいた頃、私と共に生きた人々の顔が脳裏を過ぎる。
それらを思い出した途端、彼等の死が私の胸を締め付けた。
(やっぱ、慣れないなぁ)
サンタと別れて早五年。
今、私は児童養護施設でお世話になりつつ、女子高生と呼ばれるものをやっている。
それらをやっている理由は至って明瞭。
この世界で生き抜くための手段を獲得するためだ。
別にこの世界で骨を埋める気は毛頭ない。
ただ元の世界──第一王子達の下に行く方法を探すには、戸籍不明の孤児という身分且つ現地の言葉や常識を何も知らない状態且つ小さくなった身体では不都合な事が多過ぎるのだ。
この世界でも金というものが必要だし、戸籍と呼ばれるものがないと働く事さえ儘ならない。
サンタから貰った秘薬──劣化エリクサーとやらで見た目が童女になってしまったので、大人に交じって働く事なんて当然できず。
そもそも、この世界の言語は浮島で使われていたものと全然違っていたので、意思疎通さえできない。
何をするにしても壁がある状況下。
そんな状態を打破するため、私は孤児の振りをして、孤児園──児童養護施設に入り込む事を選択した。
……二十歳過ぎの大人が何をやっているんだというツッコミは無しにして欲しい。
童女のフリをするくらい当時の私は……、いや、今の私は切羽詰まっていたのだ。
子どものフリをして小中高に通っているのも、この世界の状況に適応するため。
この世界に適応し、それなりの社会的立場と金銭を獲得し、元の世界に戻る方法を探し、そして、戻る。
それが現在私が行なっている挑戦。
元の世界に戻るという困難な挑戦を乗り切るため、第三王子のような強敵に勝つために必要な力をつけるため、現在、私は下ごしらえしているのだ。
(日曜日は早朝から清掃のバイトがあるから、土曜は早めに寝るとして、明日──クリスマス当日は何をしようか。久しぶりの休みだから、先代聖女に頼んで魔術の特訓をしたいんだけど……)
そんな事を考えていると、川の中に手足を突っ込んでいる少年の姿を目撃した。
その姿を見て、私はつい魔王や第三王子を思い出してしまう。
彼等の顔を思い出しただけで、複雑な匂いが胸の中で囀った。
それを敢えて無視しながら、私は少年の下に近寄る。
「どうしたの」
少年に声を掛ける。
彼の身体から悲しみと悔しさの匂いが滲み出ていた。
顔も涙と鼻水でグチャグチャになっている。
長い時間、川と戯れていたんだろう。
彼の手は悴んでおり、真っ赤になっていた。
「……お守り、川の中に落としちゃった」
少年は言った。
『川面で水切りをして遊んでいたら、お婆ちゃんから貰ったお守りを川の中に落としてしまった』、と。
「……お守り、間違って川に投げちゃった」
少年の顔から嘘の匂いが僅かに漂う。
お守りを落としたのは本当だろう。
けど、落とした理由は嘘である可能性が高い。
そう思いながら、私は『そっか』と呟くと。
「じゃあ、私も手伝うよ」
少年に手を差し伸べる。
彼は困ったように首を横に振ると、力無く『いい』と呟いた。
「大丈夫だよ」
そう言って、私はしゃがみ込む。
かつてサンタがやってくれたように、目の前の少年と正面から向き合う。
自分という命を大切にしながら、私は少年の目を真っ直ぐ見つめる。
「君は自分が悪い事をしたって自覚しているんでしょ。なら、もう後は落とし物を見つけて、謝るだけ。それさえやれば、君は君を赦す事ができる」
「……もしかして、見てたの……? 僕がトモくんのお守りを、投げ捨てたの……」
「それは見ていないよ。でも、今の君はちゃんと見ようとしている」
嘘を暴かれた所為なのか、それとも、私に心を開いてくれたのか。
少年は少しずつ私に本当の事を話してくれた。
少年はトモ君と呼ばれる友人と喧嘩してしまった事。
怒った少年はトモ君のお守りを川に投げ捨てた事。
そのお守りはトモ君の祖母の形見である事を。
川の中に手と足を突っ込みながら、少年は私に事実を包み隠す事なく、教えてくれた。
「ねぇ、お姉ちゃん。お守り見つける事ができたらさ、僕、許してくれるかな」
「いい事したからって、罪が無くなる訳じゃないんだよ」
川の中に両手を突っ込みながら、私はお守りを探す。
冬の川面は私の手足から熱を根刮ぎ奪おうとしていた。
早く見つけなければ、私も少年も風邪を引いてしまう。
そう思った私は、お守りを探しつつ、少年の声に応える。
「お守りを返しても、トモ君は許してくれないかもしれない。トモ君にとって、君がやった事は絶対に許されない事かもしれない」
「で、でも、トモくんが、……トモくんが僕の事を先に馬鹿にしたんだよ……! 僕が好きな子にフラれた事を馬鹿にしたから、喧嘩になって……!」
「それはトモ君が悪いね。でも、相手が悪い事をしたから、こっちも悪い事をしてやるぞってのは、良くない。それは何も生まない。最悪の場合、大事なものが全部壊れてしまうかもしれない」
数年前、浮島で起こった出来事を、
商人やジェリカ、次期聖女にヴァシリオス、異形となった民衆と王族貴族の姿を。
人を殺し尽くして、最終的に自爆した魔王の姿を。
そして、行き場のない怒りを抱えた第三王子アルフォンス達の姿を。
「なら、どうすれば……」
「お守りを見つけて、謝る。そうすれば、トモ君が許してくれなくても、君は君を許せるようになる」
「……僕を馬鹿にしたトモくんは、……僕の中にある怒りは、……どうすればいいの?」
「それに関しては安心して。私がトモくんを怒ってあげるよ。君の怒りは、私がどうにかする」
探し始めて、十数分。
お守りが見つかる。
思っていたよりも早く見つかってしまった。
悴んだ手足を川面から引き抜きながら、私は少年に『大丈夫?』みたいな事を告げる。
少年は首を縦に振ってくれた。
「……ありがと、お姉ちゃん。とりあえず、僕、謝ってくるよ」
水浸しのお守りを抱えながら、少年は私の目をじっと見つめる。
彼の瞳は力強い光を発していた。
「じゃあ、私も着いて……」
「いいよ。トモくんの怒りと僕の怒りは、僕等がどうにかするから」
そう言って、少年は私の前から立ち去る。
立ち去る直前、少年は再度私にお礼の言葉を告げた。
走り始めた少年の姿を見て、私は思う。
『もっと早く魔王や第三王子と向き合う事ができたら、より良い結果になっていたんじゃないか』、と。
(……いや、それはないか)
魔王と第三王子は私に好意を向けていた。
けど、それは応えたらいけない好意だった。
応えてしまったら、彼等の存在だけでなく、彼等の中にある怒りも肯定されてしまう。
それが肯定されてしまったら、きっと被害は浮島だけじゃ済まなかっただろう。
結局、この終焉がベターだったのだ。
もし私にもっと力があったらベストな結果を掴めたかもしれない。
けど、彼等の根底にある行き場のない怒りが、彼等を突き動かしている以上、最善の結末は絶対に掴み取れなかっただろう。
そう思いながら、脱いだ靴と靴下を履こうとする。
すると、通学鞄に入っていたスマホがクリスマスソングを歌い始めた。
スマホ画面を鞄から引き抜く。
画面を見ると、そこには見覚えのある名前が表示されていた。
いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマ・評価ポイント・いいね・感想を送ってくれた方に感謝の言葉を申し上げます。
本日22時頃に予定しております。
次の更新が後日談ラストです。
あと一話。
最後までお付き合いよろしくお願い致します。




