「私、好きかもしれない人がいるんです」の巻
◇side:神宮司
四月三十日。
図書館記念日とか国際ジャズ・デーとか誰かにとって特別な日であるが、私にとってただの平日でしかないある日の夕方。
俺──神宮司は教え子であるエレナと共に児童養護施設近くにある駄菓子屋に来ていた。
「急にどうしたんですか」
駄菓子屋の前に設置されているベンチの上に座りながら、金髪の少女──エレナは買ったばかりのアイスキャンディーに齧り付く。
古めかしい英語しか喋れなかった彼女は、たった一年で、日本語を流暢に喋れるようになっていた。
本当、凄過ぎる。
そんな事を考えつつ、俺は彼女の隣に座り、さっき駄菓子屋で買ったタバコ型キャンディーを咥え、ベンチの背もたれに体重を預ける。
「なんか悩みとかあるか?」
「本当、急にどうしたんですか」
黒いランドセルを足の上に乗せながら、エレナは口に含んだアイスキャンディを齧る。
「いや、悩みありそうだなーって。主に家庭環境とか」
「家庭環境って、……私、児童養護施設暮らしなんですけど」
「記憶を取り戻し、本当の家族を思い出しているんじゃないかなーって」
「き、記憶なんか取り戻していませんよ。わ、私は記憶喪失です、本当に記憶喪失なんです」
ぎこちない様子で嘘を吐くエレナ。
その様子を見て、『嘘吐き慣れてねぇな』と思う俺。
そんな彼女に構う事なく、俺は本題に入ろうとする。
「で、どうだ。元の世界に戻れそうか」
「……知っていたんですか」
昨日、エレナの義母──イザベラに会った事を思い出しつつ、『ああ』と呟く。
トナカイの置物が近くにいない事を確認しつつ、俺はカッコつけながら、咥えていたタバコ型キャンディを口から取り出す。
「昨日、お前の義母に会ってな。お前が異世界から来た事を聞いた」
「……え、え、えぇ!? 先代聖女、この世界にいるの!?」
「今、お前が元の世界に戻れる方法を探っているらしい。暫くお前と会うつもりがないんだとか」
「……そっか、まだ時間が必要なのか」
そう言って、エレナは少しだけ寂しそうな表情を浮かべる。
どうやら彼女は義母を恨んでいないみたいだ。
そんな事を考えていると、エレナが『ごめんなさい、私達の問題に巻き込んでしまって』と告げる。
「安心しろ。イケメン大学生(将来立派な先生になる)である俺がスマートかつエレガントにお前らの間に入ってやるから」
「いつも思うんですけど、先生って、自己評価高過ぎますよね」
「今年成人を迎える男の泣き顔見せてやろうか?」
そんな冗談を言い交わしていると、スマホが震える。
エレナに『悪い』と言いつつ、スマホを取り出し、画面をチェック。
高校時代から付き合っている恋人のメッセージが、スマホに表示されていた。
どうやらゴールデンウィークは暇しているらしい。
『久しぶりにアイツと会える』みたいな事を考えていると、頭を抱えていた筈のエレナが俺を見つめていた。
「……もしかして、恋人から送られた恋文を読んでいるの?」
「なんで分かるんだよ」
「甘い匂いがするから」
甘い臭いがしているかどうか確かめるため、自分の臭いを嗅ぐ。
幾ら嗅いでも、甘い臭いはしなかった。
……もしかして俺が感知できないだけで、本当に甘い匂いがするのか。
そんな事を考えていると、エレナが声を発する。
「ねぇ、先生」
アイスを齧りながら、エレナは明後日の方向を見つめる。
彼女が見つめていたのは、此処ではない何処かだった。
「どういうキッカケで、彼女さんに抱いている好きが、恋人としての好きって気づいたんですか」
「んー、キッカケねぇ。覚えてねぇな」
高校時代から付き合っている彼女の顔を思い浮かべる。
気がついたら、好きになっていた。
で、あっちも俺の事が好きだったから、そのまま彼氏彼女の関係に。
それから何やかんやあって、今に至るという訳だ。
「じゃあ、彼女さんの、どんな所が好きになんですか」
何処かを見つめながら、エレナは更に疑問を重ねる。
どうやら義母の事よりも、恋愛関係の方が彼女の頭を悩ませているみたいだった。
なので、俺の要件はこれくらいにしといて、エレナの恋愛相談に乗る事にする。
「おっぱいデケェところ」
「……うわぁ」
「半分冗談だ」
「あ、半分本気なんだ」
「まあ、好きな所は沢山あるよ。頑張り屋さんな所とか、いじっぱりな所とか、結構抜けている所があるとか、ムッツリな所とか、俺より頭良い癖に時々とんでもねぇ暴走する所とか、ノリ良過ぎて定期的に黒歴史作るところとか」
「後半殆ど悪口ですよね」
「そこも好きなんだよ」
「その好きって、友人や家族に抱く好きと、どう違うんですか」
「殆ど一緒だ」
「殆ど一緒、……ですか」
「まあ、強いて違いを挙げるなら、アレだな。『俺がコイツを幸せにしてやる』って気持ちだな。家族や友人だけじゃなく、価値あるものが幸せになれますようにって、俺は常日頃から思っている。みんなが幸せになれるよう、俺もできる限りの事はしている。けど、恋人に関しては他力本願じゃいけないというか。他の人以上に幸せにしたいというか。俺の手で幸せにしたいというか何というか」
あんまり言語化が得意じゃない俺は、どう説明したら良いのか分からず、少しだけモニョる。
けど、俺の言いたい事は大体分かったのか、エレナは『何となく分かりました』みたいな事を呟いた。
「私、好きかもしれない人がいるんです」
「それは同じ学校に通う学友か?」
「いえ、自称サンタクロースです。本当かどうか分からないんですけど、数百年生きたって言っています」
「大体承知。つまり、変人なんだな」
「まあ、……否定しません」
まだ肌寒い春風が駄菓子屋の前で屯している俺とエレナの間に流れ込む。
サンタとやらに抱く好きが、どういう好きなのか分かっていないんだろう。
エレナはモヤモヤした様子で表情を歪ませていた。
いつも以上に自らの感情を吐露するエレナを見つつ、俺はタバコ型キャンディを再び口に咥え、咀嚼する。
ボリボリとキャンディを噛み砕いた後、夕空を仰ぎ、疑問をエレナにぶつけた。
「なぁ、エレナ。何キッカケで、サンタってヤツを好きかもしれないって思ったんだ?」
「……私の手を、握ってくれて……いつも私に寄り添って、私に大事な事を教えてくれて、……その、」
「おー、ピュアピュア」
「殺せますよ」
「『殺します』じゃなくて、『殺せます』って言葉をチョイスした辺りに確固たる殺意と自信を感じる」
俺が茶々を入れたお陰なのか、エレナの表情が少しだけ柔らかくなる。
彼女はゆっくり息を吐き出すと、自らの考えを正直に吐露した。
「……この好きが恋かもしれないって思っていたんです。けど、サンタと別れた時も、別れた後も、付き合いたいとかキスしたいとか思わなくて、……色々考えて、他の人の話を聞いて、恋に関する知識を集めたけど、より分からなくなって、……」
「サンタとやらは今どこにいるんだ」
「……異世界です」
「大体承知。なら、難しく考える必要はない。その答えは出すものじゃなくて、出るものだ。今度サンタに出会う頃には、答えが出ている」
今のエレナに必要なのは、時間だ。
答えを出すには、彼女は若過ぎる。
彼女の本当の年齢が何歳なのか分からないが、身体つきから察するにに、小学生高学年から中学生くらいだろう。
思春期を迎えようとしている年齢の子が、急いで出す答えじゃない。
そう思った俺は、立派な大人のフリをする。
それっぽい言葉を告げる事で、彼女に待つように促す。
「今、エレナが考えている事は難しい問題だ。慎重に答えを出す必要がある。だから、もっと色んな人から恋の話を聞いて、サンタとやらに抱いている気持ちの正体を探った方がいい。異世界って事は次サンタに会うまで、そこそこ時間あるんだろ? なら、急いで答えを出す必要はない」
「……子ども扱いされているような気がする」
「気の所為だ」
夕陽が風を湿らせ、春風が初夏の香りを運び始める。
そろそろ春が終わる。
夕暮れに沈む空を眺めながら、俺はエレナの言葉を待ち続ける。
彼女は大袈裟に息を吐き、俺の視線を惹きつけるかのように身体を捩ると、艶のある声で存在感を無駄に発揮し、こう言った。
「先生って外国語得意なんでしょ?」
「ああ、そこそこ喋れるぞ」
「外国語教えてよ。喋れるようになりたい」
「どうして?」
「前々から思っていたんだ。異世界に戻る方法を探しつつ、色んな事に挑戦してみようかなって」
大人びた表情を浮かべながら、エレナは夕空を仰ぐ。
彼女の瞳は星のように煌めいており、見るものを魅了する魔性の輝きを発していた。
「色んな所に行って、色んな体験をして、色んな人と会って、色んな事に挑戦して。それを延々繰り返し、自分の命と向き合い続けたら、求めている答えを得られるかもしれない」
そう言って、力強い表情を浮かべるエレナ。
満足げに笑う彼女を見て、俺は何となく悟った。
『迷う事はあっても、彼女が道を踏み誤る事はない』、と。
「だったら、今以上に勉強頑張らないとな」
駄菓子屋の前のベンチ。
それに寄りかかりながら、俺とエレナは駄菓子屋で買ったものを食べ続ける。
そんな彼女の背を初夏の風が遥か先に待ち受ける冬に誘おうとしていた。
いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマ・評価ポイント・いいね・感想を送ってくれた方に感謝の言葉を申し上げます。
次の更新は1月11日(土)20時頃、そして、最後の更新は22時頃に予定しております。




