「うわあああ!!喋ったああああ!!」の巻
◇side:神宮司
四月二十九日。羊肉の日とか阿寒湖湖水開きとかいう記念日よりも一般の人なら昭和の日と言った方が価値を見出せそうなある日の休日。
大学二年生になったばかりの俺──神宮司は、夕暮れに沈む河川敷に歩いていると、トナカイみたいな置物に話しかけられた。
「お時間いただ、……」
「うわあああああ!! 喋ったあああああ!!」
「げふっ!」
ちょこんと頭から生えてた角。
つぶらな瞳。
赤い鼻。
可愛らしいトナカイとしか表現しようがない置物。
そんな置物が宙に浮いた状態のまま、俺に話しかけてきたので、俺はメチャクチャ驚いてしまった。
その所為で、つい置物目掛けて右ストレートを繰り出してしまう。
「な、何をするのですか……!?」
「あ、ごめん。怪しかったから、つい先制攻撃を……」
「ついで人を殴ったらいけません!」
「本当ごめんなさい。以後、このような事がないように気をつ……うん? あんた、今人って言った?」
「……ええ、こんな形をしていますが、私は元人げ……」
「大体承知。地球を侵略しに来た宇宙人か」
「いや、違いますから。うちゅう何とかじゃないですから。異世界からやって来た人ですから」
「大体承知。つまり、あんたは俺を異世界転生させるため、今からトラックを呼ぼうとしているんだな」
「待ってください、話を爆速で進めないでください」
「だが、異世界転生は無理だ。俺は近い将来イケメン教師になる男。立派な大人になるため、東雲大学の教育学部に通う男だ。今、異世界転生なんかしたら、教師になれねぇし留年してしまう」
「待ってください、お願いですから私の話を聞いてください。びっくりさせたのは謝りますから、どうか私を置いていかないでください」
「置物だけにか」
「そろそろ暴力で訴えますよ?」
「いいぜ。あんたがその気なら、俺は全力で抵抗させてもらう。いくぞ、トナカイの置物。あんたじゃ俺には勝てねぇ……あいたっ!」
トナカイの置物が額に直撃する。
思わず痛いって叫んだけど、全然痛くなかった。
そのお陰で、頭に昇っていた血が一気に引いてしまう。
「落ち着きましたか」
トナカイの置物みたいなのは、ふよふよ浮いたまま、俺に声を掛ける。
俺は『はい』と呟くと、ようやく置物──イザベラの話に耳を傾けた。
彼女の話をまとめると、こうだ。
どうやら、彼女は異世界からやって来たらしい。
異世界から来た理由は、至って単純。
この世界に転移した義娘を迎えに来たらしい。
「大体承知。んじゃ、俺はあんたの娘を見つけりゃいいんだな」
「……いえ、もう見つかっているんです」
「あん? なら、さっさと娘を連れて、元の世界に戻ればいいじゃん」
「…………あの子に話しかける事ができないのです」
夕暮れに沈む河川敷。
ドラマとかでよく見る土手の上で、俺と置物──違う世界で聖女をやっていたイザベラの話に耳を傾ける。
詳しくは話してくれなかったけど、彼女は義娘を聖女に仕立て上げるため、義娘に酷い事をしてしまったらしい。
その所為で、娘に会う事ができないそうだ。
「……貴方に接触したのは、これを彼女に渡して貰うためです」
そう言って、イザベラは何処からともなく『青い石』を取り出す。
『青い石』を見た途端、つい顔を歪ませしまった。
見ただけで分かる。
この石が良くないものである事を。
「……それ、渡していいものなのか」
「この石が何なのか分かるのですか」
「分からねぇ。が、見ただけで良くないもの……いや、素材にしたらいけないもので作られている事が分かる。なんか怒りがギュッと押し込められているような、沢山の人の怒声が詰まっているような、……そんなものを感じる」
イザベラは俺の言葉に応えなかった。
彼女自身も石が良くないものである事を理解しているのだろう。
彼女は曇った声を発しながら、『……でも、これは、……あの子が皆んなの下に行くために必要なものなんです』的な事を呟く。
俺は溜息を吐き、右手で後頭部を掻くと、疑問をぶつけた。
「なぁ、これは俺の勘だけど、あんたの義娘って、エレナの事だろ」
「……やはり気づきましたか」
どんぴしゃり。
俺の予想は当たっていた。
息を短く吐き出しながら、俺は思い出す。
ボランティア先の児童養護施設で勉強を教えている金髪の少女──エレナの顔を。
(古めかしい英語を喋ったり、歳不相応な大人びた雰囲気を放ったりしていたから只者じゃないって思ってたけど、……まさか異世界人だったとはな)
エレナ。
姓は不明。
年齢は恐らく小学生高学年程度。
誰の目にも愛らしいと思える容姿が特徴的な少女。
ボランティア先である児童養護施設に保護されるまでの経歴は不明。
どうやら彼女は過去の記憶を失っているらしい。
聞いた話によると、一昨年のクリスマス── 一人で夜の街を徘徊していた彼女を警察が保護する以前の記憶を持っていないらしい。
で、今は児童養護施設のお世話になりつつ、施設の近くにある学校に通っているそうだ。
「あの子は、……どうしてますか」
「記憶喪失のフリしつつ、子どもに混じってセカンドライフを満喫しているぞ」
『わ、私、過去の記憶ないんだよね。いや、本当だよ。本当にないんだよ。アー、ザンネンダナー』みたいな事を呟くエレナの姿を思い出す。
前々から記憶喪失云々の話は嘘って思っていたけど、まさかこんな事情があったとは。
『今度、ボランティアで彼女に勉強を教える時、このネタで弄ってやろう』と俺は心の中で固く誓う。
「……そうですか。なら、良かったです」
「にしても、エレナが聖女ね……あんた、一番聖女にさせちゃいけねぇヤツを聖女にしちまったな」
「………どういう意味ですか」
「あいつ、良くも悪くも存在感がデカ過ぎるんだよ。過剰に自分を良く見せがちというか、無意識に人の期待感を煽るというか。悪い言い方になっちまうが、アイツは悪女の卵だ」
悪女。
自分の目的や私利私欲のため、人々を魅了し、人々の運命を狂わせる女。
俺の予想が正しければ、エレナは悪女の才能を持っている。
「アイツは表舞台に立たせちゃいけないタイプの人間だ。自己嫌悪しがちな人間や自分ってモンを持っていない人間にとって、アイツの存在は刺激が強過ぎるんだよ」
エレナの所作は人目を惹く事に長けている。
その上、彼女は他者の気持ちを読む事にも長けているので、その人が求めている言葉を彼女という人間は適切に選択する事ができる。
人目を惹く所作、そして、ほぼ正確に人の感情を把握する力。
その二つが彼女という人間の魅力と影響力を増幅させる。
と言っても、彼女の魅力や影響力は万人に刺さらない。
もし自分の人生に満足している人達が彼女の所作に惹かれたとしても、彼女の事をいい人くらいにしか思わないだろう。
だが、自分の人生に満足できていない人達は別だ。
自らの人生に満足できていない人達は、彼女の所作に過剰に惹かれ、過剰に期待し始める。
彼等の求めている言葉を発する彼女を見て、更に期待感を煽られ、彼女という人間に依存し始める。
彼女に救われる事を祈り始める。
「アイツは悪女の卵であっても、悪女じゃねぇ。だから、普通の悪女よりも危険なんだよ。自分のために人々を魅了するんじゃなくて、誰かのために人々を魅了し、期待感を煽り過ぎる。その姿に弱った人間は神性を見出し、彼女という人間を信仰し始める。時代選ばず、傾国の美女になり得る存在だ」
「……なるほど。だとしたら、私達の浮島が滅びたのも、私という弱い人間が彼女に惹かれ、彼女を聖女にしてしまったから……」
「あ、あいつ、既にやらかしてんのな」
トナカイの置物──イザベラの言葉から察するに、どうやらエレナは既に国を傾けたらしい。
俺の見解は当たっているという訳だ。
ほんの少しだけ、エレナにドン引いてしまう。
「まぁ、アレだ。形あるものは、いずれ滅びる。そもそも傾国の美女如きに滅ぼされる国は、遅かれ早かれ滅びる運命だったんだよ。だから、まあ、気にするなよ、うん」
「………」
俺の慰めの言葉はイザベラに届いていなかった。
気まずい空気が俺とエレナの義母の間に流れ込む。
耐え切れなかったので、つい俺は提案の言葉を口走ってしまった。
「気まずいんだったらさ、俺が間に入ってやろうか……?」
提案する。
たった一言じゃ、イザベラの心に届かなかった。
「エレナに謝りたいんだろ。なら、俺があんたをフォローしてやるよ。任せろ。ダメそうだったら、暴力で問題をあやふやにする」
「暴力の行使を選択から除外してください」
俺の冗談に食いつくイザベラ。
その反応で、俺の言葉が少しだけ響いた事を確信する。
「わざわざ行方不明になった義娘を探しに異世界からやって来たんだ。あんたがエレナに何をしでかしたのか、俺はよく知らねぇ。けど、あんたがエレナの幸せを願っている事だけは何となく理解している」
そう言って、俺はイザベラに手を差し伸べる。
トナカイの置物は俺の方に身体の正面を見せつけると、湿った声を少しだけ漏らした、
「俺は立派な先生になる予定の男だ。俺にできる事は殆どないが、困っている保護者を見過ごす程、俺はできた人間じゃねぇ。あんたが抱えているもの、ほんの少しだけ背負ってやるよ」
そう言って、俺はトナカイの置物に手を差し伸べる。
彼女はじっと俺の目を見た後、掠れた声で俺の鼓膜を微かに揺るがした。
いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマ・評価ポイント・いいね・感想を送ってくれた方に感謝の言葉を申し上げます。
次の更新は1月10日(金)20時頃、後日談最終話前後編は1月11日(土)20時頃と22時頃に予定しております。




