自我と正当化と「聖女として」
◇
王都の道を覆っている筈の煉瓦は砕け散ってていた。
その所為で、地面が露出している。
でこぼこして歩き難い道を、私は全速力で駆け抜けた。
何度か転びそうになる。
案の定と言うべきか。
黒くて大きな蛇と化した第三王子は、一歩も動く事なく、私の姿を視認し続けていた。
「待ってください! ミス・エレナ! わたしの……オレの……いや、僕の話を聞いてください!」
聞かない。
『彼』の言葉に耳を傾ける事なく、かつて城があった場所に向かって駆け続ける。
「国王が悪いのです! 国王が『青い石』なんかを造ったから……! 弱者を材料に『青い石』を造ろうとしたから……! 弱者を糧に自分達の生活レベルを引き上げようとしたから、必要悪が生まれた!」
『彼』の言葉に応えない。
敢えて無視する事で、『彼』の視線を惹きつける。
『彼』の視線を引き寄せる事で、サンタに時間を与え続ける。
「『青い石』に加工された弱者の叫びが……! 行き場のない怒りが、必要悪という存在を引き寄せた! この浮島にいる人達の行き場のない怒りが、……無意識のうちに抱いていた自滅願望が、必要悪という存在を肥大化させた!」
(そうか。第三王子の攻撃が雑なのは、私を殺さないためなのか)
今頃になって、第三王子の攻撃が大雑把かつ雑だった理由を思い知る。
今の第三王子の目的は、私との対話だ。
自らの正当性を私に認めさせたい。
その一心で『彼』は言葉を紡いでいる。
(なら、私に自らの正当性を認めさせるまでの間、『彼』は私を殺せない。となると、此処は逃げるよりも隠れた方が時間稼げるかも)
無視する事で、『彼』を私に固執させる。
時間を稼ぐため、少しでも勝算を上げるため、私は『彼』を無視して、隠れられそうな場所に向かって走り続ける。
「僕は……わたし/俺/自分/私/オレは、悪くないっ! 悪いのは何もしなかった王だ! 贅沢し続けた王族貴族だ! わたし/俺/自分/私/オレを見て見ぬ振りした民衆だっ! わたし/俺/自分/私/オレは悪くないっ!」
黒くて大きな蛇から漏れ出る声が、第三王子のものじゃなくなる。
老若男女を合わせた不明瞭で不明確な声に変わってしまう。
その声を聞いてしまった所為で、私の足は止まってしまった。
「王族貴族がヒドラになったのは、自業自得だ! 民衆が異形になったのは、彼等自身の所為だ! わたし/俺/自分/私/オレは悪くない! 悪いのは、この浮島だ! わたし/俺/自分/私/オレも、この浮島の大地の寿命も、何も見なかった、何もしなかったアイツらが悪いんだっ!」
さっきまで感じていた第三王子の自我が、希薄になってしまう。
何がキッカケなのか、分からない。
けど、あの黒くて大きな蛇の中に第三王子の自我だけでなく、他の自我も含まれている事だけは何となく分かった。
「わたし/俺/自分/私/オレは悪くない……! 悪くないんだ……! なのに、何で聖女は聞いてくれないんだよっ! 聖女ってのは、弱者を救ってくれる存在じゃないのかよっ!?」
かつて青い石の材料として消費された弱者が、必要悪の自我を跳ね除ける。
「正当防衛だ! アイツらが何もしなかったら、わたし/俺/自分/私/オレは怒らずに済んだ!」
「僕は生まれずに済んだ」
「わたし/俺/自分/私/オレを誰も助けなかったから、この浮島はこうなった!」
「僕は余計なものを背負わずに済んだ」
「わたし/俺/自分/私/オレがやっているのは、正当防衛だ! わたし/俺/自分/私/オレは悪くない!」
聖女に救いを求める『弱者を見て、私は──
「正当防衛? これが?」
つい口を開いてしまった。
「正当防衛にしては、やり過ぎです。本当にここまでやる必要があったのですか?」
荒れ果てた王都を見る。
すぐさま黒くて大きな蛇──弱者の行き場のない怒りによって生み出された異形は、『王都がこうなったのは、魔王の所為だ!』と責任転嫁する。
「貴方達の力がなければ、民はオーガにならなかった。王族貴族もヒドラにならなかった。違いますか?」
「……っ!」
聖女の皮を被ったまま、つい言葉を紡いでしまう。
現時点で目の前の敵に話しかけるのは、逆効果。
それを理解しているのにも関わらず、私は口を開く。
聖女として目の前の敵に語りかけてしまう。
「先代の聖女は言っていました。『人も命を糧にする獣だ。幾ら綺麗事で濁そうと、生きるために必要な殺しは存在する。それは紛う事なき真理だ』、と」
時間稼ぎしなければならない。
それに気づいていながら、私は思った事をそのまま口にする。
『弱者』にとって必要な言葉を口にし続ける。
何故それを口にしているのか、私にも分からない。
けど、聖女時代に培った理性が、逃避する私を──本性に全てを委ねようとする私を許さなかった。
「貴方達が何もしなかった人達を殺したのも、見て見ぬ振りをした人達を化物に変えたのも、生きるために必要な行為だったのかもしれません。故に、私は貴方達の憤怒を否定しません。でも、貴方達の行いはやり過ぎです。奪った命を辱める殺し方。心の底から危害を愉しんでいないと、こんな事はできません」
先代聖女を利用する事で魔王を復活させ、人々を異形に変える事で浮島に混乱をもたらし、異形と化した人々と異形にならなかった人達を対立させ、この状況を利用して王族貴族を罰し続けた『弱者を睨みつける。
「貴方達は糧にした命の尊厳を踏み躙った。人として、生物として、あるまじき行為を行った」
生存本能が訴える。
今すぐ此処から逃げろ、と。
此処で死にたくない、と。
でも、聖女が逃走を許さなかった。
本性が闘争を選び続けた。
「奪った命から目を背けるな」
反論しようとした黒くて大きな蛇を睨みつける。
私の言葉に苛立っているのか、『弱者』の身体から敵意と殺意の匂いが漏れ出ていた。
心臓が高鳴る。
目の前の絶体絶命が私の両脚を縛り上げる。
欲望が絶体絶命を乗り越えろと訴える。
「奪った命から逃げるな」
黒くて大きな蛇から危険な匂いが放たれる。
逃げたい。
死にたくない。
胸の内から湧き上がる生存本能を押し殺しながら、私は目の前にいる彼等をじっと見つめる。
……ああ、そうだ。
ここで私が逃げたら、彼等は永遠に救われない。
罪を犯した自分を正当化し、過ちを延々と繰り返す。
なら、此処で食い止めないと。
たとえそれが無理難題だったとしても。
私に力がなくても。
それが私の挑戦じゃなくても。
今の私が聖女じゃなかったとしても。
「たとえ殺した相手が絶対的な悪だったとしても、命から目を背ける限り、貴方達は善になり得ない」
奪った命を踏み躙り、辱め、貪る者の行き着く先は、草木のない荒野だ。
他者の命を尊重しない者は命から嫌われる。
目の前にいる彼等いのちに悲惨な結末を辿って欲しくない。
「──命と向き合え、咎人。たとえ神が赦したとしても、私は貴方達の命を許さない」
聖女によって紡がれた言葉を言い終える。
すると、黒くて大きな蛇が大き過ぎる口を開いた。
「何処を見ているんだよ……! 僕を、僕を、見ろぉおおおおおおおおお!!」
黒くて大きな蛇が、第三王子の声色で自らの本性を叫ぶ。
それが開戦の狼煙だった。
今の今まで一切匂いを感じ取れなかった『彼』の身体から、危険な匂いが漏れ出る。
それを知覚しながら、私は再び走り始めた。
いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマ・評価ポイント・いいね・感想を送ってくれた方に感謝の言葉を申し上げます。
次の更新は10月30日(木)22時頃に予定しております。
(追記)10月30日(水)17:35
申し訳ありません。
体調を崩してしまったので、次回の更新は11月以降にさせてもらいます。
告知通り更新できなくて、申し訳ありません。
(追記)11月13日(水)20時43分
11月14日(木)に最新話更新いたします。




