大雑把で雑な攻撃とヒドラと聖女の皮
◇
黒くて大きな水の刃が王都のメインストリートだった場所を引き裂く。
私の身体を抱き抱えたまま、サンタは天高く跳び上がると、押し迫る黒い水の刃を紙一重で避ける。
「サンタ」
「分かっている」
そう言って、サンタは近くにあった煉瓦の建物の上に落下すると、空から降り落ちてきた黒くて大きな水の塊を難なく避ける。
すると、何の前触れもなく、黒くて大きな氷柱がサンタの足下から生え出た。
それを予め予測していたサンタは、足下から突き出るように生え出た黒くて大きな氷柱を避ける。
攻撃を避け切って、安心するのも束の間。
今度は黒くて大きな水球十数発が飛んできた。
弓矢の如く、宙を駆ける水球十数発。
サンタは武器を構える事なく、私の身体を両手で抱き抱えると、右に大きく跳ぶ事で飛んできた水球十数発を難なく避けた。
第三王子──黒くて大きな蛇の攻撃は苛烈かつ大雑把なものだった。
『彼』が攻撃を繰り出す度、荒廃した王都が更地に変わる。
『彼』が攻撃を繰り出す度、辛うじて残っていた建物は崩れ、浮島の繁栄を讃えていた像が砕かれ、時計塔だった瓦礫は砂礫に成り果ててしまう。
さっきまで私達がいた王国劇場も、先程お邪魔した喫茶店だったものも、そして、聖女時代に通っていた教会も孤児園も、第三王子の雑な攻撃により、跡形もなく砕かれてしまう。
かつての面影を見出せない程、原型がなくなってしまう程、破壊し尽くされてしまう。
蹂躙される王都を見て、聖女が私の中にある怒りを微かに引き出した。
「どうやら俺しか眼中にないみてぇだな」
背後で光り輝く柱をチラ見しながら、サンタは地面の上に舞い降りる。
第一王子達の匂いと先代聖女の魔力が光り輝く柱から滲み出ていた。
先代聖女と第一王子達の脱出が始まった事、そして、彼等の脱出が完了するまで少々時間が必要である事。
それらの事実を私とサンタは一瞬で把握する。
「嬢ちゃ……いや、エレナ。多分、第三王子の狙いは俺だ。あいつは第一王子達の事よりも、俺を殺す事に注力している」
「みたいだね」
周囲の様子を伺う。
かつて煉瓦の建物だった瓦礫の向こう側。
そこには民衆だった異形数百頭と、
──見慣れない鳥のような化物数十匹が、私とサンタを取り囲んでいた。
「……なるほど。どうやら王族貴族達は『ヒドラ』に変えられてしまったみてぇだな」
見慣れない鳥の化物──サンタが『ヒドラ』と呼んだ異形を一瞥する。
ヒドラと呼ばれる化物は、背中に羽根のようなものを生やしていた。
手脚と翼は鳥。
胴体部分は蛇。
そして、頭部は人。
私の右斜め前にいる異形を一瞥する。
その異形の顔面は、現国王の容貌と瓜二つだった。
あんまり頭が良くない私でも分かる。
あの異形が現国王の成れの果てである事を。
「かなりの数だな」
「あの現国王達を人間に戻す事はできる?」
「異形は無理だな。異形になった時点で死んでいる。奇跡でも起きねぇ限り、異形達が人間に戻れる事はねぇ」
「ヒドラってヤツに変えられた人達は?」
「分からね。頑張れば、元に戻せるかもしれねぇ。けど、……」
溜息を吐き出しながら、サンタはヒドラ──変わり果てた王族貴族達を一瞥する。
ただ呼吸するだけで激痛が走っているのか、ヒドラになった人々は全身の穴という穴から血を噴き出していた。
「アイツらを元に戻すには、時間が足りねぇ。俺が打開策を見つけるよりも先に、ヒドラになったヤツらは確実に息絶える」
「……そう、みたいだね」
振り絞るように全身から血を垂れ流すヒドラ達を見て、私は眉間に皺を寄せる。
現国王達を救えなかった。
その事実が思うのしかかる。
聖女の時に培った理性が、現国王達を救おうとしなかった今の自分を責め立てる。
その所為で、罪悪感が私の肩にのしかかった。
「エレナ。俺は異形達を退ける。その間、第三王子を足止めしてくれ」
「退ける事ができるの?」
「第三王子の攻撃がなければ」
「だったら、私が時間を稼ぐ。その間、サンタは異形をどうにかして」
サンタの腕の中から脱した後、私は敵──第三王子の下に向かって駆け出そうとする。
「何か策はあるのか?」
「ある」
「うし、分かった。じゃあ、時間稼ぎよろしく」
そう言って、サンタは異形達と共に姿を消す。
サンタが心器を発動した。
その事実を感覚的に悟った私は、眉間に皺を寄せる。
そして、息を短く吐き出すと、第三王子の下に向かって駆け出した。
◇
走って。
走って、走って、走って、走って。
ようやく私は第三王子──黒くて大きな蛇の足下に辿り着く。
身体が縮んだ所為で、想定以上に体力と時間を消費してしまった。
肩で息をしながら、私は全長百メートル級の化物──第三王子を見上げようとする。
だが、背後から聞こえて来た『彼』の声が、それを阻んだ。
「ミス・エレナ、貴女は変わってしまった」
振り返る。
人型の黒い水としか形容しようがない物体が、声を発していた。
「変わる必要がないくらい、貴女という人間は完璧だった。常に弱者の事を考え、命を削る勢いで人々に献身し、弱者の救済に全てを注いだ。貴女以上に聖女に相応しい人を僕は知りません」
人の形をしただけの黒い水が音を発し続ける。
その音は第三王子の声と瓜二つだった。
「貴女は完璧だった。聖女を辞めるべきじゃなかった。聖女を続けるべきだった。なのに、どうして聖女を辞めたんですか。どうして盗人なんかの言葉に従ったんですか。変わる必要がなかったのに、どうして変わったんですか。貴女は変わる必要がないくらいに完璧だったというのに」
『彼』の言葉は一方的だった。
私の意思や意見を認めないという口振りで、『彼』は理想を押しつける。
一方的に理想を押しつける彼を見て、私は気づいた。
気づいてしまった。
『彼』が必要としているのは、私ではない事を。
『彼』が真に欲しているのは、理想の聖女である事を。
「どうして盗人なんかの口車に乗ったんですか。彼よりも僕の方が貴女の事を考えているのに。僕の方が貴女の事を想っているのに。……何で変わってしまったんですか」
悲しそうな声色を発しながら、黒い人型の水は『たぷん』と震える。
もし私が聖女だったら、『彼』の期待に応えようとしただろう。
私の事を過大評価してくれる第三王子に苦手意識を抱きつつ、背筋の筋肉を少しだけ強張らせていただろう。
「質問を質問で返します、第三王子」
だけど、此処にいるのは聖女じゃない。
聖女という皮を完全に捨て去った私──ただのエレナだ。
だから、私は利用する。
第三王子の期待を。
そして、完全に捨て去った聖女の皮を。
「貴方は変わったのですか。それとも、変わっていないんですか?」
敵に問いかける。
聖女としての私と相対したくなかったのだろう。
第三王子の肉体から湿っぽい匂いが漏れ始めた。
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次の更新は10月23日(水)20時頃に予定しております。




