第5話 好奇心旺盛な子猫
ネネに渡されたメモをもとに、スーはメリアを連れて下層を歩いていた。メリアは好奇心旺盛の子猫のようで、気になるものがあればすぐフラフラとどこかに行ってしまう。
「ねぇ、スー。これはなに?」
「……メカニックアニマル」
道端で寝ていた犬のメカニックアニマルの頭を撫でながら、メリアは興味津々と言った様子でスーに問いかける。そのメカニックアニマルの顔の半分は毛皮が剥げ、機械部分が露出していた。
「メカニックアニマル?」
「機械仕掛けの動物たち。やっぱり、メリアはこの街の生まれじゃないのかもな」
「機械仕掛け?」
「あたりまえだ。この世界に人間以外の動物は存在しない」
「……そう」
メリアの妙な間が少し気になったが、メリアはメカニックアニマルを撫でるのをやめ、立ち上がった。
「なぜ?」
「なぜ? 破壊神の呪いに決まってる。……常識だろ?」
「……わからないの。私の記憶はいったいどこからなくなってしまったんだろう。でも、確かなのは、ここには私が知らないことがたくさんあるってこと」
メリアが微笑む。どこまでも不思議な少女だ。スーはメリアの美しい金色の瞳と目を合わせることが出来ず、目を逸らした。メリアは楽しそうにあたりを見回し、指をさしながらスーに「あれはなに?」「これはなに?」と問いかけてくる。このままでは日が暮れる。
「いちいち立ち止まってたら日が暮れるぞ」
仕方なく、どこかに行こうとしていたメリアの手を掴んだ。メリアが振り返る。まったく油断も隙もない。目を離したらすぐにどこかに消えてしまいそうだ。
「ほら、いくぞ」
「もうちょっとだけ!」
「日が暮れる!」
メリアの手を引き、多少強引に依頼場所まで連れていく、ネネに大変なことを押し付けられたものだ……とスーは生返事で手伝いを申し出たことを後悔した。子猫のようなこの少女は、恐れ知らずで好奇心旺盛すぎる。空から落ちて来たのも納得だ。
しばらく歩き、スーとメリアは階段の前にたどり着いた。ここから階段を登り、数階上に向かわねばならない。
「……ここ?」
「ここの上」
「どのくらい上?」
「二十階ぐらい? まあ、登ればつく」
スーは平然と言ってのけたが、メリアが少しだけ頬を引きつらせたような気がした。
下層に住む人たちは、入り組んだ道を進み、時には数十階分の階段を登り、壁を登って、整備されていない下層を進んで行かねばならない。進むことが出来なければ、死ぬほかない。エレベーターは使えず、人々が勝手に作り上げた険しい道を進むのだ。
だから、このぐらいの階段は日常茶飯事なのだが———。
「……大丈夫か~?」
スーは階段の数段下にいるメリアに声をかけた。まだ階段を八階分登ったぐらいなのだが、メリアはすでにばてているようで、膝に手をつき肩で息をしていた。スーは手に、魔鉱石がたくさん入ったバケツと、二人分のモップを持っているにも関わらず、まだ体力が有り余っており、二十階分ぐらいの階段なら、走り抜けられるのだが。
「本当に日が暮れそうだな……」
「……ちょっと……待って……」
メリアがその場に座り込む。スーがネネのもとに連れて行かなければ、この少女は本当に野垂れ死んでいただろう。これほど体力がないとなると、やはり中層、上層の者なのだろうか。
「ほら、もうちょっとで半分だから」
座り込んでしまったメリアにスーが近づいていく。メリアは首を横に振った。
「もう、無理。脚が棒になる……」
「そんなんじゃ、生きていけないぞ」
「……休憩……」
「してたら日が暮れる!」
メリアが不服そうに頬を膨らませ「もう動けないもん……」と膝を抱える。わがままな子猫のようだ。このままでは埒が明かない。
「しかたないな……」
スーは頭を掻きながら、メリアの前に膝をついた。
「ほら、乗れ」
メリアがキョトンとした表情を浮かべている。
「日が暮れてネネに怒られるのは俺なんだよ」
そう言うと、メリアは遠慮なくスーの背中に飛び乗って来た。少しよろめき、体勢をもちなおすと、メリアを負ぶって立ち上がる。驚くほど軽く、足が細い。
「スーは優しいね」
背中にメリアの体温を感じながら、スーが走り出す。そういえば、昔、まだネネと出会ったばかりのころも、ネネはメリアと同じように下層で生きるには頼りない体力と身体能力をしていて、よく動けなくなっては、スーが負ぶって運んでいた。懐かしい。
スーがしばらく走ると、あっという間に依頼場所の階についた。メリアをおろし、ネネからもらったメモを取り出す。
「こっち」
「まだ歩くの⁈」
「もうちょっとだって」
スーの返答にメリアは小さくため息をつき、不機嫌そうに頬を膨らませたが、大人しくスーについてきた。建物の隙間を抜けて、入り組んだ細道を抜け、たどり着いた依頼場所である路地裏は、一面真っ黒に絵の具で塗りたくられていた。
「うわぁ……」
メリアが声を漏らす。だが、その声は未知のものに対する好奇心から来た声のようで、警戒心などみじんも感じられない。
「すごいねぇ」
「ぼーっとしてないで、早く手を動かす! 終わらないぞ」
「はあい」
メリアにモップを手渡し、バケツを置いて魔鉱石を取り出すと、スーは魔鉱石をバケツの中にばらばらと落とす。メリアが不思議そうな顔をして近づいてきて、バケツの中を覗き込んだ。スーがバケツに落とした魔鉱石はバケツの中に落ちたと同時に液体に変わり、バケツの中で水になった。
「わあ!」
「……初めて見る?」
「うん!」
記憶喪失で以前のことがわからないとはいえ、この少女はいままでいったいどのようにして生きて来たのだろう。
「掃除するよ」
「はあい」
モップを手に、二人で掃除を始める。辺りに飛び散り、液溜まりをあちこちに作る黒い絵の具は、水を流し、モップでこすってもなかなか落ちず、これと同じような場所が下層のあちこちにあるのかと思うと気が滅入る。
しばらく黙々と掃除を続けていたが、スーはメリアが手を止め、しゃがみこんでいるのに気が付いた。
ここに来るまでにほとんどの体力を使っていたため、結構力を使うこの仕事にばててしまったのだろうか。そうだとしても、手を動かさなければ仕事が終わらない。
「メリア」
スーは軽くため息をつきながら、しゃがみこんでいるメリアに近づいていった。メリアはしゃがみ込み、じっと地面を見つめている。
「おい、メリア」
「これ」
メリアがふいに振り返り、スーの目を真っすぐ見つめて地面を指さした。唐突にメリアの美しい金色の瞳にとらえられ、スーはドキリとする。だが、すぐ我に返り、メリアが指さした地面の方を見た。
「この絵の具、ぶちまけたっていうより、引きずったみたいな跡になってる」
メリアの言う通り、地面に残ったその跡は、絵の具がぶちまけられたというより、黒い絵の具に浸された大きな布のようなものを引きずった跡のように見える。その跡は道の奥へと続いていて、しばらくいくと途切れていた。
「引きずったのなら、どうしてここで途切れているんだろう」
メリアが不思議そうにつぶやく。跡が途切れた先は、まるで絵の具が蒸発したかのように綺麗なままだった。
「バケツとかを使ってぶちまけたのなら、途中で途切れてもわかるけど、引きずったなら引きずった先まで跡は続くはずだし、こんなに液溜まりはできないよね?」
「……なんなんだろうな、これ。目的も、犯人もわからない。下層を汚したところで、元々汚れているのに」
スーが吐き捨てるように言う。すると、メリアが立ち上がりスーの目をじっと見つめてから、笑った。
「そんなことないよ。ここは、面白いものがたくさんある。素敵なところだよ」
つくづく不思議だ。こんなに薄汚い下層のことを面白いなんて。