「笑わないでくれアネモネ。僕は実は、暗くて狭いところが苦手だ」
「さて、お金がなくなってしまいました。名産のドラゴンクッキーはおろか、宿代すらありません」
どこかウキウキしているアネモネ。
「ですが、シトラスさんから手紙ももらっています。院を破門された私にとって、これが正真正銘最後の啓示となるでしょう……」
恭しくくしゃくしゃの紙が開かれる。
『ギルドに行け』
……これだけ?
と、下の方に走り書きで何か書いてある。
「紹介状、ですね」
聖都のマザー・シトラスの名において、僕たち信用を担保する旨が記されていた。
◆◆◆
「……」
「……」
……はて。
確かにギルドに行き、冒険者(険しきを冒す者、の意。本来、ギルドに仕事を斡旋してもらう命知らずを揶揄する言葉だったが、酔狂なヤツがカッコよがってそう名乗りはじめた)登録をして、紹介状を見せた……のだ。
そのあと気の良さそうな白衣の男性がやってきて、この複雑なガラス細工が占拠する地下室に連れてこられた。石の壁と床特有の冷たさが身に染みる。
「……」
「……」
時間感覚が狂っていなければ、今頃夜明けだろう。途中交代で仮眠を挟んだので、休息は十分だ。
「……」
「……」
ポタ、ポタ、とガラス細工の中で温められたり冷やされたりした液体が、小さなビンに滴っていく。
僕とアネモネは、それをひたすら見守り、ビンがいっぱいになったら交換するばかりだ。規定数は500個で、それが終われば報酬とともに解放してくれるらしい。
「これ、なんて言ったっけ」
「ポーションです。本来は魔術によって作り出されるものなのですが……」
「……そうか。このガラス細工が魔導陣の代わりになっているのか」
言うなればこれは、儀式の装置といったところだろう。
本来魔術師が術式を介して魔力を効果ある液体にするところを、その理論のみを抽出して形にしたのがこのガラス細工というわけだ。
「お詳しいんですね。本当に魔王さまみたいです」
「本当に魔王だ。正確には、魔王だった――のだが」
「だった?」
僕も退屈だったので、妹のフォルテとの訣別、その原因となった人間との停戦・和平交渉について話した。
「しかしまぁ、こんなものを見せられては、やはり魔族が滅ぼされるのも時間の問題だな」
人間は進化する。今でこそポーションの自動生成だが、争いが激化し、必要になれば、より強力な魔導具を開発するだろう。
「ではそれは、ひとえに愛の力でしょう」
……。
「また愛か」
「ええ、全ては愛です。例えばクレス、あなたがもし力をなくし、それでも誰かのために何かをしたいと思ったとき、どうしますか?」
「力以外の……。そうか、これがそうか」
「はい。この装置は、ポーションを生成できずとも、それでも誰かの傷を癒したい――そんな願いで作られているのです」
……そうか。
分不相応でも、力不足でも。
アネモネの言葉を借りるなら、愛がある限り、それを克服する。その在り方は、やはり脅威だ。
「だが、」
「もちろん、私はこのように、500本分など一瞬で生成できます」
ずらりと並べられた空き瓶にアネモネが手をかざすと、瞬く間にそれは満たされた。
「ただ、それは私が聖女だからできることです。ではもし私が倒れたら? 誰も賄えないまま、この魔導具がなければ……」
「代えが利く、というのはわかった。アネモネはそれでいいのか?」
「はい。少し寂しくはありますが、その先にある未来を願うこと――それも、」
「愛、か」
「はい。さて、出ましょうか」
伸びをするアネモネ。木を切り倒したような音が背中からしたが、聞かなかったことにしておこう。
「落ちたよ、アネモネ」
ストレッチをするアネモネの裾から、マザー・シトラスのありがたい啓示が落ちた。
「ん?」
いつの間にか指先に付いていたポーションに反応して、一言だけだったメモの続きが浮かび上がる。
『親愛なるヒイラギ博士へ。訳あって破門になったアネモネと、魔族の少年クレスの面倒を頼みたい。どうか二人に導きを』