亡命魔王と破門聖女
「婚約破棄、大いに結構。国外追放、上等です」
聞こえてはいないだろうが、アネモネはスニークに語りかける。……中指も立てているようだが、さっきのパンチで砕けた壁から光が差し込んできていて、よく見えない。
「……ご乱心なさったか、聖女アネモネ!」
左端にいた疲れた顔の大臣が糺す。といっても、吹っ飛んだスニークとアネモネを見比べ、さらには他の大臣たちの顔色を窺ってからのものなので、格好だけである。
「それが何か?」
「ヒィッ」
低い声音で睨まれ、意識のあったスニークと大臣がすくみ上がった。明確な敵対意志に、ただ一人を除いてにわかに騒めきだつ。
「ふむ。……聖女アネモネ、なにが望みだ?」
髭を蓄えた壮年、ブラウ騎士団長が前に出た。
僕が率いた魔族に対し、果敢に立ち向かい指揮を執った傑物。彼が立ちはだかるとなると……
「聖女アネモネ、一人で逃げろ。ここの奴らは全員僕が」
「それはいけません。クレス、あなたはここへなにを訴えに来たのですか?」
「……そうだな」
まだ痛みと虚脱感で震える足で、アネモネに並び立つ。ブラウ以外の大臣は、隅の方で縮み上がりながら事の成り行きを見守るだけだ。
「騎士団長殿。クレスの身柄は、私が預かります。そもそもは私が、彼が魔族と知りながら助けたのが始まり……ならば、そうするのが筋でしょう」
「そうだな。例えばこの俺が君たちを抑えられなければ、この国でも抑えきれない……」
「ええ。ですので私は、これから全身全霊で騎士団長殿と立ち会います。この結果を咎める者があれば、主はそれこそを咎めることでしょう――」
……巻き込まれている気がしないでもないが、それが一番平和的だ。
「よろしいですね、スニーク様」
目線だけを後ろにやるブラウ騎士団長。唸るスニークと、命乞いのように首肯する大臣たち。話はまとまったらしい。
「では、」
「ええ!」
二人の拳と剣が一度だけ交わる。
剣先がくるくると宙を舞い、ブラウ騎士団長がこちらに背を向けた。
聖女が一礼する。
「では、失礼します。皆さまにも主のご加護があらんことを」
◆◆◆
「すみません。最後に一度、修道院に寄らせてください」
夜も明けてきて、アネモネが断った。
あまり大きくもない修道院の表に、30代ほどの女性が、心配そうに立っている。
それを見つけてアネモネは、少し早足で駆け寄った。
「すみません、マザー・シトラス! ご心配をおかけしました!」
「いいのです、聖女アネモネ。王宮に召喚されたと聞いて驚きましたが……あなたのことです、正しいことをしたのでしょう」
マザー・シトラスは、とても穏やかに微笑んだ。
「えぇ、そのつもりです。……しかし、国外追放と婚約破棄ということになり……」
「まぁまぁ……。気に病むことはありませんよ。恥のない選択の結果なのでしょう?」
「もちろんです! ……しかし」
アネモネの下腹部に、黄緑色に光るものがあった。
あれは魔導陣……術式を図柄に表して刻み込み、記録するもの……だ。それが、マザー・シトラスに手をかざされて薄れていく。
「はい。申し訳ないですが、聖女アネモネはトラル教を破門にせざるを得ません」
「……承知の上です」
「誓紋は剥奪。以後、主・トラルを崇拝することを禁じます」
マザーの膝下に跪くアネモネ。
「行きなさい、高潔なる乙女よ。主・トラルの導きがなくとも、貴方は貴方の信じる道を……」
「はい。……ありがとう、ございます」
「じゃあね、アネモネちゃん」
「うん。バイバイ、シトラスさん」
朝焼けに照らされて、二人は抱き合う。
……フォルテとは喧嘩別れになってしまったが、いつかこの二人のように、納得しあって別れることができるだろうか。
「そこの魔族の少年」
「……なんだ」
二人の間に水を差しては悪いと、適当な物陰に隠れたつもりだったが……。
「アネモネを、よろしくね」
「……わかった」
涙ながらに頼まれて、無碍にすることなどできない。
……こういうのがいるから、人間は侮れないのだ。