魔王クレスと聖女アネモネ/emulsion
「解釈違いです、お兄さま」
妹・フォルテの手刀が、背後から僕の胸を貫いた。
魔王城・玉座。
僕が人間との停戦と和平を独断し、反対する殲滅派の配下を戦闘不能にした、その背中。
「ぐっ……」
まさか。まさか、フォルテが――。
「なぜ……」
「なぜ? お兄さまが、フォルテを裏切ったからです。人間なんてものに手を差し伸べようとして、どうせフォルテのことなんてどうでもいいんですよね? フォルテのこと嫌いになるんですよね?」
「何を――」
「フォルテの気持ちなんで全然わかんないくせに、なぜってなに? フォルテがいないとロクに魔術も使えない、ダメダメのよわよわお兄さまのくせに!」
何を言っているのか、わからない。
このまま人間と争い続ければ、いずれ魔族は滅びる。
彼らは、進化する生き物だ。我々がふんぞり返っているこの『優位』など、いつ脅かされてもおかしくない。
「はぁ……。いまここに、魔王フォルテとして宣告します。先代魔王クレスの拘束・幽閉を」
「待つんだフォルテ……! すぐにでも戦いを終わらせなければ、魔族は」
「負ける、ですか? ……そうですか。なら、すぐ終わらせましょう。その時が来る前に、こちらから滅ぼしましょう。そうすればお兄さまも、フォルテだけのお兄さまに戻ってくれますよね?」
「……違う……」
違うんだ、フォルテ。
話はそう簡単なものじゃないんだ。
「聞いてくれ、フォルテ……」
「いやです」
門扉を打ち破って、息巻く魔物たちが押し入ってきた。
「へっ。さんざん偉そうにしておいて、このザマかよ、元魔王サマ」「おい。フォルテさまの御前だぞ、控えておけ……」「なに、元魔王サマも魔族の端くれ。首さえ落とさなきゃどれだけ痛めつけても死なんだろう」
……好き勝手言ってくれる。
僕とあいつらとの力量差は、量るまでもない。手を翳し、術式の型にはめてすらいない魔力を放つだけで黙らせることができる。
「……くっ」
だが、この傷。
信頼していたとはいえ、妹だからとはいえ、あまりにも無防備すぎた背中の傷。
これが僕の核をほとんど破壊してしまっている――。
「それでも、僕は!」
「必死なお兄さまもステキです。そんなに人間のことが好きなんですか? ねぇ、ねぇ!」
許せ、フォルテ。名も知らぬ配下たち。
「僕は!」
吐き出せるだけの魔力を、即興で練り上げた術式に乗せて放つ。
「《魔王契約魔術》!」
たちまち辺りは白光に包まれ、
…………僕は、人間界に転移していた。
◆◆◆
グランド・プレッジ。
僕が魔王を辞めることを誓約に(すでに実権はフォルテに握られていたのだが)、魔王軍全員に対して一定以上の魔力励起を許さない制約を課す魔術だ。いちかばちかだったが、うまく行ったようだ。
「ここは……人間の」
これも計算通り。
魔王失格となった僕は、玉座の間はおろか魔界にいることすら許されず、人間界に弾き飛ばされてしまった。
本来なら魔王としてここを訪れ、交渉の席に着きたかったのだが、こうなっては仕方ない。傷を癒しながら、事を進めていくしかないだろう。
……と。
「クレェぇえぇエエエエェスッ!」
突如、空間の歪みからオーガが降ってきた。
追手……早すぎる、ということはないか。
「フォルテめ……!」
フォルテは天才だ。僕の使った魔術に対し、たとえばこのように一体二体ずつ刺客を差し向けるくらいの抜け道は作れるだろう。それにしても早すぎるが。
「術式構築――ダメか!」
核の破損と、先ほどの術式の行使。焼き切れていても無理はない。
「クレスゥ!」
木の幹のような豪腕が振りかぶられる。
オーガは本来魔力に依存しない種族だ。今の僕に勝ち目はない。
もし負けたらどうなる? 生捕か? いや……無理やりこっちに寄越されたショックで、コイツの理性はほとんど潰れている。加減ができるとは思えない。
死ぬのか? 僕が死ねば、いずれ魔族は人間に滅ぼされるだろう。それだけは回避したい。
逃げるか? 逃げてどうなる。人間が巻き込まれるだろう。
「やるしかない……!」
不慣れながらも拳を握る。大振りの初撃をかわして急所を打てば、少しは話になるだろう。
「その勇気、感服致しました」
と。
風が吹いて、オーガの拳に拳で合わせるものがいた。
肉と肉のぶつかるそれではない。大槌で巨木を打ち据えるような音を響かせて、……オーガの腕が弾け飛んだ。
「危ないところでしたね」
その人は、とても美しい髪をしていた。
「お怪我は……ええ。少し行くと、聖都に着きます。そこで治療してもらってください」
肩にある核を破壊され、オーガは暗い靄になって散っていく。
「このネックレスをお渡しします。紹介状代わりになってくれるでしょう」
しゃんと伸びた背筋に、裾までハリのある修道服。
「あなたは……」
「聖女アネモネ。それでは、私は訪問の最中ですので。お大事に」
◆◆◆
聖都は賑わっていた。
人間界の中でも、魔王軍に対し最も果敢に戦う街だ。
信じちゃいないが、ここの人たちに倣うのであれば、これは神の導きだろう。
治療は後回しだ。人々の噂話を案内がわりに、中心に構える王城に着いた。
「失礼! 僕は魔王クレス、交渉に来た!」
あれよあれよと謁見。
王は病に臥せっており、代わりに王子が玉座を任されていた。
「魔王クレス、だと?」
厚ぼったい瞼を猜疑に歪ませる王子。
「はい、スニーク様。このブロン、戦場で何度か相対しましたが、間違いありません」
その王子の横で堂々と構える髭の壮年騎士には覚えがある。魔界において騎士団長ブロンの名は、このスニーク王子よりも有名だ。
「それで、その魔王が何の用だ」
「単刀直入に。停戦、ひいては和平の申し入れに来た」
「わ、へい……だと?」
スニークが目配せをすると、もう一人侍らせていた魔術師然とした男が奥へと向かう。
「ふむ、ふむ。騎士団長、どう見る?」
「……恐れながら、願ってもないことかと」
……よかった。
「そうか、そうか。で、魔王クレス。その言葉に、どれだけのものを懸けられる? 心の臓でも捧げてみせるか?」
「スニーク様、それは……!」
「いや、構わんよブロン騎士団長。しかし国王代理、我々魔族は心臓が止まろうと死にはしない」
「冗談だ。なにも命を張れ、とは言わん。しかし、魔王クレス。呪眼の魔王、クレスだったか?」
僕はそういうふうに呼ばれているのか……知らなかった。
「その通り名に覚えはないが、確かに僕の呪眼は特別性だ」
ロクに術式を記録できない僕が、魔王なんて座につけたのはこの呪眼のおかげだ。発動された術式を解析し、模倣、あるいは相殺することができる。
「ならばその呪眼。この聖都に献上することで、交渉の対価としよう」
「……いいだろう」
頷くと、戻ってきた魔術師にナイフを手渡された。
「…………」
刃には、不治と約定の術式が刻まれている。
…………。
……。
「確かに」
抉り出した右眼をフラスコに詰め、魔術師が席を外す。
「さて、交渉の件だが――断る」
「な、」
「話は聞いてやる。そういう契約だ。が、伸るか反るかはこちら次第だ。憲兵、こいつを捕らえろ! 眼もなければ、どうやら魔力も空っけつらしい……幽閉し、憂さ晴らしにでも何でも使え。ただし殺すなよ」
「貴様、スニーク……」
「それから、その首の……。アネモネのものだな? あのクソ女、どういうつもりだ? おい、ヤツが帰り次第呼びつけろ! いいな!」
「スニークッ!」
◆◆◆
地下牢。
手足を鎖で繋がれてはいるが、ブロン騎士団長の一声で拷問は免れた。
「クソ……ッ」
諦めてはいけない……。人間はいずれ、文化と勇気で我々魔族の首元に喰らい付くだろう。そうして滅ぼされる前に、……。
床は固い。空気も澱んでいる。
「出ろ。尋問の時間だ」
尋問? なにを?
どこか申し訳なさそうな憲兵に連れられ、再び謁見の間。相変わらずスニークはふんぞり帰っていて、ブロン騎士団長と魔術師を従えている。今回は他にも数名、官僚と思しき中年数人が並び立っていた。
そして、もう一人。
「あなたは……あの時の少年!」
「アネモネ……?」
聖女アネモネもまた、僕と同じように手足を縛られていた。
「簡易裁判だ、魔王クレス」
さぞ愉しそうに、スニークが告げる。
「オレ様がお前の首を刎ねれば、聖都のみならず人類全ての士気が上がる。英雄スニーク、立派な旗印の出来上がりだ!」
ご立派な案はいま出されたものらしく、彼の側近らは目を丸くして聞いていた。
「……お言葉ですが、スニーク様」
「なんだブロン、オレ様に楯突くのか?」
「いえ……。しかし、騎士団を預かる身としては、停戦の申し入れは願ってもないことです。無闇に兵の命を散らすことなく、」
「黙れッ! 貴様も処刑されたいか……?」
「……っ、失礼しました」
その謝罪は、誰に向けたものなのか。スニークなのか、聖女へなのか、やがて来る全面戦争に巻き込まれる人間に対してか、それとも――。
「異論は? あるまいな。次に聖女アネモネ!」
「は」
立ち姿の綺麗な人だった。この場において唯一、事態を真っ直ぐ見つめる瞳が、僕にはとても眩しく見えた。
「修道院の聖女……つまりオレ様の婚約者のお前が、魔王を助けた。事実だな?」
「はい。今日の昼、オーガに襲われていたところに助力致しました」
「なぜだ? 赤い目、白い髪……魔族だということはわかっていたはずだ」
「はい。ですが彼は、……ええと、お名前は?」
「……クレスだ」
しかしなぜいま名前を?
「クレスは、傷ついていました。敵意もなく悪意もなく、魔王だというのに魔族に襲われていました。事情があったのでしょう。正しい理由があったのでしょう。ならば、手を差し伸べるのは当然でしょう」
毅然とした態度に、スニークは怒りで顔を赤くして
いく。
「そうですか、クレス。やはり、あなたは愛のある人でしたね。素晴らしい、とても素晴らしいことです。
「それに比べてスニーク! 話し合いを望む者を傷つけ、あまつさえ処刑だなどと、恥ずかしくはないのですか⁉︎」
――。
「恥、だと? ナメるなよこのアマ! 聖女だか何だか知らんが、代々オレたち王族の子を産むだけの装置のクセに、ナメた口聞きやがって……。修道院の権威とそのカラダさえ差し出しとけばよかったんだよ! 夜な夜な泣くまで可愛がってやろうと思っていたが……恥と言ったな!」
……聞くに堪えない言葉が並べれられる。
少しは回復した魔力で口の一つや二つ塞いでやろうと思ったが、アネモネ本人が堪えているので抑える。
「……この際だ。婚約を破棄し、この女を国外追放とする。院にはお前みたいなメス、掃いて捨てるほどいるぜ……それも、言えば喜んで靴を舐めるような売女がな。親に捨てられ、世間に見放された可哀想なヤツら――」
「生意気言ってんじゃねェーぞ、未熟者が!」
⁉︎
妙に耳障りのいい啖呵を切って、聖拳が憎たらしい右頬を殴り抜いた。
拘束具は無理やり千切ったのだろうか……オーガと打ち合って圧勝する腕力だ。それくらいできるのか……。
きりもみ回転をしながら玉座を破り石壁に激突したスニークは、僅かに痙攣するばかりだった。
能力都市、ダメカワピンク、一刀両断に続いて新作となります、よろしくお願いします
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