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洗い熊令嬢

 そう叫ぶや否や、可愛らしい少女がぴょんと子ウサギのように私たちの前へ躍り出る。


 私とは似ても似つかないサラサラの金髪に、くりくりした瞳。小動物のように、どこか弱々しい印象を受けるその美少女は愛すべき私の義妹、ヘレンだ。


「ニール様。お義姉様は私のことを大切にしてくださいますし、誰よりも理解し寄り添ってくださいます。そんなお義姉様が、私を虐めることなんてありません。どうか、お義姉様の話をよく聞いてください!」


 必死に訴えるヘレンを、ニールは熱の籠もった眼差しで見つめている。……あぁ、そういうこと。私はすっと冷めた気持ちになるが、ヘレンはそんなこと露知らず必死でニール様に訴える。


「掃除は、私が好きでやっていることです! というか、その、やらなければ気が済まないのです! だから、お義姉様に虐められているわけではございません! むしろお義姉様はとっても優しくて、素敵なお方です!」


 そういうヘレンの方が素敵よ。本当に、どこまでも可愛い義妹だ。うん、悪役令嬢よりこっち選びたくなるのもわかるよ。私だって男だったらヘレンみたいな人を奥さんにしたいもん。めちゃくちゃ可愛がって、温かく幸せな家庭作りたいもん。


 ——だからって、婚約破棄を言われたことを許すつもりはないけどなっ!


 煮えたぎる怒りを必死で押さえている私を前に、ニール様はさもお姫様を助け出す騎士のように片膝をつきヘレンの方へ右手を差し出す。


「あぁ、可哀想なヘレン。そんなに怯えなくてもいいんだ。義理の姉と継母に虐められて、さぞ辛かっただろう。だが、私がいるからもう大丈夫だ。私ならきっと、君を守ってみせる」


 そうやってヘレンに腕を差し出すニール様だが——


「っ嫌!」


 ヘレンは怯えたように、さっと後ずさりしてその手から逃げ去る。あからさまに呆気にとられたような表情のニール様に向かって、ヘレンは青い顔で必死に弁明を始めた。


「すっ、すいません! その、私、知らない人に触れられるのが嫌なんです! その人が嫌いなわけじゃないんだけど触られたら絶対にきちんと消毒しなきゃいけないし、えっと、でも、相手を汚いと思ってるわけじゃなくて、その……」


 しどろもどろになりながら、そう語るヘレンは忙しなく目を動かしている。自分で何を言いたいかわからない。自分が伝えたいことをどう口にすればいいのかわからず、焦りだけが先走っている。そんな状態のヘレンにニール様は困惑の色を示した。私はそんな二人を手助けするように、穏やかな口調で話しかける。


「ニール様。実は、ヘレンは極度の綺麗好き……というか、潔癖症なんです。手でも持ち物でもとにかく、一度自分が『汚れた』と思ったら納得がいくまできっちり洗わないと落ち着かない。だから乾きにくいドレスは嫌いで、洗いやすく安いから捨ててしまってもいいような服ばかり着ているのです」


 私の言葉を肯定するように、うつむくヘレン。そんな彼女を見つめる私の目は、どうしても哀れみが籠もってしまう。


 ヘレンが陰で「洗い熊令嬢」と笑われているのは、本人も知っている。だがヘレンはそれでも、洗うことをやめられないのだ。とにかく汚いもの、不潔なものを恐れていて自分の手ですらきちんと洗わないと気が済まない。侍女や使用人のことを信頼していないわけではないが、自分の手できっちり「綺麗」にしないと落ち着かない。そんな自分の手すらしょっちゅう洗っているものだから、手は荒れてボロボロになってしまうのだ。それを隠すため、そして手洗いの回数を少しでも減らすために渡した手袋もまた、言うまでもなく頻繁に洗い替えている。


 自分を恥じるように固まるヘレンを、庇うように私は立ち塞がる。未だ信じられない、といった表情のニール様に向かって私は宥めるように口を開く。


「ヘレンは自分で、自分の綺麗好きを異常だと思っています。ですがそれは彼女の心の病のせいであって、彼女自身が悪いわけではございません。義理とはいえヘレンは、私の大切な妹です。それにヘレンがこうなってしまったのには、わけがあります。どうか寛大な心で、彼女をお許しください」

「わけ、だと?」


 怪訝な目を向けるニール様に、私はさらに説明をする。


「ヘレンは私の義理の妹ですが、同時に私のお父様の姪っ子でもあります。つまり、私とは従姉妹の関係にあたるというわけです。しかしヘレンの両親は流行り病にかかって、早くに亡くなりました。その後、慈善団体へ一時的に保護されたのですがそこでとにかく手洗いを厳しく躾けられたのです。その経験が歪みに歪み、結果としてヘレンは不潔を必要以上に恐れるようになってしまったのです」


 ヘレンの境遇は、私も家族として接していくうちに少しずつ心を開いていった彼女自身の口から聞いたことがある。


 ヘレンの両親を奪った病は非常に感染力が高く、それゆえに徹底的に菌を遮断する必要があった。そのため手洗いうがいが推奨されたのだが、ヘレンを保護した慈善団体はそのやり方があまり良くなかった。大勢の前で怒鳴りつけ、真冬でも冷水で手を洗うことを強要し、時には暴力を振るわれることもあった。そんな状況の中で、精神を病まない人間などほぼいないだろう。我が家にやってきたばかりの頃のヘレンも悪役令嬢顔の私を見て非常に怯え、生まれたての鹿のようにビクビクしながらこちらの顔色を窺っていたものだ。そんなことを思い出す私の後ろから、ヘレンはぽつぽつと話し始める。


「お義姉様は、とっても優しい方です。みんなに『洗い熊令嬢』と馬鹿にされる私を理解してくださり、できるだけ私が落ち着いていられるよう携帯用の石鹸やハンカチ、掃除用品を惜しみなく用意してくださいます。みんなに異常だ、頭がおかしいと言われる私を、お義姉様はとても可愛がってくださるのです」


 そこまで言うとヘレンは一歩、私の前に歩み出て堂々とニール様に告げる。


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