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壁の中

作者: 西藤そう

真面目な非エンタメ作品です。


小説を書きたいというよりも、自分の感じたことを書きたい、という思いが強いです。

そのため物語性が乏しいものが多いかもしれません。

他サイトでも投稿していますが、そこは小説専門ではないので、色々な読者がいます。そのため自分の作品が、純粋に小説としてどう評価されるのかが気になり、「小説家になろう」に投稿することにしました。

 生徒相談室のソファーに座った彼の目は、まだ僅かに血走っていた。私はなるべく興奮させないように丁寧に扉を閉め、ソファーの横にオロオロと立つ小柄の若手教員に会釈した。


 十分前の授業中に何があったのか、大体のことは副担任から聞いていた。そのため彼が「絶対殺してやる」とぼそぼそ呟き続けているのを見て、正直困惑した。確かに彼は心底怒りを感じたのだろう。でも殺すほどじゃない。


 小柄の若手教員が、すみません、すみません、と言うのを止めて、スーツ姿の私はタンクトップ姿の彼の隣にそっと座った。横に来た担任の顔色を彼はしばらく無言で伺っていたが、すぐに怒涛のような声が押し寄せてきた。


「ふざけんなって。あいつらくそだろ。死んだ方がいい。殺したい。なんだあいつら、本当に調子乗ってる。くそが。死ねよ」


 *************


 その高校は、全日制と夜間定時制が併設されていた。全日制の授業が終わる四時十五分の五分前から定時制の授業が始まる。日中のアルバイトを終えて、クタクタになりながら授業開始ギリギリに登校する青年たちは「また明日ー。さようなら」「やっば、部活始まる、急げー」という声を聞きながらはじまりのSHRを受ける。そしてワケワカメな化学式を解くふりして、意気揚々声を出すユニフォーム姿を遠目で眺めるのだ。


 基本的に全日制と定時制には棲み分けがある。校舎は同じだが、それぞれで使用するエリアが異なっており、生徒の動線も上手いようになっている。赴任したては、隔離みたいでなんか嫌だなと思っていたが、次第にそういうものなのかと状況を受け入れていった。


 そんな歪な秩序が今年は乱れていた。耐震工事が始まり、教室の配置や生徒の動線が大きく変わったのである。全日制と定時制という二つの世界の間にあったはずの灰色の壁は、突いたらすぐに壊れるヒビだらけのスケスケなアクリル板に変わってしまった。そもそも定時制がどういうものなのか分からない青年たちは、得体の知れない不気味な生き物を見るように、廊下からじろじろと定時制の教室を見る。「定時制ってなんなん?」「知らん」なんていう会話が、毎日のように、異様なエコーを伴って、人数の少ない定時制の教室に響き渡る。全日制の教員が「お前ら、定時制の生徒に絶対迷惑かけるなよ!何がなんでもダメだ!」と鬼の形相で言うもんだから、訳もわからず畏敬の念みたいなものを送ってくれる人たちもいる。


「…すみません。カードゲームをしてたんです、授業で。いろんな授業があったら楽しいかなって思って、みんなで盛り上がるかな、って思って。もちろん教科に関わる内容ですよ。そしたら、全日制の子が『いいなあー。楽しそうで、こっちは勉強してんだよ』みたいなことを言ってきてたらしくて、何度も?・・・・。じろじろこっちの部屋見てたんだよね?・・・ごめんなさい。僕、カードゲームに、っていうか授業に集中しすぎて、全然そんな様子に気がつかなかったんですよ。ごめんなさい。あっちは放課後に教室で勉強してたんですかね・・・?うるさかったんでしょう・・・。いや、こっちはうるさかったかもしれませんけど、普通に授業してたんですけどね…。ごめんなさい(ぼそっと聞こえる「・・・なに謝ってるんだよ・・・」という声)」。・・・で、まあ授業が終わった後、突然彼が飛び出したから、どうしたもんかと思って彼を追いかけたら、その、全日の鈴木君?3年D組の。鈴木君を押さえつけたってことはないんですけど(「触ってねえよ」という声)。あ、触ってないよね。うん、うん。言い争い、みたいな、かなり激しい挑発的なやり取りが…(彼の睨みにやや怯んでしまうメガネ先生)。私が止めに入って・・・」


 ズレていくメガネを元に戻すことなく、小さい授業担当者は事の顛末をツラツラ話し出した。知っている内容だったし、誰に対して話してるのかよく分からなかったのでそれはそれとして一旦流しながら、私は隣に座る茶髪の彼の様子を観察していた。授業担当者の説明は、明らかに彼にとって逆効果だった。彼の足はますます激しく上下に揺さぶられている。そして彼は隣の職員室まで聞こえる大きな声で叫んだ。


「こっちは授業してたんだ!あいつらはなにしてんのか知らねえけど!」


 そして彼は勢いよく立ち上がり、生徒相談室の壁を三度殴った。どすっ、どすっ、どすっ、という鈍い音は、無惨にも冷たいその灰色の壁に吸収された。音は全くと言っていいほど反響せず、その場に落ちた。それを見た私は、この話が単なる怒りのコントロールが出来ない若者の揉め事でないことに気が付き、ギョッとした。


「あいつらって・・・、誰のこと?」

「・・・は?」


 彼が暴言を吐いて迫り寄っていった相手は、全日制の鈴木君だけだ。でも彼は決して「あいつ」とは言わない。どうやら彼が怒りの矛先を向けているのは、もっともっと大きなものらしい。


 彼は「あいつら」を殺そうとしている。なぜなら彼は「あいつら」に殺されそうになっているからだ。「あいつら」に明確な殺意はないが、いつも我が物顔で側に立っている。別に「あいつら」はその場所から自ら離れ、堂々と彼に近づいてくるわけでもない。しかし「あいつら」は、「あいつら」自身が気がつかない間に肥大化し、結果として彼の日常を侵食していくのである。「あいつら」は彼を日常の領域から徐々に殺しにかかるのだ。


 彼の殺意には明確な理由があった。


 私は彼に全日制に対して抗議しにいくことを提案し、彼は賛成した。


 *************


 私の地理の授業中、彼は青黒くなった右手の甲をぼんやり眺めながら「下手くそだな、音外れまくり」と引き攣った笑いで呟いた。私はそれを聞いているということを彼に軽く目で合図し、授業を続けた。授業中、何度もクラリネットが裏声を出した。その度に彼は顔をしかめた。


「先生、高校三年生の秋ですよ?大切な時期なんです。受験勉強でイライラしてたんですよ、きっと。鈴木もうまくいってないですからね。それで隣で楽しそうに大きな声を出してたら・・・・。しかもカードゲーム?まあ正直、私、鈴木の気持ちも分からんでもないんですよ。そっちももう少し配慮することは出来なかったのか、って思っちゃいますね、本当のことを言えば。ここはこれで終わりにしませんか?指導とかそういうのはお互いにしなくてもよくないですか?今の鈴木に何か言っても鈴木のためにならないと思んですよ。」


 全日制の教師は、熱り立つ彼に誠実に謝ったと思いきや、その三十分後に私だけを呼びつけてそう言った。さすがに私もキレて目の前にいる初老の教師を殴りたくなったが、怖気付いて止めてしまった。教頭に報告すると、すぐに全日制と定時制の教頭同士で話し合いがなされた。そして今回は全日制が全面的に悪かったという話になり、全日制の教頭が定時制の職員室に謝罪に来たところで、このことに関する「教育的取組」が完結した。それだけだった。


 彼は一応「あいつら」に殺されずにすんだ。しかしそれは現時点での話でしかない。いつまた「あいつら」が殺しにかかるか分からない。その時にはまた彼は「あいつら」を殺そうとするだろう。それは自己防衛であり、自己表現である。生まれてからほとんどの間、隣に居座っている「あいつら」に、自分の存在を知らしめるのだ。


 ただ、ここで、ふと考えるのは、果たして、私自身は「あいつら」の中に含まれていないのか、ということである。自分自身の中を探しても、自分が「あいつら」ではないという確証を得ることは出来ないではないか。「殺すほどじゃない」と考えていた自分や、初老の教師に殴りかかれなかった自分を堂々と彼の前に差し出すことは出来るだろうか。もちろん私は「あいつら」になろうなんて一つも思ってやしない。でも「あいつら」はこちらの隙を見て歩み寄ってくる。「あいつら」が私たちの皮膚から侵入し、寄生してしまえば、もはや自分が「あいつら」に取り込まれていることに気付くことは出来ないだろう。


 彼は地図帳を眺めながら「アメリカ行ってみたいなあ。自由の女神見てみたい」と声に出した。島から出たことのない彼はアメリカに行ってどうするのか。その行く末を確かめたい、と心から思ったところで、陳腐なチャイムが灰色の壁の中で鳴り響いた。

読んで下さりありがとうございます。

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