最初の客
――――語り手の少女――――
カチカチと――――時計の針を刻む音が、一定の間隔で部屋の中へと静かに鳴り響く。
ここは不思議な魔法使いの少女が営む骨董屋――――【夜香の城】。
売り物として陳列されている品々は、どんなに等級の高い宝石でも決して及ばない程の、価値のある物ばかり。
それらは当然の事だけど、一般に流通している紙幣で購入する事はできない。魔法使いの世界でのみ扱うことの出来る、特別な硬貨を支払うことで対価として得られるのは、魔道具と呼ばれる強大な力。
しかしながら、それほど危険な代物をだれにでも売るわけではない。事前に連絡をよこした、信頼できる魔法氏いのみがこの店を訪れる。
魔法使いとは世界の管理者。地球を含めた広大な宇宙の全ては、彼等の管理するべき世界の、ほんの一握りでしかない。
こうして私が話をしている今も、数多の世界が同時に生まれ、発展し、そして滅びていく。
魔法使いを神だと比喩する人がいるけど、それも当然の事だと言える。何故なら魔法使い達の中でもごく一部の、比較的大きな力を持った者は、世界の構成する情報すら書き換えてしまうのだから。
そんな強大な力の一端を封じ込めた品――――それこそが魔道具と呼ばれる存在なんだ。
遥か昔。気の遠くなる程に遠い遠い――――歴史の彼方で創られた魔道具は、その一部がそれぞれの世界の伝承や神話にも登場していると聞いたことがある。
さて・・・・・・そんな曰くつきの品々を扱うこの店にたった今、一人の少年が扉を開けてやって来た。
そして真っすぐに部屋の突き当りにある奥の机――――幼い黒髪の少女が気だるそうに頬をついているカウンターへと向かい、そこに置いてあった椅子へと腰かける。
少女は横目でちらりと少年を見ると、一言「来たか」と声を掛けた。そして机の引き出しからカードの束を取り出すと、それを二つの山に分けて配り始める。
どうもこれから、この二人はカード遊びに興じるらしい。店には客はおらず、ゆったりとしたどこか居心地の良い時間が流れていく。
カチカチカチ――――カチカチカチ。
カチカチカチ――――カチカチカチ。
時計の針は進んでゆく。天井から吊れ下がったランタンの灯りが、二人の足元に揺れ動く黒い影を作り出す。
カチカチカチ――――カチカチカチ。
カチカチカチ――――カチカチカチ。
時計の針は進んでゆく。ゆっくりとその瞬間を確実に刻み続けながら――――
*****
「ほれ。次はお前の番だぞ小僧」
俺の目の前に小さな手が差し出される。その手にはカードが二枚握られており、それを持つ魔法使いの少女――――クロエの表情は固く緊張していた。
俺は冷静に相手の様子を盗み見る。
カードに向けられた指先を見つめる――――目線から伝わる心情の変化。
身体に現れる僅かな挙動。
言葉は無い。しかし今、俺たち二人は究極の戦争状態といっても差し支えない状態であり、見えない火花が 互いの間を行き交っている。
一瞬の静寂・・・・・・。
次の瞬間――――俺は目の前の小さな手に握られているカードを一枚、奪い取るようにして引き抜く。
それと同時にクロエは心底悔しそうな表情を顔に浮かべながら、俺を睨めつけてきた。
俺は自分の手元に持っている、カードの絵柄を確認する。
初めから持っていたカードと合わせて二枚。両方とも同一の絵柄のものであり、そのことを確認した俺は勝利を確信して、目の前に積み上げられたカードの山の上にそれを置いた。
「上がりだ。これで通算十連勝目だな。どうする・・・・・・まだやるか?」
「あまり調子に乗るなよ小僧。テレビゲームでは一勝もできんかった癖に・・・・・・もう一度だもう一度!今度こそ勝つ!」
クロエは目の前に積み上げられたカードの山に、手元に残った最後の一枚を叩きつける。俺たちはかれこれ二時間ほどこの調子でずっと、カードゲームに興じていた。
あれから【夜香の城】でアルバイトとして働き始めたのは良いのだが――――
一週間経った今でも、未だにこの店へと訪れる客を見たことが無い。
リセは「これから外回りの仕事がありますので」と、俺に告げてから出掛けており、ここには不在である。クロエが店番をするように見張りをしたところで、肝心の客が来なければ実際のところ暇でしかない。
なのでその間、客を待つ間にこうしてクロエと二人で、色々と時間を潰していた訳なのだが――――
「この店、全然客が来なくないか?」
「まあな。月に二人ほど来れば多い方だろう。酷い時は数か月の間、誰も来ない時もある」
クロエはどうでも良さそうに、机の上に肘を乗せ頬杖をつきながらそう答える。
クロエの話によれば、魔道具を商品として扱っている店は他にも数多く存在し、わざわざこんな辺境――――地球を含むこの世界にやって来る変わり者は、ごく一部の常連の魔法使いだけらしい。
埃を被った店内は、お世辞にも繁盛しているとは言える状態ではなく、傍から見ればガラクタの山が並べてあるとしか思えない。
余りにも暇すぎて、最初は店内の掃除でもしようかと考えたこともあったのだが――――リセの話によると俺みたいな普通の人間が魔道具に直接触れることは、それなりのリスクがあるそうだ。
場合によっては、その魔道具に自身の存在ごと飲み込まれる。
過去には偶然拾った魔道具によって怪物と化した人間が、一つの世界を滅ぼしたらしい。まあそれ程危険な代物は、特別な場所で厳重に保管され、封印されているそうだが――――なんともおっかない話である。
「飲み物をお持ち致しました。お二人ともそろそろ一旦、休憩にされてはいかがでしょうか?」
クロエと同じ【夜香の城】の住人――――右肩下がり男爵が俺たち二人の目の前に、それぞれティーカップを一つずつ置いていく。見たところ中身は紅茶のようであり、わざわざ男爵が淹れてくれたものらしい。
俺は紅茶を用意してくれた右肩下がり男爵にお礼を言って、自分の目の前に置かれたカップを手に取った。
じんわりとした温かな熱が、持ち手の部分を通じて微かに感じ取ることが出来る。
古いアンティークのデザインをしたそれは、リセの趣味で他の異世界から集めてきた品だそうだ。
持ち手にかなり細かな装飾が施されており――――俺にはその価値がどれ程のものかを予測することは出来ないが、確かな高級感だけは伝わって来る。
俺はクロエと全く同じタイミングで、そっとカップの縁へと口をつけた。しかし次の瞬間には――――
「「ブーーーーーーーーーー!」」
二人揃って盛大に、口へと含んだ紅茶を噴きだしてしまう。絵図らも何もあったもんじゃない。
そのカップの中身を口に含んだ瞬間――――強烈な苦みと酸味が俺たち二人の口内を襲った。俺は酷く咽せながら、涙目で右肩下がり男爵に尋ねる。
「ごほっごほっ!男爵・・・・・・これ何?」
「ハイ。本日は秋の季節に合わせて、銀杏の木の実で淹れた紅茶をご用意させて頂きました」
冗談では無い。
どうやら右肩下がり男爵の善意で用意してくれた物らしいが――――クロエはまだ、机の上に突っ伏したまま動かない。 しかし時間が経つにつれて、徐々に回復してきたのか、机から起き上がると同時に男爵へと向かって、怒り心頭といった様子でまくし立てる。
「貴様ふざけるな!死ぬかと思ったわ!」
「・・・・・・どうやらクロエ様のお口には、合わなかったようですね」
「合わなかったようですね・・・・・・だと。これで何度目だ?学習能力が無いのか!・・・・・・もういい、よーく分かった。今からこの私が直々に、貴様を解体処分してやろう!」
どうやら前にも似たような出来事があったらしい。というか銀杏の木の実で淹れた紅茶って言ってたけど・・・・・・まさかその辺で拾ってきた物じゃないよな?
落ち込んだ様子の右肩下がり男爵に向かって、今にも掴みかからんとするクロエの身体を、俺は背後から抑え込もうとしたのだが――――幼い外見からは想像できない程、とんでもなく力が強い。
「落ち着けクロエ。ストップ!ストーップ!」
「ええい、離さんか小僧!奴には一度きつく仕置きをせねばならんと、前々から思っていたのだ。いいからその手を離さんか!」
そのようにして俺たちは、子供のようにギャーギャーと騒ぎ立てていたのだが――――
唐突に、店の入口の扉が音を立てて開かれる。
一人の人物がその場に立っていた。
黒いフードを頭上まで深く被っており、その表情を伺い知ることはできない。その人物は店内に入って来ると、迷わず一直線に奥にある壁際の棚へと向かった。そしてそこに陳列されていた灰色の、片方しかないボロの手袋を手に取ると、俺たちのいるカウンターを目指して真っ直ぐに歩いて来る。
ガチャンッ!――――大きく音を立てて、俺たちの目の前にある机の上に、小さな布袋が一つ置かれた。謎の人物はその布袋を置くや否や、入って来た入口の扉に向かって無言のまま踵を返し、そのまま店の外へと流れるような動作で出て行った。
全てが一瞬の出来事であり、俺たちはその場で絡み合ったまま、暫く固まっていたのだが――――先に我に返った俺は、フードの人物が持ち去っていった商品が陳列されてあった、壁際の棚へと慌てて向かう。
そこには鉄製のプレートが貼ってあり、その表面には【透過の手袋】と刻まれていた。
「クロエ、今のは?」
「忘れていたよ。そういえばリセの奴が言っていたな。ここ数日のうちに一人、魔法使いの客がやって来ると」
クロエは目の前に置かれた布袋の口を閉じていた紐を緩めて、それを逆さに持ち上げる。
ジャラジャラと音を立てて――――金色に輝く丸形の金貨が机の上に広がった。見たこともないデザインの硬貨であり、表面には細い線で波打つ三角形の模様が描かれている。
「よし・・・・・・全部で十五枚か。数も合っているし問題ないだろう。おい男爵、これを奥にしまってきてくれ」
「ハイ、かしこまりました」
中身を目視で確認したクロエは机の上に広げた金貨を全て布袋に入れ直すと、それを右肩下がり男爵に向かって手渡した。クロエから布袋を受け取った右肩下がり男爵は、そのまま近くにある階段から二階へと上がって行き、一階には俺とクロエの二人だけが残される。
「良かったのか?あのフードの奴、顔も見せずに帰って行ったけど」
「うん?・・・・・・ああ大丈夫だ。この建物の周りには、認証式の魔法で結界が張られているからな。リセが許可を出した人物以外は出入りできないようになっている。そもそもこの店に盗みに入れる技量を持った魔法使いなんぞ、数えるほどしかいないしな。ちゃんと代金も貰った事だし、この件についてはこれで終わりだ。小僧、続きをやるぞ」
クロエはそう言うと、まるで何事もなかったかのようにカードの山に手を伸ばして再び配り始める。
それを見ていた俺は、単純な好奇心からクロエに質問をした。
「クロエ、さっきの客が買っていった【透過の手袋】って何?」
「あれは名前の通り、装着者の手に透過能力を付加する魔道具だ。物体だけでなく、ありとあらゆるものを、物理法則を無視して通り抜ける。そこまで珍しい魔道具でもないから、類似した効果を持つ品は、他にも数多く存在するのだろうが・・・・・・何だ興味があるのか?」
そう説明するクロエの表情は少し意外そうであった。そして少し考えるような仕草をすると、その場でパチンと――――指を一度大きく鳴らす。
どこからか分厚い大きな本が一冊、ふわふわと空中を漂うようにして、こちら側へと向かって飛んできた。
本の表紙には八枚羽根の蝶のような模様が描かれており、それを手に取ったクロエは表面に付着していた大量の埃を掌で払い落とす。
「この店で扱っている魔道具の目録だ。貸してやるから、読みたければ好きに読んで良い。翻訳魔法をかけておいたから、お前にでも読めるはずだ」
「いいのか?」
「いちいち聞かれるたびに説明するのも面倒だ。私は少し席を外す。何かあれば大声で呼んでくれ」
クロエは本を俺に渡した後、“興が冷めた”と、でもいうように自身の目の前に置かれていたカードの束を机の中央にむかって乱雑に寄せる。
それから男爵の後を追うようにして、その小さな背中は店の二階に消えて行った。