序章
駅を降りてすぐにある喫煙所で煙草を一本吸ってから帰るのがルーティーンだ。駅から出ると日は沈み、マフラーに顔を埋める女子高生、長いトレンチコートを着たサラリーマンがそれぞれの方向へと歩いていく。すっかり冬の装いに変わった人たちを横目に、気に入っている綺麗なボルドー色をしたダッフルコートの胸ポケットから徐に煙草を取り出し火を点けた。
「寒空の下吸う煙草は美味い気がする。」
何となく自己陶酔に浸っていると、ふと今年は猛烈な寒波の影響で去年より○度低いと朝のニュースキャスターが言っていた事を思い出した。
「毎年寒くなってない・・・・・・?」
冷めた事を呟いてみたが、心なしか口から出す煙は一層白い気がした。
悴む手で灰を落とすと、三歳上の兄と二人暮らしをしている小さなアパートに帰ることが苦行のように感じられた。いっそタクシーを使おうとも考えたが、財布を確認するまでもなく、そんなお金を持ち合わせていない事は知っていた。諦めて家までの二十分近くを歩く事を決意した。普段は兄が使っていたスクーターで駅まで向かう。しかし、今朝駅へ向かおうとすると後輪が誰かに刃物で切られていたので仕方なく歩いて駅へ行くはめになった。
「今日の星座占い絶対に最下位だろ。」
半分ほど燃えた煙草を灰皿へ投げ捨て、私は両手をポケットに突っ込みふてくされたように家へ歩き出した。
たまに通る車のヘッドライトと月明かりが頼りになる住宅街を歩いていると、家まであと半分位のところで後方からずっと付いてきている人の存在に気づいた。実際のところ存在には早い段階で気づいていたが、偶然同じ方向に歩いているのだと考えていた。しかし、どうやら違うらしい。左後方百メートルを保って付いてくる。これは尾行の基本だと警官の兄が以前自慢げに話していたのを覚えている。
「誰だ?知り合いか?何で俺なんだよ?」
無意識に早足になり、心臓は痛いほどに早く鼓動している。ペースを私が上げると、付いてくる人も合わせるかのように速くなる。怖くなった私は足を止め、後ろを振り返った。
「誰なんっ・・・」
振り返ると遠くにいると思っていた人影はすぐそばまで走ってきており、肩ほどまで伸ばした長い髪を四方に揺らしながら私にぶつかった。
「痛っ!」
私がそう言葉を発した時にはその女は数メートル先におり、止まりもせず走り抜けていった。その女の後ろ姿を呆然と眺めていると、横腹がひどく熱くなっていた。恐る恐る目を下に向けると、真っ先に目についたものは身体から90度に伸びる物体、そこから溢れ出す水滴がじわじわと地面に染みを作っていく。次第に足に力が入らなくなり、私はガードレールに身体を預けるように崩れ落ちた。
「やっぱり今日の運勢最悪じゃねーか。」