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4  いざ、ハ(たらけない)ロ(うどうしゃの)ワへ!

 そんなこんなでまんまとのせられてしまった俺、たかしは美しき白髪の少女リリアムと『働けない労働者の輪』 とかいう怪しげな協会の本部へと赴くことにあいなったのであ

る。

 リリアムはツアーコンダクターの如く、俺の隣で街の説明をしながら協会への道案内をしてくれた。

「これからハロワに行きますが……あっ、えーと、『ハロワ』っていうのは私たちが『働けない労働者の輪』を呼ぶときの愛称みたいなものなのですが……」

「待て待て待て、なんなんだその愛称は」

 話を進めようとするリリアムに咄嗟に割って入る。いやいやその愛称は聞き捨てならないぞ。もうちょっとマシな略し方してくれないか。その愛称のまま進められると現実世界の悪夢が蘇る。

 俺が悪夢を必死に抑え込もうとこめかみに手を当てて言葉に詰まっていると、

「『ハロワ』の愛称が何かひっかかりますか? 他の言語で挨拶の意味である『ハロー』と仕事を意味する『ワーク』を略したみたいでもあり、協会内ではなかなか人気で……」

「あぁ、OKOK、もういい分かった。俺が悪かった」

 これ以上連呼されるとさすがに堪える。やってることは変わらないんだし、受け入れるしかないのか。

 つくづく現実世界からあまり切り離されないな、この環境。


「あっ、名前と言えば。貴方のお名前をお聞きしてませんでした。失礼しました……なんとお呼びすればよいでしょうか」

 道すがら、ふと思い出したようにリリアムは言った。

「あ、あぁ。名前ね、俺は上田孝」

 唐突に名前を聞かれて思わずキョドる俺。視線もリリアムの方には向いていない。考えてみるとまともに女の子と話すこと自体が久しぶりな気がする。元の世界ではそれこそ仏頂面の面接官か口うるさい家族くらいしか話し相手がいなかったからな……あれ、なんか涙出そう。

「ウエダタカシ? なんだか珍しいお名前ですねー。ここのあたりでは聞き慣れないかも

しれません」

 物珍しそうにほぉほぉとリリアムが唸る。やはりこのあたりの名前は横文字なのだろうか。まぁこの世界観で漢字の名前だったらそれはそれでアンバランスで困るが。


「そうだな、そしたらたかしって呼んでくれればいいよ」

 俺は相変わらず視線を合わせられないままボソッと呟いた。普通に話すだけならまだしも、こうして隣で歩きながら他愛もない話をしているといやに緊張してしまうのである。なんたってやたら可愛いからな。いや、ほんと、別にロリコンとかそういうんじゃないんだが。でも横から見ても正面から見ても、目はパッチリしてるし、表情も豊かだからなんだかその……

「なんで俯いてるんですかー」

 地面しか映っていなかった視界の中にひょこっとリリアムが現れる。俯き続けていた俺を隣からのぞき込むようにしていた。

「うぉっ!」

 思わず声を上げてしまう。一人でイケナイ妄想に浸りかけていただけに、より一層驚いてしまった。

「ダメですよー、人と話すときはちゃんと目を合わせて話さなきゃ。社会の常識です」

 リリアムは頬を膨らませてむくれた表情を見せる。そんな姿がこれまた可愛い……あぁこれが、この感情が世に言うガチ恋勢の気持ちってやつか……

「たかしさんくらいの年で目を見て話せないのは結構痛いですよ」

 とマジで恋する二秒前だったが本日二回目の前言撤回。なんかこの子時々辛辣だよな。どうも本人は悪気なく言ってるっぽいけど。


「でも年とか関係なくガツガツ指導していきますからね。何にせ私はたかしさんのサポーターなんですから!」

 リリアムは渾身のドヤ顔を浮かべながら、堂々と年相応の薄い胸を張った。どうやらサポーターであることに誇りを持っているっぽい。

「そうは言っても俺だって伊達に成人してないんだから、そんな手間かからないと思うよ?」

 いくらなんでも年端もいかぬ女の子に社会の何たるかを事細かに指導されるほど甘い生き方はしていないつもりだ。なんてったって俺は百戦を切り抜けてきた男。なお勝利はなかった模様。

「ふーん、でもそれならその年まで無職ではないでしょ?」

 リリアムは無垢な笑みを浮かべながら言った。見事に何も言い返せないほどに図星だった。


 などと問答をしているうちに協会の本部とやらに到着した。本部は街の中心から半刻ほど歩いた位置にあり、持て余した広い敷地と、寂しげにポツリポツリと低い建物が立ったような場所だった。ここに辿り着いたとき、正直なことを言うと拍子抜けした。だって異世界(中世設定)の協会の本部だぜ? こうなんというか、無駄に天井高くて、よく分からないさも著名な絵描きが描いたような絵なんかも飾ってあるような、端的に言えば西洋の城みたいなもっと大仰なものを期待していたのだ。これでは片田舎にある私立学校くらいがいいところである。

「なんですか、今ちょっと失礼なこと考えてたでしょう」

 意外とちっぽけで拍子抜けしたとは言えまい。

「いや、本部という割には意外とちっぽけだなと思って」

 おっと口が滑ってしまった。

「まぁ働けない人達を無償で補助するボランティア集団ですからね、仕方ないですよ」

 リリアムは俺に視線を送ることなく淡々と呟くように返した。なんだか言い方からすると今のはリリアムなりの皮肉だったように聞こえる。俺に皮肉を言うとはいい度胸ではないか。長年大衆的匿名性掲示板の住人として君臨した俺にとっては今の煽りは聞き捨てならない。灸をすえてやらねば。ここで大人の威厳というものを見せつけてやろうではないか。


「ふ、ふーん。そしたらサポーターっていうのもさぞかし大変なんだな。そりゃそうだよな、ボランティアっていうくらいだから働いてる人もお金もらえないんだしな。そういえばさっきも露店で働いてたみたいだったし、バイトでもしてたの? ボランティア精神っていうのも大変だねぇ」

 できる限り平静を振る舞うように会話をつなげる。しかし見事に長文を早口で返してしまった。普段なら一度文章を書いてから冷静に打ち込む内容を確認するものだが、やはり会話ではうまくいかないな。とはいえこれから手助けしてもらうとは言えど、年下の女の子になめられるわけにはいくまい。最初が肝心なのだ、最初が。

 リリアムは俺の返答を聞くに、足を一度止めてから俺を一瞥すると、軽く息を吐いた。

「これは思っていたよりなかなか骨が折れそうですね」


 敷地内に入っていくと、初老の男から声をかけられた。

「リリアムかい、お帰り。いつもより遅かったな」

「会長! ただいまー。ちょっとひと悶着あって遅くなっちゃった」

 建物の入り口にある花壇をいじっていた男が面をあげてこちらに向き直った。

「おや、お連れの方は?」

 会長と呼ばれるその男は俺を一瞥すると、リリアムに確認するように尋ねる。

「彼はたかしさん、協会への新規加入者よ」

 リリアムがそう答えると、男は「ふむ……」とぼやきながら俺をじっくりと眺めた。なんだか物珍しそうな視線を送られているような気がする。考えてみればいまだにスーツ姿なわけだが、街を歩いていてもこんな格好をしている人は一人もいなかったな。やはりどこかで服を新調しなければならないか。異世界で変人扱いされると、より一層仕事につけなくなりそうだ。

「いや失敬、加入者の方でしたか。名乗るのが遅くなって申し訳ない、私は『働けない労働者の輪』会長のモンドと申すものです。ようこそおいでくださった」

 モンドと名乗る男はそう言いながら、まるで古き良き英国紳士を思わせるような気品のある会釈をして見せた。手は花壇を弄ったあとであるせいで泥土にまみれていたが、なぜかそのたたずまいに初老に見合う気品を感じさせられた。

 俺も合わせて会釈を返す。こちらはもちろんたどたどしく格好がつかない。

「さあさ、立ち話もなんだから中へどうぞ。お茶を出しましょう」


 モンドは俺たちを招くように建物の中へと身体を翻した。俺もその所作に合わせて歩き出そうとしたが、途端あまりにもベタベタでくだらぬ出来事が俺の意思に反して起こってしまった。グゥ~、と俺の腹がなったのである。腹ペコキャラも顔負けなくらい見事な音だ。いや普通に恥ずかしいわ。

 リリアムのせいにしてしまおうかと視線を泳がせていると、

「そうだ。ちょうどお昼時ですからな、お茶と言わず食事にしましょう」

 さも今思いついたかのように、モンドはさりげなく提案した。確実に音は届いていただろうに、腹の虫など聞こえなかったと言わんばかりだ。さすが会長というだけあって懐の深さが違う。この人にはついていこうと思えるだけの説得力があるな。

 しかしまぁ、腹も減るわな。こっちに来てから何も食べてなかったし……おばさんのリンゴ一個くらいかじっとけばよかったか。

 隣のリリアムも微笑みながら歩いていく。ここはひとつ、お言葉に甘えさせていただくとしよう。


 揃って俺らは協会内の食堂へと向かった。俺はキョロキョロと、まるで田舎から都会に出てきた若者の如く――と言っても別にそんな経験もなきゃそんなやつ見たこともないんだが――道すがら建物内を眺め回していた。外側から見た殺風景な見た目から想像できる通り、中も特に装飾に凝った様子もなく、置いてあるのは簡素な生活道具くらいなものだった。まぁたしかに企業のオフィスと思えばこの時代なりの補正もかけてこんなもんかとも思うが、やたら長い廊下といい、いくつも連なる同じような広さの部屋といい、学校にしか見えなかった。

 こんなしょぼくれた建物の中にある食堂とはどれだけ侘しいものかと思いつつも、しかし行き着いた食堂は意外なほどの大きさだった。広さだけで言えば学校の一般的な体育館ほどはあるんじゃなかろうか。その上、広さに見合うだけの相当数の机と椅子が綺麗に整列している。一体ここで何人が同時に食事することが想定されているんだろう。

 こうして見て回ってみると、全く労働支援団体の協会本部とは思えない建物の作りだった。俺の中での推測が確信に変わりつつある。


 疑問に思いながら過ごすのもあれなので、途切れかけた会話のつなぎ程度に質問してみる。

「あのぅ、さっきから建物見てて気になったんですけど、もしかしてここ学校だったりします?」

 俺は何の気なしを装って言った。

「あぁ、うちの団体は孤児院も兼業しているんだよ」

 モンドは微笑を浮かべながらさらりと答える。

「仕事をできるようにするための講義も、子供たちに勉強を教えための授業も似通ったところがあるからね。そういったノウハウを活かすために同時並行で活動しているのさ」

 モンドの答えに俺は腕組をしながら頷いた。なるほど、それならこの学校っぽい建物の作りにも納得がいく。多くの人がこの施設を使う分、同時に食事がとれるだけの広い食堂や専攻にわけて授業ができるだけの部屋が必要だというわけだ。


 っていうかやっぱり講義とかあるのか……きっと俺も今後そういうの受けていかなきゃいけないんだろうな。今から憂鬱だ。早くも引きこもりそう。

「仕事を始めるために必要な条件も整えやすいしね……まぁ詳しくはあとでリリアムから聞きたまえ」

 そういっておどけるように笑いながら、モンドはリリアムへと視線を送った。

「もう、またそうやっててきとうに投げるんだから……」

 リリアムは不満を漏らしながら口を尖らせる。

 モンドはその不満を受け付けぬとばかりに笑い飛ばしてから、

「ささ、ちゃちゃっと注文して食事としよう。うちの食事はごちそうとはいかないがそれなりにうまいのだぞ」

 と言って配膳場所と思しきカウンターへと軽い足取りで歩んでいった。


 長机の上に載った三つのトレイの上には三者三様、別々のメニューが広がっていた。俺はもちろん肉。肉と言っても別にラノベ的漫画的な分厚いやつではなく、ごくごく普通のポークソテー。配膳カウンターの前の掲示板には献立が張り出されていて、分かりやすく肉・魚・野菜炒めというバランスの取れたメニューが記載されていた。異世界に来たからと言ってよく分からない生き物の肉や、謎の物体が浮かんでいる闇鍋的シチューといったようなものでなくて少し安心した。逆に言えば安牌すぎて少し面白みにかけるとも取れるが、今まで忠実に異世界転生物語展開が続いてきたんだ、こんなときくらいは王道から外してくれてもいいだろう。


「ところで、たかしくんは一体どこの出身なんだい。見慣れない格好をしているようだが」

 モンドは薫草か何かで蒸したのであろう、香ばしい匂いを放つ魚を上品に口に運びながら尋ねてきた。素性をうまく明かせる気がしないので、少々困る質問である。

「正直なところ言うと、自分でもよく分かってなくて。気づいたら山の上で倒れてたんですよね……こんなこと言ったら頭おかしいと思われるかもしれないんですけど、自分は別の世界から来てしまったじゃないかと思っているところです」

 HAHAHA!と笑いながらも冗談まかしに言ってみる。すると、モンドは驚いたように目を見開き、食事の手を止めた。そして顔を動かさずに、フォローを求めるように視線だけをリリアムに向ける。

 リリアムはそれを受けてナイフとフォークを持ったまま、手をわたわたと振っている。行儀悪いぞ。

「いやきっと彼も混乱してるんですよ! まだ人とのコミュニケーションに慣れてないんだと思います!」

 慌ててリリアムは俺の身の上話をフォローする。人を未開の地の原住民のように扱うなよな……いやまぁでも今はそんなもんか。


 実際俺が一番現状を理解できていない。ここがどんな世界なのかも、そもそもなんで自分がこんなところにいるのかも分からない。本当に話に聞く異世界転生なのか、それとも単純に記憶障害にでもなってしまったのか……いやどんなに記憶がおかしくなってたとしても猪顔の男なんてこの世にはいねぇよ!

「ま、まぁなんだ。新天地に来てまだ慣れないことも多いとは思うがね、落ち着いて少しずつ頑張っていけばいいと思うよ。分からないことがあったら何でも尋ねてきなさい」

 さすがのモンドもこれには苦笑いといったところだった。踏み込みすぎたと気まずく感じたのか、顔を背けると誤魔化すように再び食事する手を動かし始めた。

「はは、まだちょっと混乱していて……変なこと言ってすみません」

 こちらも少し最初から飛ばしすぎた。さすがにいつものノリでやると身を滅ぼしかねない。そもそも初対面の人とこんな風に食事しながら話すのなんてとんでもなく久しぶりなのだから多少はご容赦いただきたい。あぁ、社会人になってたらこういう機会も多かったのだろうになぁ。


 しかしこうやって話していると、団体自体は何やら怪しげではあるものの、見たところこのおっさんはいい人そうではある。逆に変に怪しまれて追い出されてはまた路頭に迷いかねない。どうやら一人で仕事を見つけるのも難しそうだしな。変に不審がられないように、少しそれっぽいことを言って誤魔化しておくとしよう。

「おっしゃる通り、おそらくどこかから国を越えてきたのだとは思うのですが、いかんせ

ん記憶がないものですから」

 できる限り自然な感じで、かつシリアスな雰囲気にもならないように軽い口調で言って

みる。すると、予想通りモンドは話題に食いついてくれた。

「記憶がない! そうだったのか、それは大変だ。何があったんだい、もしや頭を打ったりとか……怪我はないのかい?」

 モンドは少し過剰なほどに心配してきた。そこまで心配されると罪悪感がある。

「怪我とかはないようなので大丈夫です。身体の丈夫さだけが取り柄ですから」

 俺は快活に、冗談めかして返答する。ついでに腕まくりして力こぶしを作ってみる。残念ながら全く見せるような筋肉はなかったが。長年の引きこもり生活の賜物である。


 俺はさらにリリアムへと目配せをしつつ、

「なので少し不安に思っていたところではあるんです……そんなときにリリアムさんと出会ってこの協会について教えてもらいまして」

 ここで追い打ちの営業スマイル。我ながらになぜこれで内定を得られなかったか分からないほどの社交性だ。

 リリアムは俺から話題を振られると、にこやかに、

「最初だいぶ来るの渋ってましたけどね」

 と、口に物を運びながら返答する。おい、余計なことは言わんでいい。


「そうか、何はともあれ大変だったな。焦らずゆっくり過ごすといい。するともしや住まうところも目途が立っていないのかな?」

 おっ、これはいい流れだぞ。

「実はそうなんです……仕事もなければ荷物もなくしてしまったようでにっちもさっちもいかない状況でして」

 少し不幸感を出しながら苦笑いを浮かべてみる。これは今年のゴールデングローブ賞主演男優賞も目じゃないな。

「それであればしばらくはうちに住みなさい。うちは住居のない者も支援できるように衣食住を保証しているから。この街に慣れるのにもちょうどよい環境だろう」

 モンドはそう言いながら俺に優しく笑顔を見せた。

 なんだ、何気にちょろいぞこの異世界転生! 今のところ特に命の危機もなく生きていけそう。

「ありがとうございます……! ぜひともお言葉に甘えさせていただきたいです」

 手に持っていたナイフとフォークを皿の上に置き、俺はその場でしっかりと頭を下げて素直に感謝の気持ちを伝えた。

「構わんよ、あとで部屋に案内しよう。それに君のサポーターになるリリアムもここに住んでいるからね、何かと便利だろう」

 モンドはそう言いながら同意を求めるようにリリアムへと向き直る。視線を受け取ったリリアムが渾身のドヤ顔を浮かべて胸を張った。

「そうです、私がいるからには大船に乗ったつもりでいてください!」

 ノリノリである。こんなキャラだっただろうか。


 その後は取るに足らない話を繰り広げながらも、各々の食事を平らげゆったりとくつろいでいた。外は日も傾きかけた頃合いで、窓から見える景色はオレンジ色に染まってきていた。

 十分に食休みした頃、唐突にリリアムが立ち上がり、俺に向けてこう言った。

「さて、食事も終わったことだし早速講義を始めますよ!」

 本人以上に遥かにやる気満々の表情を見せ、早くも空になった器を乗せたトレイを持ち上げて片付けに向かおうとしていた。


 その姿を見てモンドは苦笑いを浮かべると、リリアムを説得するように、

「おいおい、今日くらいはゆっくりさせてあげればよいのではないか」

「いえいえ善は急げですよ会長。慣れるためにも早いうちにこちらの就活事情も知っておいた方がいいでしょうし!」

 リリアムはこんな感じでなぜか巨大水槽を回遊する水族館のマグロのようにいても立ってもいられない様子だった。が、俺としてはモンドの言う通り今日くらいは休みたい気分だ。何にせいろんなことがありすぎたからな。唐突に地震が起こったと思ったら次の瞬間には異世界に飛ばされ、気づいたらこっちでも就活しなければならなくなり、あろうことかそのための修行をする支援団体に入るだなんてどたばた劇は今時思春期こじらせた中二男子だって考えやしないだろう。新入社員が入社した瞬間に異動を言い渡されて部長に任命されるくらいの環境変化だ。気持ちとしては早くお布団に入ってぬくぬくしたい。

「ほら、たかしさんも何を不満げな表情浮かべているんですか! 私がサポーターである以上、たかしさんの行動には私が責任を持たなければならないんですから。みっちりやっていきますよー」

 俺を急かすようにリリアムは足踏みする。どうやら無言の抗議は通じそうになかった。

 

 俺が「はいはい」とぼやきながら仕方なく立ち上がろうとすると、モンドが俺に小さな声で耳打ちしてきた。

「経験はまだ浅いが責任感もあるいい子なんじゃ。少し空回りするときもあるが、一緒に頑張ってみてあげてくれ」

 そういうと、穏やかな笑顔を浮かべて俺の肩に手を置く。これでは一体どっちがサポーターか分からないな、なんてと思いつつ、いい子なのは分かっていただけにそう悪い気分でもなかった。

「会長、こそこそと何を言ってるんですか!」

「いやいやなんでもないよ、ほらいっておいで」

 モンドは誤魔化しながらも、俺たち二人を見送った。リリアムは頬を膨らませてブー垂れてから、そそくさと配膳口へと食器を片付けにいく。そんな姿が年相応で可愛らしいなんて思いながら、俺も彼女の後ろを追った。


 講義をすると言われてついてきたものの一体何をやるんだろうと、歩いているうちにふと思った。いたいけな美少女と二人きりで秘密の講義、という妄想はこういう状況になった男子なら少なからずとも必ずすることだろうとは思うが、やはりリリアムの見た目からするとPTAに訴えられかねないのでこれ以上はやめておく。


「ライセンスを取得するにあたって、いくつかやらなければならないことがあります」

 そんなピンク色の心象風景を打ち破るかのように、リリアムは唐突に真面目な口調で話を切り出した。

「そもそもライセンスは専用の試験を受けて、それに合格することで得ることができますが、それは知っていますか?」

「いや全然」

 ふむふむ、と俺の理解度を質問を通して確認していくリリアム。こういうところは非常に仕事ができる人間っぽくて助かる。でも実際この程度の知識ってどれほど常識的なことなんだろうか。

「多くの国ではライセンス制度を導入しているものとは思いますが、記憶がないだけでなくそれ自体を持っていないということは相当遠い国からいらしたんですね」

 リリアムはそう呟きながらも、胸ポケットからメモを取り出してつぶさに何やら記載していた。


「申し訳ないが常識的なことですら全く分からないものと思って接してくれると助かる」

 ここは素直に伝えておいた方がよいだろう。実際自分の国では常識的とされていることも他の国では全く通じないということも多々ある。現実世界ですらそうなのだから、世界そのものが異なればなおのことだろう。俺の言うところの常識が通用しないことがこれから出てくるだろうし、それを事前に理解しておきたい。

「分かりました、では子供たちに教えるような具合で説明しますね」

 この子は時々しれっと失礼なことを言ってくるような気がする。まぁ悪意はないだろうから別にいいんだが。


「まずライセンスとは、仕事に従事することへの許可証になります。これがなければそもそもギルドで案件を受注することができません。現状、たかしさんはライセンスを持っていないので、どんなに仕事をしたいと泣いて喚こうが無駄です」

 なるほど、だからさっきの酒場ではまずライセンスの有無を聞かれたのか。その点では現実世界の就活とは少々事情が違うな。

「本来であれば子どものうちに学校でライセンスを習得するまでのカリキュラムが組まれていますが、例外として何らかの事情で学校に行けなかった人たちには別途試験を受けてもらう必要がある、というわけですね」

 何らかの事情、と少し誤魔化してはいるが酒場で俺のことを罵ったやつらの態度を見る限り、そのあたりはなんだか闇が深そうな感じがする。何にせ俺のように異世界転生してしまったからライセンス持ってませんでした、なんてやつはそうもいないだろうしな。そのくせそういう制度がわざわざ設けてあるってことは、例外も少なくはないのだろう。

「とにもかくにも今俺がやらなきゃいけないことはまずライセンスを取得すること、差し当たってはそのための試験に合格をすることというわけだな」

「まさにその通りです! ただたかしさんの場合、この国の学校に通っていないとなるとライセンス試験を受けるためにいくつか条件をクリアしなければなりません」


 と、リリアムからそこまで言われた時ふと運転免許を取るために通った教習所での日々を思い出した。そうか、何か脳裏をかすめる気がしていたが、このライセンス制度というのはこっちで言うところの運転免許証に近いんだ。学校での教育制度に組み込まれてはいないものの、ほとんどの国がある程度共通した制度として持っている、といった点も似通った部分がある。ということはあれか、条件というと学科教習何時間とか技能教習とかそういうのを一つずつこなしていかなきゃいけないのかめんどくせぇ!

 露骨に嫌な顔をしてしまったのか、リリアムは俺の顔を見ると苦笑いを浮かべ、

「たしかに少し面倒ですけどね、決して無駄にはなりませんし、仕事をしていくうえでも多くの場合で必要なことですから頑張りましょう」

 と言いながら励ますように両腕を上げ、小さくガッツポーズを取った。なるほど、こういうところは非常にサポーターっぽいな。すっげぇ癒される。


 ライセンスについての説明を受けながらリリアムについていくと、着いたのは協会の中庭だった。芝生が綺麗に整備された庭で、穏やかな夕暮れ時に寝ころんだらさぞ気持ちよかろうと思える場所だった。しかし日向ぼっことはいかんだろうに、なぜこんなところに来たのだろう。青空教室をするほど部屋の数には困っていないと思うのだが。

「試験を受けるための条件はいくつかありますが、そのあたりは追々説明していきます。まずは今日からでも始められることをやっていきましょう」

 リリアムはそう言いつつ一歩下がり、俺と相対する位置に立ってから両手を前にかざした。


「ライセンスを取得するための条件として、仕事をする上での技能的な能力が求められます」

 やはり技能教習的なものがあったか。昔から努力して何かを習得するのはあまり得意ではないから幸先不安である。しかし車の運転の可不可ではなかろうに、一体何の習得が必要なのか。

「そしてその能力を持っていると証明するために試験ではこれを見せる必要があります」 

 リリアムはそう言いながら、両手をかざして静かに目を閉じると、ぼそっと何かを呟いた。すると、夕日から差し込む光とは異なる強いオレンジ色が、俺の目の前で輝くと同時に、ボウッと火の玉がリリアムの手から現れ宙に浮いていた。

 これは、もしや、誰もが憧れるあれではないか!

「という感じで、これからたかしさんには技能試験対策第一項目、魔法を習得してもらいます」

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