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3  歩き出す勇気

 俺は昔、漫画家になりたいという夢を持っていた。


 とは言っても、よく聞く現役漫画家たちの苦労話のように、毎日漫画を描き続けたり、寝る間も惜しんで絵の勉強をするといったような努力を重ねた経験はない。それでも自分の描く漫画にそれなりに自信があったし、割と真剣に漫画家になりたいとも思っていた。誰でもあるだろ、そういう夢くらい。なんとなく自分に才能があるような気がして、なれたらいいなくらいに思う夢が。そのくらいは勝手に思ってることだ、罪でもなんでもないとは思わないか。


 でもなぜか世間ってのはそういう「中途半端さ」に厳しい。漫画家になりたいだなんて言おうもんなら、誰もが口を揃えて「漫画家になれるのは一握りの天才だけだ」だの「本当になりたいと思ってるんなら―」だの言い始める。それこそ朝から晩まで漫画ずくめで過ごし、絵の練習は毎日欠かさないくらいの努力をしないと夢は叶えられないとか、聞いてもいねぇことをさも親切心であるかのように語りやがる。しまいには本職でもなんでもない「ネットで漫画家と絡んだことのある奴ら」が勝手に語り始めやがる。「知り合いの漫画家は―」なんつってな。本当にあきあきするね。


  大学4年の頃、当時所属してた漫研サークルの奴から「お前まだ就活もしてないのかよ」と笑われ、馬鹿にされたことがあった。「こんな時期まで芽も出ずにサークル活動してるようなやつが漫画家になんてなれるわけないだろ」ってな。これでも一応、若気の至りだとか一時の血の迷いでは一括りにできないくらいに、長いこと健気に夢を諦めず漫画家になろうと頑張ってたわけだから、そのとき言い放ったそいつの言葉は俺にとって侮辱以外の何物でもなかったわけだ。この時起きたいざこざなんてのは犬も食わねぇようなどうでもいいことだからこの際割愛するが、罵倒された俺は意地でもと漫画を描き続けた。


 しかしやっぱり人間嫌な記憶をきれいさっぱり忘れて生きてくなんてことはできないようで、時が経つにつれだんだんとそいつの言っていた言葉が脳内で声高くリピート再生され始めちまった。そして不安と焦りにかられてしまった結果、俺は就活を始めるという選択肢しかとれなかった。夢を諦めざるを得なくなった。 


 俺には俺のペースってもんがある。俺には俺の生き方がある。たしかにそんなマイペースでやってたら漫画家になんてなれないのかもしれない。でも、それはそれでいいじゃねぇか。夢砕けるってのも仕方のないことだろ。自分でいつかこの夢は諦めるしかないと気付くことができれば、それは自分の人生の結果として納得ができることだ。


 それなのに、どういうわけか「なんでそんな生き方をしているのか」なんて他人が指摘しやがる。他人の人生についてとやかく言う権利なんて、誰にもないはずだろ。それだってのに、なんで世の成功者の美談通りでないってだけで、「真剣味が感じられない」とか「そんなんだったらもうやめちまえ」とか言われなきゃいけないんだ。「もういい年なんだから」なんてセリフは何回聞いたことか分かりゃしない。俺は思ったね、ほっとけよと。人には人の事情ってもんがあり、思惑ってもんがあるんだからな。 


 俺は「他人に干渉されるはずのない人生の自由」を、世間の目とか暗黙のルールみたいなもんを盾に阻害してくる奴らがこの上なく許せない。そしてルールに則らなければいけない世を是とする社会の風潮そのものが、どうしても気に食わない。例えそれが子供じみた甘えだと言われようともな。




 だから今俺は、目の前に差しだされたこのリリアムの手を取るか悩んでいる。

 たしかにリリアムは言った。世の中の理不尽に負けず自分の人生を生きろと。その言葉だけでも俺はなんだか救われたような気持ちだった。この少女は仕事をしていないというだけで俺を責めたりはしないのだと。俺の人生を否定せずに認めてくれるのだと。

 でも果たしてその言葉は本心なのか。そもそも彼女の所属する団体の活動方針は「働けない人の社会参加の補助をする」だ。別に人を罵倒しているわけではないが「社会とはこうあるべき」を明示する、俺の最も嫌うところの人間たちなのではないか。


 どうしても踏ん切りがつかなかった。俺はリリアムの細長く白い腕を眺めて立ち尽くす。

 すると、俯く俺に対して、リリアムは唐突にこう言い放った。

「今すぐでなくてもいいんですよ」

 目の前にあった手が引かれるのを見て俺は視線を上げると、彼女は小さく微笑んでいた。

「あなたが思うように、あなたのペースでやっていただければそれでいいんです。それこそ、自分一人で頑張るというのなら、私は陰ながら応援するだけです」

 リリアムは優しく、なだめるような口調で言う。迷う俺をさらに追い詰めないようにという、彼女なりの心遣いなのだろう。

 そして、どこまでも澄んだ、美しい琥珀色の目で俺を眺めると

「でももしあなたが働きたいと思うときがきたら、是非私に協力させてください」

 そう言って穏やかな笑顔を浮かべた。


 「それでは」とリリアムは軽く会釈をすると、再び俺に視線を送ることなく身を翻した。

 白い髪がさらりと揺れるのを眺めて、俺はその去りゆく小さな背中に思わず声をかけた。

「待ってくれ」

 喉に何かが詰まったかのように、その声は俺の耳にさえ聞こえづらく発せられた。しかしリリアムはその言葉をしっかりと聞きとったようで、背中を震わせ白いマントを微かにはためかせた。

 様々な感情が自分の心に重くのしかかっているのを感じる。迷い、戸惑い、過去の苦々しい思いや先ほどまで感じていた怒りが、俺から決断する勇気を奪い去ろうとする。

 でも、リリアムはさっき言った。大切なのは歩き続けることだと。ここで前に進まなければ、自分はこの先続いていくはずの道をこのままずっと立ち止まってしまう気がする。 

 俺はすがりつく負の感情を必死に振り払い、リリアムに向けて叫んだ。


「俺に力を貸してくれないか」

俺が発した言葉に応えるように、再びリリアムはこちらに向き直り、目を見開いた。

「いろいろ事情があって迷惑かけるかもしれないけど、なんとかここでやってけるようになりたいんだ。だから、頼む」

 顔をあげ、しっかりとリリアムの目を見据えながら言葉を紡ぐ。今まで長らく他人に向けたことのなかった誠意を持って、俺は懇願した。

 リリアムは一度俺の視線に応えるようにまばたきを二、三度したあと、唐突にニコっと満面の笑みを浮かべる。そして嬉しそうにはきはきとした声で返事をした。

「はい、是非!」

少し離れた距離にいたリリアムはたたたっと小走りに俺の前まで来ると、笑顔を浮かべたまま、再びその白くて小さな手を差し出した。

そして俺は今度こそのその手を取る。今まで一人では進めなかった、新たな一歩を踏み出すために。

 もう一度歩き出そう。自分なりに納得のできる生き方を見つけよう。誰にも干渉されないだけの社会的地位を得て、自由な人生を歩むのだ。


 握手を交わしつつ、俺は少し照れ気味に挨拶を交わす。

「よろしく、お願いします」

 仰々しく頭を下げながらニヤける自分を想像すると、我ながらに気持ち悪い。

 リリアムは俺のその様子を見て穏やかな表情を浮かべていた。そして柔らかな声色でこう告げる。

「はい。私、リリアムの名の元に、あなたのことを全力でサポート致します」

 まるで誓いを立てるかのように、優しく目を閉じ、もう片方の手を自分の胸に当てながら、リリアムは固く結んだ手を握り返す。そして再び瞼をを上げて俺を見ると、年相応に無垢で、ひまわりのように明るい笑顔を浮かべた。

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