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1  始まりの街、強制イベント、美少女との邂逅……?

 前回までのあらすじ。

 イケメンハイスペック男子である上田孝(たかし)は、就活による厳しい戦乱を駆け抜けながらも、そのスペックゆえあらゆる企業の内定を手に入れ、大成功を収めていた。最後の手持ち札であり、第一志望でもある企業の面接当日、いつにもまして完璧な対応により好感触を得て帰路につく孝であったが、突然起こった地震により歩道橋から落下してしまう。無念にも孝はそれが原因で死亡し、多くの人から惜しまれながらもこの世から旅立っていったのであった……


 と、なるはずだったわけだが(9割は嘘で残念なことに一番嘘であってほしいところが本当)


 重たい瞼をこじ開けると、視界には広大な繁華街とエメラルドのように輝く海が広がっていた。まったくどうしてそんな景色が見えているのかと思っていると、どうやら見晴らしのいい場所にいるようだった。意識がぼやけたまま足元を眺めるとそこには断崖絶壁。いきなりデンジャラス。とりあえずもう落下経験は積み重ねたくない。

 俺はヒィ、と悲鳴をあげてのけぞりながらも、しっかりと足場を確保した。目の前の崖下へと手元の小石がコロコロと転がっていく。


俺は足元を確認しながら、ゆっくりと腰をあげ、立ち上がった。周りを見渡してみると、見晴らしがいいのも納得、どうやらここは山の中腹地点なようだった。右手側にはずっと先まで下り坂が続いている。木々が生い茂っているためその坂の行き先は見えないが、おそらく眼下の繁華街にでもつながっているのだろう。

 さて、ここはどこだ。

  一体全体どういうわけか、俺は見知らぬ土地に辿り着いてしまったらしい。遠まきに見ても、眼下に広がる繁華街のその街並みが日本の建築物の集まりでないことくらいはなんとなく分かる。でも何故自分がこんなところにいるのかは皆目見当がつかない。

こんな場面に立ち会ったとき、人は最初に何をするか。もちろん現代人ならポッケに入っている小型長方形通信機器を取り出してマップアプリを開くよな。

俺はタイトに形取られたスーツのズボンに浮き上がる長方形の物体を引っ張り出し、画面横の電源ボタンを押した。つかない。というか、画面も割れてる。

いきなり詰んだ。これではここがどこなのかさえ分からないままだ。手元にはビジネスバッグもあるが、携帯電話に取って代わるような便利グッズは入っていない。せいぜい財布と手帳くらいだ。手帳にはポケットサイズのミニマップが折りたたまれて付属されているが、ここがどこか分からない以上それも全く役に立ちそうにない。

 もう一度言う、詰んだ。携帯が使えないというだけでこんなにも不安になるものなんだなと、今改めて感じる。自分がまごうことなき現代の若者であることを認めざるを得ない。

とにかく携帯が使えないようじゃここで突っ立っていても状況は変わらないので、その辺を歩いてみることにしよう。俺は役に立たない携帯をそのままビジネスバッグに放り込み、見知らぬ土地への一歩を踏み出した。

 とりあえずは眼下に繁華街が見えているので、そこにいってみることにする。街にいけば誰かしらいるだろうし。RPGの基本、村人に話を聞いて情報を集めるってやつだ。まぁ言葉が通じるとは限らないんだが。


山の中腹からゆっくりと下っていく。足元の地面は枯葉が敷き詰まった柔らかい土で形成されていて、どうにも革靴では歩きにくい。地震のときに身体を打ったのか知らないが、身体を動かすごとに軽く痛みが走るせいでより一層歩きにくく感じた。

 歩き始めてからはしばらくの間、民家はなく人気も感じられなかった。とはいえ現時点ではまだ木と土と枯れ葉しか目に入らないような環境なのだから、そんなところに人が住んでいるはずもないだろうとは思う。

 そしてうねうねと曲がりくねる坂を下り続けること約10分、茶色と緑色で形成されていた天然由来の坂は、やっと人の手により舗装された坂道へと変わった。舗装されたといってもコンクリートのような近代的なものではなく、表面がデコボコした石畳でできた坂道だ。言うならば絶対自転車では下りたくないような、一日で痔が形成されてしまいそうな道だった。


 この頃になってくるとさすがの俺も寂しさを感じて人恋しくなってきていたが、ちょうど舗装された道の変わり目のあたりから視線の先に民家が見えたのでそこでやっと安堵のため息をついた。見知らぬ土地を一人で歩き続けるというのは想像以上に気が滅入る。

 そこからは軒並み家が連なっていた。どうやらここが繁華街の入り口にあたるらしい。民家はあるものの、未だ人の気配がないので若干不安ではあるが、立ち止まっていてもしょうがないのでそのまま繁華街へと進んだ。


途端、後方から足音が聞こえた。今まで俺が歩いてきた枯葉の道をミシミシと踏み進める音だった。しかも結構な勢いでこちらに向かってきている。

何の気なしに振り向くと、そこでどんでもないものが俺の目に映った。

 頭の横ではなく、上部に三角形の耳を生やし、顔全体が茶色のふさふさした毛でおおわれている身長2メートルはありそうな巨大な人型生物が、二足歩行でドシンドシンと走っているのである。


 あれだ、ケモ耳ってやつだ。初めて見たぞ。

 きっとケモナーと呼ばれる奴らがこの場にいたら大歓喜であろうが、俺は別にそういった性癖はないので喜びよりもむしろ戸惑いの方が大きい。身体的特徴だけ聞くと、漫画風にデフォルメされた多少かわいらしさを含むフォルムを想像するだろうとは思うのだが、眼の前にいるその生物はそんな生易しいもんじゃなかった。なんせ俺が今まで見てきた現代の犬やら猫やら動物的顔面部分がそのままに、人体の首から上に乗っかっているような外見である。まさに獣と人間のキメラとでも表現すべき容姿だ。これでまぁその顔が犬やら猫ならまだ可愛いもんだが、走ってきたそいつはあろうことか猪。


そんなことを考えているうちに、ほぼ目の前にまで猪面の巨漢(さすがに男であってくれ……)はやってきていた。あれ、これ実はヤバい状況なんじゃないか。こんなんに襲いかかられたら全く太刀打ちできないぞ。くっ、殺せぇ!じゃすまないんじゃねぇの。

 猪男は俺の前で立ち止まると、軽く木の幹をへし折れそうな極太の腕をおもむろに振り上げた。その瞬間俺は後ずさりするのとともに、下半身の一部分をキュッと締めた。どことはいってないぞ。


「やぁ、今日もやたらと暑いねぇ。君、珍しい格好しているけど、暑くないのかい?」

 猪男は息を切らしながら気さくに話しかけてきた。振り上げた腕はどうやら挨拶代わりのジェスチャーらしい。

「これが参ったことに暑いんですよぉ。一刻も早く脱ぎたいです」

 速やかに長年無菌室で培った外向けの態度に変え、苦笑いを浮かべながら相手に合わせて爽やかに返答する俺。

「そうかそうか、何かの作業着なのかな。いかんせんこの暑さだからね、無理はしないようにね。それじゃ、お互い今日も一日頑張ろう!」

 そう言いながら猪男(やっぱり男だったっぽい)は先ほどまでしていたように、ジョギングしながら坂道を下っていった。去りゆく足音はここまでの土と枯れ葉の道とは違う石畳に舗装された道を走ることでより一層凶悪なものへと変わっていた。


  ……いや待て待て、何普通に対応してるんだよ。猪面だぞ、猪。この世ならざる者の類だろ明らかに。自分でもびっくりするなこの適応能力。なんで内定もらえなかったんだ。

 今までのやり取りにわが身のことながらツッコミを入れる。しかし細かいことはこの際どうでもいい。そんなことよりもっと気にすべきことがある。なんであんなよく分からない生物がいるんだ。獣面人型生物なんて小学生の頃に見た「衝撃!巷に広がる都市伝説32選」とかいう安っぽいホラージャンルの本に載ってたような類のもんであるはずだ。もちろん巷には獣面オカルト野郎は蔓延っていなかったわけだから、そんなのは犬も食わないパチもんであるに違いない。それなのにどうした、今出会った生物はまさしくそこに載っていたものと同じ見た目をしてやがる。ホラージャンルならではの可愛げのなさまで見事に再現した上でな。


 一体なんなんだここは。見知らぬ土地に猪面の巨漢。明らかに現実世界とは思えない。さっきからほんの少し脳裏をかすめる程度に考えてはいたが、地震で明らかに死んでしまうような体験をしてから突然見知らぬ土地に来てしまい、こんなオカルト的邂逅までしてしまうといよいよ確信めいてきてしまった。これはあれか、ド定番の、理不尽な環境で死を迎えると天国の代わりに行けるという、あの……


 異世界というやつか。


 いやいや待て待て待て、歩道橋から落ちる直前にたしかにそんな妄想をしたが、そんなのは死ぬ間際にイタチの最後っ屁で出た最高級の冗談みたいなもんで、本気でこんなことになるなんて思ってなかったぞ。神様も冗談通じねぇなおい。


 そんなことを思いながら、俺は目の前に続く坂を怪訝な表情を浮かべながら見下ろした。この先には一体どんな世界が広がっているのだろうか。さすがにあんな得体のしれないもの(この世界においてこの言い方は失礼か)を見てしまったのでは、ここが異世界ではないなどという可能性の方が薄くなってきちまう。

 そうなるとどうだ。流れから察するに俺はこの世界で生きていかなければならないというわけか。とりあえず状況探りながらけったいな生き物と共存していかなきゃいけないのか。なんだかこの先の坂道を下りたくなくなってくるぞ。


 唐突だが、例えばこんな経験はないだろうか。床の間について眠りに落ちると、異世界に飛ばされてしまう夢を見た経験。夢の中の異世界は昨晩見た漫画のように魔法が飛び交うファンタジーな世界で、当然のように自分の敵となる存在、宇宙人や魔獣などといった類の有象無象がいる。そしてさらにはどんな理由があったか知らないが、なぜか自分がその存在と戦わなければならない、という設定になっている。もちろん都合がいいことに自分には特別な力が備わっていて、それなりに戦うことができるのだが、相手も現実世界では絶対お目にかかれない、見た目にも分かるほど邪悪な存在なのだ。もちろん自分がそんなのと戦うなんてとても考えられない。そりゃそうだ、夢の中とはいえ、自分は現実だと思っているんだからな。ここでこんなやつと戦って死んだらどうするんだと、本気で思っているわけだ。怖いよな。絶対戦いたくないし、これから始まる冒険に胸を躍らせるなんてことには絶対ならないはずだ。

 まさに今それ、俺の心境そんな感じ。


 だいたい、アニメやゲームの世界なんて、言うまでもなくそれがフィクションであるから面白いんだ。ゲームだったら死んでしまってもロードすればいくらでもやり直せるし、アニメなら主人公はほとんどの場合死なない。万一死んでしまったとしても自分にはなんら関係がないからモーマンタイ。ホラー映画なんかも、登場人物が怖い目にあっているのを見て、「自分はこんな安全なところにいるんだ、よかった」と安堵できるそのフィクション感が人々を惹きつけらしいしな。そう、フィクション感。それ大事。

 つまり何が言いたいのかというと、先行き非常に不安。


 そういえばそもそもこれは「異世界転生」なのかどうかすら分からない。状況が全く分からなさすぎる。自分の身体を見回してみても、先ほどまでと変わらずスーツ姿のままだし、鏡がないから分からないが、この分だと金髪碧眼高身長の超イケメンにもおそらくなっていないだろう。 そこから察するに、どうやら異世界転生ではなさそうだ。

 じゃあ「異世界召喚」か?とも考えてみたが、周りに召喚主と思しき人物もいない。となると、一体何がどうなって俺はこの謎の世界に来てしまったのだろうか。

 はぁ、とため息をつきながら、俺はとぼとぼと坂を下り始める。ラノベ的主人公と同じなのは、やれやれと思わずぼやきたくなるこの心境くらいなものだろう。だがしかし、ぐだぐだと考えていたところでこうなってしまったのだからいつまでもスタート地点に立っているわけにもいかないのもまた事実。自分が混乱してしまわないためにも、この世界がどんな世界で、自分はどうやって過ごしていかなければいけないのかを早急に知らなければならなさそうだ。


 坂を下っていくとだんだん民家も増えてきて、ちらほら人ともすれ違うようになってきた。「人」というのは俺の知るところの「普通の見た目の人間」である。自分と同じフォルムをした生物がいることがこれほどまでに嬉しかった経験が果たして今まであっただろうか。涙を流しながら抱き合いたい気分にすらなった。でもその気持ちを萎えさせるかのように、ときたま獣面の人型ともすれ違う。現状、男と女、時々獣人って感じだ。


 街の人たちの話声を聞く限り、言語も問題なく理解できた。考えてみればさっきの猪男とだって普通に会話ができたのだから、きっと言葉は通じるのだろう。不思議な話だ、これがライトノベルとかだったらご都合主義だと叩かれるに違いない。そんなことはいいじゃないか、異世界ファンタジーなんだから。この環境に身を置いてみろ、割とどうでもよくなるぞ。


 自分の生き方について考えなければいけないだなんて、まるでこじらせた大学2年生的な気分で街に繰り出したはいいが、目的地となるような場所も特にないので、結局俺は物見遊山的に街中を歩きまわるしかなかった。忙しなく辺りを見渡す様はもはや地方から上京した田舎者のような様だろう。街には中世ヨーロッパ風建築物が立ち並び、人々はやたら動きにくそうな装飾多めの服装をして生活している。まさに異世界ファンタジーとはかくなるものだと言わんばかりに大衆的イメージの通りだ。もっとも、俺はヨーロッパにいったことがないし、ましてや中世にもいったことがないからあくまで想像上の話である。っていうか中世っていつの時代だ。日本でいうところの戦国時代くらいか。

 俺はあてもなく歩きながらも、先ほどとは転じて異世界的雰囲気をわずかながらも肌で感じ、一人勝手にワクワク気分に浸っていた。


 すると、ふと遠くから、「きゃあ!」という叫び声が上がった。女の人の声だ。

 とうとうきてしまったか強制イベント。始まりの街で必ず起こるヒロインとの邂逅! 実は街に入ってからずっと待っていたんだ。これのために街の中をふらふらしていたと言っても過言ではない。正直何すればいいか分からなかったし、やっぱりこれがないと物語が進まないってもんだ。それに……そうだよなぁ、そろそろ来ないとおかしいよなぁ、美少女。いまだに会話イベントが猪男とだけだからな。


 湧きあがるハイテンションを理性で抑えつつ、俺は声のする方向へと振り向いた。すると目の前に何か赤く丸っこいものが転がってきた。ひょいっとそれを拾ってみる。

「りんご?」

 呟くのと同時に、坂を見上げると、大量のりんごが転がってきた。どうやら持ち主が坂の上で落としたらしい。ドジっ娘ちゃんかな?それなら見た目は眼鏡かけてるほうがいいなぁ。

 俺は下心満載で、転がってきたりんごを一つずつ拾い上げる。いくつか拾ったところで、両手で拾いきれないほどの量が転がってきたことに気付いた。これでは両手で抱えても全部拾いきることはできないだろう。何か袋のような、りんごを入れられるものがないか探した。


 周りを見渡していると、すぐ近くに雑貨を売っている露店を見つけた。なんとタイミングのよいことか、さすが強制イベント。露店ならばきっと買い物していった客に渡す袋の一つや二つあることだろう。

 俺は急ぎ足でりんごを両腕に抱えたままその露店へと向かった。店先には頭巾を被った小柄な女の子が立っている。よかった、猪顔のでっかいおっさんじゃなくて。よし、あの子に聞いてみよう。


「すみません、何か大きな袋のようなものはありませんか」

「袋……ですか?」

 女の子はそう言いながら首をかしげる。無垢な少女を思わせる所作を見て、俺はそれとなく顔を覗いてみると、想像以上に幼い顔立ちをしていた。おそらくまだ12、3歳くらいだろうか。目鼻立ちよく整った顔に、頭巾の端から延びる綺麗な白い髪の毛が印象的な女の子だった。これ以上は犯罪臭がするので描写は控えることとする。


 俺は訝しがる女の子に手元のりんごを見せた。すると、その女の子は俺を通り越してさらに後ろ側を眺め、「なるほど~」と頷いてみせた。そして振り返ってごそごそと足元の荷物を探り始める。どうやら状況を察してくれたらしい。

「ちょっと待ってくださいね~……はいこれ、入れてみてください」

 そう言いながら、俺の目の前に紙袋を差し出してくれた。お言葉に甘えて手元のりんごを入れさせてもらう。紙袋は十分な大きさで、りんごを5個ほど入れてもまだまだ余裕があった。

「大丈夫そうですね!よかった~」

 女の子は心底嬉しそうに言うと、笑顔で手元の紙袋を俺に渡してくれた。なんだよちょっとドキッとしちゃったじゃないか。この女の子でも全然ありだな。しかし悪いが強制イベント起きちゃったしな、今はドジっ子眼鏡委員長を優先させてもらうとしよう。

「どうも、ありがとうございます。これで全部拾えそうです」

 俺は軽く会釈し、踵を返して先ほどのりんごが転がる坂へと向かう。待っててね、マイスウィートドジっ子眼鏡巨乳委員長!


 女の子に貰った紙袋を抱えながら坂まで戻ってくると、すでに坂には10数個のりんごが地面との摩擦や衝突によって位置エネルギーを使いきって動きを止めていた。

 俺はそそくさとそのりんごを拾っては紙袋に入れた。これ以上りんごに傷が入らないように丁寧に重ねていく。そして全てのりんごを拾って袋に詰めた頃に、ちょうど持ち主であろう声が聞こえた。


「あら~ごめんなさいねぇ。ありがたいわ~」

 その声を聞いて俺は一気に頭の熱が冷めていくのを感じた。熟したマダムの声色だ。見上げなくても分かる。

 りんごの入った紙袋を持ち上げながらその声の主へと向き直ると、案の定熟しきった上に横にふくよかな淑女の姿がそこにあった。その淑女の様相を現代人感覚で評価すると、その身につけたひらひらフリルが年齢的にまぁちょっときついと感じられる程度の年齢に見えた。こっちの世界のファッションセンスは良く分からんけどな。たしかに西洋風な面をしていて、かつ異世界バイアスがかかれば多少は分からなくもないが、残念ながらそもそも俺は人間が熟れているのを食べる趣味はない。


「いえいえ、お困りのようだったので。では私はこれで」

 俺はただ親切をしただけですとばかりに視線も合わせずにりんごの入った紙袋を渡して立ち去ろうとした。もはや興味はない。いやむしろテンションはマイナス値だ。

「ちょっと待って、お礼がしたいわ」

 無駄に甲高い声で淑女は言う。なんだ、りんごならいらんぞ。

 「お食事でもいかがかしら。私近くに美味しいお食事処を知っているの」

 「すみません、先を急いでるので」

 やんわりとお断りする。ただでさえドジっ子眼鏡巨乳かつ地味系だけどおしゃれをしたらクラス一の超絶美少女委員長と巡り会う強制イベントでなくて落ち込んでいるのに、思春期の女の子が普段は着ない服を身につけて背伸びするならまだしも、しゃがんで対象年齢を誤魔化すようなおばさんと飯なんぞ食いたくはない。あっ、おばさんと言ってしまった。

「あら、そうなの……でもせっかくだからお茶の一杯でもいいじゃない。それとも特別忙しいのかしら」

 思ったよりも食い下がりよる。

「初めて来た街で仕事を探しているんです。今はそのために街を見て回っていて」

「あら、仕事を探して……そうなのね」

 心の内を察してもらえるようにちょっとだけ真実を混ぜてみる。しかしあれだな、この世界でも「自分、無職です」的な話をすると引かれるんだな。自分探しの旅とか本当に自分に合う仕事を探してるとか、どんな殊勝な理由を言ったところでいい年した男が仕事してないと知ると誰でも引くもんな。

「お仕事を探していられるなら、お食事をしながらでも私がご紹介いたしますわ」

 それでもおばさんは引かない。さすがにしつこいぞ。


「いや……」

 と、俺がさらに断りをいれようとすると、だんだんとおばさんの表情は曇り始める。どうやら俺があまりに誘いを拒否するから苛立ち始めたらしい。

「あら、そんなに私とお食事するのが嫌だっていうのね」

 厭味ったらしく語気を強めるおばさん。だから嫌だってさっきから言ってんだろ。しかしなんともまぁ迷惑なことか、人が親切でやったことに対してこの態度とは。それに飯を断ったくらいでこんなに怒りだすとは、よほどプライドが高いらしいな。

 あまりの態度に返す言葉も思い浮かばず、しばらく俺が黙っているとおばさんはさらに不機嫌な表情でこういった。

「分かったわ。引きとめて悪かったわね。さぞ!お仕事探しが!忙しいようだから、やめておきましょう」

 最大限にいやらしく仕事探しの部分を強調しておばさんは叫んだ。この言葉で完全に俺もぷっつんだった。もはや語ることは何もないだろう。

「失礼します」

 捨て台詞のように言いながら、俺はさっと振り返りその場から立ち去った。

 

 非情にむしゃくしゃする。ただ失礼なおばさんに出会っちまっただけだっていうのに、なんなんだこの敗北感は。

 どいつもこいつも仕事をしてないってだけで人を見下しやがって、なんだってんだ。そうだとも、たしかに俺は仕事をしてねぇさ。ただ別に今お前らに迷惑をかけたわけじゃないだろ。親とかに迷惑をかけてるっていう話なら認めざるを得ないが、なぜお前らに馬鹿にされなければならないんだ。

 俺は自覚できるレベルで深く眉間にしわをよせ、イライラを体現するかのようにズシズシと足を踏み鳴らしながら、慣れない街中を歩いていた。

「お客さん、お客さんってば!」

 俺は瞳をぎらつかせながら歩いていると、ふと道のわきから声をかけられていたことに気付いた。視線を向けてみると、さっき紙袋をくれた露店の女の子が大きい声を上げながら俺に手を振っていた。


「やっと気づいてくれた。なんども声掛けたのに」

 苦笑いを浮かべながら、琥珀色の瞳で俺を見つめる少女。

「あっ、すみません。考え事をしていたもので……」

「あらあらどうしたんですか、なんだか怖い顔をしてましたよー」

 無垢な笑顔を浮かべながら少女はそう俺に尋ねた。なんだろう、非常に癒される。そんな純粋な目で見られたら荒んだ心の不純物も消え去ってしまいそうだ。やはり若いのはいいことだなぁ。

「いえいえ、大したことではないですよ」

 そんな少女に大人の暗い側面を見せる必要はない。おかげで大したことはないなんて言えるくらいには気持ちも軽くなったしな。

「本当ですかぁ~?大したことないなんて顔じゃなかったですけどね~」

 にやにやと、身体をかがませて俺の表情を伺いながら少女は言った。少しおちょくられているような気もするが、全く厭味ったらしくなく、むしろ可愛らしさすら感じられた。この年の子は何をしても許されそうだね。


 俺は自然と自分も笑みをこぼしていたことを気付き、照れてしまいながらも頭をかいて誤魔化した。 

「いや、本当に大したことではないですよ。それより、聞きたいことあるんですけど」

「何ですかー?答えられることであればお答えしますよ」

 女の子はぴょこっと姿勢を正しながら明るく反応する。かわいい。

「仕事を探しているんですが、どこか働き手の募集をかけている場所を知らないですか?」

「あっ、お客さん無職なんだ!」

 やっぱり前言撤回しよう。むかつくときはむかつくわ。

「そ、そうなんですよ。実は今仕事を探してて」

 少し声を震わせながら返答する俺。怒っちゃダメ怒っちゃダメ、相手は無垢な少女。

「へぇ~!仕事の依頼案件なら街の中央広場近くにあるアイ―ダの酒場にいけば話を聞けるはずですよ」

 なるほど、やはり酒場か。そのあたりは忠実に異世界ファンタジー感を守っていてくれて嬉しいな。しかし依頼案件って……間違っちゃいないんだろうけど、もうちょっとなんか、こう、言い方ないもんだろうか。クエストとかさぁ。

 「でもソロで仕事探すなんて、よほど上位ライセンスを持ってるんですね」

 おっ、きたきたそれっぽい名称。しかし唐突に固有名詞が出てこられるとそれはそれで答えかねるな。ライセンス……ってのは資格か何かだろうか。いまいちこっちのことはまだ分からないからな。そういうことは今のうちに聞いておいた方がいいだろう。


「えーとごめん、ライセンスってなにかな?」

 俺はお得意のイケメン風爽やか苦笑いで聞いてみた。この誠意ある態度でいくつもの面接を誤魔化してきたからな。自信はあるぞ。

 と、俺の根拠のない自信とは裏腹に、少女はその大きな目をさらに丸く見開いて唖然とした表情をしていた。あれ、なんか変なこと言ったかな。

「お、お客さん。もしかして、ライセンス持ってないの?」

 戸惑いながらさっきまでとは違う雰囲気を醸し出しながら、少女は苦笑いを浮かべた。これは明らかに引いている表情だ。「まさか、冗談でしょ」と言わんばかりである。とはいえ残念ながら俺はそれがどれだけ深刻なことなのかさっぱり理解していない。

「えっ、それがないとまずいの?」

「まずいもなにも……さすがにそれは……」

 無知な俺に対してさらに引いていく少女。やめろ、その表情はもう見飽きた。さっきのおばさんといい現実世界の有象無象共といい、俺に対して引きすぎだから。しまいにゃ泣くぞ。

 「うーん、それじゃ酒場に行ってもなぁ……」

 真剣に考えてくれているのか、少女はうんうん唸りながら考え込んでしまった。眉間には皺が寄っていたが、うねうねと首をかしげる姿はどことなく可愛げがある。って、人が自分のことで悩んでいるのに何を考えてるんだ俺は。


「……そうだ」

 俺の目の前で俯きながら何かを考えてた少女は、俺にも聞こえるかどうか分からない程度に小さく、呟くようにそう言った。そして俯いていた顔を見上げ、俺の顔に視線を向ける。

「うん、持ってないものは仕方ないよ」

 ぽつりと、少女はさっきまでとは真逆のことを言い出す。

 「別にあなたが悪いわけではないわ。あなたはちょっと運が悪かっただけ」

 難しそうな顔をしながらうんうんと少女は唸る。あれ、なんか良く分からないけど俺慰められている? それともこれって同情?

「でもきっとだいじょーぶ。あなたは優しい人だから!」

 元気づけるように両手を前に出しながらガッツポーズをする。その脈絡のない言動と行動は現代世界でいえば明らかに不思議ちゃん認定されそうではあるが、いざ荒んだ精神でこうやって慰められると自然と元気が出る。いやしかし根本的な解決にはなってないような気が……

「何も心配することはありませんよ、自信を持ってください。私は知ってますよ、あなたが優しい人なのをこの目でちゃんと見ましたから」

 少女はそう言いながら暖かい笑顔を浮かべる。その笑みは人の心を穏やかにさせるような豊かさを持っていた。よもや根本的な問題など忘れてしまいそうだ。そう、俺はこの感情を知っている。幼き日に母から慰められたときの気持ちだ。どんなときでも絶対に味方でいてくれる母の微笑みだ。

「そう、あなたはやればきっとできる人です」

 少女は胸の前で俺を受け入れるかの如く両手を差し伸べてくる。その姿はまさに天国に迎え入れる天使のような仕草で……

「だから、私の所属する『働けない労働者の輪』に入れば、きっと幸せな未来が待っているはずですよ」

 少女は屈託のない笑顔を浮かべながら、ごく自然なしゃべり口でそう言った。

 ん?なんか流れ変わったな?

「私たち協会員が、あなたが働く幸せな未来をサポートします」

 純朴さをイメージさせる真っ白で美しい髪をさらりとたなびかせながら、その無垢たる少女は俺をまっすぐに見つめながらこう言った。

「あなたも『働けない労働者の輪』の一員となりませんか」

 

 ……あーこれ、怪しい団体への勧誘かなんかだわ。

 目の前で穏やかな笑みを浮かべる少女を眺めてから、俺は天を仰ぎながらそう思った。ってかなんだこれ、もう異世界関係ないよな。


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