愛しい、と言わせて
数時間後、どうにかこうにか混乱が収まったものの、未だ興奮さめやらぬ彼らを考慮して、これ以降の授業は無しになった。
と同時に、昼時のチャイムの鐘と生徒たちの腹の虫による大合唱が行われたため、やれやれと呆れた顔を隠さない担任と微笑ましそうな副担任の表情には確かな安堵。
「ああもういい。今日はこれ以降の授業はもう無しだ。さっさとメシ食って風呂入って『守護者』と交流でもして今日は寝ろ。んで明日は通常授業だ。遅刻したら小テスト減点すっからな」
「色々なことがありましたから皆さん混乱しているかもしれませんが、時間が経つにつれて落ち着いてくるでしょう。もしその時、どこかが痛くなったり、気分が悪くなったりしたらどんな些細なことでも構いません。連絡を忘れないようにしてくださいね。あと帰ったら手洗いうがいをして、お風呂は30分以内にすませること。それに暖かい格好をしてから、遅くても夜の10時には就寝するように。いいですね?では解散!!」
良い子の返事をした生徒達は今日初めて顔を合わせる『守護者』と共に食堂へ、あるいは寮へ、あるいは近くの実家へと向かった。
すでに先ほどのショックはほぼ消え去ったらしい。それに尽力してくれた頭や肩や隣に寄り添う『守護者』ときゃらきゃらと笑いあう教え子たちの後ろ姿に、担任は肩をごきごき回して、改めて長い息をひとつ。
それから所在なさ気にこちらを見ているリオルとその『守護者』に手をひらひらと振った。
「お前らも帰っていいぞー」
「いえ、僕が原因ですから片付けてから帰ります」
「いいんですよ。普段だらけているので、こういう時くらいはせめて担任としてきちんと働いてもらいたいんですよ。さあ、リオル君も育ち盛りなのですから気にせずに食堂へ行きなさい。『守護者』の方、リオルくんをお願いしますね。」
「で、でも先生…っ!?」
「リオル様、行きましょう」
「一番疲れているのはリオル君なのですから、なるべく早く自室で休んでくださいね」
尚も引き下がるリオルをひょいと抱き上げて遠ざかる背中をしばし見つめたあと、密かに逃げようとしていた担任の首根っこを、大変輝かしい笑顔でひっ捕まえた副担任であった。
「ぐげっ」「さあさあちゃっちゃと終わらせて報告書を書いて後は学園長と共に城に連絡しますよ。たまにはあなたの普段使わない立場も役に立ちますね。せっかくですから整備の他に気になっていたところを修正しましょうか」「いやめんどくさ「なにか?」ぁー……やります」
遠ざかる声に苦笑を浮かべて、その時初めて笑顔を浮かべたな、と舞い上がっていた心が落ち着いた。
顔を上げる。驚く程深い、けれどうつくしい顔立ち。体を支えるしっかりとした腕。いくら未完成で小柄な体とはいえひとひとり抱えても揺れないのは、歩く際の足運びに隙がないせいだと分かる。
視線に気付いたのか立ち止まり、無表情だが優しい瞳で見下ろしてくる。
「リオル様、どうかしましたか?」
「あの、もう大丈夫だから下ろして貰っていいかな?僕、自分で歩けるよ」
「いいえ、もうすこしこのままで。リオル様は羽のように軽いので苦にはなりませんし…ずっと、こうしたかったのですよ」
「え?」
そういえば、どうして自分はこんなにすんなりと抱きしめられているのだろう、と小首をかしげる。
普段の自分ならば侮辱しているのかと怒りのあまりぶん殴っているところだ。例えそれが『守護者』だとしても(事実あの時以来心許している彼らやその『守護者』であってもそんな扱い受けたら抵抗は否めないのだし)。
「ずっと、ずっとこうやって抱きしめて、すべてから守りたかったのです。リオル様」
食堂へ向かう途中の、緑溢れる人気のない庭園で、ぎゅう、と抱きしめられる。
さらさらと流れる夜空が煌めいて、星を飾ったようなうつくしさだった。
「ダリル…?」
「何からも誰からも傷一つつけられたくなかったのに…私はずっと見ているだけしかできなくて」
「ダリル、泣いてるの?」
「リオル様。私の可愛い、大事な大事なリオル様…」
『リオル、わたくしの可愛い弟。もう大丈夫よ。わたくしが守ってあげる』
心に響く太陽の声、握った手はおさなくてやわらかくて、なのにとてもやさしくて。
乾いた頬を指先でなぞる。腕を伸ばして首の後ろへしがみついた。
「ダリル」
「リオル様……私の、可愛いリオル」
「うん」
(ねえさま)
姿も肌も性別も違うのに、ただ素直にそう感じた。
額に落ちるのはやさしい口づけ。全身で訴えかけてくる、あたたかな慈しみの感情。
ありのままの自分でいいのだと抱きしめる、たったひとりの『守護者』。
あの時からずっと背負っていた肩の荷が下りて、気が緩んで、体の力が抜けて、されるがままに寄りかかった。
再び歩きだした『守護者』の腕の中で、安心しきって瞳を閉じる。
ブン、と寮の自動扉が開く音がする。けれど食堂ではなく自室に向かっているらしい。喧騒が遠のいて、ほとんど聞こえないほどの微かな足音が聞こえる。
とくり、とくりと胸に当てた耳から聞こえるリズムと、一定の振動と、たからもののように扱う腕。
お腹がすいたけれど、今はただまどろみの中で眠りたい。
「リオル様、鍵を失礼します」
首から下がるカードキーがするりと抜き取られて、ドア横の機械に差し込んだのだろう。ぴ、ぴぴぴと控えめな音を立てて鍵がかちゃりと開く。
中には入り、はたりとドアを閉めて再び施錠される音を夢現に。
一人部屋にしてはやや広めのリビングを突っ切って扉を開ける音がした。
そっと動かされて、柔らかなベッドの上に下ろされた。
ふわりとかけられたふわふわの毛布と布団のなかでもぞもぞと心地よい位置を探してひといき。
カーテンを閉めてベッドの端に腰掛けたダリルの手が、やさしく髪を撫でてくれる。
おきたら、ごはん
「はい。ずっと、ここに、傍に居ります。……大丈夫。あなたの眠りは誰にも妨げさせません」
穏やかな声が確かな約束を誓う。
撫でる手に子猫のように擦り寄って、無邪気に浮かんだ笑みのまま、無防備に深い眠りを貪った。
再び起きたとき、とろけるような笑みを浮かべた『守護者』がいることを、疑うことなく。