わたしの正体について
「力、を……」
強い、昏い意思を放つ銀色の瞳、つやつやと煌く銀混じりの金の髪。青ざめた頬と色を失った、桜色の唇。
「僕に、力を……!!」
かすれたその声で、血を吐くよりもなお悲痛な叫びを聞くために、私はここにいるのではないと、なだめ、抱きしめたかった。
無邪気な笑顔で、無垢な瞳で、バラ色の頬で、満開の笑顔で私の名を呼んで欲しかった。
それをしないのは、それを説明できないのは今の私が当時の私の姿(つまり性別女、でありこの子と同じ色彩を持っていたはずの、それなりに美人だった私のことだが)ではなく、似ても似つかぬがっちりとした長身と褐色の肌に黒い髪、白い瞳、黒い爪を持った魔族の最高位、魔人(しかも男)となっているからだ。
なぜこのようなことになったのか、少し、時間をさかのぼって考えようと思う。
これは決して現実逃避ではない。そう、まいぷりてぃブラザーリオンたんが泣きそうな、けれど強がっていること丸わかりの顔でこちらを見ているのに少しでも長く見続けたくて言葉を発しようとしていないわけではないのだ。
私は、どうしようもない家に生まれた。生まれた、と自覚するほどには私には生まれつきちゃんとした自我があった。それが何故なのかはわからない。
わからないが、金と野心だけがあった父と、美貌と名誉とプライドだけがあった母の間に生まれた私は、けれど後継ではない女として生まれたゆえに自由になり、しかし自我がある故に彼らのそばには近づかず、優しい乳母と厳しい執事と朗らかな使用人と乳兄弟に育てられた。
泳げるほどのドレスと目が潰れんばかりの宝石や装飾品。ブランドもののバックや靴や帽子や贅沢な食事や菓子や珍しい果物や。
そんなものを求め求めてぶくぶくと見かけが、心が太っていく両親を見て、自我があってよかったと、ただ心が冷えたのを覚えている。
ほとんど両親と関わらない中、ある日突然、父が『弟』を連れてきた。ほかの誰かに気まぐれに手を出した、身分の低い女の、子供を。
気位…いや、キチガイの母はそれこそ気が狂ったように父を血走った目で睨みつけ、唾を飛ばしながら『弟』を罵倒した。
『弟』は、とても小さかった。
とてもとても小さくやせ細り、目だけが大きく、怯えた顔で絨毯の上にうずくまり、嵐が過ぎ去るのを待っている『弟』に、その時私は強烈なほどの保護欲を覚えたのだ。
私に、守るものはなかった。ずっと私は守られていて、それが当然だった。
食べるものと着るものと寝るところが私を守ってくれているものよりすこし豪華なだけで変わりはないと思っていた。
守られるのが当たり前だったから、守ろうとすることがどんなことか、私はそのとき初めて知ったのだ。
私は『弟』を、まず手を引っ張って立ち上がらせることから始めた。
うしろで見かけだけを着飾った女がなにか騒いでいたが、聞く価値もないと除外し、育ててくれた執事に彼を託した。何もいわずとも今日一日かけて綺麗にしてくれるだろう。
予想通り翌日、『弟』は緊張しきった小奇麗な服装で私の前に立っていた。
「初めまして、私の『弟』。私の名前はダリエナ。あなたの名前は?」
私はようやく『弟』の名前を知った。
足を一歩踏み出すにもびくびくとする『弟』の手を、ずっと握って連れていたせいか、なつかれるのは随分早かったように思う。
人懐こい明るい乳兄弟に紹介するとき、私の背に隠れていても、決して手は離そうとしなかったことがひどく嬉しかった。
しばらく立つと、乳兄弟や使用人にも慣れたのか、ぎこちなく頭を下げるときも、基本的には私の後ろにいた『弟』は、家に来て一年もすると、すっかり紅顔の美少年に様変わりしていた。
くすんだ金髪はつやつやさらさらするするに。大きな瞳はふっくらとしたまろい頬に似合うきらきらしさ。野いちごのように赤く潤んだぷるぷるの唇と、かじったらとても甘いだろうとおもわせるはちみつ色の肌。
だというのに『弟』は人見知りで遠慮がちで、つまり扇のように長いまつげを伏せていることが多いためか、妙に影のある陰影を纏うようになった。
一度、その色気に迷った入りたての使用人(男)が『弟』を押し倒そうとしたが、幸いすぐに私と乳兄弟が駆けつけて助けることができた。ついでにもっこりしていた男の股間を思いっきり踏んでやったが後悔はしていない。
それ以来、警戒心も強くなったが仕方がない。それほど、『弟』は愛らしいのだから。
『弟』が家にやってきて2年と10ヶ月。あやふやだが『弟』が生まれたあたりと言われ、ささやかな誕生日祝いを用意していた秋の夜、家は業火に包まれた。
領地の経営がうまくいかず、金も底をつき、重税を課して今までどおりの暮らしを望んでいた両親は怪しげな男の言うまま、ついに麻薬に手を出して狂い、居もいない誰か…もしかしたら跡を継ぐ『弟』…に、これまでつくった全ての財産を取られるくらいならを放った炎だった。
近々領民と私の訴えを聞いて、彼らの罪がやっと裁かれる、数日前のことだった。
深夜、油をまいて燃え上がった炎は乾燥した空気と強い風にあおられて、あっという間に屋敷中を真っ赤に染め上げていく。
火元の両親はおそらく生きてないだろう。あの怪しげな男は金目の物だけ取ってさっさと逃げる途中で待ち構える騎士に捕まっている筈。私は乳兄弟に背負われた『弟』の手をしっかりと握り締め、執事の先導で通路を走っていた。
これでも乳兄弟とともに川で泳ぎ、山で走り、木に登り、野を駈けて、剣を振り、男として生まれていれば、と惜しまれるほど鍛えていた身だ。しとやかに見せかけることはできてもやはり本質はかわらないと、自分のことながらに自嘲が浮かんだ。
ねえさま、と未だ幼く拙い、高く震える声がこわいと訴える。ぎゅう、と力の限りに掴む手は世界中で一番私だけを頼っているのだと無言で訴える。
そんな愛おしい『弟』に、私は笑ってみせた。この程度、私ほどの貴族なら笑って過ごせるものよ、と。
乳兄弟も執事も同意したその言葉に、『弟』は、信頼しきった無垢な微笑みを浮かべてくれた。
あともう少しだった。
あとは玄関ホールを通り過ぎれば、扉を開け、安全な庭にいけるはずだった。
手を離し、『弟』を力いっぱい抱きしめて、ほら大丈夫だったでしょう、と頬を摺り寄せて額にキスを送ってやれたはずだった。
ねえさま、と安堵しきって再び眠りにつく『弟』の寝顔を見守るはずだった。
曲がりなりにも、ほんのわずかでも王家の血が流れる私と『弟』をこの機に乗じて始末しようとする暗殺者さえいなければ。
一瞬の殺気を感じたと自覚する前に、咄嗟に『弟』を背負ったままの乳兄弟を蹴飛ばし(無論、『弟』に傷一つつけないように。乳兄弟?ほっといても死なん奴だ)、執事の足を払って、首を狩ろうとする細長い剣に隠し持っていたナイフを当てて軌道を逸らし、スリットとポケットだらけのスカートに手を突っ込んで新たなナイフを投げた。
当然、避けられる。強い。男か。夜目の利くだろう鋭い黒の瞳からおそらく闇の、暗殺を生業とする一族。目尻のシワから見ると年齢は40くらいのベテランか。持久戦に持ち込まれたら負ける。短期狙いでつっこむか。いや、それよりも、
「リオルを頼んだぞ、兄弟!!」
「ダリエナ様!!」
この男の目的は、後継の、万が一程度にしか王位を継ぐ力のない『弟』。くっそ、だからあれほど早く私を下卑た目線で見る下種で野卑な馬鹿王子を蹴落として幽閉でもしておけと言ったのに家族だからとためらっていた見かけと情けだけは極上の偽善者王太子が!!
咄嗟に身をよじって『弟』を守った乳兄弟の肩から血がぱっと飛び散る。あれならば浅い。リオルが悲鳴を上げる。あとで一晩中抱きしめて撫でて頬にキスをしてやらなくては。
追撃する男に仕込み杖で対峙する執事に加勢。ナイフしか持っていないが、贅沢は言ってられない。
「早く行け!!」
「っくそ!!」
まず『弟』の安全確保が第一と分かっているのだろう、あっという間に壁を乗り越えて警備と合流する乳兄弟とねえさま、ねえさまと悲痛な、愛しい声が遠ざかる。
お逃げくださいと青ざめる執事に口角を上げて見せて、目的を果たせず逃げようとする男に、ナイフを投げつけた。
肩に、それなりの深さで埋まっていても、男は一瞬体を揺らしてそのまま逃走。運がよければ始末しろ程度の依頼だったのだろう。よかった。
人の、暗殺者の気配がなくなった庭で一息。これであとは、確認を……
「ねえさまぁっ」
(しまったっ)
「リオル!!」
どんっ
背中に、衝撃ととんでもない熱さがひろがって、ぐらりと体が揺れる。
うつ伏せで倒れた私に真っ先に駆け寄ったのは執事。ついで『弟』をしっかり抱き抱えた乳兄弟。
青ざめた顔で何かを話している。
ああ、『弟』が泣いている。
ねえさま、ねえさまと呼んでいる。泣いて、叫んで、手を握っている。
大丈夫だ。もう、こわいものはどこにもいない。だからどうか笑顔を浮かべてくれ。いとおしい、わたしの『弟』よ。
ほら、ポケットにハンカチがあるだろう。涙を拭いて、鼻をかみなさい。
かわいい、かわいい、わたし、の……
そこから、わたしの意識は真っ暗になった。
おそらく、仲間が潜んでいたのだろう。そして嫌な予感を感じて弟を抱き込んだ瞬間、矢かなにかであっさりとやられた、というわけか。我ながら情けない
その時わたしは確かに呼吸を止め、鼓動を止め、命が消えたはずだった。
けれど私は深い深い優しい闇の中で目を覚まし、己の体が、そして意識が色々と変わったことに悲鳴を上げたもののすべて受け入れ、というかやけくそ気味にキレて受け入れて、過去は過去だと消化して。
無駄にハイスペックな身体能力と影を扱う能力を駆使してまいぷりてぃブラザーリオルたんをこっそり無表情でハァハァしつつ見守る使命を遂行していたはずだった。
しかし『守護者』召喚の儀の際、私はどうしても、どうしても抑えきれない衝動のまま、本来あの子によく似合う純白の『守護者(私の友だ)』を飛び蹴りで退かし、成長した愛しい可愛い『弟』の前に、姿を現したというわけだ。
後悔?いとしい弟のそばにいれる特権があるのなら、あるわけない。
あるわけないけれど、どうかもう一度、満面の可愛い笑顔を見せておくれ。
私の吐息が消えたとき、見も知らぬ貴族の醜さと狡猾さから命を狙われた事実と己の無知によって私という世界が消えた苦しみをすべて受け入れようとして泣くことすらも壊れることもできず、ただひたすら強さだけを求めるようになってしまったリオル。私の主よ。
今度こそ間違えない。
今度こそ約束を違えない。
いとしいリオル。お前の、あなたの、すべてを守ろう。
私の、『わたくし』の、すべてを賭けて。