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何かを食べてしまう男シリーズ

息に触れてみる

 (誰か)

 仮に、この社会に“盗んではいけない”という法律がなかったとします。どれだけ他人から物を盗んでも、まったく咎められないのですね。罪にならない。

 その状況下で、あなたは盗みをしますか?

 もしかしたら、盗むかもしれません。その方が得になりますからね。ですが、本当にそれって得になるのでしょうか? 盗みを許されているのはあなただけではありません。他の人も盗もうとします。当然、あなたも盗難の被害者になる可能性が出てくる。だから、それに警戒をしなくちゃなりません。もちろん、警戒しても盗まれる事もあるでしょう。もしかしたら、盗む以上に損をする結果になるかもしれません。そんな不安定な社会は、はっきり言って住み難いはずです。なら、誰も盗まない方が得です。しかし、個人ではなかなかこれが分からない。

 つまり、皆が自分一人にとっては得だからと盗みをするようになると、全体としては損な社会環境が出来上がってしまうのですね。

 こういった個人ミクロの視点では適切でも、集団マクロの視点では不適切な行動になってしまうことを“合成の誤謬”といいます。

 さて。

 では、この問題を防ぐためには、どうすれば良いでしょう? やはり、中央集権的な組織、例えば国のような組織を作り上げ、その組織がルールを定め、そのルールを守らせるようにするしかないのでしょうか?

 直感的には、そう思えるかもしれません。ところが、そうとばかりも言えないのです。つまり、ルールが自然発生し、それが集団の中に定着する場合もあるのです。誰も何も決めていないのに生まれるマナーがありますが、例えばそんなものです。

 先の“盗み”の例なら、自発的に皆が盗みをしないようになる。そんな行動も人間達には観られるのですね。

 では、そのように“合成の誤謬”が起きないよう、適切な行動を執れる場合と執れない場合とでは、一体、何が違うのでしょうか?

 その集団を形成する個人が違う? 道徳的に優れた理性的な個人の集りなら、確かに愚かな行動には走らないかもしれません。或いは、穏やかな人達なら、やはり他人を傷つけるような行動は執らないでしょう。もちろん、そういった要因もあるはずです。ですが、それだけとは限らない、とも思えるのです。

 人間は周囲の真似をする生き物です。もし仮に、周囲の人達が皆盗みをしていたら、それを真似して同じ様に盗むかもしれません。しかし、逆に誰も盗んでいなかったら、それを真似してあまり盗まないでしょう。

 この場合、構成要素である個人が全く同じでも、その行動は全く異なる事になります。もちろん、単なる真似以外でも似たような効果が起こる可能性はあります。その文化を発生させているのは、人間関係の間に生じた何かで、一言で言い表せるようなものではないし、その正体も一つであるとは限らない。

 ただ、いずれにしろ、必ずしも“合成の誤謬”という問題を解決するのに、中央集権的な組織がなければいけないという事はないとはいえるのです。

 どうか、この点をよく覚えておいてください。

 そして、その上で以下のことを考えてみてください。実は“戦争”という人間社会における現象も“合成の誤謬”の一例です。個々の社会では利益になる行動でも、全体を観れば損になってしまう……

 

 (僕)

 目が覚めた。

 頭に手をやる。耳の辺り、その奥には海馬があるのじゃないかと思える場所を、首を傾げ、手で押さえる。

 なんだか変な夢を見た。

 と、僕はそう思う。

 あの夢は一体、何だったのだろう?

 僕は寝ている間で、何かを食べてしまう事がよくある。語弊を恐れずに言うのなら、霊的な何かとそう表現するのが最も分かり易いとは思うのだけど、実際のところ、それが何であるのかは僕自身にもよく分かっていない。

 だから、まぁ、“何か”とそう言うしかない。

 そして、その何かを食べた時は、よくこんな風に変な夢を見る事がある。

 あまり存在感が強くないと、その何かを直ぐに消化してしまうけど、稀にそれが残る場合もある。が、今回は残らなかったようだ。ただ、夢の内容は鮮明に覚えている。

 夢というのは映像で見るのが基本だ(原始的な脳が関わっているからではないか、なんて確かどっかで読んだ事がある)。だから、言葉が中心の夢は珍しい。

 夢の中では、何かが必死に僕に伝えようと説明していた。それはどうも、社会的な事象に関わるものらしい。僕の記憶が確かならば“合成の誤謬”を乗り越える方法について、述べていたように思う。

 その夢を見た次の日は、休日だったものだから、僕は散歩をしながらそれについて考えてみた。

 各個人が自発的に行動して、自然に何かしらルールのようなものが生まれ、それが“合成の誤謬”を防ぐ役割を果たしてくれる。

 夢に出て来た何か……、夢の主の説明の内容を要約するのなら、そんな感じだったろうと思う。

 しばらく僕は歩いた。

 ふと、ドッグランが目に入った。数匹の犬がじゃれ合い、飼い主達がそれを見ながら歓談している。仕合せな光景。僕の近所の中でも特別和める場所の一つだ。

 ただし、実を言うと、正確に言えばその場はドックランではない。市が定めた単なる多目的広場だ。その多目的広場を、皆がドッグランとして活用し続けた結果、実質的にドッグランになってしまったものだ。

 その詳しい経緯を僕は知らないけど、誰も何も決めていないのは確実だ。だから、罰則も何もない。しかし、それでもいわゆるマナー違反をするような人はほとんどいない。犬の糞の始末も各飼い主が確り行っている。そして、だからこそほとんど苦情は出ず、そこはドッグランとして機能し続けている。

 そこは金属性の柵で囲まれた広場で、犬を自由に遊ばせるのには都合が良い場所だ。恐らくは、それで誰かが犬を放し、それを見た他の誰かが犬同士を遊ばせたいとそう考え、更に犬を放す。そしてそれを見た誰かがまた犬を放し… といった事を繰り返し、自然とドッグランとして機能するようになっていったのじゃないかと思う。

 その近くに似たような多目的広場は他にも二つほどあり、ドッグラン以外の目的で多目的広場を利用したい人は、そこを使っている。ドッグランの多目的広場は、ちゃんと空けておいてくれているのだ。それは、つまりは、犬の飼い主以外の人達も、そこをドッグランとして認めている事を意味している。

 恐らく、これは自発的に発生したルールのようなものと表現できるだろう。

 きっと、夢の主が言いたかったのは、こういう現象の事なのではないかと思う。そして更に、夢の主が述べていた“真似”についても、恐らくここでは起こっているのじゃないかと思える。他人の行動を真似ることで自発的ルールが発生しそれが定着する。確かそんな事を夢の主は述べていたはずだ。

 皆が多目的広場をドッグランとして扱っているのを真似て、新たにやって来た人もそこをドッグランとして扱うようになる。ここでは、そういう事も起きているのだろう。

 この“真似”について、僕にはちょっと気になることがある。実はそれと関わりのありそうな、ある集団心理の実験を知っているのだ。

 それはソロモン・アッシュという名の心理学者が行ったものなのだけど、解答の分かり切っている問題を出し、他の全員が間違った解答をする状況下で、被験者の一人がどんな反応、解答をするのかを試してみたのだ。

 結果はなんと全体の三分の一の人が、苦悩し葛藤しつつも間違った解答を選んでしまったらしかった。もっとも、苦悩し葛藤したのは正答を述べた多くの人達でも同じだったらしいが。

 この実験結果は、集団と同調するという人間の性質が、いかに強力なものであるかを物語っているだろう。

 だからこそ、“周囲の行動を真似する”事が起こるのかもしれない。

 

 (誰か)

 あの相対性理論で有名な物理学者のアルベルト・アインシュタインは、世界平和を維持する為に必要なのは、「世界政府の設立だ」とそう主張しました。つまり、中央集権的な組織がなければいけないと訴えたのです。そしてその後、世界政府の設立に向けて人間社会は努力しましたが、充分な成果を出したとは言い難い状況です。

 つまり、アインシュタインの主張した世界政府のような組織など作れなかったのです。ならば、世界平和を実現する事は、不可能なのでしょうか?

 しかし、どれだけ頭が良いといっても、彼は物理学者で社会学者ではありませんし、そもそも彼が常に正しいとも限りません。更に付け加えるのなら、複雑系科学の概念を彼は知りませんでした(彼の時代には、まだその概念は生まれていなかったのです)。

 実は近年になって登場した複雑系科学では、中央集権的な組織がなくても、自発的に秩序が生まれ得る事が理解されています。そしてそれが起こるのには、どんな条件が必要なのかが研究されてもいるのです。その一つ、平和を実現する為の研究に、“囚人のジレンマ”を用いたものがあります。

 囚人のジレンマとは、協力関係に関するモデルの一つで、囚人が二人いると想定し、例えば、

 「両者とも協力すれば、両者に3ポイントが入る」

 「自分が協力し相手が裏切った場合は、自分に0ポイントが入り、相手には5ポイントが入る(その逆も同様。自分が裏切り、相手が協力した場合は自分に5ポイント、相手に0ポイント)」

 「両者とも裏切れば、両者に1ポイントが入る」

 以上のようなルールを作り、互いがどのような方略を執れば協力関係が結べるようになるのか、などと研究をするのです。

 そして、この研究において得られた結論は、意外なほど単純なものでした。協力関係を結ぶ為の優秀な方略は、なんと「しっぺ返し」方略。つまり、前回相手にされた事を、そのままお返しするというもの(更に研究を進めた結果、これをベースに拡張したもっと優秀な方略が考え出されましたが、ここでは詳しくは述べません)。

 それで互いは、やがては協力関係を築くに至るというのです。

 ですが、自分が素人である点を充分に承知しつつ、その傲慢を分かった上で、それでも敢えて疑問を述べさせてもらうのなら、この“囚人のジレンマ”を用いた協力関係の研究方法、少しばかり現実からの逸脱が激し過ぎるようにも思うのです。つまり、あまり現実社会を考察する手段としては、有効ではないと思える。

 もちろん、全く役に立たないと考えるのも間違っているのかもしれませんが。

 囚人のジレンマでは、長期的には協力関係を結んだ方が有利になるという前提を置いてしまっています。ですが、そもそも協力関係が有効であるのかどうかは、環境によって変わってくるはずでしょう。

 例えば、資源が豊富にある状況下では、互いに傷つけ合うのは劣った方略です。互いに足を引っ張り合っているのだから、当たり前にそれは分かりますね。ところが、資源が枯渇している状況下では、これが変わってきます。数少ない資源を奪い取らなければ、自分が生き残れないのだから、必然的に傷つけ合う事になってしまう。

 つまり、仮に協力関係を結んだ社会…… 平和な社会を実現したかったのなら、まずは資源に注目をしなくてはならないのです。

 更にもう少しこの考えを進めてみましょうか。

 もし仮に、自ら資源を生み出せるような、そんな方略を執ったなら、果たして“社会”はどうなるでしょうか?

 その条件下では、資源を奪い合う必要がなくなります。そして、資源が充分にある状況下では、傷つけ合う方略が劣っている点を考えるのなら、やがては協力し合う方略が多く生き残っていく事になるのではないかと予想できるのです。

 だから……

 

 (僕)

 朝起きて、僕は多少、驚いていた。

 また、誰かが必死に僕に説明をするあの夢を見たからだ。実を言うと、一度消えた何かが再び現れる事は珍しい。僕は二度とあの主の夢は見ないと思っていた。その日の夢ではあの夢の主は“合成の誤謬”……、いや、戦争をなくし、平和な社会を実現する為の手段を滔々と僕に語っていた。

 ただ、その日は仕事があったものだから、僕はその事について深く考える事をせず、朝の準備をすると早々に出勤した。

 電車の中で幸運にも僕は座ることができた。それでようやく落ち着けたので、夢についてよく考えてみた。

 夢の主の主張は、平和が実現できるかどうかは、“資源”が充分にあるかどうかにかかっているというものだったと思う。そして、その究極は“資源を自ら生み出せる事”とも主張していた。

 平和を実現する為には、資源が重要だという点はよく分かる。このままエネルギー資源が枯渇していけば、間違いなく数少ない資源を奪い合う為の戦争が起こるはずだ。

 だけど、“資源を自ら生み出せる”というのはどうなのだろう? そんな事が可能なのか、可能であったとして、それが実現した社会がどうなるのかは分からないはずだ。そんなケースがあるようには思えないし、だから調査も実験もできない。

 そんなことまでを思ったところで、電車の外にちらりと畑が見えた。そして、それで僕はふと気が付いたのだった。

 いや、違う。あるな。

 “資源を自ら生み出せる”能力を備えた生物は現実にいる。太陽光線によって光合成を行い、エネルギーを蓄える能力を持った生物。つまりは、植物達。

 ただ、植物達にだって資源の奪い合いがまったくない訳じゃない。光の奪いはあるし、土壌養分の奪い合いだってあるはずだ(ただし、最近の研究では、森の木々達が微生物を介して養分を融通し合っている可能性が考えられているそうだ)。

 しかし、それでも動物に比べれば随分と“奪い合い”の要素は少ないだろう。そして、植物達は稀な例外を除けば、他者を直接攻撃して死に至らしめ、資源を奪うという方略を執ってはいない。つまり、ライバルを食べるような事はしていない。

 これを素直に解釈するのなら、植物達は戦争を行っていないのと同じ事になる。

 そして、そこまでを考えて、僕はまた気が付いたのだった。

 ……そうか。人間社会にだって、既に“資源を生み出している”人達はいるんだ。

 農業。植物を育てる事を生業としている農業従事者達は、資源を生み出していると表現できるはずだ。

 もっとも、農業に適した土地は限られていて、歴史上、その土地を奪い合う為の戦争は数多く起こっているから、“資源を自ら生み出せる”能力を備えているとは、完全には認められないだろう。

 ただ、それでも、農業の登場以前と以後とを比較するのなら、その平和への有効性を認めても良いようにも思える。

 実はそれほど知られてはいないけど、農業登場以前の人類の状況は、非常に悲惨なものだったらしい。わずかな食糧を巡っての戦争が激しく起き、今の時代とは比較にならないほど“殺し合い”が日常的に行われていたと言われている。

 世界中の人間社会には、食人の習慣がかつてあった(或いは、今もある)と言われているけど、それはもしかしたら、その時代の残滓なのかもしれないのだ。つまり食糧不足の状況下にある社会で、仕方なく人を食べる事が行われ、そしてそれが文化にすらなり定着してしまった結果、近年まで続いてしまった可能性が考えられる。

 また、多くの宗教では“性の制限”に纏わるルールがあるが、それも人口増による食糧難を防ぐ為のものだった可能性が示唆されている。

 こういった状況は、農業の普及によって随分と良くなった。つまり、農業の登場とその発達によって、人間社会の状況は随分と良くなったのだ。

 人口が莫大に増えた事、そして技術の発達によって、大量破壊兵器などが登場した所為で、印象としては近年の方が戦争は悲惨であるかのように思えるかもしれないが、実情はどうもそうとばかりも言えないらしい。

 あるいは、夢の主が主張するように、“資源を自ら生み出せる”のならば、世界平和の実現に向けて大きく前進するのかもしれない。

 

 そこまでを考えて、僕はふと思った。

 

 あの夢の主は、どうして僕の夢の中でそんな事を訴えているのだろう?

 いや、もちろん、本人にその意志はなく、無意識に行っているだけだろうから、この問い掛けの表現は間違っているのだろうけど、それでも僕には疑問だ。

 何故なら、僕の夢に現れる何かは、いつも何かしらの悩みを抱えているのが普通だからだ。

 あの夢の主が、まだ生きているのだとすれば、もしかしたら……。

 

 (誰か)

 太陽電池。

 或いは、風力発電や地熱発電でも良いのですが、これら再生可能エネルギーは、資源を自ら生み出していると、そう表現してしまっても良いように思えます。

 何故なら、枯渇の心配がほとんどないからです。

 光は太陽がある限り降り注ぎますし、風も同様で(風は基本的には地球の熱移動で、その大元は太陽エネルギーだと表現できます)、地熱に関しても今までほとんど枯渇した実績はないそうです。

 そして、言うまでもなくエネルギー資源は枯渇が懸念される資源の代表格です。熱力学第二法則を打ち破った理論が存在しない以上、全てのエネルギーはいずれは散逸し、人間が利用できない状態になってしまう。原油や天然ガスや石炭もいずれはなくなりますし、原子力発電所の燃料であるウランもそれほど長くは採掘し続けられません。原油よりも早くなくなるのではないかと、予想している人がいるほどです。

 また、労働力の制約もあります。

 火力発電所や原子力発電所を動かす為には多くの労働者が必要で、少子化の影響によって労働力が減り続ければ、その為の労働力を確保し難くなるでしょう。

 実は再生可能エネルギーの多くには、製造費はかかるが、維持費が非常に安価という優れた性質があります。

 つまり、労働力が余っている時代に、その労働力を使って再生可能エネルギーの設備を造っておけば、労働力不足の時代の備えになるのですね。

 多くの人が勘違いをしていますが、経済の本質は“通貨の循環”なので、太陽電池を製造する為に労働力を用い、それで通貨の循環量を増やせば、その分、経済成長する事にもなります(この説明に有用なモデルを、“通貨循環モデル”と名付けています)。そして、循環しているのだから、使えば通貨は自分の元へ戻って来もします。

 だから、税金か或いは公共料金として通貨を徴収し、それで太陽電池を製造するといった方法が可能なのです(初めの一回に関しては、通貨を増刷する事も可能です)。それで再生可能エネルギーの充分な普及が行えるはずです。

 そしてもしこの方法が上手くいったなら、それを世界中に展開する事で……

 

 (僕)

 また、あの夢を見た。

 今度は再生可能エネルギーについて夢の主は語っていた。

 要するに、あの夢の主は再生可能エネルギーを“資源を自ら生み出せる”能力だと位置付けているのだろう。

 仕事中。

 少しばかり暇な時間ができたものだから、僕はそれについて考えてみた。

 確かに、もし仮に再生可能エネルギーを世界中に充分な量、普及させる事ができたなら、エネルギー資源の枯渇問題は大きく改善する事になり、当然、それを奪い合う事で起こる戦争も減らせるはずだ。多分、夢の主が説明しかけたのは、それだろうと思う。

 ただ、普及が成功するという何か証拠のようなものはあるだろうか?

 僕はそこでパソコンでインターネットにアクセスをし、ドイツの事例を少しばかり調べてみた。

 再生可能エネルギーの普及に力を入れている国といったら、ドイツだ。そして、どこまで本当かは知らないが、偶々見つけたその検索結果では、どうやら今のところ、全体的に観ればドイツのその試みは上手くいっているらしい(当初は失敗だと言われていたが、状況は変わったようだ)。

 再生可能エネルギーの所為で、電気代が上がったという話をよく聞きはするけど、その支払われた電気料金は、国内を巡るようになる。化石エネルギーに頼っていた以前のように海外へは出て行かない。だから大きな問題にはなっていないのだろう。そして更に再生可能エネルギーへの設備投資で、雇用創出効果を生み出してもいる。

 しかも、ドイツのケースでは“通貨の循環”が考慮されていない。

 もし、夢の主が言うように、通貨の循環を考慮し、上手にそれを活用したなら(彼はそれを“通貨循環モデル”とそう呼んでいたか)、もっと効率的に再生可能エネルギーの普及を行えるように思える。

 確か、夢の主は税金や公共料金のような形で料金を徴収し、それで再生可能エネルギーの普及を行うと説明していた。多分、そのようにすれば……

 そこで僕は気が付いた。

 ああ、そうか。夢の主が言っていた方法の事例は、実は世界中にあるんだ。税金を使って維持している公務員制度や、水道や電気などは原理的には同じじゃないか。生産するものが違っているだけで。

 ならば、この方法の成功確率は高いと言えるのかもしれない。なにしろ、既に実績があるのだから。

 もちろん、自由競争の原理を活かす工夫は必要になってくるはずだが。

 そう考えるのなら、彼の主張する内容は、少なくとも理屈の上では正しいと思える。ならば、二酸化炭素削減が叫ばれ、エネルギー資源枯渇の危機が迫っている今、試してみる価値は大いにあるという事になる。成功した場合のメリットは非常に大きい。急速に再生可能エネルギーの普及は進むだろう。

 これは、実は世間の多くの人が気が付かないでいる盲点なのかもしれない。

 あるいは、夢の主もそう考えているのかもしれない。だからこそ、僕の夢の中で説明をするほど、その想いが強くなっているのだろう。

 状況を改善できる可能性が高い事を分かっていながら、何もできないで、悪化していく状況をどうする事もできないでいるから。

 だけど、ならば……

 もしかしたら、彼は苦しんでいるのかもしれない。

 

 (誰か)

 今現在ですら、世界中でエネルギー資源を奪い合う為の戦争が起こっています。そして、スプラトリー諸島、インドネシアのパプア州や、東ティモール、中国のウイグル自治区、ナイジェリア、ロシアのチェチェン、もちろん周知の事実の中東、日本の尖閣諸島など、戦争の火種となっていて、これから戦争が心配されるエネルギー資源の埋蔵場所は数多くあるのです。

 今後、エネルギー資源が枯渇していけば、それらを奪い合う為の戦争が起こるだろう事は想像に難しくありません。

 しかし、再生可能エネルギーの普及を行えば、それを未然に防ぐことができるのです。

 もちろん、エネルギー資源の可採年数はどれだけあるのかは依然不透明なので、その危機がどれほど近くにあるものなのかは分かりません。しかし、できるだけ早くから対策を講じなければいけない点は確実なのです。二酸化炭素排出問題を考えても、今既に起こっている戦争を減らす事を考えても。そして、労働力が余っているうちに、それを行わなくてはいけない事を考えても。

 こういった事は、多くの人が分かっているはずでしょう。しかし経済的な問題が解決できない為に、再生可能エネルギーの普及は進んでいないのです。ですが、“通貨循環モデル”を利用し、再生可能エネルギーに関する“通貨の循環”を増やすという発想を用いれば、その経済的な問題を解決する事ができるはずなのです。

 新しい試みですから、失敗する可能性も当然あります。しかしならば、まずは小規模で実験的に行ってみるという手段もあります。それで問題点を洗い出し、次に繋げるような方法を執れば良い。もし成功したなら、この原理の応用範囲は広いので、人間社会に非常に大きなメリットがあります。

 そして、世界の状況を観れば、既に時間はないと判断するべきでしょう。常識に囚われ、保守的になっていては、何も変えられない。

 それでは……

 

 「なるほど。話は分かりました。ですが、ならば何故、あなたはその方法を、もっと広くこの社会に提案しないのですか?

 こんな夢の中で必死に説明してもあまり意味がないでしょう」

 

 そこで私はそう話しかけられたのだった。

 

 (僕)

 「……こんな夢の中で必死に説明してもあまり意味がないでしょう」

 夢の中。僕は夢の主に対して、そう言ってみた。もちろん、彼にここが夢の中である自覚がないだろう事は承知の上で。それに、実を言うと、現実社会でもなんとかその考えを広めようと彼が努力をしているのではないかとも僕は思っていた。説明の内容がちゃんとまとまっているのは、だからだろう。

 『夢? ここは、夢の中なのですか?』

 案の定、彼は驚いた口調でそう尋ねて来た。

 「ええ、そうですね。少なくとも僕はそう思っています。あなたにとって、ここがどんな場所なのかまでは分かりませんが。

 あなたは起きているのですか? じゃなければ、きっと夢の中ですよ」

 既に彼が死んでいる可能性や、生霊のようなものである可能性もあったけど、僕はそう言ってみた。その方が話が上手く運びそうだったし、それになんとなく彼は生身の人間ではないかと僕は感じていたからだ。雰囲気でしかない、単なる想像だけど。

 それから少しばかり何かを考えているような間があった後で、彼はこう言った。

 『そうですね。私は眠ったように思う。どうやらこれは私にとっても夢の中のようです。

 しかし、だとすれば、あなたは誰で、何者なのです?』

 「これは夢の中なのでしょう? なら、僕は何者でもない。それで良いじゃありませんか。僕にとってあなたがそうであるように。あなたにとって有益になるよう、僕を利用してくれれば良いのですよ。

 僕が何者であったとしても、あなたが夢に見るほどに悩んでいるのは事実なのでしょう。話してください。どうして、夢の中でこんな説明をし続けるのか。先にも言いましたが、もっと広く社会に訴えればいい。今はインターネットがあるのだから、比較的容易にそれはできるはずでしょう」

 そう僕が言い終えると、またしばらくの間があった。それから彼は口を開く。

 『私がその努力をしていないと、あなたは思っているのですか?』

 それを聞いて僕は、“やはり現実社会でも広く伝えようと努力をしているのか、この人は”とそう思った。

 「と言うと?」

 『夢に見る程に思っているのです。当然、インターネットを活用して、がんばっていますよ。

 ですが、成果はほとんど出ていない』

 「そういった事は、すぐに成果が出るようなものではないでしょう? 簡単に諦めては意味がないと思いますよ。正直、素人なのでよく分かりませんが、効果的な宣伝を行うとか色々とやってみればいい」

 その僕の言葉に彼は笑った。

 『ええ、まぁ、もちろん、それは分かっていますよ。

 ただ、実を言うと、私は少しばかり気が弱くってですね……。ネット上で自分の考えを公表する事自体が、実は怖くて堪らないのです。説明した文をアップした日は、上手く眠れなくなるほどなんですよ。私は馬鹿にされているのかもしれない。気持ち悪いと思われているのかもしれない。それに…』

 「それに?」

 『がんばって訴えても、何の手応えも感じられないと、とても孤独を感じます。“ああ、こんな事を考えているのは、世間で私くらいなんだな”と、そう思えて。それで、とても辛くなってしまう。

 だから、続けていくのが苦しい。

 よく思うんです。どうして、自分はこんな事に懸命になっているのだろう? どうせ、無駄なのに、と。

 正直に告白するのなら、逃げ出したいといつも思っています』

 それを聞き終えて、“やはりそうか、この人は苦しんでいたんだ”と、そう僕は思っていた。

 だから、こうして僕の夢に出てくるまでになってしまったのだろう。

 しかし、そうして夢に出て来たのに、その辛さを吐き出すのではなく、この人はやはり自分が訴えるべきだと思っている事を説明した。僕はその点に好印象を持った。

 「無駄だとも、孤独だとも限らないと思いますよ」

 僕はそれからそう言った。

 「世の中には、ロム専もかなり多い。何の反応も返さないだけで、実はあなたの説明の内容に共感している人も多くいるのかもしれない」

 『そうでしょうか?』

 「はい。それに、少なくとも、僕にはあなたの話はとても興味深かった。確かに、試してみるべき価値のある事だとは思いました」

 少しの間。

 『ありがとうございます』

 少しだけ涙を含んだような声で、彼はそう僕に言って来た。僕はこう続ける。

 「こんな事を言うのは、非常に無責任なのかもしれませんが、敢えて言います。

 僕はあなたに諦めて欲しくない。信念を抱き、周囲の目に怯えながら、それでもそれを曲げずに努力し続ける姿はそれだけで美しい。そう思えるからです」

 人間は周囲に合せる生き物だ。真似をするという人間の特性はとても強い。心理学者、ソロモン・アッシュの人間の同調行動に関する実験。そして、集団になると人間は、無責任と無感覚という鎧をまとって、非常に残酷になる。僕はそれを醜いと思う。いじめ、虐待、暴動、そして、戦争。だからこそ、それに逆らって独りきりで努力する事は、それだけで称賛に値する。少なくとも、僕はそう思う。

 やはり、少しの間。その後で、彼はまた礼を言った。

 『ありがとうございます。そんな事を言ってくれる人は、今までに一人もいなかった。だから、とても嬉しい』

 彼が泣いているように僕には思えた。

 まぁ、僕にはこれくらいしかできない。それでも良かったとそう思った。

 

 朝。

 目が覚めて、僕は“これでもう彼が夢に出てくる事ないかもしれない”と、そう思っていた。

 それから数日後の休日。

 僕はふと思い付いて、インターネットの検索サイトで、“通貨循環モデル”と、そう文字を打って検索してみた。夢の中で、彼は通貨循環を考慮する為のモデルを、確かそう名付けたと言っていたはずだ。

 すると、検索結果にそれらしきサイトがヒットした。内容を読んでみる。どうやら、彼が書いた文章で間違いはなさそうだった。夢の中と同じ様な事を書いている。僕は同じサイト内で、彼の最新の文章を探した。すると、つい昨日、彼がまた文章を投稿している事が分かった。

 もちろん、通貨循環モデルを応用した再生可能エネルギーの普及方法について説明されてあった。

 僕は嬉しくなる。

 

 ――やっぱり、諦めてなかったんだ。

 

 それから、少しだけ応援をした。どうか、がんばってくださいと、そう思いながら。

主な参考文献:「ガイドツアー 複雑系の世界 サンタフェ研究所講義ノートから 著者:メラニー・ミッチェル 訳:高橋陽 紀伊国屋書店」


エッセイで書こうかと悩んだのですが、”誰か”が説明した内容を”僕”が別視点から補足するという構成にしたら、分かり易くなるのじゃないかと思ったら、どうしても書きたくなっちゃいまして(それに似たようなエッセイを既に書いてますし)、それで小説にしたら、こうなっていました。

”誰か”が僕自身かどうかは内緒です。

というか、自分自身でもよく分かっていません。


因みに、作中に出てきたドッグランは本当にあります。


これを書いている最中に、歌詞を思いついた曲があるので、なんとなくテーマ曲という事にしました。なんとなく……

http://www.nicovideo.jp/watch/sm25066001

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― 新着の感想 ―
[一言] 私もこうした問題についてはロム専気味ですけど、読んでますし、影響も受けてると思いますよ。特に、経済については全く疎いので助かります。 もっとも、一つの情報源しか持たないのはよろしくないのでし…
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