F93 その胸に覚悟を
「はは……なんか、魔力、吸われちゃったみたい……」
魔力吸収のタイプだったか。ならば、生命力を奪うまでに危険なものではない。俺はリュックを開き、すぐに『ハイ・カモーテル』を取り出――……そうと思ったが、最後の一つを先程使ってしまった所だった。
抱き起こすと、ベティーナは気怠そうな表情で、呆然としていた。魔力を大きく消費した後は、放心状態になる事が多い。……今は、どうしようもない。
アイアンキングの守っていた黄金色の扉が、徐ろに開いた。……つまり、あの攻撃で確かに四十階をクリアする事は出来たのだ。
チークに続き、ベティーナまでも魔力枯渇か……まあ仮にチークがこの場に残っていたとして、ベティーナは死んでも『グリーンホタル』を食べないだろうし、仕方ないな。
元々、このダンジョンは俺一人でクリアする予定だった。……予定外が、予定通りに変わっただけだ。
「ベティーナ、リンガデムのメモリーを解け。隠れ家に戻るんだ」
「…………そうね。ここは、一度回復してから、ちゃんとしたメンバーでやり直さないと」
何か勘違いをしているようだったが。素直にメモリーを解いたベティーナに対し、俺は思い出し草を握らせた。俺はすぐに立ち上がり、捨てた盾を取りに戻る。
ベティーナが驚き、目を見開いた。
「ちょ、ちょっと。あんた、まさか一人で上に行くつもり?」
盾をリュックに戻し、ハイ・パペミントの数を確認する。……残り三つか。まあ、どの道そろそろ回復薬の効果も薄まって来る頃だろうし。仕方ないな。
魔力は放っておいても、少しは回復する。ペースを落とせば、あと十階くらいなら登れるかもしれない。
俺はリュックを背中に背負い直し、ベティーナに向かった。アイアンキングの攻撃を防御するために使った左肩が軋み、鈍く痛む。
だが、俺は平然とした表情を作って、言った。
「まさかも何も、元からそのつもりだけど」
「無茶よ!! あんただって、もうボロボロじゃない。ここは一度引き返すべきよ」
そんな時間が無いことくらい、お前にも分かってるだろ? 俺はそう答える代わりに、ベティーナに微笑み掛けた。どうにか俺を止めようと、ベティーナは立ち上がろうとするが――……ベティーナは魔法使いだ。消費する魔力量の多い魔法使いが限界まで魔力を吸われて、完全に回復するのは少なく見積もっても一日程度は掛かるだろう。
そこまで待っている時間もないし、そもそも連れて行く気もない。
「どこかで、帰すつもりでは居たんだ。だから、俺の我儘聞いてくれ。な?」
俺はベティーナに微笑み掛けて、そう言った。
信じられない、とベティーナの顔が言っていた。いつもは気の強い事を証明するかのように凛々しい眉も、変な所で意思の強さを感じさせる瞳も、今は輝きを失っている。
置いて行かれる事の悲しみか、それとも俺の身を案じてか。……おそらくは、その両方だろう。
黄色い床を叩く靴の音は、もう一つしか聞こえない。俺はベティーナに背を向け、赤い絨毯の敷かれている黄金色の扉へと向かい、歩いた。
きっと、何かを言われるだろうということは、ある程度予想されていた。
「――――みんな私のこと、笑って裏切って行ったの!!」
だけど、よもやベティーナからそんな言葉が発されるとは、俺は全く予想していなかった。
振り返ると、ベティーナは涙を零していた。本当にこいつは、すぐに泣く。……あまり涙は得意じゃない。それに、今回はどうも我儘というだけでは無さそうだった。
「いつも、笑って居なくなって、もう戻って来ないの。強く生きていく人はみんな、突っぱねて、知らないふりをして、人を騙して生きていくの」
…………こいつは。
俺は、ゴールバードがベティーナに向けて言った一言のことを、思い出していた。
『スラムの雌狐』。その言葉の意味は分からないままだったが。
今、初めてベティーナと出会った時の事を思う。まるで何者も信用しないかのような顔をして、人を利用していた。今思えば、それは情の入る余地が無かった、という事なのかもしれない。
「だから、やだ……ここで離れたら、あんたが死んじゃう気がする。……また、戻って来ない気がする」
テイガも言っていた。俺のようなケースは特殊だと。……多くの人間は、情に突き動かされて人を助けて、そうして死んでいくのだと。
知らず、拳に力が入った。
黄色い石で作られた地面を踏み付ける。ざり、と砂利を転がす音がした。
なら、死んでいくのはどうしてだ。……人を助けようとする人に付け入る、ヒルみたいな人間が居るからじゃないのか。或いはゴールバードの威を借りていた、シルバード・ラルフレッドのように。
人は皆、強い者に従って生きていく。
力が流れる方へ。……少なくとも殺されない方へと。
「もう、一人は嫌だよ」
それが、どうした。
「安心しろ」
そこに壁があるなら、蹴飛ばしてやればいい。邪魔する奴は殴り倒せ。俺は俺の助けたい人を助ける。
知った事ではない。やりたいようにやれ。
「俺は死なない」
大多数の歩く道なんて、俺には似合わない。
自分に言い聞かせるように、俺は言った。ベティーナの目をしっかりと見据え、ただ、自分の覚悟だけを伝えるように。
何度失敗してもいい。何度ゼロからのスタートになったっていいんだ。
騙す笑顔では駄目だ。
だから、代わりに本気の笑顔を。
「馬鹿は死ななきゃ治らねえって言うだろ? 俺の馬鹿は治らねえから、つまり俺は死なないんだよ」
ベティーナに向けて見せた。
口をついて出た言葉は、或いは出任せのような、意味の無いものだったかもしれない。
だが、ベティーナはその一言で、僅かに考えを改めたようだった。
○
四十一階。『ツインヘッドドラゴン』。二つ首の青い翼竜で、山のダンジョンマスターの中でも、かなり強い部類に入る魔物だった。
<限定表現>を使いながら、全力の<インパクトスイング>を叩き込んだ。特別難しい事をやってくるダンジョンマスターではなく、純粋に力同士のぶつかり合いになった為、俺も鈍器を使わざるを得なかった。
山のように矢を放ち、翼を落とす。行動不能にした頭に鈍器を叩き込む頃には、ツインヘッドドラゴンは動かなくなっていた。
代わりに炎で足を焼かれ、靴が焼け焦げて使い物にならなくなった。
構わず、素足で進む事にした。
四十二階。『ジャイアントコブラ』。『毒魔法』を使って来る特殊なダンジョンマスターで、その牙に噛まれると全身に毒が回り、死に至るという。
<キャットウォーク>で速度を強化し、<レッドトーテム>をいくつも出現させて誘い込む。尻尾を身体に巻き付けられ、肩に噛み付かれそうになったところを<強化爆撃>で頭部ごと粉砕した。<レッドトーテム>が動かない事に油断してくれたお陰で倒す事ができた。
だが、肩から左腕に掛けて自ら放った<強化爆撃>に焼かれ、火傷を背負う事になった。
四十三階。『フレイムヒューマン』。人型で全身炎に包まれた魔物で、触れる事すらできないダンジョンマスター。
<ブルーカーテン>で壁を作り、<ブルー・アロー>で目を狙う。動かなくなった所を、最大出力の<ブルーカーテン>で葬った。
痛手は負わなかったが、ここでハイ・パペミントが切れた。
四十四階。『ボーンゾンビ』。聖職者の魔法で倒す以外に死ぬ方法を持たないダンジョンマスターで、五十体でまとめて一つの魔物。
全員ナイフを持っていて、何度斬り付けても死なない。<飛弾脚>で敵を一箇所にまとめ、相応の<ヒール>を連発することでどうにか倒した。
魔力が回復しなくなってしまったので、大地の魔力を吸い上げて使った。<ヒール>は無理があったようで、異常反応を起こして右腕が爆発した。
四十五階。『ドリームキャット』。愛らしい見た目に反し、小さな身体で捉え辛く、幻覚魔法で相手の魔力を吸うダンジョンマスター。
一人で戦うには無理のある相手だったが、十二分に魔力を回復させてから挑んだのが功を奏した。分身しているように見せかけたドリームキャットを、<ライト>を通じて影の場所を見極め、投げナイフで突いた。暴いてしまえば体力の無いダンジョンマスターだ。
だが、強力な幻覚から目を覚ますために、自ら腹をナイフで刺さなければならなかった。
四十六階。『サウザンナイト』。別名千年の剣士と言われる、人気の無い奥地のダンジョンに住まうダンジョンマスター。ギルド・ソードマスターよりも遥かに速く、目では捉えきれない程の速度で斬り付ける<隼の剣>が特徴の魔物。
剣に剣で対抗するなど阿呆かと思ったが、いざ戦ってみると短剣二本以外に対抗できる武器がなかった。弓では防御が効かないし、鈍器では小回りが効かなかったからだ。
<パリィ>を駆使して体力を削り、短剣を犠牲にして間合いを詰め、長剣で止めを刺した。代わりにフルリュに買って貰った短剣が折れ、使い物にならなくなってしまった。
四十七階。『マグマドラゴン』。セントラル大監獄で俺達の前に現れ、レオが一撃で葬ったダンジョンマスター。まさかこんな所で登場するとは思っていなかったが、その巨大な体躯と炎は、瀕死の俺を追い詰めるには充分だった。
<ドラゴンブレイク>のように強力で重い一撃を持っていない俺は、<限定表現>中の<ソニックブレイド>で翻弄しながらダメージを与えて行くしか道はなかった。何度も弾き飛ばされ意識が飛び掛けたが、脳天目掛けて長剣を突き刺し、どうにか勝利した。
四十八階。『ケルドラロスト』。全身ヘドロのような体液に覆われ、強烈な悪臭を放つダンジョンマスターで、スラムやゴミ捨て場などのダンジョンに現れる事が多い。こういう魔物には<ヒール>を使わなければならないから、魔力消費が激しい。
触れるだけで麻痺毒を受けた。だが、倒すためにはヘドロの中に手を突っ込み、『核』に向かって<ヒール>を撃つしかなかった。
四十九階。『コンバットデビル』。
アカデミーで見たことのある魔物ばかりだったのが、せめてもの救いだっただろうか。倒す方法は初めから分かっていて、それを実行するための手段だけを考えれば良かった。
靴を失い、全身に火傷と打撲を負い、両腕は麻痺毒のせいで感覚がない。最も使い易い武器だった二本の短剣を失い、腹にも致命傷を負っていた。
もうどうしようもないかと思われた手前、一筋の光が舞い込んだ。
魔力が尽きた瞬間、リュックの中が僅かに動いたのだ。
「<計画表現>!!」
おそらく、チークが人知れず、俺のリュックに『グリーンホタル』を詰めていった。ありがたいことだ。
リュックの中を歩いていたそれを掴み、無心で口に含んだ。恐るべき回復量だった筈の『グリーンホタル』も、満身創痍の俺では完治には程遠く、多少魔力が使えるようになる程度だった。
だが、それで充分だ。
コンバットデビルは、様々な魔法を使う相手だ。人型の悪魔で、特殊な事をしない代わり、トータルスペックが高い。今の俺にとっては、既に絶望的な相手であることは明らかだった。
複雑に配置された<反射>と<反転>の魔法陣。何をして来るのか分からず、コンバットデビルも恐怖を覚えたのか、奇声を上げていた。
「喰らえや悪魔野郎があああああ――――――――!!」
全力で、投げナイフを放った。
幾つもの魔法陣によって反射と反転を繰り返した投げナイフは、既に予測不能な動きをしていた。ピンボールか何かのように部屋を縦横無尽に駆け回り、ワープし、最終的にコンバットデビルの心臓目掛けて、背後から現れた。
コンバットデビルは投げナイフを追うことを諦めたのか、俺に向かって鋭い爪を振り被った。
思うように、身体が動かない。固く目を閉じ、ただ魔法陣を発動させた。
「<反転>!!」
俺の胸元から、突如として出現した投げナイフ。先程まで、明後日の方向へと飛んでいたものだ。自分よりも速く、重い攻撃を放ち、体力もある相手。勝つ方法があるとしたら、それは『奇襲』くらいしか考えられなかった。
コンバットデビルの爪が、俺の喉元を狙う。
投げナイフが速いかどうか。それだけだった。
「グッ…………馬鹿な…………何故…………」
恐る恐る、目を開いた。
黄色掛かった石の地面に、緑色の血が垂れていた。俺のものでは――――ない。コンバットデビルの爪攻撃は俺の目前で止まり、自身の心臓を見て、硬直していた。
息が荒い。熱病に冒されたかのように、全身が熱かった。
「何故…………だあああああ――――――――!!」
どこか遠くで、魔物が叫んでいるように聞こえる。……実際は、俺の耳元で聞こえているにも関わらず、だ。
消滅したのだと理解した時、俺はその場に前のめりに倒れ込んだ。




