F92 反撃と暴走、鋼鉄の巨兵
痛みを感じるよりも早く、俺は目を見開いて敵の攻撃に驚愕していた。
扉から扉、部屋の端から端だ。俺の攻撃は弓矢。放った矢がまだ幾らも進んでいないうちに、俺の右手は貫かれていた。何をしてくるか分からないと思っていたが、予想外だった。
まさか、目視して避ける事すらも出来ないなんて。
「ぐうっ…………!!」
「ラッツ!!」
攻撃されたことを身体が自覚してから、俺の右手に強烈な痛みが走る。棘は俺達の通ってきた黄金色の扉に迫っていたが、扉を貫く事はなかった。距離も計算されている。そして、その攻撃も正確で瞬速だ。
四十階。ダンジョンマスターの中でも、とびきり強力な奴等が集まる場所。じき、『エンドレスウォール』に匹敵する魔物が現れるのではないかという事は分かっていた。問題だったのは、それが何時――どのタイミングで現れるのか、という部分だけだった。
アイアンキングの身体から、不自然に伸びた棘が元に戻っていく。まるで何事も無かったかのように、元通りの無骨な鉄の塊となった。中央の赤い宝石が、薄暗い室内に不気味にも光っていた。
血が流れる。堪らずジャケットを破り、右手に巻き付けた。……まだ、剣は持てるだろうか。鈍器はもう、無理か? <ヒール>を重ね掛けすればまだ、回復する範囲だろうか。様々な思考は頭の中を駆け巡ったが、やがて『痛み』という危険信号に塗り潰されていく。
「ちょ、ちょっと待ってね。<ヒール>くらいなら、私でも……」
「駄目だベティーナ、魔法を使っちゃいけない。……リュックにハイ・パペミントが入ってる、取ってくれ」
慌てて俺のリュックに手を伸ばすベティーナ。俺は目眩を起こして地面に座り込んだ。貫かれた右手からは、際限なく血が滲んでいく。……縛って血は止めている、もう暫くの辛抱だ。
つまりこいつは、今は『反撃専門のダンジョンマスター』。例えるなら、そう捉えるのが妥当な所だろう。黄金色の扉の前から動かないということも、そもそも足があるのかどうかさえ分からない、ということも。
間抜けな見た目で、恐ろしい速度だ。そしてこのままでは、どうやって戦えば良いのかも分からない。
『ハイ・パペミント』を飲み干すと、少しではあるが、傷の状態が良くなった。やはり、アイアンキングは俺達に対して全く攻撃して来る気配を見せない。ただ、あたかもモノのように立ち尽くしているだけだ。
考える時間が与えられるだけ、まだマシか。
「ラッツ、大丈夫……?」
ベティーナが屈み込んで、俺の傷を見ていた。確かに見た目は痛々しいが、実際はそんなに痛くも……いや、流石にただの強がりだ。痛い。かなり痛い。
「本当に、魔法を使ったらいけないの?」
「分からない。……でもあいつ、多分今は反撃専門だ」
「反撃専門?」
魔物情報には疎いベティーナが、疑問の声を投げ掛けた。……確かに、四十階で心を折るにしちゃ、充分過ぎる魔物だ。おそらく、体力と防御力もかなりのものだろう。
俺は立ち上がり、埃を払った。これだけの攻撃力を持つ相手となると、手段は限られる――――限られるどころか、無いかもしれない。
さて、どうするべきかな。
「こっちが攻撃すると、合わせて反撃してくる。こういうタイプの魔物ってのは、大抵その先に貴重なアイテムがあったり、ダンジョンの進路を阻んでいたり……まあ、そういう場合に護っているんだ。だから多分、こっちから攻撃しなければ反撃してくる事はない」
「じゃあ、今は安全なのね……」
ベティーナがほっと、胸を撫で下ろした。同時に、俺の右手を心配し始める。……残念だが、全く安心できる状況じゃない。入口の扉は既に閉まった、俺達はここから出られない。思い出し草も使えない。……だから、問題なんだ。
このまま何もしなければ、いつかは餓死して終わりだ。最も、そんな事をするつもりは無いが。
魔力反応に対して反撃があるかどうか、ということを確認したい。それがあるかどうかで、今後のプランも決まる。
電気を受けると、防御力が下がると言っていたな。そもそもまだ攻撃すら出来ていないので、どうなるか分からないが……それに、賭けてみるしかないのだろうか。
「少年よ、<イエローボルト>だ。それしかないだろう」
クールが俺の横で、そう言った。
「……可能なのか?」
「おそらくは。この魔物は、空に浮かぶ島に生息しているダンジョンマスターだ。飛ぶ魔物にしろ、護る魔物にしろ、あの手の魔物は電気に弱い。対策も講じていないことが多い」
……本当か? それは分からないが。……しかし、このまま立っていたってどうしようもない。いつかは賭けなければいけないのなら、それは早い方が良い。
「ちょ、ちょっと!! どうするつもりよ!!」
ベティーナが止めるが、俺は恐る恐る近付いた。攻撃されていても生きていられる場所がいい。俺は再び、右手に魔力を。どうせ既に攻撃されている部分だ、こうなったらとことんやってやる。
魔力を放出させたが、特に反撃して来る様子はない。……だとすると、魔法公式の完成か、それとも詠唱か。俺の魔力が足りないから、反撃する必要もない、という事はあるかもしれないが。
「<イエローボルト>ッ……!!」
瞬間、再びアイアンキングから棘が伸びた。今度は分かっていたため、手を引っ込めながら発動させていた。僅かに掠ってしまったが、魔法は成立した。
そうして、雷の魔法をアイアンキング目掛けて放った。
バチン、と大きな音がした。俺の<イエローボルト>程度じゃ、大したダメージにならない事は確実だが――……俺はすぐに飛び退いて、アイアンキングの動きを確認――――――――
瞬間、アイアンキングの身体から、水蒸気のようなものが放出された。
「おわっ!!」
思わず、その場に転がる。ベティーナも走って寄ってきた。……何だ? アイアンキングの胴体下から、何か二本の太い……あれは、『足』か?
「コウゲキハンノウアリ。コード・B、ヲ、カイシシマス」
初めて、その無骨な巨兵が喋った。俺はすぐに立ち上がり、リュックから再び鈍器を取り出して構えた。間違いなく、アイアンキングの行動パターンが変わった。今なら、攻撃することも可能かもしれない。クールの知識が役に立った、というところだろうか。
動きは遅く、緩やかではあった。だが一歩動く度に地面が揺れ、危うくバランスを崩しそうになる。俺は左手に魔力を展開し、自身の右手に添えた。
「<ヒール>」
最大出力だ。<ヒール>は魔力放出量で回復量も変わるから、すぐにカモーテルを飲んで魔力を回復させる。右手の傷がようやく塞がり、俺はしっかりと安定させるよう、鈍器を握る。
やっぱり、反撃はない。注意して仕掛けても、一人が致命傷になる魔物か。……厄介だな。
少し、血を流し過ぎた。まだクラクラとするが――――そんな事を言っている状況じゃない。
「な、何……? どうなったの?」
「おそらく、『攻撃モード』かなんかに入ったんだろうよ」
扉を護る魔物にも幾つかの種類があって、特定の攻撃を喰らわせる事で危険を察知し、暴れ出す魔物がいる。『アイアンキング』はどうやらそうだった、ということだろう。パターンさえ変わってしまえば、少なくとも今後、俺の攻撃に合わせて反撃される心配はないと見ていい。
今、奴は標的を捕らえて攻撃する、それだけに集中している筈だからだ。
「避けるぞ、ベティーナ!!」
アイアンキングが腕を構えた。とても届くような距離ではないが、これは攻撃のモーションだ。咄嗟に察知し、俺とベティーナはそれぞれ別れる方向へと跳んだ。
案の定、大きな鉄の拳は俺とベティーナの居た場所へ、恐るべき速度と重さで突っ込んだ。何かチェーンのようなものが伸びている。……これも、ゴールバードの鎧と通じる部分があった。
追撃としてだろう、胴体から棘が伸び、俺を襲う。こっちの攻撃に合わせられたら避ける事は困難だが、こっちがフリーなら話は別だ。鈍器を棘攻撃にあてがい、受け流すようにして俺はアイアンキングへと走った。
「返すぞこの野郎が!! <インパクトスイング>!!」
チークのものには遠く及ばないが、これでも俺の最強の攻撃だ。ベティーナに狙いを定めたその後頭部へ、全力の一撃を叩き込んだ。
衝撃の瞬間。アイアンキングの体表がへこみ、バチン、と電気が走る。……なるほど。さっきの<イエローボルト>も、確かに効いているらしい。アイアンキングは俺に振り返り、僅かに振動しながら言葉を発した。
「ガガガッ……ガガガン……<ガンライト>」
咄嗟に、その名前から銃弾のような攻撃が来ると予想した。俺は身体を全力で反らせることで、アイアンキングの中央に配置されている、赤い宝石の視界に入らないようにした。
レベルは明らかに下がっているが、あのゴールバードの鎧と、また攻撃手段が被るような、そんな気がしたのだ。……奴の腕が、伸びたからかもしれない。
攻撃は一瞬。そして、鋭い。
アイアンキングの赤い宝石から放たれた光が、俺の上半身があった場所を貫いた。やはり、同じだ――これは攻撃範囲を凝縮させ、代わりにダメージが高いタイプの魔法。マジックカイザーで言うところの、<ダイナマイトメテオ>に対抗する炎の大魔法<フレイムプロミネンス>のような魔法攻撃だ。
ベティーナから離れたのは失敗だった。俺は反らせた上体を起こしながら、両手に魔力を展開。鈍器でダメージが入る事はもう分かった、次は長剣だ。
「<ホワイトニング>!! <キャットウォーク>!!」
攻撃魔法を使う必要はない。それはベティーナに一任してしまっていいのだ。リュックから長剣を取り出し、アイアンキングの胴に向けて一閃を放つ。
「<ソニックブレイド>!!」
確かな衝撃があり、アイアンキングのボディに傷が付く。……やっぱり、攻撃モードの時はきちんとしたダメージが入るようだ。狙いはアイアンキングではなく、その先に居るベティーナ。瞬足を利用して生身の状態で放置されているベティーナに近寄り、俺は盾になるようにベティーナの前へと立った。
「ベティーナ、詠唱だ!! 今ならいける!!」
「わ、分かった!!」
桃色のオーラが立ち昇り、ベティーナが大魔法の準備を開始する。棘攻撃にも、伸びる腕攻撃にも対応できるもの。と言えば、やっぱりこれだろう。
俺はリュックから盾を取り出し、構えた。これを使うのは、『エンドレスウォール』以来だ。防御に回るのは数ある戦闘スタイルの中でも最も苦手とするものだが、今は俺以外にベティーナを護れる奴がいない。
「<堅牢の構え>」
一発でいい。一発ガードさえ出来れば、ベティーナが渾身の一撃を放ってくれる。アイアンキングは回収した腕を振り被り、また俺に向かって腕を構えた。
歯を食い縛る。……頼む、一発でいい。保ってくれ、俺の身体!!
「おおおおおお――――――――!!」
ガツンという、鉄と鉄がぶつかり合う音が聞こえる。
とてつもなく重い衝撃に、顔を顰めた。俺とベティーナの距離は僅かに離れているとはいえ、後ろのベティーナに当たってしまったら、大魔法の詠唱完了前に途切れてしまう。
盾を前に、<堅牢の構え>の魔力を最大出力に。盾は押され、両手では支え切れなくなる。腕の代わりに肩を使い、盾を後ろから支えた。
負けるものか。……両足が衝撃に負け、ざりざりと異音を放ちながら地面を滑る。
「炎帝の賢人の理に従い捌きの光を今一度召喚せん太陽神イフリートの下に因果を滅ぼさんとする全ての悪鬼に闇以上の地獄を与えよ――――<フレイムプロミネンス>!!」
――――おお。
まさか、対抗してくるとは思わなんだ。
俺はベティーナの魔法がアイアンキングに当たるよう、身を屈めた。鋭い紅の光線がアイアンキング目掛けて放たれ、その場に伏せる。
凄まじい轟音が辺りに鳴り響いた。
確かに、この室内で敵が一体なら、<ダイナマイトメテオ>よりも<レッドプロミネンス>の方が直接的な火力は高くなる。攻撃範囲が狭いから、詠唱魔法の割に避けられる事が多く、通常の線闘ではあまり使い道がない技だが――――この鈍間なら、確かに当たるだろう。考えたな、ベティーナ。
「やった!! これで、四十階もクリアね!!」
ベティーナがそのように呟いて、ガッツポーズをした時だった。
一瞬だった。ベティーナの足下に、消えた筈の魔法陣が再度浮かび上がった――――ベティーナのものでは、無かった。その魔法陣は真っ赤に染まっていて、まるで血で描かれたような気味の悪いものだった。
煙が晴れ、俺は見た。アイアンキングは既にボロボロになっていたが、その右腕をベティーナに向けていた。僅かに赤い宝石が光り、次の瞬間。
ベティーナを、白い光が包み込んだ。
「きゃあああああっ――――!?」
「ベティーナ!!」
なんだ!? 何が起こった……!?
「キンキュウヒナンケイホウ。キンキュウヒナンケイホウ。タダチニスベテノセッションヲトジ、システムヲサイキドウシテクダサ」
アイアンキングが、爆発した。同時にベティーナは白い光から解放され、その場に倒れ込んだ。
爆風の中、俺は盾を捨て、倒れているベティーナに覆い被さった。何かをされた事は明白だった。ダンジョンマスターの中には、消滅の間際に攻撃した者へ、最後の一撃を放ってからやられる奴がいる。おそらく、アイアンキングもその一種だったのだろう。
消滅の瞬間は魔力を展開する時間がないため、多くの場合、即死には至らないものだ。ベティーナは無事である可能性が高い。体力を瀕死状態にまで追いやり動けなくさせる攻撃や、魔力を吸収してから消滅するものなど、その種類は様々だが――……
ここで、『戦力を削ってくる』ことを第一の行動目標とする魔物が出て来るとは。
平気だと分かっていても、不安になる。
ベティーナが、薄っすらと目を開いた。




