F87 奇妙な予定外
<トーチャールーム>の効果は、特定の武器だけを利用可能にする空間、という所だろう。故に攻撃魔法は一切を禁じられ、付与魔法だけは利用を許可される。
それなら、簡単な話だ。見た所、この魔法陣はマスクドピエロの魔力を使って発動されている。……まあ、俺のように大地の魔力を利用でもしなければ、普通はそうなんだが――――ということは、このフィールド魔法も制限時間付き、ってことだ。相手に制限を与える魔法なんて、そう長くは発動していられないだろう。
だから、三分なんだ。
マスクドピエロが使って来るのは投げナイフ。なら、近接戦闘での防御手段はない。俺は短剣を構えると、猛然とマスクドピエロに向かって突進した。
「むう…………!!」
マスクドピエロは当然姿を消すが、その隙に俺は奴の投げナイフを拾っていく。俺の目の前に現れればその場でジ・エンド。だとするなら別の場所に逃げる他ない。
新たに投げナイフを投げられたって構わないんだが――……さて、奴は何本持っているかな。魔力による精製ならこんなに具体的な形はしていない筈だし、魔力を使うなら使うで、魔力切れを待てばいい。
正直、投げナイフ攻撃如きでやられる俺ではない。
<キャットウォーク>によって跳ね上がった、俺のスピード。このままナイフを回収して行っても良いんだけど…………時間が惜しいな。さっさとケリを付けよう。
マスクドピエロの転移先に向かい、俺はダッシュした。この転移魔法にも妙な間があり、どこに出現するのかは大体予想が付く。
中級者パーティー……ね。武器に制限が掛かると戦えなくなるから、そういう弱点をある程度補っているパーティーじゃなければ勝てないってことか。
まあ、俺には関係ない。
出現したマスクドピエロに、もう俺は短剣を振るっている。厚手のマントを切り裂き、そのマスクに短剣を突き出した。
「<トーチャールーム>……『弓』!!」
そう来ると思っていたよ。
部屋の中心にぶら下がっていた男の姿が消え、今度は鳥籠にぶら下がっているクールの後ろ辺りに、十字に張り付けられている男の姿が現れた。何本もの矢が身体に刺さっている。
趣味の悪い幻覚だ。
俺の短剣は突如として重くなり、その場に固まった。特定の武器以外は位置の移動を認められない、って所か。段々と、この魔法陣の特性が理解出来てくる。
俺はすぐに短剣を手放し、リュックから弓を取り出して構えた。マスクドピエロは再び壇上に出現し、マントの中から無数の矢を出現させた。
拡散された矢の攻撃に対し、俺は予め決めておいた魔法を展開する。
「さあ、短剣使いの小僧に、この攻撃をどうやって防ぐ――――!?」
残念ながら、短剣使いではないもんでね。
笑みを浮かべて、俺は宣言した。
「<計画表現>」
矢の軌道の先に合わせて、<反射>の魔法陣を展開。初めて、こいつを敵の攻撃に合わせて使う事となった。
俺が繰り出す以外の攻撃を弾くとなると、かなり質量に制限が掛かる。俺の魔力反応に最適なように、魔法公式が考えられているから――――だがまあ、矢の攻撃くらいなら跳ね返せない事はない。
水平にばらまかれた矢は反転し、繰り出した本人へと戻って行く。俺は弓を構え、そいつに一本上乗せした。
「<レッド・アロー>」
投げナイフは俺の背中に落ちている一本を残して、他のものは全て回収した。これまでのマスクドピエロのモーションは見てきた、こいつはワープ以外にまともな移動手段を持たないダンジョンマスターだと見て良いだろう。
だとするなら、これでチェックメイトだ。
俺は自身の背中に隠れるように、<反転>の魔法陣を発動させた。
「なん……だと……!?」
マスクドピエロは姿を消す。<反射>は兎も角、<反転>は発動のトリガーに俺の魔力を使わざるを得ないから、飛ばせる範囲が狭まるのが難点だな。
ならばということで、<反射>の魔法陣を矢の軌道に沿って勢い良く飛ばした。通り過ぎる頃に、俺の矢は反転して俺の所に戻って来る。
目の前にもう一つ、<反転>の魔法陣。
「……まあ中級者パーティーのダンジョンマスターなら、こんなもんか?」
言いながら、その場から飛び退いた。同時に、二つの魔法陣を発動させる。
マスクドピエロが俺の立っていた場所の後方に現れた。俺を攻撃しようとするが、目の前にあるのは俺が放った<レッド・アロー>だ。
言葉もなく、咄嗟に避けようとするマスクドピエロ。そのままなら、避ける事も可能だ。
俺は笑う。
だから、予め俺の背中にもうひとつ、<反転>の魔法陣を置いておいたのさ。
目の前に現れた<レッド・アロー>は魔法陣の反転と同時に消え、マスクドピエロの背後に設置した魔法陣から出現する。直前まで目の前からの攻撃だった<レッド・アロー>は、最速で後方から奇襲を掛ける攻撃へと変化する。
威力は控えめな炎の矢が、マスクドピエロの仮面の裏から表へと、貫かれた。
「グオオオオオオオ…………!!」
奇声を上げながら、マスクドピエロが悶えている。……なんだか、随分と弱かったように感じる。まあ、俺が成長したということはあるかもしれないが。アカデミーを出た時から、戦い方も随分と変わっているからなあ。
辺りに描かれていた魔法陣が消え、その場は再び暗闇の空間となった。発動させておいた<ライト>だけが俺の頭上に残り、僅かに辺りを明るく照らした――……俺はすぐにクールの方へと歩いて行き、壇上に上がって鳥籠を外そうとした。
「見事だ、少年よ!! そしてありがとう――――べふんっ」
だが、鳥籠はそこにはなかった。マスクドピエロの消滅と同時に、こいつの鳥籠も消えたのか。
クールはその濃い顔で涙を流しながら、俺の胸に飛び込んできた。……容赦なく、俺は平手で叩き落とした。
人懐っこいが、妙に頭に来る奴である。
「しどい!! 我輩、既の所で死ぬかもしれなかったのに!!」
「アホが!! もう少し慎重に行動しやがれ!!」
叩き落とされたクールが、生まれたての仔羊のような動きで身体を起こした。ベティーナとチークも駆け寄ってくる……クールは諦めたような顔で俺を見て、目を閉じて首を振った。
……心なしか、クールの周囲にスポットライトが見えた。気がした。
「どうせ、後ろの女子達のようには優しくしてくれんのだろう? 分かっているさ。少年はそういう奴だ……」
俺はクールの翼を左足で踏み付け、グリグリと踏み躙った。
「『猿にバナナ』レベルの罠に掛かった奴に、憎まれ口叩く権利があると思ってんのか? ああん!?」
「いだいっ、いだっ……ごめ……いだいっ!!」
クールの首根っこを捕まえると、既に戦意喪失して魂が抜けたような顔をしていた。自業自得だ。
真っ暗だった室内に、徐々に光が灯り始めた。マスクドピエロが相手だと分かった時には少しだけ緊張もしたが、こいつは敵ではなかった、という事だろうか。
「いやあー、すごいねラッツ。ここまで一人で殆ど倒しちゃってるよ。流石は首席様」
チークの言葉に悪意はなく、純粋に褒めているようだった。俺は苦笑して、首を振った。
「いや、大した事ないよ。結局使ってるのは誰でも覚えられる初心者スキルだし、どうにか戦えるように工夫してるってだけで」
そもそも、『なんたらスタイル』だってゴボウの教えてくれたスキルを元にして魔法公式をちょっといじっているだけで、俺のオリジナルではない。まあ、そんな事を言ったら世の中には無数の魔法があるので、今更オリジナルがどうだなどと言えないかもしれないが。
強いと言うほど、強い訳ではない。それは自分が一番よく分かっている。
ところが、チークは無垢な瞳を俺に向けて、小首を傾げた。
「それで戦えてるんだから、充分すごいんじゃない? そんな戦い方してる人、あたし見たことないもん。それはやっぱ、ラッツの才能なんだと思うなあ」
純粋にそう言われると、どうしても照れ臭くなってしまう。
「……まあ、すごいかどうかは置いておいてだな」
チークは、まだ俺がピンチになったり、危険な目に遭っている所を見ていないからな。まあ、そんなものだろうか。こいつの中では、未だに俺はアカデミーの中で誰よりも先頭を走り続けている、期待の新人なのかもしれない。
俺はチークの頭を撫でて、言った。
「とにかく、『首席様』ってのはもうやめてくれ。……頼むよ」
チークの純粋な態度は励まされもするが、結構痛いものもあるしな。
「ラッツ、ちょっと変わったねえ?」
そりゃ、死にかければ人間、変わるって。少しは慎重になったりもするものだ。
「ひっ!! ……ラッツ、ラッツ、ちょっと!!」
不意にベティーナに呼び掛けられ、俺は振り返った。ベティーナは既に俺の方に走って来ていて、怯えていた。……どうしたんだ? 妙に怯えて、そして慌てている。
「あ、あれ!! ちょっと、見てきてよ!!」
ベティーナが指さしている方向を見て俺も気付いた。その異様な光景に、思考が停止する。
「えっ」
チークも驚いているようで、真剣な表情でそれを見ていた。呟かれた言葉は、薄暗い部屋の中に響いた。
マスクドピエロが――――――――消えていない。
俺は駆け寄って、マスクドピエロの仮面を見た。……置き去りにされたのは、仮面とマントだけか? 血が出ている様子はない。俺が見た時は、確かにマスクドピエロの仮面の内側から外側目掛けて、矢は刺さった。
……ということは、消えたということか? 仮面とマントを残して?
いや、それは有り得ない。魔族がどうだかは知らないが、『ノーマインド』の魔物ってのは、消滅する時に服も何もかも消える、ものだ。代わりにドロップアイテムを残すのみで、他には何も残らない。
なら、どうしてこれは残っているのか。まだ生きている――――? いや。
俺は、マスクドピエロの仮面を拾い上げた。
「きゃっ!! ちょっと、よくそんなもの触れるわね!!」
「……いや、触らないと分からんだろ」
表と裏を確認する。……ただの、仮面だ。俺の放った<レッド・アロー>が刺さっている以外には、他に何がある様子もない。特にこれといった、魔力の変化も感じられない――……マントも持ち上げて確認するが、そこには確かに仮面とマントしかなかった。
転移魔法の光なんか、見えていたか……? いや、分からない。俺も戦っていたし、そこまで確認する余裕はなかった。仮面を矢が貫通する所までは見えていたけれど、実体に攻撃したのかという部分については未知数のままだ。
まるでやられたような声を出して消えていったが、あれが演技だったという可能性も、なくはない。
「……もしかしたら、どこかに転移されたのかもしれんな」
クールが仮面を見て、呟いた。やっぱり、そうだよなあ。戦っていたのが人間なのか、それとも魔族なのかは分からない。だが、ここに居た奴はこのフロアを乗っ取り、このフロアのダンジョンマスターとして活動していたということになる。
もしかしたら、弱かったのはそのせいなのだろうか。
「ねえ、もしかしてこれ……さっきの執事が仕掛けたのかな?」
ベティーナの問い掛けに、俺は首を振った。
「分からない。……から、上を目指すしかないよな、やっぱさ」
そうは言いながらも、俺は嫌な予感が拭えずにいた。気にしなければ気にならない、程度のものだ。俺だって、ベティーナが必要以上に怖がっていなければ、こんな所には気付かずにいたかもしれない。
そもそも、この塔には何かがある筈なんだ。俺を招き入れる必要があった、何か。ただの腕試しってことはないだろう。
俺はマスクドピエロの仮面とマントを置き、出口へと向かった。薄暗い室内の僅かな階段を上がり、壇上の奥にあった扉に手を掛ける。
そうして、扉を開いた。奥にはやっぱり、何もない。
ふと、何かの異変を感じて俺は振り返った。扉を開いた瞬間、部屋の中の空気が変わったような気がした。扉を開けた姿勢のまま硬直して、後ろに居るベティーナとチークを見る。
その、先も。
「……どうしたの?」
ベティーナが問い掛けた。薄暗い部屋の中。俺は先程まで自分が拾い上げていたものが無くなっている事に気付いた。
仮面と、マント。魔物が消滅した時のような反応はなかった。……ということは、どこかに転移されたということか。
不気味だ。普通のダンジョンマスターなら、自分の領域の外に転移する事なんて有り得ない。まして、フロア毎にダンジョンマスターが居るようなダンジョンなら尚更だ。
「……ここはチークの言う通り、お化け屋敷か何かなのかもな」
ぽつりと呟くと、ベティーナが俺の視線の先に気付いたのだろう、顔を青くして俺の腕を抱き締めた。
作為的に作られたダンジョン。何者かの工作が感じられる構成。『消滅』せずに『消失』した魔物。俺をこの塔に登らせたかった、フォックス・シードネス。
冒険者としての、腕試し。
……この奇妙な違和感、何かが引っ掛かる感じ。以前にも経験したような気がする。
そうだ。ちょうどシルバード・ラルフレッドが、俺のゴールデンクリスタルを奪った時のような。
今度は、先手を打ちたい。
考えられる事を、突き詰めていくんだ。そうすればきっと、本質が見い出せる……はずだ。




