F86 『マスクドピエロ』
十階から急に強くなり始めたダンジョンマスターに、少しだけ俺も手を煩わせるようになってきた。不思議な現象が起こったのは、部屋の壁の色が緑に変わった二十階の事だった。
黄金色の扉を開けても、何も居なかったのだ。当然真っ直ぐに通過して、俺達は部屋を出た。本来居るはずだったのは、『ビッグウォール』。エンドレスウォールの親戚で、かの山の神程ではないが、『ゴールデンクリスタル』をドロップするダンジョンマスターだ。確率は低いが…………
どうにも、あの金色に輝く美しい宝玉に魔導宝石としてではない、何か別の価値が見出されようとしているらしいというのは、シルバードとゴールバードが『ゴールデンクリスタル』を求めていた事から、それとなく理解していた。だとするならば、このダンジョンマスターは既に他の誰か……或いは『ギルド・チャンピオンギャング』の一人に狩られてしまった後、ということだろうか。
気持ちが悪いが、そのまま通過するしかない。俺達は緑色の奇妙な部屋を歩き、赤い絨毯を踏み締めて次の扉の前に来た。
ベティーナが、不安に満ちた眼差しで額縁の先を見詰めた。
「『マスクドピエロ』……?」
対するチークは、陽気さに溢れる双眼でしっかりと扉の先を見詰め、巨大なハンマーで素振りをした。
「おおっ!? なんとも不気味な風貌、中身はイケメンと思わしき不吉なマントと仮面のオトコはダンジョンマスター『マスクドピエロ』!! あたしも実際に見るのは初めてだ、一緒に戦って吊り橋効果で恋とかしちゃうカモ!!」
「ハンマーを振り回すな。危ない」
「あふん」
チークの後頭部を殴り、俺はアカデミーの知識から『マスクドピエロ』に関する情報を思い返していた。……くそ、前のリュックがあれば、アカデミーの戦闘教本から該当のダンジョンマスターを調べれば済むのに……
「確かこいつって……普通に戦わないヤツよね?」
「そうだな。我輩の知っている限りでは、魔力空間に相手を閉じ込めて不利な戦いをさせるという、奇妙なダンジョンマスターだ」
クールの言う通り、こいつは屋敷系のダンジョンに住まうダンジョンマスターだ。音もなく現れ戦闘になるという、なんとも奇妙な魔物で、『中級者パーティーの壁』と称される程に重要な魔物である。
そのため、中級者パーティーに攻略されるダンジョンマスターとして、情報も多い。だが――――俺は、実は『マスクドピエロ』に関する情報を殆ど持っていない。
…………やばい。こんな、情報次第で難易度が激変するダンジョンマスター相手に。思わず、苦笑してしまった。
魔力空間で自身に有利なフィールドを作るタイプは、情報が命だ。フィールドを妨害する手段はあるか。無効化する手段はあるか。そうやって、相手の仕掛けてくるあらゆる魔力空間に対して策を練っておく、ものだ。
「因みにチーク、ベティーナ。『マスクドピエロ』と戦った経験は?」
俺が問い掛けると、チークが元気良く手を挙げて答えた。
「あたしはソロなので、パーティー有りきのダンジョンマスターは全く手付かずです!!」
うん。知ってた。思い切りの良い返事で、寧ろ清々しい。
ベティーナは杖を後ろ手に隠すと、もじもじと両足を擦り合わせた。程なくして、ぎろりと俺を睨み付けて言う。
「ある訳ないでしょ」
逆ギレかよ。
全く期待はしていないが、一応クールにも視線を向けてみた。
「吾輩は何の役にも立たない!!」
「戦力にならないならせめて情報要員としての役割を果たしやがれ!! どんな魔力空間なんだよ!!」
「いだだ……やめっ!! やめてっ!!」
クールのこめかみに拳骨を当てて、ぐりぐりと捻り込むように動かした。クールがダンディな顔を悲痛に歪めていた。
……仕方ない。何れにしても、このまま突っ込むしかない、って所だろう。やるしかないんだから、やるしかない。それでも、どうにかして勝つしか。
失敗は許されない。どんな相手だろうと、俺は勝利への方程式を導くしかないんだ。
指貫グローブを装着した右手。それを、固く握り締めた。
「よし。……行くか」
「大丈夫だよっ!! 殴れる相手ならなんとかなるって!!」
チークが楽しそうに、ハンマーを振り回した。だから、危ないって。
ベティーナは杖を握り締め、緊張に喉を鳴らした。
俺はゆっくりと、扉を開いた――――…………
……ん?
「なんか、真っ暗ですね? お化け屋敷か何かですかここは! うそ、そういうアレ!? 真夏のじっとりとした不快な夜、憧れのカレと一緒に楽しくオハカマイリっふんっ」
俺は黙って、チークの後頭部を殴った。
扉を閉めると、完全に暗闇になってしまいそうだ。だが、扉を開けて待っていてもダンジョンマスターは出現しないだろう――……完全に扉が閉まると、ベティーナが俺の腕に抱き付いた。
「ね、ねえ……本当に、中級ダンジョンのマスターなのよ……ね?」
俺はチークの後頭部を掴んだまま、その場に佇んでいた。――――知らず、心臓の鼓動が激しくなる。まさか、暗闇を扱うダンジョンマスターだったとは……冒険者にとって、光を奪うのは有効な方法だ。パーティー内に聖職者が居なければ<シャイン>を使う事が出来ないし、かといって明かりとして頼りない<ライト>では、戦闘においては不十分だ。
それでも、俺は頭上に魔法公式を展開。僅かな明かりでも無ければ、その戦闘すらままならない。
「<ライト>」
この程度では、全く状況が分からない。部屋が広いからか、ベティーナとチークの姿が分かるようになっただけで、部屋の壁すら確認出来ないのだ――……あれ? クールは……
瞬間、遠くでスポットライトのような明かりが出現した。
「ようこそ……ようこそ……ようこそ!」
シルクハットに仮面、厚手のマント……完全に人型だ。言葉も操るし、あまり魔物には見えないが……ダンジョンマスターなのだ。やはり、こいつも魔物なのだろう。
両手を伸ばすと、スポットライトの明かりが広がった。俺達の居る場所よりも位置が高い……ぼんやりと、奴の手前に階段が見える。マスクドピエロの横には、鳥籠に入った……クールが。
「ラッツ!! 頼む、吾輩を助けてくれ!! 油断した!! ……まさか、こんな所に好物の『メイシー』があるなんて思わなかったんだ!!」
…………本当に、とことん使えない奴だった。ダンディなのは顔だけかよ。『メイシー』って、『ノース・ホワイトドロップ』かなんかにある赤い果物だっけ。
マスクドピエロは含み笑いをするかのように肩を震わせて、マントの影に白い手袋を突っ込んだ。
いや、やっぱりこいつは魔物、だ。白い手袋は宙に浮かんでいて、おおよそ腕があるようには見えない……暗いからか? 本当は黒い服を着ていて、見えていないだけなのだろうか。
チークとベティーナは<ライト>すら使えない。従って、この状況では離れる事が命取りに成り兼ねない。
「……んー、ちょびっと不利カモ?」
珍しく、チークが真剣な表情で言った。……いやお前、いつから起きていたんだ。ナチュラルすぎてさっぱり分からなかった。
マスクドピエロは鋸を取り出し――……何故か、振動している。あれも魔力によるものだろうか。
「ショウタイムだ、諸君。君達に与えられた制限時間は三分。それまでに仲間を助けられなければ――――今夜の私の食料となるだろう」
なんとも、演出好きなダンジョンマスターだった。鋸に血を滲ませれば、怯むとでも思っているのだろうか。
ところで俺はさっきから、脇腹に腕を回されて、何者かにぴったりと密着されているという問題があった。……これじゃあ動けないだろうに。
「…………ベティーナ。怖くないから。演出だから」
「こっこここん怖がってなんかないわよ!! ここんな奴、わた私の大魔法で一瞬で消し炭にしてやるわ!!」
頼むから、両足を震わせながら言わないで欲しい。
マスクドピエロはマントから手袋を抜き、一枚のカードを場に向かって投げ付けた。瞬間、辺りの空間に大きな魔法陣が描かれ、青白い光を滲ませて魔法が発動される。
「ようこそおいでくださいました! <トーチャールーム>……今宵は『剣』!!」
瞬間、魔法陣の空間に光が灯った。……いや、光が灯ったと言うよりは、そこに『架空の空間が現れた』と表現するのが正しいだろうか。
薄暗い牢屋の中。幾つも剥き出しに転がった剣が見える。俺達とマスクドピエロの間には、樽に詰められた人間に無数の剣が刺さっている――……
「ひいいいい!!」
「落ち着けベティーナ魔力空間だ!! そういう演出だって!!」
先程までは無かったものが今、目の前に現れたのだ。勿論これは本物ではなく、マスクドピエロの作り出した魔力空間による演出である。
制限時間、三分か。さて、これがどんな空間なのかを把握しなければ。……それにしても、必死で俺に抱き付いているベティーナが邪魔だ。おっぱいは柔らかいが……
チークが目を覚まし、後頭部を擦りながら起き上がった。
「あれ……? おかしいなあ?」
小綺麗な眉を疑問に歪め、チークが唇を隠して呟いた。
マスクドピエロは両手の指の間にナイフを構え、俺達に向かって投げ付けた。咄嗟に俺はベティーナを抱えてナイフを避けるが――――チークが巨大なハンマーを床に置いたまま、両手で踏ん張っていた。
俺はチークに刺さりそうなナイフを掴み、勢いを殺した。……なんだ?
「どした、チーク?」
「いや、……なんか、持ち上がらないのですよ」
俺もチークのハンマーを掴んで、力を入れてみる。……なるほど、確かにビクともしない。地面に張り付いたまま、くっついているようにすら感じられる。
…………なるほど。<トーチャールーム>、ね。
「チーク、一度魔法解け。魔力が勿体無い」
「う、うん。……これは?」
「つまりこれは――――」
そういう魔法だ、と言う前に、俺はベティーナの手を離してマスクドピエロに向かっていた。『イースト・リンガデム』で買っておいて正解だったな。マスクドピエロから奪ったナイフと、リュックから何本かナイフを足して、両手に構える。……いつも俺が使っている短剣よりも、一回り小さいものだ。
そう、これは『ギルド・ローグクラウン』の人間が主に使う――――『投げナイフ』という奴である。
素早く投げナイフを三連射、マスクドピエロに向かって放った。マスクドピエロはマントを翻し、その場から姿を消す――――こいつは転移魔法だ。ということは、この魔法陣の中はあいつの領域ってことだな。
移動する場所が『魔力空間の中』って訳にはいかないだろう。こういうフィールドを作るタイプの魔法陣ってのは、一つの事しか出来ないのが常識だ。地面に描かれた魔法公式を速読なんか出来ないけれど、十中八九、奴は手前でマーキングした。
そう、転移魔法の終端となる魔法陣。……どれだ。どこかには書いてあるはず――――
俺は振り返り、チークとベティーナを……あれ? ベティーナがいない。
「チーク、離れろ!!」
「わっとっと!?」
床に落ちている投げナイフからチークが飛び退くモーションを合図に、俺は残りの投げナイフをその場所に向かって投げ付けた。拾った投げナイフに小さな魔法陣が描いてあった。こいつはそういう、トリッキーな手段を使う相手のようだ。
「大いなる大地より授かりしマナを懐に添え天馬の決断の如く其の身を持って決せよ恣意童心に還らぬ者を何人たりとも渦中に籠めて我離さんとする<ニードルロック>!!」
俺の背中から声がした。
だが、ベティーナの放った<ニードルロック>は発動しなかった。……俺の後ろに居たのか。ベティーナは俺の腕を掴むと、瞳いっぱいに涙を溜めて言った。
「きっ、きゅ、急に離れないでよ!! 心臓止まるかと思ったじゃない!!」
「…………すまん」
何がそんなに怖いんだろうか……
しかし、攻撃魔法無効空間か。使えるのは、奴が許可した武器だけ――……俺は試しに、全身に魔力を展開して魔法を発動させてみる。
「<ホワイトニング><キャットウォーク>」
俺の全身が淡く光り、付与魔法が発動する――――これは使える。ということは、禁止されているのは特定の攻撃手段だけだな。
なら、何も問題はない。俺は僅かに笑みを浮かべた。
ベティーナが面倒なので、チークに向かって背中を押した。何しろ、制限時間三分を超えれば、こいつはクールを襲うと言う。……別に襲って貰っても何も構わないのだが、まあ一応助ける前提で行こう。
どこから来るのかも分からない攻撃を、感覚だけを頼りに避ける。魔法陣の隅に瞬間的に現れ、ナイフを投げているのだ――……ナイフの落ちた場所全てが、奴の転移場所。なら、無駄に追い掛ける必要はない。
「ラッツ!! がんばれ、ラッツ!!」
「オッサンフクロウの声援なんざいらねえんだよ!! 気が散るだけだから黙ってろ役立たずが!!」
クールがショックを受けて項垂れていたが、これくらいの罵倒は許されるだろう。抜け抜けと捕まりやがって。
「……フフフ、骨がありそうな小僧だ」
俺は現れたマスクドピエロに笑みを浮かべる。この程度で骨がある、などと言って貰っちゃ困る。そう思いながら、俺はリュックから二本の短剣を取り出した。
武器制限が掛かれば戦えなくなると思っているのなら、それは大きな間違いってやつだ。グローブの位置を確かめ、俺は言った。
「骨がある、で済ませて良いのか? ……どうやらこいつは、俺の専門分野のようだぜ」




