E79 リンガデムの大地に奇跡を
腰を掴まれたレオは、そのまま引き寄せられた。俺はベティーナを降ろし、化物に向かって走った――――が、間に合わない。
いい加減、左肩の様子もおかしくなってきた。それでも、歯を食い縛って両足に魔力を込める。
だがベティーナの放った<シャイニングハンマー>は、もう取り消す事は出来なかった。トリガーを引いてしまった魔法は公式の通りに動作を開始し、化物の頭上に炸裂する
レオは光に呑まれ、化物と共に発光した。
「レオ――――――――!!」
光に、目が眩んだ。雷属性の大魔法が、化物とレオ・ホーンドルフに向かって炸裂した。駆け寄っていた俺は思わず爆風に立ち止まり、目を閉じてその場に蹲った。
――――やばい!!
それでも全く怯む様子はなく、爆風の中から光線が発射される。避けるように全力で横っ飛び、草原を転がった。狙われたのは、俺……
だけじゃ、ない。振り返って、俺は叫んだ。
「ベティーナ!!」
やられたのか!? 唯一の、パーティー内の超火力。背筋が凍るような思いで、光の向こう側を見た。
ベティーナは――――いた。
どうやら、左腕を掠っただけらしい。腕を押さえ、その場に膝をついた。……だが、杖が消し飛んだらしい。持ち手の部分だけが残り、ただの棒切れになったそれをベティーナは握ったまま、力無く膝をつき、もう涙も出ない様子だった。
がくがくと膝を震わせ、俺を見ると、空虚な笑みを浮かべた。
「ごめ…………私、杖…………」
いい。生きていただけ、いい。俺は涙を堪えて、首を振った。
「そこにいろ!!」
ベティーナの放った、<ダイナマイトメテオ>と<シャイニングハンマー>。どちらも、どんな魔物だって立ってはいられなくなるほどの大魔法、の筈だ。煙の中、化物はレオを右腕に掴み、構えていた。
あれだけの攻撃を喰らって、まるでダメージを受けている様子はない。……そもそも、こいつは何だ。生き物なのか。それとも他の、何かなのか。
化物のあの体勢は――……さっきシルバードを喰った時に見せたものだ。――――レオも、喰われる。
どうする。
このままじゃ、全滅しちまう。
隠れ家に居るフルリュとキュートは、ここに駆け付けては来ないだろう。<凶暴表現>か? ……もう、それしかないのか?
一度助かったからといって、次も助かる見込みなんてない。そんな自殺同然の技を、ここで使うしかないのか?
どうする。
俺は<限定表現>をフルに使い、魔力を爆発的に放出した。
「<飛弾脚>!!」
化物の右腕目掛けて、高速の一撃を放つ。
俺はそのまま、化物の真横を通り過ぎる。蹴り飛ばす一瞬だけ、閉じる瞬間の、化物の口の中が見えた――――
口を閉じると、眼がこちらを向いた。その瞬間に、俺は気付いた。
――――――――まさか。
右腕が弾かれたことでレオは転がった。ポチが飛び寄ってきて、レオを回収した。
前衛職だけあって呼吸はあるようだったが、既にレオは意識を失っている――……勝てないと判断したのだろう。ポチはずっと、上空で俺達の様子を見ているようだった。……賢い選択だ。守れる保証はない。
だが。俺がやられてしまえば、間もなく化物はポチとレオを潰しに掛かるだろう。今すぐ逃げてくれればいいが――――それは、出来ないだろうな。俺達の戦いの様子を、ポチは見守っていた。
レオの友人だということは、分かっているのだろう。
「ギャアア!!」
ポチ目掛けて、光線が発射された。上空に居るポチは、どうにかそれを避ける――――すぐに追い掛ける必要はないと判断したのか、化物は目の前に居る俺を標的にしたようだ。ゆっくりと赤い宝石が、俺を見据える。俺は地面を転がると飛び跳ねるように起き上がり、化物の光線を避けようとした。
溜めのモーションはなく、攻撃は高速で一瞬。そんな反則級の技に、どうにか抗おうと試みる。
光を避け切れず、右脚を掠った。だが、どうにか俺は、化物の左側へと辿り着く事に成功した。
当然、左腕は俺を捕まえようと伸びる。
――――本当か?
確証はない。……でも、やるしかない。
「<飛弾脚>!!」
背後に向かって、地面を蹴る。爆発的な速度で、俺は後方へと向かって飛んで行く。
魔法公式を、組み直す。最速だ。たった一つの遅れも許されない。伸びた左腕が、今にも俺を捕まえようと加速する。
俺に掛けられている『表現』の魔法を、切り替える。
「<計画表現>!!」
後方へと飛ぶ間に、俺はいくつもの魔法陣を宙に描いていった。リュックから弓を取り出し、矢を構える。自分の仮定が本当かどうかも分からず、怯えながらも、俺は様子を伺った。
伸び切った左腕。もう、伸びる事はない――……
化物は左腕を引き戻し、爆発的な速度で右腕を俺に向かって伸ばした。
そうして、俺は決意を固めた。
賭ける価値が、ある。
「<イエロー・アロー>!!」
その昔、人間は魔力の無い世界で生きていた。代わりに電力を使い、人はやがて自分と似たような動きをする無機物を追い掛け、『心ある機械』を作るようになったという。
別に、テイガ・バーンズキッドの与太話を信じた、という訳ではない。
だが、咄嗟にそんなワードが頭に浮かんだからか、俺が放ったのは<イエロー・アロー>だった。
目には、目を。
右腕が俺の胸から腰を捕まえ、後方へ下がる勢いを殺した。
心臓が止まるような恐怖の中、俺は必死で頭を回転させ、考えていた。この化物が取った、奇妙な行動。それらはまるでパズルのピースのように埋まっていき、奴が『完全』ではないことを示していた。
まず、一つ目。ササナの使った<トリック・オア・マジック>。同一の方向に反射した攻撃を、この化物は『避けようとした』のだ。
どう考えても、それは変だ。<ダイナマイトメテオ>や<シャイニングハンマー>でも、傷一つ付かないボディだ。避ける必要はない。実際こいつは煙の中だろうが、爆発の中だろうが、構わず俺達に攻撃してきた。
確かにこいつの光線は恐ろしい威力だが、ベティーナの大魔法だって、遜色はないように思えたのだ。
それは俺の中で、ある仮定を生んだ。
『攻撃の威力ではなく、あの角度で攻撃されたことが良くなかったのではないか』ということだ。
そして、二つ目。シルバードを捕まえた時も、レオを捕まえた時も、この化物は『右腕で捕まえていた』ということだ。そして、俺が左側から後方に逃げた時、この化物は左腕を一度引っ込め、右腕を出してきた。
それはつまり、『伸ばせる距離が左右で違う』ってことだ。
「いやああああ!! ラッツ――――!!」
ベティーナの叫びが聞こえた。俺の放った<イエロー・アロー>は、草原の上を<反射>の魔法陣を使い、反射して俺と化物へと向かう。
伸ばせる距離が左右で違うってことは、このボールのような姿でも、中身は臓器か何かが偏って配置されている、ってことだ。伸びてる訳じゃ無いだろうし、自分の腕を収納する場所はあるに決まっている。あると思うしかなかった。
俺の目の前に、化物の顔が現れた。恐怖に震えるが、俺は決して目を閉じる事なく、化物を睨み付けた。
その、口が、開く。
<イエロー・アロー>が、<反射>ではない魔法陣に接触した瞬間だった。
「答えろロイス――――!! 俺が、ラッツ・リチャードが、帰って来たぞ――――――――!!」
俺は叫び、そして発動した。
左手の先に発生させた、魔法陣。<反射>とは違う、始端と終端のある魔法公式。
俺の<計画表現>の、もう一つの隠し技。
三つ目。レオが捕まり、俺がその右腕を蹴り飛ばした時、はっきりとその口の中が見えたのだ。いくつもの恐ろしい歯の向こう側に居る、小さな存在。
――――――――ロイス・クレイユ。
確信があった。ロイスが死ねば、こいつも死ぬのだと。ロイスの魔力は常時放たれていて、緑色のオーラが吸い込まれ続けていた。
だから、ササナの放った<トリック・オア・マジック>は、『避けられた』のだ。
赤い宝石を貫通して、後ろのロイスに当たるかもしれないからだろ?
答えろよ。
「目覚めろ!!」
だってお前は、小さなロイスの左端――――俺から見たら右側の下に、小さな『赤い』宝石を持っていて。
その宝石が、ロイスの魔力を吸収していたんだ。
つまりこいつ自身は、生物ではない。
生物の魔力を吸収して動く、何か鎧のようなもので…………そして、俺の、
敵だ。
「<反転>!!」
俺の左手の先に描かれた魔法陣が、空中で縦にくるりと百八十度、回転した。始まりの意味を持つ魔法公式と、終わりの意味を持つ魔法公式。表裏に描かれたそれらが反転し。
始まりは終わりへ。
終わりは始まりへ、導かれる。
接触した<イエロー・アロー>は<反転>の魔法陣と共に位置を変え、俺の左手の先に現れた。正確な軌道に沿って走るそれは、ロイスの右下、真っ赤な宝石を目指した。
俺は化物に、喰われる。視界が一瞬にして、黒く染まった。
固く、目を閉じた。
――――――――刺され!!
暗闇の中、俺は神に祈るかのような気持ちでいた。自分の仮定が正しいのかどうか、それさえ確信もなく、だが冷静に考え、分析し、最善の判断を下した、筈だった。
攻撃力は足りているのか。遠距離で放つ基礎攻撃魔法では、飛距離も命中率も足りなかった。かといって、初心者の俺が放つ矢の攻撃力など、たかが知れている。
だが、<イーグルアイ>を使わずとも標的に当てる事が出来る、俺の唯一の攻撃だった。
考え抜いた分析に、落ち度はないか。ロイス・クレイユを助ける方法として、無理はないか。
そんなことは、やってみなければ分からない事だったけれど――――…………
化物の動きが、止まった。
初めに聞こえたのは、小さな音。テーブルの上のグラスが落ちて割れた時のように、派手で鮮やかな――――そして、儚げな音だった。パキン、と鳴る頃には、俺は双眸を開いていた。
まだ息をしている、ロイス・クレイユ。化物の目から一筋の光が漏れているのか、目を閉じたロイスが暗闇の向こう側に見えた。
静かに、胸を上下させている。
俺は化物の口内を這いつくばり、絶望の縁に見えた希望に両手を伸ばした。その小さな身体を、手中に収める。
――――――――ああ、分かってる。
今度は二度と、あんな終わり方なんてさせるものか。
「砕けろっ……!!」
小さく、そう呟いた。
化物の動力源と思われる、赤い宝石。小さなそれは破裂した。その瞬間に奇怪な音が発生し、化物はがたがたと震え出した。…………複雑な魔法公式が動いているのを、感じる。これも、魔法の一種だったのか。
俺は辺りを見回した。その殆どは暗闇で、魔法公式の内容を確認することはできない。見えたとしても、読めたかどうかは怪しい。
だが、俺はその動きに、何故か人工的なものを感じていた。
そう――――『ノーマインド』の魔物が、消滅する瞬間のような。
「オオオオオオオオオ――――――――…………」
化物の雄叫びが聞こえる。それは、或いはこの化物にとっての、今際の際のようなものだったのだろうか。振動に恐怖を感じ、俺はロイスを抱えたまま身を硬直させていたが。
魔力は解放される。あるべきものが、あるべき場所へ。何かに吸い込まれるかのように化物は砕け、
そして、光の屑となって消滅した。
急激に光が溢れ、俺は目を眩ませた。元通りの草原と、どこまでも広がる青空が俺を待っていた。
いや、それだけじゃ、ない。
見れば、草原の中心に配置されていた『ゴールデンクリスタル』は輝きを失っていた。これも、ロイスの魔力から供給されていたのだろうか。元通りの宝石へと戻ると、『ゴールデンクリスタル』を中心として配置されていた緑色の線が破裂した。
魔方陣が、かき消される。
「ラッツ!!」
ベティーナが、俺の下へと駆け寄って来た。その時に、辺りの変化に気付く。…………そうか、緑色の線が破裂したことによって、転移系の魔方陣も同時に消えたんだ。
まるでそれは、ひとつの音楽のように。俺とロイスを中心として、辺りの町並みが戻っていく。
「俺は大丈夫だ。……ササナを回収してやってくれるか?」
「わ、分かったわ!!」
完全に街が出現する前に、ササナを拾ってやらなければ。まるで今まで透明になっていた、とでも言うかのように、街はこの場所にフェードインして戻って来た。辺りの様子を眺めながら、俺はその変化に気付いた。
――――既に、やられた後だったのか。
俺達が落ち合う予定だった筈の『リンガデム・シティ』は、既にあちこちが破壊されていた。溜め込まれていた魔力は解放され、元の場所に戻っていく。…………しかし、化物にやられてしまった人間は、もう復活することはないだろう。
ただ、根本的な動力源となっていたであろうロイス・クレイユを除いては。
ササナを背負い、ベティーナが駆け寄って来た。上空で様子を見守っていたポチも、レオを背中に乗せて俺達の下に降りてくる。
人は居ない。まるで廃墟だ。俺はリンガデム・シティに行った事がないので分からないが、きっと元は美しかったのだろう。
しかし俺は、既に全ての気力を失ってしまい、ただ放心するばかりだった。
「幻想的ね。ダンジョンが生まれる時みたい…………」
ベティーナはぽつりと、そう呟いた。
「見た事あるのか、ダンジョンが生まれる瞬間?」
「うん。スラムに居た時に。調査の仕事をしたことがあるのよ。私は偉い人の言う事を聞いて、どうにか生き延びようとしていたから」
もしかしたら、この戦いでベティーナ・ルーズの何かが、変わったのかもしれない。ベティーナはぽつりと、呟いた。
「……媚びる以外に生きる道があるなんて、知らなかったわ」
もう、動く気力もない。…………だが、終わったんだ。
――――この戦いは、俺達の勝ちだ。




