E77 『ロイス・クレイユ』
遠くから、レオ達が駆け寄ってくる。放心した俺は、その場に佇んでいた。
草原には、穏やかな風が吹いていた。相変わらず、その敷地内は異様な雰囲気だったが。それでも、ようやくこの奇怪な魔法陣の正体について、手を付ける事ができる。
ササナが俺の左肩を見て、悲痛な表情になった。膝に手をついて屈み、俺の傷口に顔を近付ける。
「ラッツ……大丈夫……?」
「心配すんな。掠っただけだ」
本当はモロに左肩へ弾丸を喰らって、しかもそれは爆発したんだが。……あれは、確実に心臓を狙っていた。どうにかして軌道を逸らさなければ、やられていたのは俺だった。
もしも俺が、『シルバード・ラルフレッドは剣士である』という固定概念を捨てられないでいたら。
……正直、ぞっとする。危ない、戦いだった。
「銃、なのか」
「ああ。こいつは剣士なんかじゃない。……『ギルド・ソードマスター』を乗っ取りに来た、『チャンピオンギャング』の一員だ」
レオは何をするでもなく、シルバードを見ていた。きっと今、レオの中では色々な感情が動いているのだろう。……何と言っても、元・上司だからな。
それにしても、ゴーグルが欲しい。砂埃で見えなくなる戦闘はもうごめんだ。
「ちょ、ちょっと。……あんた、シルバードさんになんてことを……」
ベティーナが顔を青くして、がたがたと震えていた。……何だ? シルバードの事を、そんなに気に掛けていたのだろうか。と思っていると、ベティーナは俺の手を引いた。……座って休むくらいさせて欲しい。
「い、今すぐここから離れるわよ!! こんな所で死ぬなんて、冗談じゃないわ!!」
「何言ってんだよ。……今、問題の奴は倒しただろ」
ベティーナは叫ぶように言っていた。すごい剣幕だ……少し、目尻に涙まで滲んでいる。ベティーナが言っている事の意味が分からず、俺もレオも、ササナも途方に暮れていた――……
――――その時だった。
奇妙な音がした。超音波か、それとも金属の擦れ合う音なのか、とにかく不快な、聞いていると頭がおかしくなりそうな音だ。俺達は全員、その場に何が起こっているのかを確認しようと、辺りを見回した。
変化は、すぐ近くで起こった。
俺達の居る横の地面、民家一つ分程度の領域が光り始めたのだ。
円形で、白い光を放っている……これは、なんだ? 魔法公式の種類からすれば、転移系のような気はするけど……
転移系?
「くっ……くはははは……終わりだ……お前達は……もう……」
黒焦げになったシルバードが、不快な笑みを浮かべた。レオが眉根を寄せて剣を握り、ササナはターバンを外して人魚の姿になり、ベティーナは全身を隠すためか、ポチの影に隠れた。
俺は立ち上がり、その光の様子を見た。リュックの重みが左肩に響くが、文句を言っている場合じゃない。
何か、良くない事が起ころうとしている。それくらい、俺にだって分かる。
「愚かなり…………弱者よ」
初めに聞こえたのは、声。野太い男の声だ。獰猛な野獣のようで、しかし冷静さを失わない。そう、一番相手にするとまずいタイプの。
王者の風格、とでも言うべきか。やがて光の中にもう一つ、形を伴う光が現れる。それは球体状のものだった。どこかで見たことがある形だ。
初めに思った通りだ。こんな規模のものは見たことがないが、『転移』の魔法公式を使って移動してくる。……どこからだ? それは分からない。
…………ああ、そうだ。これは、スカイガーデン跡地でも見た。
光が治まると共に、銀色の艶のある体表が現れた。縦に線が入っていて、中央には宝石のように真っ赤な――――しかし、その大きさはとてつもない。民家一つ分程の巨大な球体に、俺のリュックと同じくらいのサイズはある、大きな赤い宝石がはめられていた。
その巨体を見上げる。物体は動いている。
何と表現したら良いのか、その銀色のボール…………の上に、立っている人物が居た。年齢はどのくらいだろう、中年だが――……
オールバックにした、黒い髪。眉は凛々しく、屈強な身体だった。しかし、その風貌はお世辞にも性格が良いとは言えなさそうなものだった。
両手のほぼ全てに装備された、大小様々な指輪。紫色の、戦闘装束とも言い難い服。アレは何だっけ、富裕層の人間が着るやつで、……あー、思い出せない。
とにかく、男はそんな格好をしていた。黒焦げのシルバード・ラルフレッドを見ると、苦笑して肩を竦めてみせた。
「おお、シルバード。死んでしまうとは情けない」
…………どっかで聞いたような台詞だった。
「父上ェ……こいつを……こいつを、殺してください……」
涙ながらに、懇願するシルバード。父上……? ということは、こいつがシルバード・ラルフレッドの父親……!?
『ギルド・チャンピオンギャング』の親玉、ゴールバード・ラルフレッドか!?
ベティーナがどうして恐怖しているのか、俺にも分かった。この圧倒的な威圧感を放つ男は、シルバードの親であり、裏ギルドの元・ギルドリーダー。そいつがここに現れたとすれば、結果は一つしかない。
関わっている、ということだ。
この目の前にいる元ギルドリーダーが、『消えたリンガデム』の謎に。
「私は悲しいぞ、息子よ。折角お前を『ギルド・ソードマスター』のギルドリーダーにしてやり、望むものは何でも与え、成功するチャンスをやったというのに」
まるで悲しんでいる雰囲気ではなかった。……それどころか、嘲笑していた。明らかに。
これが、父親のする顔なのか。虫か何かを見るかのような目。そしてそれを、遊んでやろうという意思。そのようなものが、伝わってくる。
「それは……この、男が……邪魔を……」
シルバードの言い訳に、ゴールバードは目を閉じて、首を振った。
「お前には全て与えた。期待したのだ。時が満ちるその時までに、お前が大層な活躍をしてくれると」
銀色のでかいボール、その中心に嵌まっている宝石が、シルバードの方を向いた。なんだ……? 横の体表がスライドして開き、中からロープみたいな、銀色の何かが現れた。その先端には三つの突起が付いていて、何かを掴むような動作をした――……
……これ、腕、か? ボールから伸びた腕が、シルバードを掴んだ。シルバードは蒼白になり、驚愕の表情でゴールバードを見詰めている。
「父上? 何を考えて……」
「まあいい」
瞬間、巨大な物体の宝石がある、更に下辺りが割れるように開いた。その中は暗くてよく分からなかったが、無数の牙のようなものが微かに見えた。
一瞬だったのだ。その巨大な物体は、開いてすぐに閉じた。
目の前に居た、シルバードが消えた瞬間だった。
「あっ」
『口』、だ。間違いない。このボール、口と腕を持っている……ということは、先端の大きな宝石。あれは一つだが、『目』なのだろうか。本人の呟きが、一瞬にして口の中に吸い込まれた。
おい……なんだ、これ。……俺は今、一体何を見ているんだ。
誰もが、驚愕に目を見開いた。その場に固まり、身動きが取れなくなった。
「ぎゃああああッ――……」
聞こえたのは、シルバードの叫びだったのかどうか。途中でそれさえも、不自然に途切れた。ゴリゴリ、と何かをすり潰すような音が聞こえる。あの巨大な物体の中で、何かが――――おそらく、『顎』のようなものが、動いている。
……異様だ。人間が生身のまま、骨を砕かれている。あまりにも悍ましい音に、ベティーナが腰を抜かしてへたり込んだ。
ゴールバード・ラルフレッドは、笑顔のままで軽く首を振ると、初めて俺に目を向けた。
瞬間、全身の毛という毛が奮い立つ。俺は、目を見開いた。
――――恐怖しているのか。
この、男に。
「失礼。見苦しい所を見せてしまったね、ラッツ君。君のことは、トーマスからよく聞いているよ。私は『ゴールバード・ラルフレッド』。今死んだクズの父親であり、治安保護機関の――――現、トップだ」
俺は今、何を言われているのか。頭は回転せず、ただ垂れ流すように聞いていた。
冷たい。……テイガ・バーンズキッドとは明らかに違う、冷たい眼。人を殺す事について躊躇していない、とかじゃない。
人間を利用し、喰う為だけに存在しているかのような、狩りの眼だった。
「おや、この場所に相応しくない者が居るな」
「ひっ!!」
反応したのは、ベティーナだ。がたがたと震えて、最早立つこともままならないようだった。ゴールバード・ラルフレッドはベティーナを一瞥すると、唇を結んで、無表情に問い掛けた。
無表情になるのか。笑う事も、怒る事もしない。それが、ゴールバードに迫力を与えていた。
「ベティーナ・ルーズ。お前は今、セントラル大監獄でラッツ・リチャードを捕らえている筈だが――――こんな所で何をしている? 言え」
ベティーナは涙をぼろぼろと流し、失禁していた。ゴールバードから逃げるように、這いずって下がる……分かっているのだろう。自分が失敗したことに。
そして、こんな所で俺の手駒になっていることも。
歯をがちがちと震わせて、ベティーナはどうにか、反論しようとしていた。
「あっ、……あのっ、……わっ、たし、はっ」
だが、その発されかけた言葉は、ゴールバードによって遮られた。今度はベティーナを威圧するような瞳で、しかしやはり怒らず。
ゴールバードは、言った。
「――――『スラムの雌狐』に戻るか? 但し、今度は動かない狐だが」
親玉の上には、更なる親玉が居るもんだ。セントラル・シティは、とっくにおかしくなっていたんだ。
何故? 一体いつから、『治安保護機関のトップ』と、『裏ギルドの元ギルドリーダー』はイコールになった? 俺がアカデミーから出た時には、既にそうなっていたのか?
ざけんな…………!!
「どうしよう、ベティーナ・ルーズ。不覚にも、どこかのクズのせいで『リンガデム・シティ』で殺しておかなければならない相手を生かしてしまった。この尻拭いをお前が出来るなら、助けてやらない事もないんだが……」
ベティーナは一瞬、雷に撃たれたかのように背筋を伸ばした。そして、この場に居る俺達を順々に見詰める。
……三体一だ。話にならない。どんなに速く詠唱が出来ようが、前衛の居ない『魔法使い』じゃ――……俺一人だって、ベティーナの相手は出来るだろう。まして、杖は俺が持っているんだ。
恐れるな。
全身が猛る。恐怖に飲み込まれた時にどうなってしまうのかは、もう嫌というほど味わったじゃないか。
先住民族、マウロの遺跡。
同じ事を繰り返すのか?
――――いや。
歯を食い縛り、顎を引く。俺はベティーナの前に立ち、ゴールバードと向き合った。
「乗せられるな、ベティーナ」
全身に、魔力を。<魔力融合>を展開し、俺は言った。
「お前を仲間に入れてやる。……だから、絶対に乗せられるな」
こいつはきっと、抗えずに敗れていくベティーナが見たいだけなのだろう。……俺に向かって殺すだの何だの言っていたが、結局のところベティーナは、ビビリだ。人が殺せるような奴じゃない。
だから、分かってる。
誰かが守ってやらないと駄目だ。ゴールバードの所に居ても、いつかこいつは死ぬ。
「ラッツ」
ベティーナは、目の前の俺を見上げた。そのぐちゃぐちゃの表情を、一瞥した。
自分に言い聞かせる意味も含めて、俺ははっきりと、言ってやる。
「協力するなら、必ず守る。……いいか、必ずだ。忘れるな」
そう。
約束だ。
ゴールバードはやれやれ、といった様子で溜め息をついた。僅かに、その身体が透き通っていく。
――――思い出し草だ。
「まあいい……良い実験台だ。『異例の初心者』に『剣士』、『魔法使い』、それから『マーメイド』だな。戦おうという輩が居なかったから、丁度良い。――――行け」
その時、俺の耳が確かであったなら、俺は信じられない台詞を、ゴールバードから聞いた。耳から頭に落ちてきて、その単語の意味を理解する事を、身体は拒絶していたのかもしれない。
何に対して、だろうか。人間界に来てから、ずっと姿が見えなかったから、だろうか。セントラル大監獄に来た時も、助けに現れなかったからだろうか。
もしかしたら、そんな予感がしていたから、だろうか。
「――――――――弐号機。『ロイス・クレイユ』」
ゴールバード・ラルフレッドは消えた。転移の光に包まれて、その場に残されているのは俺達と、その『ロイス・クレイユ』と呼ばれた化物は巨大な一つ目を、俺達に向けた。
それはつまり、俺達にターゲットを定めた、という事だったのだろう。一度捕まれば、シルバードのように『口』が現れ、俺達をすり潰すだろう。
それがどうした。
俺はリュックから鈍器を取り出した。全身が奮い立ち、瞳孔が開く。
気が付けば、俺は歯茎を剥き出しにして叫んでいた。
「ゴールバードォォォォ――――――――!!」




