A08 ルーンの涙を取りに行こう
さて、フルリュの足を治すに当たって必要なアイテム、『ルーンの涙』。
それは勇者と魔王が世界を舞台に戦っていた時、重要な魔王の幹部である女帝マーメイド『ルーン』が落としたと言われる、悲壮の涙の証である。
魔族の涙で人の怪我が治るってのも何だか変な話だけど、回復するんだから仕方ない。マーメイド系列のモンスターが『極稀に』ドロップするアイテムなのだ。
そう、『極稀に』。
これが厄介で、入手の困難さはハイ・パペミントの比じゃない。何せ、ルーンの涙の効果は治癒能力の向上ではなく、物体の復元、再生能力そのものなのだから。
まあ有名所で言えば、別にルーンの涙じゃなくても『エリクサー』とかそういうモノになるんだろうけど、エリクサー系列は寧ろそっちの方が入手困難だ。登場するダンジョンも、俺の知識によれば結構レベルが跳ね上がる。
ということで、今の俺でもなんとか入手できそうな再生薬は『ルーンの涙』で確定、という所だろう。
ならば、マーメイド系列のミッションを探さなければならない。若しくはマーメイドの登場する海辺や川辺、湖の近くなんかのダンジョンか。
ドロップ率は二パーセントくらいのモノである。いかにパペミントが入手し易いかが分かるな。
「よっし、それじゃあ準備は万端だ!」
「は、はいっ!」
俺は額のゴーグルを位置調整し、高らかにそう言い放った。商人が引いて歩くような大型のアイテムカートを持ち、リュックにはいつもの初心者用装備、初心者用魔法の書に支援の書、魔物図鑑。
大道芸人か、俺は。
書物が何の役に立つのかという所だけど、実は魔法の書や支援の書は、手に持っているだけで魔力が上がったりするのだ。持ち替える暇が無いので、あまり役に立つことは少ないんだけども。
指貫グローブをしっかりと嵌めて、アイテムカートを転がしながら街を歩く。しかしながら、そのアイテムカートにアイテムは殆ど入っておらず、何故か茶色のフード付きローブに一身を隠した少女が乗っている。
その姿が珍しいからだろう、周囲の人々は俺達を一瞥しては、ぎょっとしたような顔をして去って行った。
「まあ目立つ事は、この際って感じか……」
ホテル・アイエヌエヌから冒険者バンクまでは目と鼻の先だ。俺は近場にアイテムカートを止めると、フルリュを背負った。
ふわりと、柔らかな感触が背中に。
「すいません、お荷物で」
「重くないよ」
寧ろこれはご褒美ってもんですよ。俺は何も言わず、その背中に押し付けられる双丘の感触を楽しみながら扉を開く。
……おや、あれはギルド・ソードマスターの。レオが何やら、偉い雰囲気の服装の男と話している。ダンドは……やはり、居ないか。
特に朝方話題にもなっていないのは、俺みたいな初心者装備丸出しの奴にやられた事をギルドに報告出来ないからだろうな。レオがダンドの事について報告した、ってな所だろうか。
俺は冒険者バンクのビジネスの間を歩き、『ルーンの涙』に関係するイベントが無いかどうかを探した。
「一番右端の張り紙だ、主よ」
…………どうしてこのゴボウは俺の事を『主』などと呼ぶのだろう。そんなに、何かを俺に頼みたいんだろうか。
その頼みすら、まだ聞いていない俺であるが。何故か、こいつの話は聞きたく無くなるんだよなあ……。
言われるままに張り紙を探すと、確かにそこには『マーメイドの鱗』採集イベント、とあった。
マーメイドの鱗、か。確か魔物図鑑には、ドロップ率はおよそ七十パーセントとあったはずだ。今回も十体ということは、まあ二十体も倒せば大体回収できるイベントだろうか。
ダンジョンは『ルナ・ハープの泉』。海の底に潜って行くルートか……個人的には苦手な方だなあ。回復薬も採集出来ないし、食べ物も厳しい。
ダンジョンの最下層には、ダンジョンマスターと言われる『マリンティアラ』という、マーメイドの親玉が居るらしい。未開拓じゃないから、マップが公開されているのがせめてもの救いか。
ただ開拓済のダンジョンって、パーティーが多くてやり辛いのだと聞いたことが……。まあ、仕方ないか。
俺はチラシの裏に記述されたマップを見た。
「お、割と一本道だな。今回は楽かもしれない」
「こんなのも公開されているのですね……初めて見ます」
フルリュがそう呟いた時、俺は疑問に思った。
「フルリュって、全く故郷から出たことないのか?」
「外は危険なので、熟練された者以外は出ることを止められているんです」
昨日の夜にゴボウが言っていた、『ノーマインド』の魔物と関連があるのかもしれないな。
きっと結界を張って隠れている――理性を持った魔族――とやらがフルリュの故郷のような場所に隠れていて、食べ物を取ってきたりするのは男の役目なのだろう。外は襲い掛かってくる魔物で一杯だし、人間も危険だ。
だって、背中のフルリュは俺に襲い掛かる様子など欠片も見られない。
「色々なモンに襲われる危険があるからだな」
「そうなんです。私も、妹が誤って結界の外に出たりしなければ、こんなことには……」
だが、出てしまった。そうして、姉は足を失った。
酷い話だ。
俺はフルリュを背負ったままで、受付の姉ちゃんの前へと向かった。今回はあのおっさんではないのか。さて、名前をどうしよう……一先ずゴーグルを装備し、顔を隠す。
「すいません、ミッションを受けたいのですが」
「はい、こちらの受付シートに書いてくださいね」
誰にしようかな……。流石にチークとか書いたら怒られそうだよな。
○
ミッションを受けた後は『バイ』区間にも立ち寄り、パペミント系列の一通りの装備を整えた。ミッションバッヂを胸に装備し、相変わらずでかいリュックと額にはゴーグル、アイテムカートを転がしながら、俺はフルリュを引きずって『ルナ・ハープの泉』へと向かっていった。
すまん、レオ。恩に着る。そう思いながら、俺は再度レオの名前を受付シートに書いたのだった。万一ギルドから追放されたりしたら、俺が引き取ろう。
しかし、実際の所レオの事は少し心配だ。普段から明るく、正義感に溢れた雰囲気があるはずのレオが、ああまでに萎縮してしまうとは。やはり、大型ギルドにも色々問題があるというものだな。
「……ここが『ルナ・ハープの泉』か」
地下へと潜る洞穴を延々と歩いて行くと、ダンジョンの開始位置を示す立札があった。開拓済みのダンジョンには、このように攻略者の手によって立札が立てられるのだ。
攻略者名、『エトッピォウ・ショノリクス』。
……言い辛すぎるだろ。大方、周囲の略称は『エト』だろうな。
姿を隠す必要の無くなったフルリュが、ローブを外す。洞穴の奥は透明な管のように、透き通る岩で囲まれている。まるで海の中に潜っているようでいて、実は空気が巡回しているのが『ルナ・ハープの泉』の特徴だ。
道が分からなかったが為に一応ガイドを買って読みながらここまで来たものの、実際に見ると圧巻である。
「綺麗、ですね……」
「そうだな……」
俺はアイテムカートを転がしながら、背後のフルリュと同じ感想を持っていた。
この辺りに人間が居るのかどうか分からないけれど、一応フルリュの存在があるので周囲の人間を意識しながら進んだ方が良いだろうか。
「主よ、このダンジョンからは異様な魔力を感じる。注意しておいた方が良い」
因みに、尻ポケットに突っ込んでいるとそのうち折れそうだったので、ゴボウはリュックに刺さっている。
全体的に青いビジュアルの中で、地面だけは色が付いている。セントラル・シティの水族館のように幻想的な空間を、さくさくと大地を踏み締めながら歩いて行った。
「わー、お魚が泳いでいますよ」
「天井に魚ってのもまた、シュールな光景だな……」
暫く歩いて行くと、俺にもはっきりと、そのダンジョンが変であることが理解出来てきた。何しろ人っ子一人見当たらないし、魔物の気配も全くない。歩けば歩くほどに静寂は辺りを包み、僅かに聞こえる海中で遊泳する魚の音だけが存在を主張していた。
……何だ。マーメイドどころか、初級モンスターの姿すら見当たらない。何か、変だ。
もう、随分奥の方に来たというのに。
「あら、新人さん?」
瞬間、俺は飛び跳ねるように後ろを振り返った。周囲を警戒して歩いていた筈なのに、全く気配を感じない場所から声が掛かったのだ。
フルリュの身を隠すように滑り込み、盾になる。その姿を見て、俺は――――…………目を丸くした。
「『ギルド・セイントシスター』。ギルドリーダー、フィーナ・コフール、か?」
「あらあら。……私も有名になったものですわね」
白銀の髪を真っ直ぐに降ろし、桃色のシスター服を着た聖職者ギルドのリーダー。何でも支援魔法が基本の聖職者なのに、ダンジョンマスターの悪魔を一人で倒しただとか、伝説が色々とある有名な女だ。
その柔らかな物腰と丁寧な口調から、『女神』などと呼ばれて持て囃されている、セントラル・シティでもアイドル的な存在。
俺も、名前くらいは知っている。フィーナに限らず、属性ギルドの親玉は有り得ないような伝説を色々と持っている事が多いけれど――……
フィーナは俺の後ろに居るフルリュを一目見ると、くすりと笑って後ろ髪を撫で下ろした。ライトブルーの明るい瞳が、笑顔に合わせて形を変える。
「人間と一緒に居るなんて、珍しい魔族ね」
……よもや、聖職者相手に魔族の傷を治そうとしているなんて事は言えない。俺は喉を鳴らした。
もしかして、近くに魔物も人間の姿も無かったのは、コイツが歩いていたから……? 聖職者なだけあって、魔力の量がケタ違いだ。初心者の俺とは比べ物にならない。
「心配しなくても、取って食べたりしませんわ」
にっこりと笑って、そう言い放つフィーナ。……なんか、笑顔の裏に黒いものを感じるんだが。何度か演説やらで見たことはあるけれど……こんな雰囲気だったっけ?
とりあえず、普通に接してみようか。
「光栄だな、こんな所で出会うなんて。でも、アンタにはもう少し見合ったダンジョンがあるんじゃないか? ここは中級者のダンジョンだぜ」
はあ、と溜め息を付いて、頬を撫でるフィーナ。……わざとらしい。
「そうなんです。実は、ここのダンジョンマスターが持っている『海のティアラ』というアイテムが、どうしても入用になってしまって。……ところが困ったことに、ここのダンジョンマスターには私の白魔法が通じないのですわ」
そうか、聖職者の攻撃魔法って、つまりは回復魔法の超強化版をぶつけるものが主体だからな。ソロでもゾンビとなら戦えるかもしれないが、マーメイドには効かないのかもしれない。
……いや、そんな事入る前から分かっていた事だろ? だったら、前衛系の冒険者とパーティーになって行けば良い話だったんじゃ。
「倒せずに困っていたら、いつの間にか囲まれてしまいまして。<サンクチュアリ>で、敵の侵入は防いでいたんですけど」
ああ、そうか。<サンクチュアリ>。人間以外の生物を寄せ付けない、聖職者の支援魔法だ。溜めが必要なスキルや前衛の体力回復を目的として使われる事が多い。
但し発動には入手が面倒な『聖水』が必要なのと、持続して術者の魔力が奪われる事が欠点ではあるけれど――……
「実は、魔力が切れてしまいまして」
――――――――え?
ガン、と大きな音がした。瞬間的に、俺とフルリュ、フィーナを中心として、魔物の群れが現れる。
マーメイド、マーメイド、マーメイド……低レベルダンジョンによくいるエビの魔物『シーザー』と貝の魔物『シェルター』。瞬時に、俺達は囲まれてしまった。
フィーナはにこにこと笑い、俺の後ろに隠れた。
「偶然冒険者の方に出会えて、助かりましたわ。戻る前にやられてしまいそうになりましたもの」
もしかして、ゴボウが感じていた魔力ってのは、こいつの――――…………
「な、何考えてんだ!? 思い出し草の一本くらい持っとけよ!!」
俺は言いながら、リュックから慌てて思い出し草を取り出した。冒険者バンクの入り口で登録してある、いつも持っているものだ。
対象は俺の周囲一メートル。これですぐに転移され――――ない?
思い出し草が、使えな――――
「<ガードベル>!!」
フィーナが俺に支援魔法を使った。<ガードベル>。対象者への物理攻撃を、対象者の体力と同じ分だけ無効化する、というものだ。俺へと襲い掛かったマーメイドの攻撃が、フィーナの魔法によって弾かれる。
遠くから、更に魔物が近付いてくる気配があった。張り詰めた空気と共に、一体の魔物が現れる。
通常、マーメイドの髪ってのは水色をしているもんだ。海に溶け込む色で、保護色にもなる。ところが、現れたマーメイドは真っ赤な髪色をしていた。
その美しさと溢れんばかりの魔力。
間違いない。こいつは、『マリンティアラ』――……
「ごめんなさい、実はもうダンジョンマスターの敷地内で、思い出し草も使えないの」
ダンジョンマスターの近くってのは基本的に魔力結界が張られていて、転移系のアイテムは使えないもんだ。魔物が出ないせいで、今の居場所がすっかり分からなくなっていた。
フィーナは笑顔を貼り付けたままだ。
「ごめんなさい、ここは私を守ってくださいませんか」
こいつ…………俺に、何をさせたいんだ。