E72 我儘お嬢様はペットとして迎え入れるべきか
振り抜いた剣は、的確に火を噴くドラゴンの首元を狙っていた。ドラゴンと言えば、鱗は鉄のように固く、灼熱の炎を放つという。最近では見ることすら珍しいので、俺にはあまり情報がない。
一刀両断されたドラゴンは叫び声を上げる暇もなく、光の屑になって消滅した。……ただの、魔物か。セントラルの治安保護機関が飼っていた魔物なのか、それとも単に現れただけなのか。
「どうも、飛んでる人間は見境なく落とすみたいでな。どこまでも追ってくるんだ、これが」
レオは面倒臭そうに、そう言った。……本当に、こいつはレオなのか。……あの、レオ・ホーンドルフなのか。一年でこんなにも、人は成長するものなのか……?
…………わからん。
それにしても、テイガ・バーンズキッドは大丈夫だったんだろうか。まあ、<ハイドボディ>で隠れて行った訳だから、ドラゴンには見付からなかったのかもしれない。
予定ではこの後、リヒテンブルクの外れでテイガと再会するということになっているが……
「道中で、あのハーピィの――……なんだっけ」
「フルリュ?」
「ああそう、フルリュちゃん。彼女と出会ったぜ。すっかり人だったから、声を掛けられるまで分からなかったけど……一度セントラル・シティに行って、治安保護隊員に事情を聞こうと思ってさ。そしたらあちこちでビラ配って、三日後に処刑だとか騒いでるから、これはやべえ、って」
「そうだ。フルリュ達とは、『リンガデム・シティ』で落ち合う事になってんだよ」
俺がそう言うと、レオはポチに座り込んで、再び手綱を握った。
「そう、それなんだ。彼女らもそう言ってたんだが……一度、俺の隠れ家に避難させてる」
「え? なんでだよ」
レオは俺の目を見た。……何やら、深刻そうな表情だ。もしかして、セントラル・シティとリンガデム・シティの間に、新しいダンジョンでも出来たのだろうか。
そのダンジョンのレベルが高ければ、そういう事もあるかもしれない……
「…………無えんだよ」
「無い、って?」
嵐を抜け、晴天の中に出た。唐突に雲を抜けると、レオが今どこに向かっているのかが朧気にではあったが、分かった。
進路は南東。ここはセントラル・シティの近くだから、リヒテンブルクに向かっている。いや、もしかしたらその先かもしれなかったが。
どこに行くのかよりも先に、レオはこんなことを言ったのだった。
「無えんだ、『リンガデム・シティ』そのものが。……つい最近、跡形もなく消えちまったんだよ」
○
半日ほどポチに乗って快晴の中を進む頃には、レオの隠れ家がどこにあるのか、話して貰う事ができた。
場所は、今は無きスカイガーデンのあった場所。リヒテンブルクのすぐ隣、ということだった。到着してみればこれがなるほど、南の島の無人島程度には大きく、宙に浮いている。ロイスに連れて来て貰った時には『スカイゲート』があったがそれもなく、空を飛んでくるスキルでもなければ、ここに辿り着く事すらできない。
確かに、世を忍んで生活するのには楽な場所だ。レオのように、自由に空を移動できる事が必須条件になる訳だからな。
「離しなさい!! 離しなさいよ!! ていうか、首輪とかマジ有り得ないんですけど!!」
スカイガーデンの近くまで来ることによって、俺は実際にその目で墜落したスカイガーデンを目にする事ができた。島の姿形を上空から見た訳ではなかったが、確かに俺が歩いた一部は、海の上にあった。リヒテンブルクから僅かに離れた――……
そこが、なんとも言えずに奇妙だった。テイガは『スカイガーデン没落事件』と言っていたし、実際に人は居なかったが――……真っ直ぐに落ちたのだとすれば、スカイガーデンは今俺達が立っている場所の真下にあるはずだ。
しかし、実際にはレオの隠れ家から、スカイガーデンは全貌を確認する事ができる。少しだけ、北にずれているんだ。スカイガーデンの場所については一度行ったことがあるし、当時の光景も見ていたのだから間違える筈がない。
テイガと会うとすれば、リヒテンブルクの端なのだろうが……宙に浮いていたからこそ別々だったが、今となってはリヒテンブルクとスカイガーデンは殆ど繋がっている。……スカイガーデン跡地って、リヒテンブルクの外れってことか。
「三人共、二階で眠ってるみたいだな。平和で何よりだ」
レオが家から戻って来ると、俺はレオに聞いた。
「……なあレオ、あれが一年前からああなのか?」
「そうだな。どうにも不気味で、誰も近付けない」
そりゃ、そうだろう。スカイガーデン跡地の中心で、今は眠っているのかぴくりとも動かない――……巨大な球体。銀色で見たこともない艶やかな皮膚。光を反射し、輝いていた。まるで全身、鉄で出来ているかのような……見た目はただの巨大なボールだが、あれが暴れるのだとすれば。
それに、あの……スカイガーデン跡地の周辺。何故か、光の加減が若干にではあるが、違うように見える。何かの膜が張っているのか、どうなのか……不思議な感じだ。あの場所だけ空気が違うかのような。
もしかして、あれが化物の行動範囲なのだろうか。
「リンガデム・シティが消えたってのは、本当、なのか」
「ああ。ついこの間の話だ。……もしかしたら、どこかに移動しただけなのかもしれないが……不思議な事が起こっているんだ。これから世界がどうなっちまうのか、俺にもよく分からない」
…………まあ、そりゃそうだろう。知識の無い俺達に分かる筈も無い。俺はレオに手渡されたラムコーラを飲みながら、スカイガーデン跡地を呆然と眺めていた。
「コラ、無視すんな――――!! 何のんびりラムコーラ飲んでんのよ!!」
さて。本題といこう。
俺はここに来る手前、自分の荷物を取りに『フリーショップ・セントラル』へと戻った。既に荷物はフルリュ達によって回収された後だったが――行ってしまったので、ついでに買っておいたのだ。
島の木に両手を縛られて、それでもなお暴れているベティーナに。俺は、厭らしい笑みを浮かべた。
ベティーナの首輪を、そっと撫でる。
「あっ!! あんっ!!」
甘く、そしてエロい声がベティーナから漏れる。
そう、これは『服従の首輪』。フリーショップ・セントラルの裏側、アンゴさんが秘密で経営している『アレ系アイテム売り場』というコーナーで購入したものだ。
アレ系というのが何系なのかは、俺には分からない。分からないということにしておこう。
ベティーナを束縛するのに何を使えば良いか聞いた所、これを勧めてくれた。
何でも、束縛されたいというMっ気の強い人間に絶大な効力を発揮するらしい。何がどう絶大な効力を発揮するのかは、俺にはよく分からんのだが。
「ちょっと、ヘンな触り方するのやめなさいよ!!」
「ワンって鳴いたら止めてやってもいい」
「わん!! わん!!」
涙目で、ベティーナは俺の言う事を聞く。レオが俺の後ろで、苦笑してラムコーラを飲んでいた――……俺は、ベティーナの顔面にキスをするほどに迫り、そして真面目な顔で言った。
「お前――――――――Mだろ」
ベティーナの顔が蒼白になり、直後に反転したかのように真っ赤に染まった。
いや、実際に相手にしてみるとこいつ、中々に面白い。
「エッ――!? ぶち殺すわよ何言ってんの!?」
「この『服従の首輪』は、心の底で誰かに服従したいと願っている奴にしか効果がない。つまり、お前の身体に異変があるなら――――それは、支配されたいと思ってるってことさ」
ぶんぶんと勢い良く首を振りながら、ベティーナは叫んだ。
「違うわよ!! ……違うもん!!」
「ベティーナよ。これから、俺の事を『ご主人様』と呼べ!!」
「嫌よご主人様!! …………ぐうっ!!」
嗚呼――――――――なんって、気持ち良いんだっ!!
ボロカスに言われ、一度はやられた女を助け、そして今、絶対服従関係に置いている俺――まさに神!! ゴッド!!
さあ、皆の者よ!! 全力で俺に石を投げるがいい!!
「まあ実際の所ラッツがまた捕まらないためには、逆にアンタを囚われの身にするしかないんだ。ベティーナ・ルーズだっけ? 悪いが、協力してくれよ」
レオの譲歩した物言いにも、ベティーナは決して屈する事をしない。両手を縛られたまま、ベティーナは叫んだ。
「キーッ!! そこのツンツン頭、一度だけ私を手助けするチャンスをあげるわ!! このキチガイから私を救い出しなさい!!」
「…………なるほど、ラッツが苛めたくなる理由が少しだけ分かった気がする」
俺は得意気に答えた。
「だろ?」
しかし、ベティーナが両手を縛られたままでボロ泣きするせいで、すっかり化粧がぐちゃぐちゃだ。俺はハンカチを取り出し、ベティーナの顔を軽く拭いた。
……おお、流石はフリーショップ・セントラル特製。油を使わなくても化粧が落ちる優れ物だ。
改めて、ベティーナは化粧をしていない方がナチュラルで可愛い。肩まであるふわふわの金髪はどうやら地毛のようで、雨に濡れても形が変わらないし、蒼眼はそのままでもぱっちりとしていて睫毛が長い。
「お前、俺に助けられたという事をもっと有難く思うべきだな」
「助けたのはツンツン頭じゃない!!」
「俺が抱きかかえなければ、レオは助けには現れなかった。お前は死んでいた。つまり俺が抱きかかえた事によってお前は助かった」
俺が念仏のように唱えると、ベティーナは憤慨した。
「屁理屈だわ!! 私ほどの美貌に掛かれば、どんな男も助けに現れるもの!!」
「いや、それはねえな」
さり気なく、酷い事を言うレオだった。
ベティーナには、誰がご主人様かということを丁寧に教える必要がある。そのために、大枚をはたいて――ツケだが――『服従の首輪』を買ったんだ。逃げられた上に、また治安保護隊員を引き連れて来られたら面倒だからな。
俺はベティーナの耳元に、唇を近付けた。
「お前は俺に抱きかかえられて助かった……お前は俺に抱きかかえられて助かった……」
「やめっ……!! 囁くな、ドクズッ!! ヘンタイ!! 悪魔!!」
「お前は俺に抱かれて助かった……」
「ぐっ……みみっ……やめてっ……」
「お前は助かって俺に抱かれた……」
「おい、違う記憶を植え付けるのはやめろ」
レオに突っ込まれてしまったが、俺はベティーナにラムコーラを飲ませる。ベティーナは既に、瞳の焦点が定まっていなかった。
ああ。俺、最低だ。今俺は、確実に最低な事をしている。でも何故か気持ちが昂ってしまう俺。よし、次はどんな悪戯をしようかな……
「ラッツ…………」
そして、いつの間にか背後の視線が増えている事に気付かなかった俺。今更、その場に硬直して固まった。
……あれ? さっき、二階で寝てるって言ってたじゃん。レオ、お前言ってたじゃないですか。おかしいよね。こんな所は、流石に見られる訳にはいかなくてだね。
「やっぱり……ラッツはサナのこと……なんとも思ってない……」
おかしいな。ササナの声が聞こえる。はっはっは、これは幻聴かな……
どうしよう。……まずい。幾らなんでも、これは――――いや違うんだ、これは出来心で!!
俺はがたがたと震えながら、背後に迫り来る人影を……いや、マーメイドを見た。ベティーナは目を丸くして、俺とササナのやり取りを見ている。
「いや……その、これは単に主従関係を……ね? 敵だったからさ。ササナも見てただろ……?」
「どうして……いやらしいことをする必要が……ある……」
「すんませんっしたァ!! 楽しかったです!!」
おい、幼子の日記みたいになってんぞ俺。大丈夫か。……駄目かも。
ササナは土下座している俺を一瞥すると、ふう、と溜め息をついた。どうようもなくクズな俺に、ササナは優しく手を伸ばしてくれる。
「大丈夫……。サナ、夫の夢は……叶える、主義……」
「え、何!? 私のこと助けてくれるんじゃないの!?」
涙目で、ササナの手を取る俺。ササナから完全に無視されるベティーナ。
「ササナ…………!!」
「ちゃんと、サナの事も見てくれるなら……サナはそれだけで、かまわない……」
「俺っ!! ちょっとした間違いでもプロポーズしたのがお前で良かった!!」
さり気なく暴露する俺。
「よしよし……でも、プロポーズは取り消さない……」
さり気なく念を押すササナ。
俺の頭をひとしきり撫でると、ササナは満足して部屋に戻って行った。驚愕のやり取りに唖然とするベティーナと、何故か許可を受けた男、俺。
まあ、いつまでもベティーナと遊んでいる訳にもいかない。テイガとリヒテンブルクの端で会わなければならないし、リンガデム・シティの情報も集めなければならない。
立ち上がると、俺はセントラル大陸の果てを見下ろした。……何にしても一度、行ってみないとな。消えた街のある場所まで。
レオのお陰で、良い拠点も手に入った事だし。今夜はゆっくりと休んでからだけどな。
「ちょ、ちょっと……!! 何、一人で家に戻ろうとしてんのよ!! 私も入れなさいよ!!」
「え? お前は仲間じゃないから、そこで構わないだろ?」
「ふざけんじゃないわよこのスカタ……待って!! ごめんなさい!! 入れてください!!」
見れば、ベティーナは顔を真っ赤にして、執拗に両足をもじもじとさせている。……なるほど、そういう事か。だからいきなり、家に入りたいなんて言い出したんだな。
俺が様子を察した事に気付いて、ベティーナが少しだけ表情を明るくさせる。……大丈夫だ。流石の俺も、年頃の女の子にそんな事をさせたりしないさ。
人差し指と中指を立てて、俺は精一杯のキメ顔を作り。
ベティーナに合図した。
「待ってろ。ちょっと壷か何か取ってくる!!」
大丈夫、ちゃんと家には入れてやるさ。……この叫び声を聞いてからだけど。
「縄をっ……!! 解け――――――――!!」




