E63 初心者の剣と上級者の剣と
俺は苦笑して、森から出た。シルバードの剣に対抗できるかどうかは、正直今の段階ではよく分からない。こいつはギルド・ソードマスターのギルドリーダー。だが、俺は魔界での経験を経て遥かに強くなっている。魔界のダンジョンに潜む魔物は、人間界で出会う魔物とは一線を画する強さだった。それを考えると、十二分に渡り合える可能性はある。
だが、このような形であのシルバード・ラルフレッドに出会ったということの方が衝撃的だ。爽やかイケメンも、憤怒の形相になるとこんなにも恐ろしいのか。
「……ちわっす、シルバードさん。ソードマスター辞めたんすか? 治安保護隊員の服、似合ってますよ」
相変わらず、咄嗟の時にあまり良いことが言えない俺だった。
「君を探していたよ……。ずっと、ずっと――――ね」
殺意を感じて、俺は思わずスキルを使っていた。<魔力融合>によって強化された魔力をもって、すぐに<限定表現>の準備を始める。。
リュックに右手が伸びる。俺が長剣を取り出した時には、シルバードは俺の懐に潜っていた。
「<ギガントブレイド>!!」
「<限定表現>――――脚!!」
魔力を一気に放出して、俺は高く跳躍した。瞬間、俺の居た位置にシルバードの<ギガントブレイド>が振り下ろされる。まるで鈍器で殴った時のように地面はめり込み、衝撃波で周囲の木々に傷が付いた。
それにしても、<ギガントブレイド>とは……。まるで、巨人の剣か何かのようだ。
<ソニックブレイド><ヘビーブレイド>ときて、その更に上位互換。打撃系剣技では最上級と言われる<ギガントブレイド>の威力は、生半可なダンジョンマスターなど一撃で葬り去る程の力を持つ。
攻撃が俺に当たっていない事を知るや、シルバードは上空に居る俺を見上げた。栗色の茶髪を左右に分けたその頬に、まるで刺青のように二本の線が入る。同時に、シルバードの真下に魔法陣が現れた。
――――やばい。あいつ、本気だ。
「<ホワイトニング><キャットウォーク><マジックオーラ><イーグルアイ>!!」
お決まりの魔法を、一気に自分へと付与する。……駄目だ。こんなもんじゃ足りない。今からこいつは、前衛職としての本領を発揮するのだから。
一気に、シルバードの全身から赤いオーラが吹き出した。まるで、シルバード自身が燃えているかのように――――それは、己の体力と筋力を魔力の力で超強化するスキル。
剣士のスキルで筋力体力強化って言うと、<タフパワー>を思い出すけれど――……
「一瞬の隙も見せない――――<チェンジビースト>」
そう、その上位互換スキル……と言うのか、<チェンジビースト>は効果の分類で言えば、<凶暴表現>系に相当する。但し、使用するのが術者の生命力ではなく魔力という点で、<凶暴表現>と比べてしまえば効果とリスクは遥かに軽いが。
やや動物的になり、反射神経や動体視力まで強化されるのがこのスキルの特徴だ。
魔法公式が公開されていない、『ギルド・ソードマスター』オリジナルのスキル。<タフパワー>よりも強力なのは、そのためだ。
俺も真面目にやらなければ、あっという間に瞬殺されて終わりだろう。……悪いが、ここでやられる訳にはいかない。
今の俺は、以前シルバードと会った時とは違う。明確な目的――――使命があるのだから。
それ即ち、フィーナとロイスと再会すること。そして、『深淵の耳』を手に入れることだ。
「来い!! フルリュ!!」
言うまでもなく、フルリュは既に俺の目前にいた。俺に向かって剣を構えるシルバードが剣を振るよりも早く、俺はフルリュの足を掴んで軌道を変える。
「<ウェイブ・ブレイド>!!」
改めて思うが、ギルド・ソードマスターの使う『斬撃が飛ぶ』ってスキルは、剣士として反則だ。俺を拒んだ時には飛び道具を使う戦士がどうのこうのと言う割に、しっかり飛び道具じゃないか。
ギリギリでシルバードの空飛ぶ斬撃を避け、俺はフルリュに目配せをした。フルリュも既に戦闘準備は万端、俺に向かって僅かに微笑みかける。フルリュの全身からエメラルドグリーンのオーラが吹き出し、俺はフルリュとひとつになる。
「<マジックリンク・キッス>!!」
めくるめく桃色空間に突っ込み、俺はじっくりとフルリュの舌を堪能した。細い腰に手を伸ばし、輝くような白い肌に触れる――……
「あっ……へへ、今はこれが私の特権ですね」
「何言ってるんだ、フルリュ。俺はいつでも、フルリュ一筋だぜ…………って何言ってるんだ俺よ」
我に返った。フルリュは満更でも無さそうで、頬を染めて喜びに浸っている。……いや、スキルの効果だから。しっかりするんだ。
フルリュから離れ、地面に降り立った。さあ、ここから反撃開始だ――……フルリュも俺の後ろに構え、いつでも俺を助けられるようにしている。
「何考えてんだか分からねえけど、俺は最近こっちに帰って来たんだ。状況確認くらい――――」
俺は一瞬、我が目を疑った。
クールなイケメンのはずのシルバード・ラルフレッドが、鬼族もかくやといったような醜い顔で歯を食い縛り、ぼろぼろと泣いていたのだ。溢れ出る真っ赤なオーラは尚も強くシルバードの全身から吹き荒れ、炎のように燃え上がる。
「君は……フィーナを何だと思ってるんだっ……!!」
フィーナ?
「……フィーナがどうかしたのか?」
「どうかしたのか? じゃ、ないっ!! 君が僕とフィーナを引き剥がし、かっさらって行ったんじゃないかっ……!! でも、それがフィーナにとって幸せなら、僕はそれでも良いと思ってたんだ。なのにっ……!! なのにっ…………!!」
なんだなんだ、全然話が見えない。俺はフルリュから借りた魔力で全身を満たし、足下に魔方陣を描いた。シルバードの殺気が尋常ではなく、素のままの俺では戦えないと思ったからだ。
「もういいっ……!! 死を持って償え――――!!」
……シルバードって、こんな人だったかなあ。
「<重複表現>!!」
飛び出して来たシルバードと同じ分だけ、俺は背後に跳ぶ。<重複表現>を使ったからといって、すぐに俺が強くなる訳ではないからだ。それでも、このスキルを使った時に起こる独特の、時間が遅くなったかのような感覚は付いて回った。
しかし、それでもシルバードの勢いは衰えない。……当たり前か。このままでは。
「<キャットウォーク(+1)>!! <ホワイトニング(+1)>!!」
人間相手なら、こんなものだろう。俺は長剣同士の戦いでは分が悪いと思い、長剣をリュックに戻した。取り出したのは二本の短剣、俺が最もよく使うスタイルだ。シルバードは俺に迫り、その長剣を振るった――――速い!?
「<パリィ>!!」
シルバードの真横に流れる斬撃攻撃を<パリィ>で受け流す。シルバードは長剣を振り抜くと、一回転して同じ軌道で斬撃攻撃を放って来た。
大味な攻撃だ。火力は高いが、それだけでどうにかなる訳でもない。俺はシルバードの長剣が当たらない間合いへと、バックステップで距離を離す――――…………
「<ウェイブ・ブレイド>!!」
しまった、誘われた!!
中距離で放たれたシルバードの<ウェイブ・ブレイド>が俺を襲う。なるほど、バックステップで跳んでいる最中なら軌道を変える事はできず、この距離ではフルリュに助けを求めている余裕なんてない。
俺は二本のナイフを<ウェイブ・ブレイド>の波動に向かって立て、それを両足で支えた。歯を食い縛り、衝撃に備える。
「<パリィ>ッ――――!!」
どうにかナイフを操作して、シルバードの<ウェイブ・ブレイド>を上に受け流す。だが、次の攻撃は厳しい――……分かっているのだ。<ウェイブ・ブレイド>が飛んでくる事が予想出来なかった時点で、シルバードの次の攻撃が避け切れないということは。
シルバードは既に、次の攻撃の準備に入っている。大上段に構えられた長剣。そのまま、シルバードは俺に向かって跳躍する――――この構えは、<ギガントブレイド>だ。本格的に俺を殺しに掛かっている。
こいつはまずい。身体を捻らせて、ナイフをシルバードに向かって投げた。
そうして、俺は左手の中指を立てる。
「<レッドトーテム>!!」
俺とシルバードの間に、火柱が立ち上る。<重複表現>は直接的に攻撃魔法の威力を上げる技ではないから、火力は控えめだが――――追撃で、シルバードの動きを一旦抑えるしかないか。
すぐに俺は左手を鳴らし、そのスキルのトリガーを引いた。
「<強化爆撃>!!」
――――だが、そのスキルの様子を、最後まで確認することはなかった。
「<マジックスラッシュ>!!」
シルバードは大上段に構えた剣を振り下ろした。シルバードに向かって、俺の<強化爆撃>が向かう――――事は無く、それはその場で斬られ、真っ二つになった。ナイフもきっちり弾いてくる。
おいおいおい待てよこいつは魔法まで斬るのか!! シルバードの目は、どことなく血走っている。既にナイフを一本捨てた俺では、次の<ギガントブレイド>を避けられない。
仕方ない、こうなりゃ本気の本気の本気の本気で行くしかない。フルリュの消耗が激しいから、あまりやりたくは無かったが――…………
「<スクウィイズ・ボイス・ボイス>」
その時、水色のオーラが俺とシルバードを包んだ。同時に、柔らかい歌声が辺りに響く。
なんだ……? 僅かに水っぽく、弾力性を持っているような…………
あれ? 俺の動きが鈍く、そして<重複表現>が弱くなっていく……。同時に、<重複表現>の効果によって発動できるようになったスキルも、その効果を薄くさせていった。
見れば、シルバードの<チェンジビースト>もまた、同様に効果を無くしているようだった。この、ヘンテコなスキルは…………
「ラッツ。こっちへ」
やっぱり、ササナだ。俺は水中をのろのろと進む亀のように、ササナへと向かっていく。<マジックリンク・キッス>の効果も解け、フルリュも慌ててササナの方へと向かって行った。やはりシルバードも見た事がないようで、ササナの放った<スクウィイズ・ボイス・ボイス>の中でもがいていた。
他の連中は――……既に、ササナの手の内か。シルバードが喰らったものと同じ魔法で、動きを遅くさせていた。
「なっ……なんだ、このスキルは……!!」
そりゃ、知らないだろう。ササナの魔法ってのは魔族のスキルなんだからな。ササナは俺の手を引っ張り、俺を<スクウィイズ・ボイス・ボイス>の効果範囲から外した。急に水の中から出たかのように、俺の身体が軽くなる。
ササナはふと笑った。人間の足はそのままだったが、耳の辺りから魚のヒレが顔を出した。
「ただの……足止め。こっちの魔法の威力も弱まるから、戦闘では使えないけど……」
「十分だ。逃げよう」
そういえば、キュートは……? と思っていたが、遠くから走ってくるものがあった。――――馬だ!! 馬に乗っているのは勿論キュート、背中に馬車まで付いている。
「どうしたんだ、それ!?」
「借りてきた!!」
遠くを見ると、馬から蹴落とされた馬乗りが、足を震わせてこちらに手を伸ばしていた。…………借りてきたって。
「そうか…………そこのハーピィ、ダンド・フォードギアの件から一緒なんだな……!? 馬鹿にしやがって……!!」
ついに魔力が完全に押さえ付けられたのか、地面に両手を付いたシルバードがこちらを見ていた。ぎりぎりと歯を食い縛り、目から血を流して見開いている。…………怖いよ。
とにかく、逃げるか。リオの話によれば、俺は今や人間界きっての指名手配人――――下手すると、大犯罪の疑いを掛けられているのかもしれないからな。
「許さない…………君をやっつける為なら、僕はギルドリーダーを辞めたって、人間を辞めたって、なんだってしてやる…………!!」
だから、どうしてそこまで俺を憎むんだ。…………と言ったって、この様子じゃあ話にはならなさそうだ。<スクウィイズ・ボイス・ボイス>の効果が切れないうちに、さっさとこの場を離れてしまうのが吉だろう。
リオに挨拶くらいして行きたかったが――……仕方ないか。キュートが馬を引き、立ち止まった。
「ほら、乗って!!」
「良いのか…………? あそこで倒れてるオッサンは…………」
「適当に帰るっしょ!!」
お前は鬼か。
しかし、これ以外に移動手段が無い事も事実だ。四人では、フルリュに捕まって飛ぶ事も出来ない訳だし――……フルリュも再び人間の姿に戻り、俺達はそそくさと馬車に乗り込んだ。
馬車の中には老夫婦がいて、目を丸くして俺達を見ていた…………当たり前だ。
いや、乗客はそのままかよ!!
「あー、すいませんちょっと。失礼しますね」
「あ、はい…………」
特に何も文句を言わない所からすると、これは完全に考える頭がどこかに飛んでいるな。…………当たり前だ。
馬車の中から、俺はシルバードの様子を伺った。ずっとこちらを睨み付けている――……何が、シルバードをそこまで怒らせるんだろうか。俺が最後に会った時はもっと、落ち着いた雰囲気だったのに――……フィーナのこと? 今、何が起こっているんだろう。
そして、スカイガーデンのことも。
「覚えていろ、ラッツ・リチャード…………!! 僕は君を許さない…………!!」
嫌な視線と気分の悪さを覚えながらも、俺はその場を後にした。キュートが馬を走らせ始めたからだ。
人間界に来てすぐ、俺の気持ちは晴れない滑り出しだった。




