E62 俺の嫁が多すぎる件について
「じゃあこれで……異議はない、ということで……」
さて、サウス・レインボータウンからセントラル・シティまでを移動する間のことであるが。俺はすっかり目的が達成されたような気持ちで、次はいよいよフィーナとロイスとあとゴボウと再会するのだと、そればかり考えていたのだが。
よく考えてみれば、俺には当時持っていたカーキ色のジャケットもリュックも、指貫グローブもゴーグルすら無かったわけで、一体これからどうしたものかと途方に暮れていた。
いや、正直そんな事は道中で金を稼げばいいと思っていたし、金を稼ぐ方法などは空、海、地上と優秀な魔族が揃っていればどうとでもなる訳であって、今更困る事も無いだろうと思っていたのだが。
俺はそのようなくだらない事で、途方に暮れたかった。敢えて途方に暮れたかったのである。
「はーい! 異議ありまーす! あたしはお兄ちゃんの妹であるからして、付き添いの権利はあたしにあると思いまーす!」
そんな事を考えでもしないと頭が痛くてどうしようもないと思われたのは、今の状況のせいであった。
セントラル・シティとサウス・レインボータウンの丁度真ん中辺りにある小さな街、『サウス・マウンテンサイド』。栄えている訳でもギルドがある訳でもないが山に囲まれており、山菜などの資源が豊富でセントラルからも食材を売る商人がよく訪れる田舎町。
因みに、いつか聖水を作るために訪れた『サウス・ウォーターリバー』とは山を挟んで隣同士という関係にあり、サウス・レインボータウンからセントラル・シティに行くためには、最短で山を二つは越えないといけない。そこで、この場所で休もうという話になったのだ。
「あっ、あのっ、私も一応、ラッツ様をお慕いして告白もした身なので、あの、ラッツ様の返答次第ではカップル契約の候補は私にあると言いますか……」
そして、このサウス・マウンテンサイドには美人な聖職者がこぞって紅茶を出してくれるという、聖職者の運営する喫茶店『赤い甘味』があるのだ。何でも、セントラルで聖職者の副業として認められている、数少ない喫茶店なんだとかなんとか。
ここのアップルティーは本当に美味で、山一つ越えてこなければ辿り着けないというのに、セントラル・シティからの来客数の多いこと多いこと。お陰で、元は聖職者の多い村という――少し気軽に訪れ難い位置付けだったこの場所も今では街となり、栄えているというわけだ。
あと……それと……
「この…………美しい指輪が…………目に入らぬか…………」
「それだよお兄ちゃん!!」
「ラッツ様!!」
ああ!!
誰かこの状況を何とかしてくれ!!
その『赤い甘味』でアップルティーを四人分注文して、絶賛頭を抱え中の俺、ラッツ・リチャード。よもやこの世に言い寄ってくる女が三人も出来ようとは、人生何が起こるか分からないというものである。
ついこの前まで、フルリュが寄り添って歩いてくれるだけで人生バラ色に見えていた俺がだ!!
何した、俺!!
アバンチュール!!
「この『虹色の指輪』をサナが渡されたという……事実……。紛れも無く、サナはラッツの妻……即ち……正妻……」
「正妻ってお前な」
「違うの…………?」
……うっ。
こいつの透き通るような無表情で見られると、何も言えなくなってしまう。何故なら、その背後は無表情ではないからだ。そこには轟々と燃え盛る炎が見える。青白い炎が。
フルリュが泣きそうな顔で、俺の手を握った。そういえばというか分かっちゃいたんだけど、フルリュには決定的な告白をされて、まだ返事を返していない所なのだ。
「ラッツ様、私はもう…………お邪魔でいらっしゃいますか…………?」
「違うっ!! 違う、決して邪魔ということはない。フルリュは必要だ。だから泣くんじゃない」
フルリュがほっと安堵のため息を付くと、今度はササナが面白くなさそうにする。眉をひそめて睨まれると、俺は笑顔を引き攣らせた。
「早速…………浮気…………」
「してない!! 浮気してないっていうかぶっちゃけ本気にはされないと思っていた!!」
「何……? 本気にしないと思ったから……適当な気持ちで……告白したの……?」
これはつらい!!
「いやあそんな事はないヨ!? もちろん本気さあ!!」
瞬間、ササナの顔面が目の前にまで迫る。……唇に、何やら柔らかい感触が。うおお、これは……ササナがこんなにも積極的になるのを見たのは、初めてかもしれない。
頭がぼーっとする中、ササナは舌を……入れんの!? 椅子に座ってるから逃げられない!!
唇はそっと離れ……あれ? 目の前のササナが三人に……
「ラッツ……サナのこと……好き……?」
ぞっとするほど、妖艶な顔だった。思わず顔が赤くなってしまうが、瞬間的に俺は頭を掴んで、首を向けられた。
「ねえ、こっち向いてお兄ちゃん」
ササナから目を離し、無理矢理下を向かされた俺。俺の膝に馬乗りになったキュートが、大きく目を見開いて上目遣いに俺を見ていた。……なんだよ、この『あたしだって可愛いでしょ』アピールは。
俺の腰を掴んで、無邪気に前後運動するキュート。……いや、駄目だ。無邪気を装って故意にやっている。
「乗馬の練習ー! はいよー! しるばー!」
「こらっ……! こら、キュート! やめなさい!」
「ほら、お兄ちゃんは妹のお願いには逆らえないんだよー。よって、この勝負はあたしの勝ちだね」
お前は話をややこしくしたいだけだろ!!
「ラッツ様!!」
フルリュが俺の手を握って、じっと見つめてきた。吸い込まれそうなエメラルドグリーンの瞳に、一瞬我を忘れる。……フルリュって、本当に見た目はピカイチで俺好みなのだ。そんな娘に言い寄られたら……というところだが、どうにも、なあ。
ササナに求婚したという実績もあり、この状況で告白に応えるのが中々難しいという事もあるが……なんというか、俺は告白に返答してはいけないような気がしたのだ。
それを言うならササナについてもそうなのだが、これは完全に俺の頭から抜けていたのでどうしようもない。
「私はっ……! はっきりと、自分の口から告白しました。私をラッツ様の隣に置いて頂けないでしょうか、と。……その想いは、誰にも負けませんっ!」
何故かアホほど愛されている俺。……そんな事を言える筈もないが。
ササナが俺の手を握っていたフルリュの手を握り、フルリュを見た。キュートも何事かと、今では向きを百八十度反転させて、じっとフルリュとササナの様子を見ている。
……いい加減、『赤い甘味』に来店している他の人々の目が痛い。
「オイ、あいつ……なんか女の子に囲まれてるんだけど……」
「マジックカイザーの大魔法で爆発しろ…………」
既に、羨ましいを通り越して妬まれている俺だった。
周囲の反応に苦笑して明後日の方向を向きたいと思いつつもテーブルに視線を戻すと、ササナはフルリュに向かって、やたら大袈裟な動きで頷いていた。
「フルリュ・イリイィ……貴女の気持ち、サナにも……よく、わかった……」
「ササナ姫様ぁ!」
なんだ、この展開。
「フルリュはサナよりも早く、ラッツに会っていた……ということで、ここは一つ穏便に……半分こで……どう?」
「グロいわ!!」
俺のツッコミも何処へやら、フルリュとササナは固く手を握り合い、謎の結託をしていた。キュートが慌てて立ち上がり、テーブルの上に……こら、周りの人に迷惑だからやめなさい!!
「三等分!! 三等分希望!!」
「よし……ならキュートも、こっち来る……作戦……会議……」
何やら怪しい頷き合いをしながら、『赤い甘味』を出て行く一同。俺には一瞥もくれない……ということは、何か俺に聞かれたくない取り決めを行うってことだな。
なんだかなあ…………いや、俺のせいなんだけどね。
「随分人気だね、ラッツ君」
声を掛けられて、俺は頭の後ろで腕を組んだままで振り返った。真っ赤なエプロンドレス姿で俺を見ているのは――……
「リオ」
「久しぶり。ちょっと、いいかな」
そう言って、店の奥を指差す。リオ・アップルクライン、ギルド・セイントシスターの聖職者だ。このサウス・マウンテンサイド、『赤い甘味』の裏側には修道院と教会があって、アカデミー以外の聖職者養成機関とプロの聖職者、それに修道士が混在して生活している、少し特殊な所だ。リオはライジングサン・アカデミー上がりの聖職者だが、アカデミー卒業後は故郷のマウンテンサイドに帰って聖職者をやると言っていた。
まさか、俺の好きな『赤い甘味』で勤めているとは思わなかったけど――――そうか、ここって聖職者の連中が経営しているから、必然的に聖職者がウエイトレスをやったりもするのか。聖職者以外、働いている奴が居ないんだもんな。
随分と、聖職者もフリーダムになったものである。
「リオちゃん、今日も見せてくれよ。お得意の手品」
「はーい、ちょっと待ってくださいね」
手品なんか見せてるのか。……いや、しかし。何やら俺、そこら中から見られている。なんだ……? 先程のやり取りのせいと言うよりは、何か珍獣的な意味合いで見られていそうだけど……
喫茶店の隅に座っていたから、顔が見えなかったからなのか。俺を見るや、ぎょっとしてまじまじと顔を見ようとする者ばかりだ。
何だか気持ち悪いので、見えないように顔を背けた。
店の奥に隠れると、リオはそのまま裏手に出た。俺を通すと、扉を閉める。扉が開かないように、リオは背中で扉を押さえていた。
後ろで緩やかに結った茶髪が、エプロンドレスによく似合っていて愛らしい。リオは後ろの様子を確認して――――何を確認しているのだろう。あまり聞かれたくない話なのか?
「……ごめんね、急に呼び出して」
「お、おう。すまんね、全然気付かなくて」
「ううん、それはいいの。それより――――お金はいらないから、このまま出て行った方が良いよ」
なんで? ……俺が目を丸くしていると、リオは俺の態度が分からないようで、逆に小首を傾げていた。
……噛み合わないな。
「何か、理由があるのか?」
「理由って――……もしかして、その様子だと知らないのかな。今までどこにいたの?」
どこにいた、とは……まさか、何かまずい事になっているんだろうか。しかし、魔界から来ましたとは言えないな。
「……ちょっと、な。遠い所に行ってた」
「セントラル大陸以外?」
「まあ、そうだな」
リオは何かを納得した様子で一人、頷いていた。
その時だった。リオは咄嗟に俺の手を引き、リオ側に引き寄せた。ふわりと柔らかな香水の匂いが香る――――意味が分からない俺は、されるがままになっていたが――――程なくして、その行動の理由に気付く。
『赤い甘味』の、表側。今、俺以外の三人が居る場所だろうか。五、六名程の治安保護隊員が『赤い甘味』に入って行くのが見えた。……俺が隠されたということは、俺を探している?
……いよいよ、まずい事態の意味がなんとなく理解できるようになってきていた。
「どういうことだ? ……治安保護隊員が、俺を探しているのか?」
リオは額に汗をしながら頷いて、俺から目を逸らした。
「実際のところは、探しているのはセントラルの治安保護隊員と、冒険者ギルドの人たち。ラッツ君は私達にとってはよく知る人だから、全然信じてないんだけど――……どうもね、『スカイガーデン没落事件』の犯人を、連中はラッツ君だと思っているみたいなの」
俺は何のことか分からず、首を傾げて聞いた。
「……『スカイガーデン没落事件』?」
「それも知らないの!?」
慌てて、リオは大きな声を出した口を押さえて、俺の手を引いてその場を離れた。森の茂み、木の陰に隠れて様子を伺う。
先程までリオが押さえていた扉が開き、治安保護隊員が辺りの様子を確認していた。……何が起こっているんだ? 俺の知らない一年の間に、セントラル大陸ではスカイガーデンが没落していたのか。
それが俺のせい……か。
いつの話なのか分からないが、もしもおよそ一年前の出来事だとするなら、もしかしたら俺がやってしまった可能性もある。あの時の俺は<凶暴表現>によって、我を忘れていたのだから。
しかし、没落……ってことは、もしかしてスカイガーデン自体が地に落ちたりしたのだろうか。
だとすれば、被害は大きい可能性もある…………なんてこった。
「……とにかく、ここは逃げて。ラッツ君は今、指名手配されてるの。何もしてなくても、殺されちゃうかもしれない」
そう言って、リオは店に戻って行った。出て来た治安保護隊員と接触し、何やら話をしている。
そうか、さっきの客が向けていた視線は俺に掛けられた指名手配の懸賞金と、一人でスカイガーデンを没落させたという疑惑からの話か。……確かに、腕に余程の自信が無ければ治安保護隊員を呼ぶところか。
先程の扉を開いて、治安保護隊員が集まってきた。…………あれ? グループの中に居るのは……シルバード・ラルフレッドじゃないか? 長剣を抜いて、振り被った。リオが慌てている。
――――――――やばい!!
「<ウェイブ・ブレイド>!!」
咄嗟に身を屈め、俺はシルバードの攻撃を避けた。鋭い斬撃は森の木々を切り倒し、一瞬にしてその場はただの荒れ地と化した。
俺の姿は連中の目に晒され、リオが悲痛な表情で俺の事を見ている。シルバードは涼しい顔をして、冷酷な瞳でいた。
まるで、見下すような瞳だった。
「隠れればバレないとでも思ったか…………? 久しぶりだな、ラッツ・リチャード」
俺は苦笑して、森から出た。




