D61 ただいま!
重力の流れに従い、その身を以て風を切る。海底神殿の真下に設置された、渦を巻く『ゲート』に向かい、俺とササナは飛び降りていた。
フルリュとキュートは先に行った。虹色の渦に飲み込まれると間もなく身体が消え、後は俺とササナを残すのみとなった。……それにしても、登る時は二階、三階と踏んで行ったからあまり気にならなかったけど、落下してみるとこうも高いものだとは。
キュートの超人的な運動能力なら着地は問題無いだろうし、フルリュはそもそも飛べるが――――俺とササナで飛び降りたのは、明らかに失敗である。
ササナはすっかりへそを曲げているようで、俺の腕に絡み付いたまま顰め面だ。……まあ、あの王様じゃなあ。と思わなくもないが、本当によくここまで存続したものだ。
友人に嫌われるササナ。そのポジションの意味が、今では何となく理解できるような気もする。確かに規律も罰も曖昧なら、誰もが好き勝手に行動してしまい、それを裁く者も居ないということになるのだから。
ルールがある事なんて当たり前だと思っていたけれど、考えてみたらルールを作るってのは結構大変だ。セントラルでも掟を作れば、ダンド・フォードギアのようにギリギリグレーゾーンを突けばセーフ、なんて輩が現れる。
何だかんだ、恵まれていたんだな。俺も。
「…………ササナ?」
不意に、ササナは俺の服の袖を握り締めた。
「先代国王に……、合わせる顔がない……」
……やっぱり、気にしているんだろうか。あの様子では、海底神殿や人魚島から、徐々にマーメイドは逃げて行く末路を辿っているのだろう。
そういえば、俺達が海底神殿まで殆ど誰にも見付からずに行く事ができたのはササナの結婚式があるからだと思っていたけれど、よく考えてみれば建物の数に対して、広場を歩いているマーメイドの数が少なかったような……。
「お待ちください!! ササナ様!!」
ふと、ササナを呼び掛ける声があった。俺とササナは顔を上げて、先程まで俺達が立っていた場所を見た。声の主は――――リトル・フィーガード。
俺達に向かって、手を伸ばした。当然、こんな距離ではササナの手を掴む事はできない――それでも、涙混じりにリトルが叫んだ。長い茶色の髪が揺れ、まるで俺達に手が届かない事を悔やむかのように跳ね回った。
そうして、叫ぶ。
「海底神殿には、ササナ様が必要です!! どうかそれを、忘れないでください!!」
ササナは苦しそうな顔をして、屋上のリトルから目を背けた。……そうか。ポセイドン王にあれだけの啖呵を切って、それでも未練があるのはリトルの――……落下中、俺は頭上に居るリトルのことを見ていた。
少なくとも、友人に騙されたササナをどうにかしようと、こいつは一人で人間界に降りてきた。人に化けて隠れ、その姿を探していたのだ。少なくとも他の奴等よりは、信頼できるだろう。
……あまり、こういうのは俺の発言ではないと思っていたが。
「リトル!! 俺の猫耳、取っとけ!!」
涙顔のリトルに、俺は左腕でササナを抱いたまま、人差し指を突き付けた。
このまま海底神殿が――――マーメイドの住処が破綻したら、ササナはどう思うだろうか。もう、自分には何の関係もないと言い切る事が出来るだろうか。それとも――――…………見捨て切れず、まだ残されたマーメイド達の居場所について、胸を痛めたりするんだろうか。
俺にとっては、正直海底神殿の先がどうなろうと、どうでもいい。どうでもいいが――――せっかく助けたササナが悲しむようであれば、それはあまり面白くはない。
すべて、ササナ次第だが。
「またな」
俺はそれだけ言って、リトルに軽く手を振った。
リトルは下唇を噛み、涙を止めた。
今は、逃げる。
そうして、虹色の渦巻く魔力の塊に、吸い込まれるように全身は溶けていった。
○
ああ、そうだ。いつか爺ちゃんが、世界を救いに行く事ができるのは四人までなんだって、言っていたっけか。次元の彼方に行く為には、決められた人数が必要なのだと。
その時はそれがどういう意味なのか、さっぱり分からなかったけれど。
トーマス・リチャード。それが、俺の爺ちゃんの名前だ。
どうして、そんな事を思い出したんだろうか。
ずっと、忘れていた。もう二度と思い出す事は無いのかもしれないと、思っていたのに。だって俺は、炭鉱マンになりたくなかったから冒険者になって――……
どうして、炭鉱マンになりたくなかったんだっけ?
肉体労働がしたくなかったからだよ。当たり前だろ、労働の割に得られる給料は薄いし……
本当に、そうだったか?
俺が冒険者を目指した理由は、給料がどうとか、そんな話だったんだっけ?
虹色の渦に飲み込まれて、ササナとも離れた。ただ、魔力の流れは川のように、出口のある方へと溢れていく。
しかし、息はできる。……いや、息をしたくなるほど時間が経っていないのか? 潜ってから、どれくらいの時間が経ったんだろう。それは短かいモノなのか、それとも長いモノなのか。
不思議だ。
宇宙空間か何かにでも、出てしまったのではないかと思えるくらいに。
膨大な魔力に飲み込まれ、揉まれて、俺の存在すらあやふやになってしまっているのではないかと思える。
その、瞬間だった。
『ラッツ。もしも俺が死んだら、いつか俺のことは霧に掛かったかのように、誰の記憶からも消えてしまうだろう』
――――爺ちゃん?
『伝説の大泥棒、トーマス・リチャード。人々の記憶に残るのは、それくらいだ。その時俺が何をしたのか、何を望んだのかは、決して記録には残らない。俺が戦いに行くのは、そういうヤツなんだ。奴は、存在を――――喰う。だから、長い時間を掛けてじっくりと成長していても、誰も知らない。気付かない。気付いた時には喰われているんだ。そうして、人の記憶から消える』
そうだ。そんな会話が、あった。歳を取らなくなった爺ちゃんが、失われた記憶の中に残していった。
爺ちゃんが、俺だけに仕掛けていった。
…………いや、俺だけ、じゃない。もう一人、居た。どこに居た? ――――思い出せ。
『ラッツ、お前はこの事を思い出せなくなる。……誰か俺の事を知らない人で、お前がよく知る人は居ないか? その人に、伝えてくれ』
爺ちゃんが記憶を消させないために、仕込んでいった。
『絶対に、誰が言ったかをその人に話すんじゃないぞ。こう伝えるんだ。もしも、ラッツ・リチャードが入るギルドが無くなったら――――――――』
無くなったら、なんだよ!?
ギルドに入れなかったのは、俺が色んなスキルを覚えていたからじゃないのか!? だって、ソードマスターでは弓矢が使える人間はどうだとか、セイントシスターでは聖職者が刃物を使うのはどうとか、そんな事を言われて…………
ササナが言った。どこのギルドにもパーティーにも、相反する職業のスキルが使える人間は居る。そして、その人は貴重であると。
そうだ。本来は、もっと重宝されていい。
だって、そいつは万能なんだ。他の人間には出来ない事も、そいつの中では選択肢に入るんだ。
つまりそいつは、新しい未来の扉を切り開く鍵となり得るんだから。
もっと、違う理由があったはずだ。どうしても、俺を冒険者にしてはいけなかったとか――――そうだ。どうしても俺を冒険者にしてはいけなかった、理由があるはずだ。
上級スキルを教えてはいけなかった、理由――――?
……当たり前だ。あの、世界という世界から伝説の武器防具を盗んで行った『伝説の大泥棒』トーマス・リチャードの子孫が、冒険者なんかになれるわけがない。
雲隠れして、消えやがったんだ。同じ事は繰り返してはいけないと誰もが思う。
俺には、何の関係も無かったとしても。
そもそも、それさえ忘れていた。爺ちゃんが大泥棒だったことも。
記憶が薄れているんだ。だから、トーマス・リチャードに関する記憶そのものが人々から抜け落ちていくんだ。
『伝説の大泥棒』という、肩書だけを残して。
『心配するなよ、ラッツ。少なくとも、アカデミーには入れるようにするさ。初心者とプロフェッショナルの違いってのは、ギルドに入れるかどうかじゃない。真実が判明するまで諦めずに試す、探究心と根性があるかどうか。それだけだ』
魔力は離れ、何かが俺の全身を覆い、息が出来なくなった。――――しまった。出て来た場所が深すぎて、どこが水上か分からない。
海底神殿は、人魚島の遥か下にあった。つまり、そういうことだ。
全員、大丈夫なのか? 特にフルリュ。キュートがなんとかしてくれたか? ……なんとかしてくれ。頼む。
『お前は、白黒付けるまでやれ。とにかく諦めるな。妥協するな。失敗してもいい、失敗だと分かるまでやるんだ。どんな事でもだ』
いけね、意識が――――
『その時初めて、お前だけの『手引き』が完成するんだよ』
○
潮風が、前髪を揺らしていた。鳥か何かの鳴き声が、静かに辺りに響いている。
「ん…………」
光を感じて、少しだけ頭が覚醒した。僅かに目を開けると、暗い場所から急に明るい場所へと移動した時のように、目を眩ませる光量に包まれて、視界がはっきりとしない。
それでも、暫くその場に居れば目が慣れてくる。寄せては返す波の音と、地平線へと沈んでいく太陽が見えた。
俺は、首だけ持ち上げられた格好で砂浜に倒れている。自分の仰向けになった身体が、僅かに見えた――……後頭部に柔らかい感触。
…………膝枕?
「あ…………起きた…………」
ササナ。
つい先程『人魚島』と『海底神殿』を後にした筈なのに、どういうわけか随分と久しぶりにササナに会った気がした。あのドタバタの中では、再会を喜ぶ事も出来なかったから、なのかもしれない。
まだ、見え難い……右手の甲で瞼を擦り、辺りの状況を確認した。
俺の隣には、フルリュが眠っている。一瞬死んでいるような気がして背筋が凍ったが、僅かに胸は上下していた。…………フルリュも無事だ。
「大丈夫……眠っているだけ……」
フルリュの両手両足は、まるで人間のそれのようになっていた。そこには、ただの金髪美女が眠っているだけだ。そういえば、ササナもマーメイドらしき特徴は隠れている。
例の魔法か。対象が自分じゃなくても使う事はできるってことだ。
「あ、起きたー? ササナ姫!」
声がして、砂浜を走る音がする。猫耳と尻尾でないキュートも、少し新鮮だな。ツインテールを存分に揺らして、キュートは俺達の下に駆け寄ってきた。
俺もササナから離れ、起き上がる。海しか見えていなかった砂浜を振り返り、街を見た。
人間界的な街の作りが、本当に懐かしい。もう随分と長い間、この場所に戻って来ていなかったのだ。一年――――? そりゃ、懐かしくもなるか。
「はい、お兄ちゃん。水、もらってきたよ」
「おー。サンキュー」
サウス・レインボータウン。以前、俺とササナが出会った場所だ。
「動かなくて大丈夫なのか? この場所じゃあ、すぐに追っ手が来てもおかしくない」
てっきり、ササナの水中移動能力を使って別の場所に隠れるのかと思っていたぜ。ササナは水色の長い髪をかき上げ、虚ろ気な瞳で海を見た。
『ゲート』のある方向だろう。
「…………大丈夫。『ゲート』は一度に移動できるのは四人までで……制限を超えると、一定時間機能しなくなる……」
「そう、なのか。四人で移動なんて初めてだったからな」
「前は目隠しして来たから、大陸の場所…………探すのに、苦労した…………」
どうやって? それを問い掛ける必要もなく、ササナは俺の『真実の瞳』を見せた。……そうか、確かにそれがあれば大陸の魔力を見付けて、移動してくる事は可能だ。
ササナはキュートの頭を撫でて、無表情で呟いた。
「猫が動けて、助かった……。私一人では、三人抱えて泳ぐの……無理、だったから……」
「どうだ!! もっとほめろ!!」
そうか、キュートがフルリュを担いで、二人でここまで泳いで来たのか。……『ゲート』が海底神殿にあった時点で、出てくる場所についてもある程度予想しておくべきだったな。ここは、キュートとササナに助けられた。
「でも、黙ってここに居たら、明日にでも連中は追ってきて捕まる可能性があるんだろ?」
ササナは、頷いた。なら、時間は少ない。
俺は立ち上がり、服の埃をはたいた。魔界では目立たなかった民族衣装のような格好も、ここではとても目立つ。どこかで服を着替えないとな。……その前に、金が必要か。
「行こうぜ。ひとまず、南部を離れよう。セントラル・シティまで戻れば、連中もそう辿り着けないだろ」
そうして、フィーナとロイスを探しに行かなければ。それから、『深淵の耳』と――――あと、ゴボウ。
やる事が沢山ある。
「ラッツ」
俺がフルリュを背中に背負った時、ササナが呟いた。僅かに振り返ると、ササナは僅かに頬を染めて。
本当に珍しい、感情を表に出した笑顔で、俺に笑い掛けた。
「…………ありがとう」
まあ、喜んで貰えるなら、頑張った甲斐もあったってもんだ。
「おうっ」
レインボータウンにのみ生息する『ウォーターバード』が、俺達の頭上で円を描くように飛んでいた。
ここまでのご読了、どうもありがとうございます。第三章はここまでとなります。
第四章開始時期については、少し悩んでいるところです。このまま続けるか、否か……
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