D60 勝手に一人でやってればいい……くそばか!
ポセイドン王はマウス五世の姿を見ると、驚いているようだった。……こいつ、ポセイドン王のことを『ポセイドンの旦那』と。何か、二人の間に繋がりでもあるのだろうか。
マウスの目はシルクハットに隠れ、その表情を確認することはできない。身の丈程もある長剣がトライデントを弾くと、ポセイドン王は一度後方に動いた。
「…………オリバー・ヒューレット」
どうでもいいが、見た目は可愛いネズミでも態度が格好良いとイケメンに見えるモノなんだな。初めて知った。マウスはキセルを一度口から離して、煙を吐いた。
ニヒルな笑みを浮かべている。
「やめてくれ、とうに捨てた名だ。今はただのネズミ……マウス五世だよ」
「何故、邪魔をする。その人間に興味でもあるのか?」
「ま、そんなトコでね――こいつはラッツ・リチャード。まあつまり、そういうことさ」
何が「まあつまり、そういうこと」なんだ……? 話がさっぱり見えない。ポセイドン王は軽く首を振ると、トライデントを構え直した。
どうしよう、分からない事が多過ぎだ。話に全く付いて行けないぞ。
「知らんな、そんな名前は――――オリバー・ヒューレット、邪魔をするなら貴様もただでは済まさんぞ」
大丈夫かな、マウス五世……いや、オリバー・ヒューレット? よく分からないが……。こいつが強いのは実際に戦ってみてよく分かったけど、このポセイドン王も物凄く強そうだぞ。
ここは、俺もどうにかフルリュを起こして戦うべきか……?
「おい、何してる。さっさと行っちまえ」
マウスは俺の事を一瞥して、そう言った。訳も分からず、俺は頷いてフルリュを抱きかかえる。……なんだか分からんが、逃げる事は出来そうだ。
キュートとササナに目配せをすると、警備員とベイン・ポートナムトに意識を集中させた。
「人間界に帰ったら、『リンガデム・シティ』を目指せ。どこまで聞いているか分からんが、『深淵の耳』の情報があるはずだ」
マウスが剣を構え、そう言った。……『リンガデム・シティ』? 確かそれは、セントラル大陸から海を渡って、先にある街だったような……
そんな所まで行って、どうするってんだ。長旅どころの騒ぎじゃない。でも、俺はマウスに向かって頷いた。
そうして、一気に駆け出す。
「行くぞ、キュート!! ササナ!!」
フルリュを抱えて、俺達は警備員に向かって駆け出した。出遅れたベインが、慌てて俺達の前に立つ。
「させるかっ!! 全員、構えろ!!」
ベインの号令で、警備員は武器を構えた。キュートが無愛想な顔で……いや、少し不機嫌な様子で、言った。
「お兄ちゃん!! 後でちゃんと、話して貰うからね!!」
何を!?
キュートは警備員に突っ込むと、照準を定めた。構えたのは――両腕。僅かに全身が淡く光っているのは、キュートがスキルを使う手前だからだ。
不敵な笑みを浮かべると、キュートは言った。
「なんか、戦えそうな気がしてきたよ――――<キャットダンス>!!」
刹那、キュートは飛躍的に加速した。室内は何処も水に浸かっていてマーメイドの足場だったが、ここには水がない。キュートは圧倒的に、マーメイドの移動速度を上回る事ができる。
キュートがマーメイドには敵わないと言っていたのは、『絶対水中戦』という、人魚島及び海底神殿の特徴を考えての事だったのだろう。今、その立場は逆転し、奴等は正に陸に上げられた魚――――負ける訳がない。
警備員の周りを大きく円を描くように回っているのだろうが、キュートの速度は誰にも止められず、はっきりと視認することさえ難しい。
「この…………!! やっちまえ、野郎共!!」
警備員の一人が、弓を構えた。俺達にも矢が――それを見て、ベインが手で制する。
「いや、待て!! ササナ姫に当たったらどうするつもりだ!!」
……へっへ、ラッキー! そうだよなあ、この状況でササナに攻撃する訳にはいかねえよなあ!! フルリュを抱いたまま、一気に警備員を抜ける――……いや。
「すまん、ササナ! フルリュを頼む!! <限定表現>!!」
使うのは、勿論腕だ。
ササナにフルリュを任せ、俺はリュックから長剣を抜いた。……ベインの武器も剣か。どうやら、キュートの包囲網をあっさり抜けてきたらしい。慌ててキュートが立ち止まり、ベインの方を向いた。
「あれれ……? 速いな……」
一筋縄ではいかない相手のようだ。尻尾のくせして、こうも速いとは……。俺はキュートに目配せをして、警備員を任せた。ササナはベインと警備員を抜き、ゲートの下へ。
ちらりと、俺の方を振り返る。俺は軽く頷いて、長剣を構えた。
「<ホワイトニング>!! <キャットウォーク>!!」
流石に、もう効果時間を過ぎている。俺は今一度、自分に付与を掛け直し――――ベインが構えた剣を受ける。
ガツン、と重たい衝撃が走った。……やっぱり、かなりの手練だ。素直に戦っても分が悪い事は明らかだな。
「人間。…………お前だったのか、ササナの意識を狂わせたのは。絶対に許さないぞ」
かっこいい顔で「絶対に許さないぞ」と言われると、つい悪役を演じてしまいたくなるから困る。俺はあからさまな挑発の表情で、口の端を吊り上げて舌を出した。
「まあ? 残念ながらササナはもう俺のモンだ。誰が何と言おうとな」
「取り消させるさ。相手は人間だ」
そうだ。馬鹿正直に真正面から突っ込む事はない。こいつが強い事は、その全身から湧き出る魔力から考えてもすぐに分かることだ。
一度長剣を離し、下段、上段、と打ち合う。パワーでは完全に負けている。ジリ貧にならないよう、俺はベインの攻撃を受け流すように立ち回った。
二度ほどバックステップで距離を離し、俺は長剣を構える。最強の一発で、さっさとケリを付けさせて貰おう。
「悪いが、そこは通して貰うぜ!! <ホワイトニング・イン・ザ・ウエポン>!!」
俺の漆黒の長剣が光を纏い、奇妙な風貌になる。ベインは動じる事無く、じっと俺の隙を伺っている。
そう、力で打ち合って勝つ必要などないのだ。ササナが立っている、俺を待っている場所の先には――――人間界へと続く『ゲート』がある。ササナはそこで、フルリュを抱いて俺とキュートを待っている。
「ラッツ!! 構わない、戦って!!」
思わずといった様子で、ベインが振り返った。
キュートの方は――――もう、ケリが付いたみたいだ。辺りの警備員は一掃され、山になっていた。……やはり、地上の獣族とまともにやり合っては分が悪すぎるのだろう。
手を払って、キュートはササナの方へと走る。
「フルリュお姉ちゃん!! 良い加減に目を覚まして!!」
「――――はっ!? すいません、私は何を……貴女は、ササナ姫!!」
一時的に記憶を失う道を選んだか……
俺はベインに視線を戻した。ベインはすっかりササナに意識を奪われているようだ。絶望的な表情で、ササナのことを見ていた。
「ササナ…………。どうして…………」
おお、隙あり。
「<ソニックブレイド>!!」
容赦なく、そのガラ空きの背中に強化版<ソニックブレイド>を叩き込んだ。――いや、叩き込もうとした。
あっさりと俺の<ソニックブレイド>は受け止められ、受け流して背後に回る予定だった俺は勢いを殺された。見てすらいないのに、右手に構えた長剣で俺の攻撃を受け止めたのだ。
ベインは俺の方を向いた。…………親の敵を見たかのような、恐ろしい表情で――――ああ、目尻に涙が滲んでいる。もしかして、政略結婚的なアレだけではなくて、ベインはササナに恋をしていたのだろうか。
「…………許さん。許さんぞ、ラッツ・リチャード……!!」
とにかく、俺はどういうわけか男の嫉妬を受けやすい。まいったなあ。あんまり、正面から戦っていい相手ではないんだけど。
ガキン、と音がして、気が付けば俺の長剣は真上に弾かれていた。<ホワイトニング・イン・ザ・ウエポン>付きの<ソニックブレイド>が急所に当たらないなんて、珍しい事だったが――――気のせいだろうか。その透き通る魔力のオーラの向こうに、燃え盛る炎が見える。
ああ…………やばい。これは、やばい。
「お前を倒して、婚儀をやり直す…………!! 覚悟しろ!!」
ベインの真下に魔法陣が浮かび、その全身から夥しい量の魔力が吹き出した!! ……なんじゃこりゃあ!? 最早この量は魔力じゃない、怨念、怨念だ!!
どうしよう。こんな魔力量で大魔法なんか撃たれたら、下手すると海底神殿から街の方まで流されかねない。下には俺の下劣な行為を見ていた市民と警備員が、鬼の形相で待っているというのに。
何か、何か方法を探すんだ。ベインは既に詠唱に入り、その長剣を振っている。
「おい、そっちは何とかしろ!! 助太刀に来たのが無意味になるじゃねえか!!」
うるせえよネズミ。お前はちゃんと、ポセイドン王を止めといてくれればいいんだよ。
「水帝の賢人の理に従い、災いを有るものとせん」
やばい!! これ、<タイダルウェイブ>の詠唱じゃねえか!! 本当に俺を街側まで流す気だ!!
どうしようか……ベインを止める方法。心を折る方法――
――あ。
「聡明な双眸は高波……」
「ササナ――――――――!! 俺のこと、好きか――――――――!?」
全力で、叫んだ。ベインの眉が跳ね、その詠唱が一瞬止まる。ベインが恐る恐る振り返ると、ササナは――頬を赤らめて、俺からそっぽを向いた。
「ちょっと、場所考えて…………。ラッツ、デリカシー、ない」
――――勝った。
俺はベインに見えないようガッツポーズを取った。ササナの表情を指さし、ベインに一喝する。
「見ろ!! あれが俺とササナの関係だ!! お前は洗脳だと思っているんだろうが、俺達は相思相愛なんだよ!!」
「ちっ……違う!! ササナは俺を婿として受け入れると言ってくれたんだァ!! そんな筈はないっ!!」
俺はベインが真上に弾いた長剣が落下してくることを確認して、それを手に取った。まだ、<ホワイトニング・イン・ザ・ウエポン>の効果時間内だ。すぐにそれを構え、言葉を投げ掛ける事も忘れない。
「これが現実だ!! ササナは俺が戻って来ないと思っていたから、お前との関係を受け入れようとしたんだろう!! だが、俺はここにいる!! それがたった一つの――――」
「嘘だああああ!!」
今度こそ、完全勝利だ。
俺も悪くなったものである。
「<ソニックブレイド>!!」
強化版<ソニックブレイド>がベインを襲い、今度こそベインにダメージを与える。多段攻撃と化した<ソニックブレイド>の斬撃音が辺りに広がり、俺はついにベインを抜いた。
「――――真実ってやつだ」
長剣でガードしていたから、大したダメージにはならない。それでも、ベインを抜きさえすればこっちのモンだ。
ようやく気付いたのか、ポセイドン王が振り返る。全く余裕のない様子で、マウスの攻撃を受けながら叫んだ。
「待て…………!! お前達、まさか人間界に行くつもりか!!」
まあ、それ以外に逃げ道ないし。もっと早く気付けという話である。どうして屋上に登ったのかと言えば、仮に『ゲート』まである程度の距離があったとしても、強化版<飛弾脚>で跳べるという覚悟だったからだ。
まあ、神殿の裏で助かったけども。
「お兄ちゃん、下に小さな小屋がある!! あれだって!!」
「よしキュート、ぶち壊せ!! 俺が許可する!!」
「あいさ――――!!」
キュートが飛び降りた。俺はフルリュの肩を叩き、キュートに後を追わせる。ササナは――――ポセイドン王の方を、見ていた。
「ササナ!! こんな事をして、もう二度と海底神殿に戻って来られると思うな!! パパ、絶対に許さないからな!! 殴られたくなかったら戻って来い!!」
パパって…………
「力に物を言わせれば、人が従う……そんな事を考えているから、人がどんどん居なくなるのよ…………!!」
瞬間、ポセイドン王の顔色が変わった。
「……なんだ!? お前の友達のことか!? だから、あれはササナの友達だったから、殺さずにおいたじゃないか!!」
「そういう問題じゃない……!! 王様の台詞一つで生死が決まるという事なのよ……!! どうしてそれが重い決断だということが……分からないの……!!」
ササナは涙混じりに、叫んだ。……そういえばリトルに連れ去られる時、『反逆者は抹殺した』とかなんとか、言っていたな。……あれは、結局取り消しになったのか。
……どうなんだ? それって。セントラルでは明確な掟が決まっていて、事前に罰則も公開されているけれど。もしかして無いんだろうか、海底神殿には。
国王の独断と偏見ってこと?
やべえな、マーメイド族……
「分かった、ササナ。特別に、彼女らを神殿住まいに戻そうじゃないか!! それで良いんだろう!?」
「もういい……!! お父様もベインも……!! だいっきらい……!!」
「なっ……!?」
何故かとばっちりを受けるベインなのであった。
「私はもう、戻らないから……海底神殿から全てのマーメイドが逃げるまで、勝手に一人でやってればいい……!! くそばか!!」
ササナの口から「クソ馬鹿」なんていう単語が出るとは、正直思わなかったよ。
ポセイドン王が白目を剥いて、その場に佇んでいた。ベインも硬直したまま、動けずにいる――ササナは俺の腕を掴んで、身を引き寄せた。……胸が。
良いのか……? 言葉を言う代わりに、俺はササナの瞳に問い掛けた。ササナは頷いて、ポセイドン王とベインに背中を向ける。
……まあ、こうでもしないと変わらないのかもしれない。
真下で、キュートが小屋を破壊した。すぐに、キュートとフルリュが虹色の渦に消える――――…………
あれが、『ゲート』か!!
「行こう、ラッツ」
「…………お、おう」
多少背後は気になったが、俺とササナは屋上から飛び降りた。




