D57 ササナ・セスセルトの結婚式をぶち壊せ!
「連中は船に乗っている!! すぐに分かる筈だ!! 探せ――――!!」
まあ、その肝心の船が下り途中で沈んだとあっちゃ、連中も逆に驚きだろう。……高かったんだけどなあ。
一瞬の暗転のあと…………気が付けば俺は水の中を泳いで、水面を目指していた。
どうにか下までは行ったようだが、船はそこで沈んでしまった。ここはどの辺に当たるんだ……? 隣は城壁になっていて、海の底まで続いている。キュートは俺よりも上を泳いでいた。
フルリュは――……いた!! 白目を剥いて、底へと沈んでいく。
駄目だ。あのままじゃ、沈んでそれきりになってしまう。俺は一度方向転換して、フルリュを助けに向かった。
重たいリュックを背負っていても、泳げるように訓練しておいたのは正解だ。どうにかフルリュの手を掴んで、上を見る。…………少し、距離がある。このままではまずいか。息が続かない。
「<ごごぶっ……ごぶば(ブルーボール)>」
一応、喋れなくても魔法は成立した。左手で水の球を生成し、その反動で俺は上へと上がって行く。魔力の消費が激しい――――…………
「――――っぶは!!」
どうにか、水面まで上がることができた。俺はすぐに、辺りの状況を確認する。
水流の影響を受けて、ボートは高速で海底神殿の脇へと突っ込んだようだ。海底神殿自体は城下町も含めて巨大な城壁に阻まれていて、巨大な門は開いていた。神殿と言うよりは城のようだ。
水中を船が移動しているなんて思わなかったのだろう、門の外には不安そうに滝を見詰めるマーメイドが何名かいた。そうか、螺旋状に水が流れているということは、一方向から眺めていれば俺達を見失う瞬間もあるはずで――まだ、こちらには気付いていないようだ。
「おい、フルリュ。目ぇ覚ませ、フルリュ」
ぺちぺちと頬を叩くが、フルリュが起きる気配はない。……水を飲んだか? まずいな。
背中を叩いて、俺は呼び掛けた。
「フルリュ!! しっかりしろ、フルリュ!!」
「お兄ちゃん!! こっち!!」
キュートが手を振って、俺を呼んでいる。……陸地か。ありがたい。
すぐ近くまで泳いで、キュートにフルリュを引き渡す。仰向けに横たわらせると、キュートは覚悟を決めたような顔で、右手で手刀を作った。
「ごめん、フルリュお姉ちゃん……!! ちょっと痛いけど、我慢してね……!!」
な、何をする気だ……!?
かっ、とキュートの目が見開かれると、キュートは手刀を振り上げた。そのまま、フルリュの腹を目指して…………ってえぇ!?
「伝家の宝刀!! 食べたもの全て戻すチョ――――ップ!!
ごす、と鈍い音がして、フルリュの身体がくの字に曲がった。
「ぐごばっ――――!!」
ひえええええ!! 良い子は絶対に真似しないように!!
フルリュは水を吐き出して、ピクピクと痙攣している……大丈夫か? ……あ、起きた。
まるで何事も無かったかのように起き上がると、きょろきょろと辺りを見回していた。俺の目を見て、ようやく正気を取り戻し――――
「ラッツ様!? ティリルが、山頂に!!」
「オイ記憶まで戻ってんぞ大丈夫か!?」
全然取り戻してなかったよ正気!! フルリュはここが山ではない事に気が付くと、額に手の甲を添えて、ゆらりと崩れ落ちた。
「ああ……分かりました。ラッツ様がここに居るということは、ここは天国なのですね……」
「目――を――覚――ま――せ――――!!」
傷にならないように慎重に、フルリュに往復ビンタを放つ俺。左右にフルリュの首がぐわんぐわんと揺れる。どうして俺を視認してここが天国だと思うんだ!! おかしいだろ!!
程なくして、フルリュは完全に正気を取り戻した。
「はっ……? 私は、今まで一体何を……!!」
それはいいとして。
俺は立ち上がり、辺りを確認した。色々あったが、どうやらここは海底神殿の脇。城壁に囲まれ、街と海とを分け隔てる境目だ。まだ連中は俺達に気付いていない。偶然にも、不幸中の幸いってやつが訪れたか。
門の側を少し覗いて、すぐに隠れた。何しろ目立ちまくって突っ込んだ海底神殿だ。門の正面には様々なマーメイドが集まっていて、突破は厳しい。ここは大幅にショートカットできそうで且つ、見付からなさそうな場所を探さなければならないだろう。
となれば……壁登りが最も楽か。
何しろ、相手はキュートよりも強い可能性があるのだ。雑魚がどの程度のものか分からないが、<重複表現>のみに頼っていればすぐにフルリュの魔力が枯れてしまう。
こんな状況下でなければ、まるで水の中にあるかのような神殿。入り口を覗けば遥か上空に見える青空、そこから流れ落ちる滝。幻想的な光景なのだが――……今は景色を見ている余裕なんてない。
ササナの結婚式場なるものが、どこにあるのかも見極めどころだ。神殿内とは限らない。壁の向こうに広がっていると思われる、城下町の可能性だってあるのだから。
滝を下っていた時、城壁の向こう側が少しだけ見えたのだ。高速で降りている最中だったので一瞬だったけれど、確かに城下町が見えた。――城壁の向こうにあるのは、海底神殿だけじゃない。ここはマーメイドの住処なのだから、沢山の住居があって然るべきだ。
「あれ……? なんか、マーメイドが門の内側に戻って行くよ」
騒ぎを聞きつけて、巨大な門がゆっくりと閉まり始めたようだ。キュートが城壁の向こう側を見て、そう呟いた。――チャンスだ。連中はまだ、俺達が中に入っていないと思っている。
「フルリュ、飛ぶぞ!」
「はいっ!!」
俺は飛び立つフルリュの足首を掴んだ。一度天井で降ろして貰って、キュートを二度引き上げるべきか――? そう思っていたが、キュートは余裕の笑みで俺を見上げた。
「こんなもん、翼が必要な高さじゃないよっ」
閉まりかけた門に向かい、キュートは走った。何考えてんだ!? そっちは通れないって……と思っていたら、キュートはすぐに扉の陰に隠れた。
扉と壁の間に回って――――そうか、三角飛び。しかし、門が閉まるにつれて幅が広くなっていくぞ。
リズミカルに、キュートは壁と門に足を掛けて登って行く。音も全くしない。スパイか何かのようだ。丁度四十五度程の角度に到達した時、キュートは俺達と同じ高さまで辿り着いた。
そのまま、俺よりも早く城壁を越える。
……お見事。
背後を振り返れば、既にマーメイドの男達が水流を下り、海底神殿を目指していた。やばいやばい。俺とフルリュの方が見付かりそうだ。
さて、どこに警備が集中されるだろうか。
……最も守らなければいけないのは、ササナの結婚式場で間違いないだろうな。時期が時期だ、そこを最も警戒するはず。そして、残念なことに俺達の目的もササナだ。
ま、突破するしかないだろうな。
城壁に足を掛けて、下を確認した。
「急ごう、追っ手が来る」
フルリュも頷いた。
城壁を超えると、キュートの居る建物の屋上に飛び降りた。フルリュも追い掛けてくる。足音はマズいな。見られる数をできるだけ少なくしたい。
「<ヴァニッシュ・ノイズ>」
俺一人分だけでも、足音を消しておこう。
丁度、屋上を移動していた女性が一人――……マーメイドだ。屋上までプールになってるのかよ――着地際に水が波打つが、音はしない。見ればマーメイドの女性は、今にも悲鳴を上げそうな様子だった。
すぐに俺は、リュックから弓を取り出した。矢を添えると、マーメイドの女性からしゃくり上げるような声が聞こえる。
「動くな。動いたら撃つ」
どうやら、洗濯物を干していたらしい。やけに明るいのは、上空に魔力で作られたと思われる光源があるせいだ。
フルリュが若いマーメイドの女性に近付いて、その桃色の髪を撫でた。
「怖がらないでください。ちょっと、眠っていて……くださいね?」
おお、腰を引き寄せた。そのまま、唇をマーメイドの唇に――……
「<スリーピング・キッス>」
ううむ、女性同士というのもまたオツなもんだな。フルリュが手を離すと、マーメイドの女性はその場に倒れた。水に頭まで浸かっているけれど――……まあ、マーメイドなら大丈夫だろう。
フルリュは唇を押さえて、俺の方を振り返った。
「あ、あの、女の子同士のキスは何の意味も持ちませんからっ!! 私、他の男の人にはやりませんからねっ!?」
「いや、まあうん……わかった」
ものすごく慌てていた。別に怒ったりしないって。
屋上の柵に足を掛けて、別の建物の屋根へと跳び移る。キュートの足音を消すために、フルリュが協力する。見れば、沢山のマーメイドが閉まり行く正面入口を見ていた。……連中、俺達の中にハーピィが居るって気付いているんだろうから、城壁の上も警戒しないと駄目だろうに。ありゃー警備でもなんでもない、一般人だとみた。
なら、警備員はまだ門の外と、中――――すなわち、王宮の中か。海底神殿とは言うが、街の形は立派に王国だ。海底神殿を拠点として街を作り、やがて名前だけが残った、というところだろうか。
無事誘拐できたら、ササナに聞いてみよう。
「今のうちに、あのデカい城を目指そう」
「おっけー!」
「かしこまりました」
○
大分、最奥部の城に近付いてきた。城から門までは一直線上に広い道があり、その両脇に街があるという構成になっている。そのため、屋根や屋上を移動しているとどうしても、中央の広い道を見ながら移動することになる。
どうにか、ここまでは特別見付かる事もなく進んで来た。見付からない事がおかしいからだろう、先程から頻繁に神殿の中と外を出入りしている警備員が騒ぎ始めている。
しかし、その流れに無視して武装していないマーメイドは最奥部の城へと向かっている。それもマーメイド族には珍しく、派手な衣装を着て。腰から下が水に浸かっている方が、マーメイドというのは動き易いらしい。水の音をここまで一切立てずに移動できているのは、他ならぬ<ヴァニッシュ・ノイズ>のお陰だな。
「やっぱり城の中でやるんでしょうか、結婚式」
「まあ、そりゃそうだろうな。姫の結婚なんだから」
他の場合は違ったかもしれないがね。
さて、城を目の前にしてどうするか、だが。出来れば裏から回りたいんだけど……海底神殿として使われていた為だろうか。普通の城のように塔の形をしている訳ではなく、奇麗な長方形になっているそれは、中がどのように仕切られているのか分からないのだ。
民家から城の屋上までが、ちょっと遠いんだよなあ……。移動途中で見付かったりしないだろうか。……有り得る。
「……あれ? ラッツ様、あれは……」
フルリュが目配せした先を見て――――俺は、目を丸くした。
「ササナ……!!」
広い道を頻繁に行き交う人々が、彼女にだけは道を開ける。隣に居る、屈強な白髪のジジイ……あれがポセイドン・セスセルトだろう。有り余る筋肉を白い装飾のスーツで隠して、頭には王冠。大した貫禄だ。
そんなポセイドン王と手を繋いで歩いているのは、虚ろな瞳で辺りの騒ぎを面倒そうに見ているササナだ。その輝くドレス姿に、思わず魅入ってしまう――……ササナって、あんなに可愛かったか? ただの電波だと思っていたが……
でも、本人の結婚式だというのにちっとも楽しそうじゃない。それどころか、何かを諦めているようにすら見える。
「お兄ちゃん」
ササナとポセイドン王は、そのまま民衆の歓声と拍手に包まれながら、長方形の城に入って行った。
「お兄ちゃん!!」
キュートの顔が目の前に現れて、俺は思わず狼狽えてしまった。キュートは少し怒ったような顔で、俺の鼻っ柱を掴んで左右に振る。
「いてえ! 痛い痛いって!」
「結婚前にさらっちゃうんでしょ? もう、全然時間ないよ」
そうだ。こんな事をしている場合じゃない。…………でも、あの格好でササナが中に入ったってことは、もう裏から回っている余裕なんてないってことだ。
広い通りでは、未だ門へと入って行く老若男女と、人魚島と城までを行き来する警備員で溢れている。
…………覚悟決めるしか、ないのか。
「ラッツ様、魔力の共有、しますか?」
フルリュが問い掛けた。……そうだ。今のうちに、<マジックリンク・キッス>を受けておいて、いつでも<重複表現>が使えるように、しておかないと。
…………大丈夫、なのか?
ここに来て、フルリュはもう二度、大魔法<ホーリーウインド>を撃っている。一度溺れ掛けているし、どの程度の魔力を使うのかは分からないが、<スリーピング・キッス>なるスキルも使っている。
もしも、魔力が完全に枯渇してしまったら。
「フルリュ。<重複表現>、使えると思うか?」
「使えると思うか、とは?」
俺は、フルリュを見た。僅かに頬は上気して、息が上がっている。そもそも、ハーピィに海っていう組み合わせがあんまり良くないのだ。濡れた翼で飛ぶことは、フルリュにとって大きなハンデのはずだ。
――――やめよう。
<重複表現>がないと何も出来ないなんて、そんな事でこれから先、どうするんだ。
フルリュが居なくなったら、俺は機能停止か?
リュックから、ありったけのパペミントとカモーテルを取り出した。俺はそれをがぶ飲みし、瓶を民家の屋上に捨てた。
「……ラッツ様?」
「フルリュ。今回は、<重複表現>はいいよ」
リュックを背負い直し、立ち上がる。右手を前に出すと、俺は意識を集中させた。
<魔力融合>。
しっかりしろ、俺。何のために、今まで鍛えてきたんだ。
「援護してくれ。突っ込むぞ……!!」
はっきりと、俺はそう言った。背中のフルリュとキュートに、軽く微笑んだ。




