D50 帰って来た重複表現(デプリケート・スタイル)
風を切る音が、俺の耳を絶え間なく刺激している。暗闇の中だというのに、ふんだんに魔力を使った<イーグルアイ>によって強化された俺の視界は、はっきりと機能している。
辺りに潜む、夜の魔物。ユニゴリラ系列は今頃眠っている頃だろうけど、そろそろ毒蛇なんかが顔を出す頃合いではないだろうか。
だが、その位置関係も把握する事ができる今の俺には、蛇の魔物など大した脅威には成り得ない。
フルリュをお姫様抱っこの要領で抱えている今の俺は、両手を使えない。木から木へと跳び移るように、森の中を進んだ。フルリュはじっと目を閉じて、余計な魔力を使わないようにしてくれている。
一心同体。今の俺とフルリュは、言わば運命共同体だ。
エンドレスウォールと戦った時と同じ――……
だが、あの時以上に、俺は。
「さあ、処刑の時間だ。キュート・シテュ」
声が聞こえる。ロゼッツェルの嘲笑を含めた声と、キュートのすすり泣く声。だがこれは、魔力によって強化された俺の五感が捉えた音だというだけで、まだそこまで距離は近くない。
だが、大した距離ではない。今の俺なら、すぐに。
「アサリュェをめちゃくちゃにしたこと、あたし……許さないから」
「何言ってんだ、お前。俺は連中のヒーローだぜ? 良いじゃねえか、お前一人消えればそれで終わりになんだよ」
俺は木の枝に強く体重を掛ける。
「いつかは村人も助けるさァ。……いつかはな」
そうして、跳んだ。
木々に囲まれた視界が一瞬、その遥か上へと昇る。急速に視界は開け、森を上空から見下ろす格好になった。その恐るべき身体能力に、ぞくぞくと湧き上がる武者震いが止まらない。
速度は決して衰える事なく、放物線を描いて木の生えていない広場へと、俺達は落下していく。
「フルリュ!! 一度、手を離すぞ!!」
「はいっ!!」
そのままフルリュを上空に放り、俺は背中に背負った袋から魔族のナイフを取り出した。その刀身は黒く、柄の部分に赤い宝石が埋め込まれている。
魔力を、はっきりと感じる。こいつは魔力を流し込む事で、その威力を上げるタイプの装備だ。
大地の魔力との融合を訓練したお陰か、魔力の扱いも格段に向上している。
真下の広場を見た。俺が初めて、キュートと会った場所だった。キュートは――いた。縛られたまま木の幹に括り付けられ、身動きが取れない状態だ。そんなキュートの首元に、ロゼッツェルが長剣を向けている。
「じゃあな。次はもう少し、裕福な場所に生まれろよ」
ちょうど、ロゼッツェルとキュートの間に落下する格好だろうか。ならば――――俺はナイフを構え、魔力を込めた。
「<ホワイトニング>!! <キャットウォーク>!!」
そうして、瞬間的にキュートの目の前に着地する。目の前のロゼッツェルが、キュートに斬り掛かる――――…………
「<パリィ>!!」
長剣とナイフがぶつかり、俺はそれを真上に受け流した。目を丸くしているロゼッツェルへ、素早く身体を回転させて右手を地面につく。
「<飛弾脚>!!」
上空への蹴り上げ。だが、その攻撃はロゼッツェルに届く事はなかった。ロゼッツェルは予想外の事態だと把握するや、すぐに宙返りをして俺から距離を取った。
鮮やかな身のこなし。そして、俺よりも圧倒的に速い。
振り返って、キュートの顔を見た。その赤と金の双眼で呆然として俺を見詰めているキュートには、涙の痕が残っていた。
俺はキュートの頭を撫でて、笑みを浮かべた。
「よく、耐えたな」
キュートは大粒の涙を目尻に溜めて、ぶんぶんと首を振った。
「お前は――――人間」
立ち上がり、今度はロゼッツェルを見据える。つい、ありもしない指貫グローブの装着感を確かめようとしてしまう。
「分かってるなら話が早いや」
俺はゴーグルを装着する代わりに猫耳を外して、草原に投げた。
「分からないな。本来は異質の存在であるところを、見逃してやったというのに……何故、俺達の邪魔をする?」
カーキ色のジャケットの代わりに、ベージュの民族衣装を着ている俺。アサウォルエェに行って分かったが、形はともかく、素材は獣族の標準仕様らしい。
ナイフを口に咥えて、袖を捲った。
「まず、お前のやっている事がペテンだって分かっちまったこと。キュートの魔法陣を盗んだだろ?」
「そいつの言っている事を真に受けたのか? そいつが嘘を言っていない保証がどこにある?」
ロゼッツェルの言葉に、俺は不敵な笑みを浮かべた。袖を捲り終えると、ナイフを再び手に取る。
「お前の魔法公式には、<ヒール>の公式が含まれていた。つまり、お前は既に存在した魔法陣を解析して、新たな公式を埋め込んだんだよ。もしあの魔法陣がお前のオリジナルで、それをキュートがパクったんだとしたら、わざわざ存在するものを減らしたりしないだろ。それに、何より――……」
俺は決定的なその一言を、口にした。
「回復してねえだろ、あの魔法陣。そう見せてるだけだ。目的は治療費……そうだな?」
ロゼッツェルが突如として、陰湿な笑みを浮かべた。残虐性を剥き出しにして、俺の言動を鼻で笑う。
「なるほど、助けに来ただけある。ただの猿よりは頭が回るらしい――……ククク、だが残念だよ。今の動きで戦えるつもりになっているなら」
そう言うとロゼッツェルは長剣を軽く振るい、黒に近い紫色の魔力を全身に展開した。……なるほど、こいつはただの獣族じゃあない。ペテン師でも、魔法学の知識って意味では通常の獣族よりも優れているのだろう。
「ただの人間には到達し得ない領域ってやつを見せてやろう――――<キャットダンス>、そして――――<タフパワー>」
ロゼッツェルの筋肉が服の上からでもはっきりと分かる程に膨らんだ。<タフパワー>ってのは、武闘家や剣士が自身の筋力・体力を強化するために使う上級スキルだ。……なるほど。魔法使いのように魔力を使う攻撃は獣族には無理だろうが、剣士や武闘家レベルのスキルならば扱う事は出来そうだ。
最も、それをどこで覚えたのかは知らんが。
「お兄ちゃん、逃げて!! 駄目だよ、お兄ちゃんじゃそいつには敵わない!!」
だが、今の俺にそんなものは通用しない。
フルリュが上空から、ゆっくりと下降してくる。軽やかにキュートの隣へと着地し、そのエメラルドグリーンの瞳でロゼッツェルを見詰めた。
ロゼッツェルは既にフルリュの存在など気付いていない様子で、俺に狙いを定めて剣を向けた。
ああ、この殺気。これは、俺に向けられているんだ。
ダンドの時のようには、いかない。
「――――舐めてるんだったら、考えを改め直した方がいい」
「あ?」
全身に、魔力を。フルリュの与えてくれたそれを利用して、夥しい程の魔力量で魔法公式を展開した。
嘗ての自分に言い聞かせるように、俺は言った。
「武器を取ったら、命を賭けろよ。この世でお前だけが『最強』じゃない」
「ほざけこの虫ケラが!!」
ロゼッツェルが、俺を攻撃しに掛かる。大丈夫、この距離なら発動は問題ない。
「お兄ちゃん、だめ――――」
俺は足下に魔法陣を展開し。
そうして、宣言した。
「<重複表現>」
今なら、この魔法公式がどれだけ複雑で難しいか、その実態が分かる。同時に、たかだか俺の魔力如きで発動させようとした過去の自分の愚かさも理解する事になり、それは少しだけ自分に呆れを感じさせたが――――まあ、過去は過去だ。
発動してしまったからには、もう無駄な時間を作ってはいけない。俺は床下にいくつも魔法陣を展開した。そう、陣を描くことでフリーで魔力を利用するよりも安定度が上がるのだ。
魔法公式に対する理解を深めていたお陰で、<重複表現>の使い方も少しだけ理解出来るようになった。
「<ホワイトニング(+1)><キャットウォーク(+1)>」
スキルを使用すると同時にロゼッツェルへと駆け出す。同時に俺へと向かっていたロゼッツェルの顔色が変わるまでに、そう時間は掛からなかった。
「――――え?」
キュートはきっと、一体何が起きているのかと思っている事だろう。そりゃそうだ、俺だってこの技はある条件下でしか使えないのだから。
ロゼッツェルが放った上段からの一振り。その軌道を見据え、俺はまるで剣とダンスをするかのように上体を捻らせた。
一瞬、ロゼッツェルが俺の視界から消える。左足を強く後ろへ蹴り、右足を軸にして身体は下に。大きく足を開いて、背中、後頭部へと剣を這わせるように避ける。真正面から振り下ろされた剣は俺の背中だ――コマのように回転させた身体。ステップを踏んでいなくても、剣は俺の背中で空振りする。
右手が地面に着く頃には、完全にロゼッツェルの攻撃モーションから外れている。大きくスイングした左足は、踵からロゼッツェルの左肩を狙った。
「ちぃっ!?」
舌打ちをして左腕を上げ、ロゼッツェルが左足の蹴りをガードする。振り下ろされた長剣は勢いを失っていない。返すには遅すぎるのだ。
左の踵がロゼッツェルの左腕を強打し、その反動で俺は体勢を戻した。左腕に構えていたナイフを、今度は左足を戻す反動で強く振り上げる――――
ロゼッツェルの下顎を、掬い上げるように狙った。ロゼッツェルはそれを、どうにか身体を引く事で回避した。
こんなものでは、終わらない。俺はナイフを振り上げた勢いのまま、上空に投げた。同時に右手は背中の袋からもう一本のナイフを引き抜き、今度は横薙ぎに喉元を狙う。
その間、数秒の攻防だ。右手のナイフを避けるため、ブリッジをするように身体を反らせたロゼッツェル。一度回転して姿勢を低くし、今度は突っ張っている足下を掬うと、今度は宙返りしか手段が無くなる。
思い通りに、後方へと跳んだロゼッツェル――――俺は目線だけで、ロゼッツェルに合図した。
そう、後ろに跳んだ先に俺の投げたナイフが落ちて来る――――と、奴は錯覚するだろう。
一瞬でもいい。奴の注意を反らせれば、それだけで。俺は右手のナイフをロゼッツェルの心臓目掛けて投げ付けた。合図がフェイクだと気付いたロゼッツェルは、歯を食い縛って長剣を振り上げる。
「人間風情が…………!!」
俺のナイフが、ロゼッツェルに弾かれる。俺は不敵な笑みを浮かべた。
「……これで、終わりだと思ったか?」
そう、これでロゼッツェルはこの瞬間、まるきり無防備になるのだ。背中から引き抜いたのは、長剣。しっかりと狙いを定め、俺は――――…………
「<ソニックブレイド>!!」
一直線に、ロゼッツェルへ閃光の一撃を放った。ガラ空きの腹部に、俺の長剣が。肉を斬った感触は――――ない。
硬い鉄の音がして、俺はそのまま広場の端まで、長剣を振り抜いた。
その手合で、俺とロゼッツェルの実力差がはっきりした、ということだろうか。俺は長剣を鞘に収め、袋へ。落ちてきた俺自身のナイフとロゼッツェルが払ったナイフを、両手で捕まえた。
ガラ空きの腹部を守ったのは、ロゼッツェルではなかった。ロゼッツェルと同じように紫色の猫耳を持ち、口元を隠した男だった。髪の毛は長く、一見すると女性のような風貌だ。だが声を聞く限り、はっきりとした男だった。
――何故だろうか。その猫耳が、俺には偽物のように見える。こいつは――――人間? 耳に反して、髪の色が銀色だからだろうか。
「ロゼ。想定外の事が起きた、ここまでだ」
何だ? 奴が俺の<ソニックブレイド>を弾いた武器――……ナイフと言うにはあまりに小さく、柄の部分に穴が空いている。投擲専用……なのか? 刀身も柄も漆黒の、両刃だった。
服装もロゼッツェルと同じ、黒一色……両腕に巻いた包帯が不気味さに拍車を掛けている。
ロゼッツェルは苛立ち、その男の前に立った。
「……引っ込んでろ、ハンス!! まだ何もされてねえだろうが!!」
……こいつ、雰囲気からするとこの四人のメンバーの二番手といったところか。ロゼッツェルの方がリーダー格のようだが。
それでも、ハンスと呼ばれた男はぎらりとした鋭い眼光で、俺を見据えた。
「今、やられる所だった。それだけじゃない――『次』が、ある」
――――――――こいつは。
「『次』、だと?」
「ああ、そうだ。今のお前では敵わない。熱に流されるのは、馬鹿のする事だ。俺達の目的を忘れるな……アサリュェの支配は、当初の目的だったか?」
眉が跳ねる事を抑えられなかった。このハンスとかいう男、只者じゃない。冷静な判断力と、<重複表現>込みの一撃を難なく受け止めた実力。
ヘタすると、ロゼッツェルよりも強いかもしれない。
隣に居た二人の男が、慌てて駆け寄った。
「そうだ、ロゼ!! もう効果は実証されてるんだし、アサウォルエェに真実が知れた所で問題じゃねえよ!!」
「この人間、ちょっとヤバいぜ!!」
……こいつら二人は大した事、ないな。
ロゼッツェルは頭を掻いて、気を静めているようだった。舌打ちをすると、キュートを睨み付けた。
「…………命拾いしたな。次はねえぞ」
俺にも、ロゼッツェルは憎しみのこもった眼光を向けた。
「人間、てめえ、名を名乗れ」
「……ラッツ。ラッツ・リチャードだ」
言うと、ロゼッツェルは俺に人差し指を向けた。
「俺に命の何たるかを問い掛けるたあ、良い度胸だ。……覚えてろ、てめェは今この瞬間に、ロゼッツェル・リースカリギュレートのブラックリストに載った」
親指を下に向けると、今度は笑みを浮かべた。……いちいち、発言が芝居地味た男である。
「ラッツ。てめえは、俺が殺しゅっ」
直後、頭を殴られていた。……ハンスか。
「だからお前は格好付けが過ぎるといつも言ってるだろうが。黙って撤退しろ」
「何も喋ってる時に殴る事ないだろうが!!」
「お前に任せていたら日が暮れる」
…………そんな台詞を残して、去って行った。
ハンスと呼ばれた銀髪の男の気迫からか、俺はどうしても後を追う気になれなかった。そこで追い掛けて行ったら、逆にやられる気がした。
冗談めいたやり取りをしながらも、一度も俺の方から目を逸らさなかったハンスという男。奴から不気味な魔力を感じたせいで、俺は金縛りに遭ったかのように動けなくなった。
フルリュと魔力を共有していても、魔力量では敵わないと思える量だったのだ。




