B40 凶暴表現(バーサーク・スタイル)
「<ブルー・アロー>!!」
ロイスが取り出した妙な矢は、放たれるとその奇妙な先端を破裂させた。中に入っていたのは、液体――――透明の、液体だ。ロイスはそれを、ガスクイーンの頭上目掛けて何本も放った。
<ブルー・アロー>による、水分の追加。それによって、元から液体を持っていた矢は水を纏い、更に水分量を増していく。
まるで、雨だ。矢から降り注ぐ、大量の雨――……フィーナの作り出した<サンクチュアリ>の中から、ロイスは雨を降らせた。
「まだまだっ……!!」
ロイスは弓を片手に、両手を前に突き出した。魔力が展開されるとエメラルドグリーンのオーラが立ち込め、それがロイスの両手に向かって収束していく。
そして、ロイスの真下に浮かび上がる魔法陣。これは――真下に浮かび上がる魔法陣、両手の魔力。そして――――…………
「水帝の賢人の理に従い、災いを有るものとせん」
そして、詠唱。
間違いない。このモーションは魔法使いの、それも『ギルド・マジックカイザー』の連中の中でも、かなり難しい魔法――『大魔法』の類だ。
真下の魔法陣で魔法公式を造り、両手の魔力を魔法陣に流し込み、詠唱の完了をもってトリガーとする。同時に三種の魔力を制御しなければならないから、マジックカイザーの連中でも出来る奴はそれなりに限られてくる。
どうして、それをロイスが――……
「聡明な双眸は高波……賢明な意思は突風……我、海底都市エルガンザルドの掟に従い、汝らを解き放ち給え」
……なるほど。上等な弓士は、魔力のコントロールにも、遠距離戦闘にも秀でている。援護射撃ではなく、遠距離で戦うエキスパートだ。ならば、奥の手があってもおかしくない。
やっぱりロイスは、弓士としてのスキルだけなら既に超一流なのだ。
後は、度胸が付いて来れば。
ロイスは、目を見開いた。
「フィーナさん、<サンクチュアリ>を消さないでっ……!! <タイダルウェイブ>ッ!!」
巨大な津波がロイスの後方より現れ、ガスピープル共を襲う。津波で一網打尽にする気だ――――いや。
ロイスはすぐに弓を取り、構えた。瞬間的に矢筒から引き抜いたのは、先端の鋭い『鉄の矢』。それを、ガスクイーンに向かって構える。
緊張に身を強張らせながらも、俺に振り返って笑ってみせた。
「ラッツさんの戦い方を見ていて、思い付いたんです。……見ててください」
津波がガスクイーンを襲う。逃げ場などなく、ガスクイーンの周辺に取り巻くガスピープルを巻き込んで――やはり、魔力による攻撃は効くのか。ガスピープルは、煙だというのに苦しそうにしていた。
あの煙のような身体も、きっと実際は煙ではないのだろう。
いや、しかし。これは――……
「喰らえバケモノ!! ――――<シャイニング・アロー>!!」
弓を中心にロイスの全身が発光し、波動砲が放たれる。
勿論それは、<タイダルウェイブ>という大技に巻き込まれたガスピープルよりも早く、<タイダルウェイブ>そのものに接触する。そうして、矢は弾け飛んだ。
そうか。
超電力による攻撃の<シャイニング・アロー>は、莫大な水分量の<タイダルウェイブ>に吸い込まれていく。
俺達は<サンクチュアリ>の中に居るから、水の影響すら受けないが。これは――……
まるで引火するように、僅かな音と共に。
拡散する。
――――爆発的な、速度で。
「<超・放・電>――――――――!!」
目を覆いたくなるほどの光量で、ロイスの放電攻撃が炸裂した。俺はどうにか、その瞬間的に照らされる広場を見ていたが――――駄目だ。こんな光の中で目を開いていたら、目が馬鹿になっちまう。
フィーナの防御が無ければ、俺達も即死級のダメージを受けていたであろう連携攻撃。フィーナは何も言わないが、一体何を考えているのだろうか。
…………少しだけ、心配だったが。
ロイスは魔力を使い果たしたのか、それとも反動からか、その場に尻餅をついた。膨大な魔力の攻撃が止み、出現していた津波も、電気も、その場から姿を消す。
そこには――――世にも大量の、ガスピープルのドロップアイテムが転がっていた。
「よしっ!! これで――――――――」
ロイスの言葉は、そこで止まった。
すぐに、その表情は絶望の色に染まる。一瞬でも起きた期待は奈落の底に落下し、一転してその場に混乱を巻き起こした。
「なっ――……なんで!? ……どうして!?」
誰にも、分かる筈がない。
巻き込んでやられたガスピープルは跡形も無く消えているのに、その場に居た赤い煙の大女は、まるで何も起きていないと言ったかのように、そこに浮かんでいた。
怒っていた。取り巻きがやられたからだろう、もしかしたら当分は再生しないのかもしれない。そこら中に転がった、ソフトボール大のドロップアイテムを見て、ガスクイーンは額に青筋を浮かべていた。
「”#$%!? ’’’!&$%!?」
何かを喋っているのだろうが、ガスピープル以上に言葉が聞き取れない。奴等の声も高いのに、このガスクイーンとかいう親玉はそれ以上だった。耳を塞ぎたくなる、超音波のような音だ。
残念ながら、今の俺では塞ぐ両腕が機能しないのだけど。
「…………どうして…………? このままじゃ…………ラッツさんが、死んじゃう」
うわ言のようにフィーナが呟いて、その場に崩れ落ちた。硝子が割れるように、俺達を守っていた<サンクチュアリ>が消える。
ロイスが、驚愕の瞳でフィーナを見た。
「フィーナさんっ!? 大丈夫ですか!?」
……駄目だ。事情は分からないが、フィーナが機能停止してしまった。零れた涙を拭く気配もなく、その瞳には最早、何も映っていない。
一体、どうしたんだ。このままじゃ、俺だけじゃなくて、皆も――――…………
俺が動けていたら、何かが変わっただろうか。
口が、動かない。フィーナに声を掛ける事さえままならず、俺はただ、この状況を見守っていた。ガスクイーンの右腕が、突如として巨大な槍に変わる。
真っ直ぐに、フィーナ目掛けて振り被られた。
「フィッ――――!? フィーナさんっ!! 避けて!!」
ロイスが弓を捨て、フィーナに向かって走った。
おい。やばいぞ。
――――このままじゃ、全滅しちまう。
「フィーナさんっ!!」
ガスクイーンの攻撃がフィーナに向かって刺さる直前に、ロイスはフィーナを突き飛ばした。
そして。
「――――あっ」
声が出ない筈の俺の口から、僅かに吐息が漏れた。
――――――――ロイス!!
巨大な槍が、ロイスの腹を貫いた。何が起きたのか分からなかったのだろう、ロイスは自分の腹を見詰めて、呆然としていた。
ガスクイーンが巨大な槍を抜き、ロイスがその場に崩れ落ちる。
「くそっ!! 解毒の魔法公式さえ作れれば、どうにかなるかもしれないのに……!!」
ゴボウが悲痛な声を出した。
フィーナは最早どうにもならず、ただ震えていた。
「私は『また』、助けられない…………」
俺がやられてしまったことが、フィーナのトラウマのようなものを呼び起こしてしまったのだろうか。
フィーナの瞳には、何も映っていない。……いや。
映っているのは、『過去』。
そんなにも衝撃的な何かが、あったと言うのだろうか。
俺に、関わること?
――――さあ?
覚えていないな、昔のことは。『あの炭鉱で、何が起きたのかなんて』。
「聖職者の娘――――フィーナ!! フィーナよ!! 目を覚ませ!!」
ゴボウが必死で、フィーナを呼び掛ける。だが、フィーナがそれに応える事はなかった。
ガスクイーンはロイスが倒れた事を喜び、そして再びフィーナに向かって槍を構えた。
悪夢だ。
――――ああ。
「なあ、ゴボウよ」
その言葉は、言葉になっていただろうか。それとも、俺の麻痺してしまった唇はもう、動かなかったのだろうか。
だが、ゴボウには伝わっているようだった。俺の様子に気付き、振り返ったように見えた。
その、『神具』の中で。
「二人を助ける方法はないか?」
俺の慢心が、招いたことだ。
実際の所はどうだ、なんて、どうでもいい。あの状況下で俺が動いたのはベストだったとか、ベストではなかったとか、実際の所どうだったのか、なんてことは、どうでもいいことなんだ。
ただ、俺は間違いなく慢心していた。
余裕だった。
余裕な振りをしていたんだ。
いつも、そうだ。俺の慢心が、被害を呼ぶんだ。……フルリュの時も、レオの時も、ササナの時も、そうだった。
あの時俺が、事態が深刻化する前にフルリュの妹をちゃんと探しておけば。
ダンドにとどめを刺していれば。
リトルの思い出し草に、気付いていれば。
「…………今度は、ちゃんとやるからさ」
どうせ、このままじゃ死んでしまう。だから、暴れる事で死んだって良いんだ。
俺に出来ることは、もうそれくらいじゃないか。
「主よ…………」
良いから、出せよ。どうせあるんだろ、命を捨てる事も厭わなければ、爆発的に強くなる方法くらい。
程なくして、俺の頭に魔法公式が流れ込んできた。……あまり魔法公式の内部事情に詳しくない俺でも、それが何を意味するのか、薄っすらと理解することができた。
…………なるほどな。魔法公式の殆どは魔力を犠牲にするものだけど、これは体力を犠牲にして発動するものなのか。
体力とは言わないかもしれない。或いはそれは、『生命力』――――…………
「分かった。主よ、最早私も主と運命共同体――その覚悟、私の命を持って受け止めよう」
俺の、寿命のようなもの。
それを、犠牲にして。
「<凶暴表現>」
静かに、音もなく、俺の口が動いた。
ガスクイーンの槍が、飛んでくる。それは、フィーナに向かって。鋭い槍はフィーナの腹部目掛けて、圧倒的な速度で放たれた。
フィーナはその様子を、呆然と見詰めていた。
大丈夫だ。
もう、大丈夫。
俺はそれがフィーナへと直撃する前に、素手で受け止めた。
それは誰にも悟られない程に、一瞬の出来事だった。
「$%%――――!!?」
突然動き出した俺に驚いたのだろう。ガスクイーンは俺の様子を見ると驚き、目を丸くし、そして――――その表情は、恐怖に変わっていた。
「なるほどなあ。普通の『ガスピープル』は物理攻撃を受けず、魔法攻撃だけを受けるヤツだったけど。つまり、お前は逆ってことか」
全身を満たす、巨大な魔力。俺の身体から溢れ出ると、まるで湯気のように立ち昇っていく。<重複表現>は魔力を使うものだったが、これは。
巨大な槍は魔力によって作られたものだ。俺はその直刃を、左手で割った。
自分の力を制御することができない。<重複表現>と違い制限はなく、俺の能力は底無しに上がっていく。
後何分かすれば、俺は自我を失い、ただ何かを壊すだけの化物と化すだろう。
今回は、間違いなくそうなる。それは自覚することができた。
「ラッツ、さん…………?」
そうなる前に、二人――――いや、三人を何処かに送らなければ。『この空間を支配している魔力なんて、今の俺の魔力からすればゴミみたいなものだ』。俺はロイス目掛けて右手を振るい、倒れたロイスの真下に魔法公式を描いた。
そうか、ここは空に浮かぶ島、スカイガーデンの地中深くなんだ――――大陸同士の魔力を感じて、俺はそう判断した。ならば。
俺は、セントラル大陸に目的地を定める。
場所なんて、何処でもいい。とにかく、人の居る場所だ。人の居る場所に転送されてくれ。
到着地点を乱暴に決め、有り余る魔力をもって無理矢理に転移先を指定した。
「飛べッ――――!!」
<マークテレポート>と表現するには、あまりにも荒い空間転移の魔法公式。転移魔法なんて縁がないかと思っていたけれど、理論だけでもアカデミーで覚えていて助かったな。
どうせここに居たら、死んでしまうのだ。一か八か、助かる道を求めて吹っ飛ばしてしまえばいい。
続けて、フィーナ目掛けて左手を向けた。ロイスと同じ事をするのだと気付いたのだろう、フィーナが顔を上げて、涙混じりに叫んだ。
「嫌!! 嫌、ラッツさん!! やめて!! 私も、一緒に――――」
その言葉は、最後まで発される事はなかった。
俺が何も聞かず、フィーナを転移させたからだ。
「失敗作の魔法公式が、こんな所で役に立つとはな――――すまない、主よ。私が余計な事を言ったせいで、こんなダンジョンに足を踏み入れる事になってしまった」
何か、毎度のようにうるさいゴボウが喋っている。
まあ、いいか。
俺は自身のリュック目掛けて、瞬間的に魔法陣を描いた。
「…………主よ? …………何を、考えている?」
飛ばすのはリュックだけじゃない。勿論、『ゴボウ』も一緒だ。
「待て!! 踏み止まれ!! 分かっているだろう、その魔法公式で主は死ぬ!! 私だけ助けて、どうなると言うのだ!!」
神具の向こうでは、今頃泣き喚いている頃だろうか。……似合わないな、そういうの。
失敗作なんかじゃねえよ。こうして、二人を助ける事ができた。――まあ、本当に助けられたかどうかは分からないけどな。
勿論、お前も転移先の保証なんて出来ないぜ。
「馬鹿者がッ――――!! 死の魔法に助けられるなど、魔法学者として最低の生き様だ!! その有り余る力で、私を殺せ!! 共に逝かせてくれ!!」
喚くなよ、お前らしくもない。
「やめろ、ラッツ――――――――!!」
俺は、笑みを浮かべた。
「すまんね。元に戻してやれなくて」
そうして、ゴボウをその場から転移させた。
全身が悲鳴を上げている。おそらくそれは、肉体の限界以上に跳ね上がった俺の筋力と魔力によるもの。既に俺は半分以上自我を失っていた。身体が殺戮を求め、快楽に染まり、そして痛みに飢えていく。
痛みが欲しい。
――――もっと、痛みが。
「”+%$&……」
謝罪なんか聞かねえぞ、太古の魔物。俺はガスクイーンが逃げるよりも早くそいつの後ろに回り込み、その醜い頭を右手で掴んだ。
遠慮無く、その頭を握り潰した。
まるでリンゴか何かが崩れるように、ガスクイーンが潰れる。頭部を無くした無惨な魔物はジタバタと両手を動かし、その場から消滅した。
他のガスピープルと同じように球体をドロップする。だが、それは真珠のように美しく輝いていた。
なんとなく、直感的に理解した。
空の神イングリナムが残していったという、『真実の瞳』というアイテム。それは長く、空の島『スカイガーデン』に眠っていた。
しかし、人々の手には渡らなかった。話題にもならなかったのは、化石とも言うべき魔物が地中深くに隠していたからだ。
良かったな、ササナ。これで、お前を人魚島から救い出せるよ――――
そこで、俺の意識は完全に途切れた。
ここまでのご読了ありがとうございます。
第二章はここまでとなります。
※第三章開始までに、少しお時間を頂きます。詳細は活動報告まで。