B39 連続トラブルは週に一回どころじゃない
「<ホワイト・アンチドーテ>」
フィーナが額に汗をしながらも、へたり込んだ俺に解毒の魔法を掛ける。<ホワイト・アンチドーテ>。解毒の他に、一部の魔物が使う呪い・呪縛系の魔法からも逃れる事ができる、聖職者の状態異常治癒魔法としてはかなりレベルの高い魔法だ。
だが、俺の身体を襲う針のような痺れは治まることがなかった。ただ麻痺しているだけではなく、じわじわと俺の身体を気怠くさせていく。
俺の顔を見て、歯を食い縛っていた。フィーナは続けて、俺に白い魔力を浴びせる。
「……<ハイ・ヒール>」
フィーナお得意の、体力回復スキル。少しだけ気分は良くなるが、それで俺の毒が消える訳じゃない。一部の弱い菌などは自己治癒能力を高める事で治る場合もあるが、多くの毒は自己治癒能力で治らないから、死に至るまで苦しめられるのだ。
身体を復元・再生させる『ルーンの涙』や、フィーナ程の実力がある聖職者なら、それに相当する……何だったかな、なんとかっていう魔法を使って、腕や足を切り落として復元させるという荒業もあるけれど――……
俺は自分の身体を蝕んでいる、ガスピープルの毒を見た。
手や足は緑色になっていて、所々血管が浮き出ている。既に足先・指先から侵食し、じわじわと首に迫っていた。
全身が緑色になってから、どれだけの時間生きていられるのかは分からないが――――ガスピープルを倒してから、どのくらいだ。
半日は間違いなく経っていない。ということは、少なくとも全身に毒が回って、身動きが取れなくなるまで半日以内、ということ。
…………今日一日は、保たない。確実に。
フィーナが俺の手を握り締め、涙を零した。
「――――治せません」
ロイスも辛酸を嘗めるような表情で、俺とフィーナの様子を見ていた。フィーナは下唇を噛み、俺の隣に座り込んだ。……両手で、俺の緑色になった手を握り締めながら。
麻痺してしまっているから、どれだけ力が入っているのか分からないが。その両手は、震えていた。
「あまり、触れ過ぎない方が良いよ。伝染しない保証がない」
俺の言う事なんて、聞きゃしない。フィーナはかたかたと震えながら、深刻極まる表情で俺を見た。
「ごめんなさいっ…………私…………」
「いいよ、フィーナ。サンキューな。お前が居なけりゃそもそも今、俺は生きていないわけで」
フィーナは俯いて、その顔を光の影に隠した。広場自体が元々暗いので、俯いてしまえばその顔を確認することは叶わない。
「…………支援職の仕事は、冒険者を生かすこと」
でも、俺にはその時のフィーナがどんな顔をしているのか、手に取るように分かった。
「どうして肝心な時に、大切な人ひとり、助けられないの…………私は」
現代に生きる俺達にとって、化石級に古めかしい魔物が使う毒の対処など、出来なくて当然だ。そもそも、毒系の技は時代が変わる毎に内容が変わり、進化していくもの。変化に合わせて叩くものだ。
だから<ホワイト・アンチドーテ>にしたって、毒に対応する魔法公式・肉体への変化は、時を経るごとにどんどんと変わっている。要らなくなった魔法公式を消し、新たに追加していくのだ。
「待っていろ。今、私の記憶の中から、『ガスピープル』の毒に対応する魔法公式を思い出す」
ゴボウが俺の背中で、そんな事を言った。
そもそも、そんな事が出来るならお前は、俺に何も言わずに魔法公式を流し込んでくる所じゃないのか。事態は、一刻を争うんだぜ。
「……知らないんだろ? 本当は」
小さく、舌打ちの音が聞こえた。
「……そうだ、知らないっ!! 知らないが、この状況で主を助けられるとしたら、私しか居ないではないかっ……!! 今、この神具の中で、魔法公式をいくつも書いているところだ!! 少しだけ待っていろ!!」
声が、幼い少女のそれに戻っていた。この緊迫した状況では、誰も突っ込む者など居なかったが。
ゴボウの中では今、魔族のゴボウが必死に何かをしているんだろうか。……その外観から、こいつが何をしているのかは分からないが。
「ラッツ、さん……」
ロイスの言葉に、俺は力無い笑みを浮かべた。
そのまま、広大な天井を見上げる。
――もう、満足に身体を動かす事が出来ない。意識を保っているのがやっとの状況で、冒険も何もあったものではない。かといって、トラップに嵌って潜り込んだダンジョンのような遺跡で、脱出する方法はまだ見付かっていない。
俺はリュックから、思い出し草を取り出した。
…………当然のように、思い出し草は効力を持っていない。なんとなく気付いてはいたけれど、この場所全体が魔力に満ちていて、半端な魔力による外部からの干渉や、内部から外部への干渉が出来ないようになっているのだ。
…………第一、セントラルに帰った所で、元は鎖国していた空の島の、しかも化石級に珍しい魔物の毒なんて、治癒の仕方も分からないだろう。
「……はは」
思わず、笑いが零れた。
トラップ系のダンジョンではよくある事だけど、改めて身動き取れない状態でこうなると、背筋が寒くなる。
手にしていた思い出し草を取り落とし、俺は震える指で、リュックから顔を出していたゴボウを引き抜いて、ロイスに渡した。
「ほれ。こいつ、連れて行ってやってくれよ。何かの助けにはなるだろ」
「……ラッツさん?」
ロイスがゴボウを受け取り、目を白黒させていた。フィーナも、訳が分からないといった顔をしている。
……おいおい、大丈夫かよ。ロイスはともかく、フィーナは新米でもなんでもない。元セイントシスターのギルドリーダーが、そんな判断力じゃ困るぜ。
「分かるだろ、俺はここまでだ。このまま俺をどうにか運んだ所で、あと六時間もしないうちに死ぬのがオチだ。ここに置いて、出口を探せ」
或いは、入るダンジョンの選択をミスした。或いは、自分が手に入れられるアイテムのレベルを見誤った。
或いは、俺が自分の実力を過信していた。
これが一番、大きかったかな。
「そんな……!! ラッツさん無しじゃ、この先のダンジョン攻略なんて無理ですよ!!」
ロイスが俺を窘めるように、怒りの姿勢を見せた。……どちらかと言うと、ダンジョン攻略が無理だからと言うより、俺を捨てたくないという意思だろうな。
少し、念を押さなければならないか。
「出来なきゃお前も死ぬだけだ。目え覚ませよ、ロイス。今この場で、俺が何の役に立つ」
「で、でも――……」
俺は装着されていたゴーグルを外した。戦闘時にはいつも装着していた、俺のゴーグル。
それを俺は、フィーナに握らせる。
「ここは『ダンジョン』で、俺達は『冒険者』。全員生還を目指して一人も生還出来なかったんじゃ、話にならないんだぜ」
ロイスが俺から目を逸らして、苦い顔をした。そりゃ、そうだ。助からない人間をいつまで引っ張ったって、どうせ助からないのだから。それは見殺しにするのとは違う。
別に、ここで置いて行くのは悪い事じゃない。セントラルの『冒険者の掟』にだって、そのように書いてある。
「嫌です」
ふと、フィーナが俺の首に腕を回した。
「……フィーナ」
なんで、こいつも俺を助ける派なんだよ。冒険者として何度もダンジョンに潜っているんだから、それくらい――……
「私は世界中が貴方の敵になっても、絶対に見捨てたりしません」
……きっぱりと、そう言われた。
何でこんなに、俺の事を気に掛けるんだろうか。いや、これは最早執着と言っても過言では――……俺、何かしたかな。
アカデミーでフィーナと関わった事なんて、殆ど無い。それより前の事なんて、殆ど覚えちゃいないのに。
「と、とにかく、ラッツさんを抱えて行きましょう。もしかしたら、解毒できる何かが見付かるかもしれませんし」
ロイスがその場を誤魔化すように、そう言った。……そりゃ、何の解決にもなってないが。
その、まあこれくらいやれば良いだろう、的な明らかに甘い考えが、思わぬ事故を招くことだって――――…………
…………俺も、同じか。
どうして、先頭を行った。この状況で、戦闘能力が一番高いのは俺だと過信したのか。何の根拠があって。
フィーナなら、自分を守りながら様子を見てくる事が出来たかもしれない。ロイスなら、火力の高い一撃で戦闘を引っ繰り返せたかもしれない。
<重複表現>の使えないこの状況で、一番実力不足なのは明らかに俺だったじゃないか。
どうせ行くなら、フィーナを連れて行くべきだった。ロイスと違って近接戦闘が出来て小回りが利くから、少しはマシな戦闘が出来たかもしれない。
この状況だって、想定できる事だっただろう。
俺は、舐め過ぎなんだ。
ダンジョンも。
――――人間関係も。
「……フィーナさん。……何か、変な音がしませんか」
ロイスが何かに気付いたかのように、立ち上がって背後に振り返った。ゴボウを再び俺のリュックに差し込み、代わりに自身の背負っている弓を手に取る。
フィーナも顔を上げて、不安気な様子で辺りを見回した。……特に、何も聞こえないが。
俺の耳は既に馬鹿になっているかもしれない。フィーナやロイスの声も、少しくぐもったように聞こえる。
「……確かに、聞こえますわね」
何だ……? 少しずつだが、俺にもその音が聞こえ始めた。超音波のように高く、そして耳障りな音だった。
――――いや、これは、声、だ。
「まずい……これは、まずいぞ……」
ゴボウがそう言うんだから、それは大層まずいんだろう。
フィーナが<シャイン>を使って照らしている空間の端に、灰色の煙が現れた。俺が戦ったものと同じ、ガスピープルだ。その顔は怒りに満ちている――……
数が多い。一、二、三…………軽く見積もっても、二十体は居そうだ。その中心には、他と違って赤い煙を漂わせる――――巨大な、中年女の姿をしたガスピープル。
ゴボウが小さく、呟いた。
「『ガスクイーン』だと……『ノーマインド』の魔物を生み出す魔法公式は、人知れずそんなものまで創り出していたのか……」
その時、思い出した。
初めに俺の前に現れたガスピープルは、三体。
俺が倒して獲得した、煙玉のような妙なアイテムは、二つ。
「……そうか」
そうか。
逃げられていたか。
渾身の一撃、だったんだけどなあ…………
「フィーナさん!! すいません、援護をお願いします!!」
ロイスが弓を前に、構えた。フィーナは青い顔をして、震えている。……どうしたんだよ、こいつ。お化けがそんなに怖いのかよ。そんな事言ってる場合じゃないだろ。
こいつは、魔物なのに。
「……は、はい……」
「<トリプルアクション>!! <ホークアイ>!!」
ロイスが幾つも下げている矢筒のうち、一つを選択した。蓋を開いて、矢を弓に添える――『魔法式の矢』だ。殺傷能力を殆ど持たない代わりに、魔力を上げる効果を持つもの――――なるほど。物理攻撃の効かない相手だと、初めから決めて掛かったか。
「<ライトニング・アロー>!!」
何体も飛び交っているガスピープルに向けて、ロイスが構えた矢は一本じゃない。指の間に何本も構え、更に流れるように矢筒へ――……
「――の、<ガトリング・アロー>!!」
恐るべき速度の、<ライトニング・アロー>の乱射。その速度はかなりのもので、ガスピープルは為す術もなくロイスに撃ち抜かれていく。
ガスピープルは消滅寸前に、奇声を上げて去っていく。……別に何も起きないが、精神衛生上あまりよろしくない。
「KYAAAAAAAAAAAA――――!!」
すげえな。俺が<強化爆撃>の最大火力まで持ち出して、どうにか倒したガスピープル。ロイスはそいつを、上級スキルの乱射で葬っていく。それも、確実に。
ロイスは小手先の威力でスキルを放ったりしない。火力が一段階上の<シャイニング・アロー>を敢えて使わないのは、溜めの時間が無いからだろう――普通は、<ライトニング・アロー>を撃つのにもそれなりの溜めを必要とするものだが。
ロイスはそれを、さも当然のように連射している。
ガスピープルは後から次々と登場し、登場してはロイスの<ライトニング・アロー>に貫かれて消えていく。だが、光の影から無数にガスピープルは襲い掛かってくる――……まるでゲームか何かのようだ。初めは余裕だったロイスも、全速力の<ガトリング・アロー>をいつまでも続けているのは苦痛らしく、少しずつその回転速度が鈍っていく。
「…………くっ……フィーナさん、すいません!! <サンクチュアリ>をください!!」
「あっ……!? <サンクチュアリ>!!」
遅れて、フィーナが防御結界<サンクチュアリ>を繰り出し、俺とロイスを含む三名を魔力で取り囲んだ。
流石のガスピープルも、聖職者の防御結界を突破することは難しいらしい。そりゃ、そうだ。かのエンドレスウォールでさえ、一撃では壊せなかったのだから。
ロイスがほっと一息ついて、くたびれたと思われる両手を何度も振っていた。
しかし……フィーナの様子がおかしい。ぼろぼろと泣き止む事なく涙を零し続け、戦闘への対処も遅れている。
きょろきょろと辺りを見回し、何かを探しているようだった。……馬鹿な。何をしているんだ……!!
「……大丈夫です。この程度の魔物なら、僕でも――……」
瞬間、ロイスの身体が硬直した。向こう側に居る――『ガスクイーン』とゴボウが呼んでいた――親玉と思われる赤い魔物が、ロイスを睨んでいた。……おそらく、仲間を何体も葬られたからだろう。
強烈な殺気を放っている。ガスピープルは何処まで行ってもお遊びという雰囲気だったが、こいつは別だ。その実力は『ダンジョンマスター』くらいのものだと思っておいた方が良いのだろうか。
ロイスはすぐに弓を構え直し、喉を鳴らした。
「……気圧されたらそれまでだ。……恐れるな」
自分に、言い聞かせているようだった。
ガンドラ・サムと俺との一戦は、ロイスに何らかの変化を与えただろうか。
ロイスは別の矢筒に手を伸ばし、矢を取り出した。取り出したのは――――なんだ? 見たことがない――……先端が丸く、取り出すと手毬のように弾んだ。
それを構え、ロイスは歯を食い縛った。
「ラッツさん……!! 生きて、帰りましょう……全員!!」
そう言って、ロイスは弓を構えた。