B36 天空の大陸、『スカイガーデン』
さて、セレブ共――もとい、フィーナ・コフールとロイス・クレイユの好意? のようなものにより、またリヒテンブルクの豪華な宿に泊まることになった俺であるが。
すっかりゴボウも元のゴボウに戻り、アーチャートーナメントも終わり、空に浮かぶ島『スカイガーデン』へと足を運ぶ事になった。一応、当初の予定通りではあるが。
俺の隣に居たササナ・セスセルトは人間の振りをして弓士のパーティーに紛れ込んでいた『リトル・フィーガード』というマーメイドに連れて行かれ、代わりに俺のパーティーには『例によって』いちいち振り回す聖職者のフィーナ・コフール、そしてフィーナに足首を掴まれた可哀想な捕獲者のロイス・クレイユが付いている。
結局、ロイスはガンドラ・サムに相談して、暫くは俺のパーティーに入る事になった。お人好しが災いしたのかどうなのか、それともフィーナに振り回されているのか――まあ、両方だろうな。
人魚島の王妃だったササナは、本人の意志とは関係なく人魚島に連れ戻される事になった。そんなササナを攫ってしまおうという、場合によっては大問題に成り得る作戦を実行する俺達であった。
そんな背景を思い返しながら、俺はリヒテンブルクの宿屋で目を覚ました。相変わらず天蓋付きのベッドだ。今回はフィーナの部屋に泊まる事になったので、ソファーに身を投じた俺だったが。
…………って、あれ? なんでソファーに寝た筈なのに、真上にベッドの天蓋が見えるんだ……?
「……おお、ばっちり朝だ」
そう呟いてしまうほどに、カーテン越しに風は部屋へと吹き込み、揺れるカーテンから光が漏れている。身を起こすと、確かに俺はベッドに寝かされていた。
――――服を、着ていない。
「えっ」
ふと、隣を見た。『そういえばダブルベッド』だったし、『そういえば枕は二つ』あったような気はしたが――――俺の隣には、未だすうすうと寝息を立てるフィーナが――――
――――服を、着ていなっ――!?
「えっ!?」
危険な部分が見えてしまう前に、捲ってしまった布団を元に戻した。
ちょ、待っ――――え、あれ? 昨日、俺、何した?
何かしたか?
酒でも飲んだ?
……いや、飲んでない。昨日の記憶ははっきりと覚えている。
確かに俺はソファーに寝たし、それ以降の記憶はない。知らない間に――手を出された? いや、まさか。いくらフィーナと言えど、色仕掛けの度を超えたような――ドラマだったら成人指定が入るような事を平気でしてくる筈がない。
朝方から急激に上がった心拍数が、俺の息を浅くする。まさか、湯上がりのフィーナの色香に惑わされて変な事をしたのか!? いや、俺に限ってそんなヘマはするはずが――……
ああどうしよう、わけが分からなくなってきた。フィーナが目覚めないようにあくまで静かに、俺は昨夜の記憶を何度も繰り返し思い出した。いや、今の状態が夜の出来事と全く一致しないのだ。俺の記憶の無い間に、一体何があったというのか。
「…………ん」
やばいっ!! フィーナが起きたっ!!
未だ脂汗を垂らして絶望の表情を浮かべている俺と、フィーナの寝惚けた目が合う。俺の顔を見ると、フィーナはくすりと笑った。俺の手を握り、頬擦りをする。
「ラッツさん……昨夜は……ふふ、お楽しみでしたね」
ちょ、えっ!? 昨夜は何も無かったですよね!? 無かったですよねえ!!
瞬間、玄関側の扉がノックされた。ただでさえ限界まで張った心臓が、俺を更にパニックに陥れる。
「ラッツさんフィーナさん、おはようございますー」
――――ロイス!!
やばいっ!! こんな所を見られる訳にはっ!? いや何がなんだか分からないが、本当にやばい!! 確かロイスには、この部屋の鍵を渡して――――…………
扉を傍観して固まっている俺の背中に、フィーナの身体がしなだれ掛かってくる――――ぞわり、と寒気がした。
「お、おま、ちょっ、これ」
言葉にならない。フィーナの素肌が俺の素肌に――うわああ、何だこれ何だこれは。聞いてないぞ。良い子は見ちゃいけません!!
「ふふふ、ラッツさーん」
背中からフィーナの手が伸びる。その右手は、真っ直ぐに俺の顔に――――そして、部屋の扉が開いた。
「馬鹿やめろロイス!! 扉を開け――――痛っ」
フィーナに、鼻を掴まれた。
ロイスが扉を開け、俺とフィーナを見た。――――ああ、駄目だ。もうおしまいだ。俺は混乱と絶望に顔を青くして、迫り来る暴言を耐えるために口を固く閉じた。
ロイスは僅かに頬を染めて、少し照れながらも目を逸らす。
「……あ、朝から仲が良いですね」
――――あれ? …………それだけ?
ふと見ると、一糸纏わぬ白い腕だった筈のフィーナの右腕は、しっかりと宿の寝間着用のローブを着ていた。……俺も、ローブを着ている。
恐る恐る、背中のフィーナを振り返って確認した。フィーナは悪戯っぽく笑って、俺の鼻の頭を小突いた。
「げ・ん・か・く・ま・ほ・う」
俺の意識は一瞬、世界を取り囲む偉大なる魔法公式にも手が届く程に宙を舞い。
そして。
「お前のイタズラはっ!! 質が悪すぎるわ――――!!」
そう、叫んだのであった。
○
俺の知らない『スカイゲート』の姿は、自分が思っていたよりも遥かに幻想的なものだった。
地面に描かれた、俺には解読しようもない魔法公式の羅列。その美しくも完成された魔法陣は、青白い光を伴い、俺とロイス、フィーナを天空の大陸へと運んでいく。
普通に考えれば、それは思い出し草や<リメンバー>、或いはフィーナが使う<マークテレポート>のような、転移系の魔法である筈だが。転移系の魔法は難しいが、専用に人を雇う訳にもいかない。ということで、消えない魔法公式を大切に保管し、利用しているらしいのだ。
その複雑な仕組みを解読することができれば、ゴボウに一歩近付くかもしれない――なんて、青白い光を抜けた建物の中で益体もない事を考える俺であった。
「到着しましたよ。ここが、『スカイガーデン』です」
ロイスに案内されて、俺とフィーナは小さな建物を出た。
「……すげーな」
率直に、そのような感想しか喋る事が出来なかった。それ程に、『スカイガーデン』とは美しい場所だった。
まるで天動説の大陸のように、大陸が空に浮かんでいる。木や森は殆ど無い代わりに見渡す限り草原で、大変見晴らしはよく、背の高い山があちこちにあった。
そして、まるで落とし穴のように繰り抜かれた――所々にある空洞から下は、白い雲が覗いている。俺達が利用した『スカイゲート』の出口はスカイガーデンの端だったらしく、小さな建物の反対側は広い崖になっており、そこから先も雲が続いていた。
まるで、雲の海に浮かぶ島だ。もっと空気が澄んでいる時は、この真下にセントラル大陸が見えるのだろうか。
大陸の端へ行くと、落下しないようにだろう――魔力の壁が覆っていて、そこから先へは行けないようになっていた。同時に、この空に浮かぶ空間を、翼を持つ外敵から保護する役割も持っているのだろう。
ロイスは遠方を指差した。
「そこに見える街が、僕の家がある『エリゼーサ』です。近くにダンジョンも二つ、三つほど」
「まずは、この大陸のエリアマップだ。そこから始めよう」
ロイスの言葉に、ゴボウが補足した。
『エリゼーサ』の近くへと向かうと、塀に囲まれた内部の様子が少し見えてくる。天井が……あるのか? 街全体が天井に覆われ、その街一つが巨大な建物のようになっている。門はなく、開けっ放しになっているようで、俺は何も言わず『エリゼーサ』の街へ第一歩を踏み出した。
――違う、門がない訳じゃない。通り抜ける時に魔力を感じた。門の代わりなのか、どうなのか。
「突風が吹くことがよくあるので、街全体に天井を設ける建築法が主流になっているんです。……セントラル大陸から来ると、珍しいですよね」
ロイスが補足した。遥か高い天井は、外側から見ると黒くも見えたが、内側からは外の様子がはっきりと見える。雲の上だからこそのどこまでも続いている青空が、建物の中から確認することができた。
「……すごいな。まるで、別の国みたいだ。文化が違う」
「実際、鎖国していた時代もあったそうですよ。セントラル大陸の一部になってからは、自由に人が出入りできるようになったそうですけど」
確かに、こんなにも様子の違う場所ならば、セントラル大陸では聞いたこともない『真実の瞳』などというアイテムの情報があるかもしれないが……俺は街を見ながら、歩いた。円柱や角柱を主に使うセントラル大陸の建造物は、城を除いて四角い形状をしている事が多い。だが、エリゼーサの建物は殆どが三角形――どういった建築法なのかは知らないが、円錐や角錐を中心とした造りになっていた。
エリアマップと言うと……図書館みたいな所があれば、地図くらいはあるかもしれないな。最近発生したダンジョンなんかの情報は、冒険者バンク……? 冒険者バンクがあるのか?
歩いていると、市民館と思わしき大きめの建物を発見した。
「ロイス、ここは――……」
「あ、はい。近隣の情報は、多分ここで手に入ると思います」
玄関扉がない――これは、魔法? どうにも、魔法で中は見えないようになっているようだった。人が吸い込まれるように、暗闇に消えていく。
「ラッツさん、どうしましたの?」
立ち止まっている俺に、フィーナが声を掛けてくる。
「あ……いや、どうやって入るのかな、と」
「そのまま直進して大丈夫ですわ。『スカイガーデン』は元々、魔法に特化した特殊な国。セントラルの配下になっても、当時の名残が残っているだけですから。街の門すら無かったでしょう?」
……なるほど。少し緊張しながらも、その僅かに魔力が感じられる空間へと一歩、踏み出した。
中に入ると、突然視界が開ける。吸い込まれたのではなく、外からは暗闇にしか見えないようになっていただけだ。赤と茶色を基調とした、なんともユニークな絨毯が敷き詰められている。僅かな段差に階段は設けられているが、二階は剥き出し。下にある魔法陣を踏むと、二階へと進める構造らしい。
そして――――真正面の受付と思わしき場所には、白い毛むくじゃらの大男――いや、これは魔物……か? 大柄だが異様に下半身が小さく、上半身は筋骨隆々。頭は普通のサイズだが――全身を覆う毛と同じ色で構成された髪の毛と髭が、顔のパーツを隠している。
まるでゴーレムに長い体毛が生えたみたいだ。近付くと、置物のように佇んでいた大男がぴくりと動いた。
「『スカイガーデン』の案内人、『ムグリ』です」
混乱している俺に、ロイスが苦笑して説明した。フィーナも『スカイガーデン』に来たことはあるみたいで、俺だけが田舎者丸出しでキョロキョロしている。……少し恥ずかしい。
「何しに来た?」
随分とぶっきらぼうなんだな。声は太く、低かった。だが、言葉を喋るらしい。
「あー……えと、直近でなくてもいいんけど、ダンジョンの出現記録と消滅記録を見たいんだけど」
「少し待つ」
そう言うとムグリは反転して、のそのそと歩いて行き――魔法陣を踏んだ。瞬間、ムグリは青い光に包まれてその場から消える。
その隙を狙って、フィーナが俺の隣に立った。顔を見ると、ふわりと微笑む。
「ラッツさんは、初めてなんですね」
「そりゃ、セントラルの管理下に入ったばっかだしな……俺はあんまり、街の情報とか詳しくねーんだよ。リヒテンブルクに行ったのも初めてだったしな」
「それはそれは。……ふふ、可愛い」
可愛い、とか言われても。
「フィーナは初めてじゃないんだな」
「ええ。ダンジョン攻略で何度か、臨時パーティーに混じっていますから――でも、ここの魔物は強いですわよ。お気をつけてくださいね」
……言われなくても、分かってるさ。
「聖職者の娘よ、『スカイガーデン』は今、魔族との交流はどうなっている? 私の記憶では、『ムグリ』が人間と戯れる事はなかったが」
リュックの端から、ゴボウが口を挟んだ。フィーナは人差し指を口元に当てて、うーん、と可愛らしく小首を傾げる。
「私にも分かりませんが、『ムグリ』は大戦の後、『スカイガーデン』で人々と古くから暮らしていたと言われますわ。今では直接的に人に危害を加える事はない、珍しい魔物ですのよ」
「……そりゃ、『魔族』と『魔物』の区別がなけりゃ、そうなんだろうが――ゴボウ、『ムグリ』は魔族なんだな?」
「最も、人間を忌み嫌っていた種族だ。魔王が封印されてからは、人間と殆ど口を利く事はなかった――時代は、変化したものだな」
魔族は本来、人前に出ない。それが、こんな空の街で人間と普通に接している『魔族』を見付けるなんて。
青い光がまた出現し、元の大男――ムグリが帰って来る。その手には、何枚かの紙切れが握られていた。その巨体に似合わず、手先は器用なようだ。黄ばんだ紙切れは古いようだが折れている様子もなく、丁寧に扱われていた。
「右の廊下、真っ直ぐ行く。突き当り、左から二番目のゲート。ダンジョン関係の記録、ある」
指をさして、言葉足らずな説明を貰った。俺は頷いて、ムグリに笑みを向けた。
「分かった、サンキューな」
「……仕事。礼を言う必要、ない」
無骨なムグリの表情が、少しだけ緩んだように見えた。