B35 真実の瞳を探しに行こう
なんだか随分と中途半端になってしまった、ササナの人魚島帰還。結局、結果としてササナの身内がササナを連れ戻しに来た、という結末を辿ったようだったが。
「ラッツさん!? どうしたんですか!?」
フィーナが俺の後を追い掛けてくる。
『真実の瞳』を探しに行くササナは、楽しんでいる一方で、どこか旅そのものを長引かせたいようだった。
俺はどうにも、気になっていた。リトル・フィーガードと再会した時の、ササナの表情。それは再会を喜ぶ雰囲気ではなかった。どちらかと言うと、あまり出会いたくなかったかのような――そんな気がしてしまったのだ。
勿論、フルリュもそうだが――魔族の事情に、別種族、まして人間である俺が首を突っ込むのは、いささかお節介が過ぎるような気もする。俺とて、来る者拒まず去る者追わずを徹してきたつもりだ。
――――でも。
リヒテンブルクの夕暮れは、街全体を明るく橙色に染め上げる。その海に向かって沈みゆく太陽を横目に、俺はレインボータウン側へと目指して、駆け出していた。
観客席には居なかった。ということは、既にササナはリトルとコロシアムを出たんだ。
祭が終わり、畳み始めた出店を通り抜け、宿屋を抜け、俺は走る。
そして――――…………
「ササナ!!」
丁度、連中はリヒテンブルクを出る所だった。俺は立ち止まり、遅れてフィーナが駆け寄ってくる。ササナは俺を見ると、驚いたように目を丸くして――そして、言った。
「……ラッツ、なんでこんな所に……いるの」
「何でじゃない。『真実の瞳』探しは、どうするんだよ」
リトルが前に出た。ササナを背後に隠すようにして、俺に向かって礼をする。
妙に他人行儀なその態度に、何故か俺は胸に痛みを覚えた。ささくれ立った刺のように、傷を付けた。
「ラッツ様、ササナ様のご面倒を見て頂き、どうもありがとうございました。今後は、私が責任を持って『人魚島』まで連れて行きますので、ご安心ください」
…………そうかよ。
どうにも、横から手を出されたみたいで腑に落ちないが――まあ、こんな事もあるだろうか。
俺はポケットに手を突っ込み、優勝賞品の『虹色の指輪』を取り出した。そうして、それをササナに見せる。
ふと、ササナは目を丸くして、俺の事を見詰めた。
「欲しがってただろ、お前。これくらい、持って行けよ」
「…………ラッツ」
「なりません、ササナ様」
手を伸ばそうとしたササナを、リトルが制した。俺とササナの間に割って入り、俺に背を向けてササナの肩を掴む。
やっぱり、何かがおかしい。何年も帰っていない、人魚島。そこに戻ることが出来る、しかも王妃だとするなら、もっと嬉しそうにして良いはずなのに。
ササナの、この顔は何だ。
まるで、牢獄かどこかにでも連れて行かれるかのような顔をしている。
いや――――もしかしたら、『本当に牢獄のようなものなのだろうか』。
「『殿方からの指輪を受け取ることは、婚儀に相当する』。ご自分の立場を、お忘れなきよう。もう、ササナ様だけの問題ではないのです」
……へえ、そうなのか。
どうして、ササナが『虹色の指輪』なんぞに目を付けたのか、気になってはいた。アーチャートーナメントの観戦チケットを買いに行ったはずが、気が付けば参加申込書ときたもんだ――それ程にササナの心を動かす何かを、このアイテムは持っているのか、とは。
「いや…………リトル。私…………あの場所には、帰りたく…………ない」
「我儘を言わないでください。これでも、私達もササナ様の為を思って、頑張ってきたんです」
「リトルも……知ってるでしょう。あの場所には……」
ササナがその言葉を言おうとした時、リトルは笑顔のままで、さらりと言った。
「ああ。ササナ様をレインボータウンに置き去りにした『反逆者』どもは、皆殺しにしました」
瞬間、ササナの思考が停止したことが、俺にもはっきりと分かった。
それは、もう人魚島に自分を責める者は居ないという――安心などという気持ちでは、勿論なかった。俺はリヒテンブルクの寂れた宿屋で、ササナが言っていた事を思い出した。
あの時確かに、ササナは――ササナを置き去りにした者達のことを――『友達』と。
そう言っていたのではなかったか。
「そんな――――」
「だからご安心ください、ササナ様――そうですね、お父様に直接聞いた方が良いかもしれませんね」
そう言って、リトルは懐からアイテムを取り出した――――
「もう、ササナ様を悪く言う者は、どこにも居ないのですよ」
しまった、思い出し草か!!
駆け出したが、もう間に合わない。
歩いてリヒテンブルクを出たように見えたから、そんなモノは持っていないと思っていた。単に、人目に付かない場所に行きたかっただけか――……
既にアイテムは効力を発揮し、ササナとリトルはリヒテンブルクの街の端で、半透明になって消えていく。
「そんな…………」
ササナの悲痛な、そして心此処に在らずといったような声が、俺の耳に届いた。リトルは俺を見ると、ふと苦笑した。まるで俺に謝るかのように、小さく首を動かした。
――そりゃ、どういう苦笑だ。別れも言わせられずにすいません、ってか?
ササナの気持ちの事を、何も理解していないのか。
それとも、『人魚島』ってのは、そういう場所なのか。
それは、分からなかったが。
「ササナ!!」
俺の叫びは、もう届かない。手を伸ばした瞬間、今の今までそこに居た筈のササナが、虚空に消えた。
伸ばした右手が、空を切った。
「……ラッツ、さん」
事情の分からないフィーナが、ぼんやりと呟く。先程まで夕暮れだった陽はすぐに沈み、海の向こうは橙色に青みがかった空が続いていた。
年中吹き止む事のない『リヒの風』と、波打ち際から聞こえる海の音だけが、その存在を主張していた。
そこは、唐突に空虚になった。走る意味もなくなり、俺は元ササナが居た場所に、静かに立ち止まった。風が俺の前髪を揺らし続ける中、向こうに見える森は雑音だけを響かせている。
俺は静寂の中、ササナの居なくなったその場所で、呟いた。
「…………なあ、ゴボウよ」
まるで俺の問いかけが何なのか、分かっていたかのようにゴボウは言った。
「『真実の瞳』は、迷信ではない。必ず何処かにある――『スカイガーデン』に到着したら、まずはスカイガーデンのタウンマップやダンジョンの記録を見て欲しい。主を通して、私も見る――空の神イングリナムは、当時から既に絶滅していた先住民族『マウロ』の遺跡に秘宝を残したという。それが今、どのダンジョンに残っているかは分からないが」
「先住民族『マウロ』の遺跡は、当時の『空飛ぶ島』には確かにあった。……そういうことだな?」
被せるように、俺は言った。ゴボウは暫くの沈黙のあと、
「…………如何にも」
と、俺の言葉を肯定した。
さて、俺は初心者であり、どこのギルドにも所属しておらず、家もなく、両親はただの炭鉱マンで名前もなく、ちょっと冒険者バンクの周囲でのみ名前が知られているような、大した事のない男である。
俺は振り返り、呆然とその場に立ち尽くしているフィーナを見た。初めて、不安そうに俺を見詰めていたフィーナの表情が変わる。
「フィーナ。俺、これから『人魚島』に殴り込みに行って、ササナを攫いに行こうと思うんだけど――お前、どうする?」
「えっ!? あ、はいっ!?」
指貫グローブをはめ直し、リュックからゴーグルを取り出して装着する。いつもやっている、戦闘前の願掛けのようなものだ。一体『真実の瞳』が本当に見付かるのかどうかも、今の俺には分からない。
でも、必ずササナは救い出す。そう、心に決めた。
武器は初心者用装備と、有り余る程の初心者スキル。プロフェッショナルの技は一つもなく、炭鉱マン上がりのゴーグルと、使い古した指貫グローブ。
俺は初めて、フィーナに笑みを浮かべた。
「俺はこれから、マーメイド種の王妃候補を誘拐するっていう、まあ多分真実がバレたら冒険者バンク中から目を付けられそうな、とんでもない大犯罪を犯そうとしてるんだけどさ」
フィーナは俺の瞳を真っ直ぐに見据えると、随分と深刻な表情になった。
「……本気、ですのね?」
「俺を止めるのか、冒険者バンクにチクるのか、それとも俺に協力するのか。第一発見者としての権利だ、好きにするといいさ」
俺如きがフィーナに勝てるのか、それは分からない。もしかしたら援軍を呼ばれるかもしれない。こいつだって、冒険者バンクと直属で繋がっている『属性ギルド』の、元ギルドリーダーだ。風紀を乱すような行為は許せないだろう。
フィーナは目を閉じて、何かを考えているようだった。
「……セントラルの『ギルドの掟』には、ダンジョンから魔物を連れ出す行為、元々は人間の街に入れる事も――罰せられはしませんが、あまり良しとはしていません。まして、魔物の子供を拉致監禁することは禁ぜられています。これには、はっきりとした罰則があります」
「ああ、そうだな」
「悪質なものは、『冒険者バンクからの除名』――即ち、『冒険者』という職業からの追放――という罰則が付くことも、あることです。実際、ダンド・フォードギアはギルド・ソードマスターから追放され、以降冒険者としての活動記録はありません」
「だろうな」
フィーナは目を開いた。
そこには、先程までのような迷いは感じられなかった。
しっかりと俺を見据え。
かの『ギルド・セイントシスター』のギルドリーダー、フィーナ・コフールは。
「――――それでこそ、私の『ラッツ・リチャード』ですわ」
そう、言った。
「いや、お前のじゃねえけど」
「良いでしょう。このフィーナ・コフール、本日をもってラッツさんのパーティーに参戦しますわ。……思えば、『エンドレスウォール』の時は成り行きで、ちゃんと加わった訳では無いですから。ね?」
俺の意見はスルーですか。そうですか。
フィーナは俺の腕を掴むと、抱き付くようにした。……胸が。上目遣いに俺を見上げると、にっこりと微笑んだ。
「――私に『協力する権利』を与えてしまったこと、後悔しないでくださいね?」
正直、ゾッとした。寒気を覚える程ではなかったけれど――大丈夫かな。やっぱり、今からでも一人で行くべきだったか。
……胸が。あててんのよ。
「まずは、今夜の宿を確保してから、ですね。実は私、リヒテンブルクの最上級の宿に拠点を構えていますの。そこに致しましょう」
「……あの、俺、金……無いんだけど」
「ええ、それくらい貸しますよ」
「『貸す』んだよね!? 返さないといけないんだよね!?」
「良いですよそれくらい、身体で払ってくれれば」
「コワい事言うな!!」
瞬間、フィーナは木の陰を睨み付けた。
「それと――――いつまで、コソコソと隠れていますの?」
――――えっ?
ガサ、と物音がした。日が沈みかけた夜の森、その木の陰から小さな身体が現れた。腰に回すタイプの、革のポーチに半ズボン。森に隠れる、ブラウンのマントを羽織り――――…………
「ロイス?」
その瞳は、ひどく臆病になっていた。まるで見てはいけないものを見てしまった子供のような――……この顔。先程のササナと俺とのやり取り、そして今迄のフィーナとの会話も、全て聞いていたということか。
流石のロイスも、フィーナが相手では分が悪いか。幾ら支援職と後衛職とはいえ、元ギルドリーダーとヒラのギルドメンバーでは、戦闘力と権力に天と地程の差がある。
ロイスには俺のように、『隠し玉』のようなスキルも持ち合わせていないだろうし――……
「あ、あの、ラッツさん……」
怯えながらも何かを言おうとするロイスに対し、フィーナは俺の前に出た。左手が俺とロイスとの会話を禁じる――フィーナは顔だけ振り返ると、俺にウインクした。
任せろ、ってことか。
「貴方、お名前は?」
「え、あの……あなたは、セイントシスターの……」
フィーナはロイスと目線を合わせると、微笑んで銀髪を撫でた。……エロい。
「申し遅れまして、私はフィーナ・コフールと申します。今はセントラルでフリーのシスターをやっていましたが、今日付けでこちらのラッツさんのパーティーに入れて貰う事になりましたの」
色仕掛けとは全く縁が無さそうなロイスが、フィーナの色気にかなりビビっている。……そりゃ、仕方ないか。俺だってフィーナには逆らえない所、あるしな。
「え、えっと、あの、す、すいませんっ。ギルド・イーグルアーチャーで弓士をしている、ろ、ロイス・クレイユと……」
フィーナはロイスが言い終わらないうちに、ロイスの両手を握って、自身の胸の前へ――ああ、ロイスが意識している。フィーナの胸を意識している。
このあどけない少年に、一体何をしているんだコイツは。
「そう、ロイスさん。今日ここであったことは、内密に――――あら、意外と手練ですわね」
後半、聞こえないように呟いたつもりだろうが、俺にはしっかりと聞こえたぞ。さては、手を握ってロイスの実力に気付いたな。
フィーナはロイスを胸に抱いて――おい、それは羨ま――じゃない、ロイスには刺激が強すぎるんじゃないだろうか。あと、怪しく胸を撫でるな。
「ひっ!? あ、あわわっ!!」
「実は、これから『スカイガーデン』のダンジョンに行くのですけど――よろしければ、ご一緒にいかがですか? 私、ロイスさんに来ていただきたいのです」
「…………きゅう」
ロイスが気を失ったのを確認して、フィーナは俺に向かって、親指を立てた。
「後衛、ゲットですわ!! しかも可愛い!!」
「……はは」
なんていうか、苦笑を禁じ得ない。
もしかして、かのギルド・ソードマスターのギルドリーダー、シルバード・ラルフレッドもこの戦略でオトしたんだろうか。そうなんだろうな、大層フィーナに熱を入れていたみたいだったから……
……相変わらず、全く気が許せない女だった。