B31 覆面弓士と人魚姫
試合開始の笛が鳴り、群衆の歓声を前に、俺は初心者用の弓をドリトルに向けた。
「<ストップ・アロー>!!」
勿論、このアローヘッドが死んだ矢では、直接相手の皮膚に刺さる事はない。一見意味がないと思われがちだが――……実は、そうでもなかったりする。
人間、どんな所で痺れ薬を身体に取り込んでしまうか、分からないもんだ。<ストップ・アロー>の痺れ薬は、効果自体は大した事がないが、その持続性と即効性には定評がある。少しでも体内に取り込んでしまえば、動けなくなる所までは行かなくとも、動きは鈍くなる。
ドリトルは案の定、俺の<ストップ・アロー>を防御せず、跳ぶ事で回避した。俺はその隙に、両手に魔力を展開する。
「<キャットウォーク><ホワイトニング>」
実は、初撃の<ストップ・アロー>はフェイクだ。何の変哲もない、ただの矢――予選の戦い方からして、俺は痺れ薬をメインに戦うものだと思われているだろう。一体どこで毒薬を盛られるか分からない、そこが強みといった具合に。
だから、今回は<ストップ・アロー>及び、痺れ薬の類は戦術に組み込まなかった。決勝トーナメントがあると分かった時から、そもそも予選と決勝では戦い方を変えると決めていたのだ。
俺は指の間に四本の矢を構え、同時にスキルを使う。
「<マジックオーラ><ダブルアクション>」
取り出したのは、そもそも貫く事を目的としていない矢。『鉛の矢』だ。その一本一本が通常有り得ない程の重さを持っている事から、打撃としての火力を重視して作られた矢。
こういう矢ってのは、普通はその重さに耐えられる、専用の弓が必要だ。俺が初心者用弓を構えて『鉛の矢』を出したからだろう、ドリトルは少し目を丸くして、驚いているようだった。
撃てるんだなあ、これが。
「<ホワイトニング・イン・ザ・ウエポン>――――弓!!」
輝け、俺の弓。何かと癖のある<ホワイトニング・イン・ザ・ウエポン>だが、こんな所で活躍するのだ。
逃げるドリトルを追うように、鉛の矢を乱射した。ステージに重苦しい音が響き、鉛の矢は地面に当たると跳ね返った。
……しかし、何も言わないな。ドリトル・ガフィーの動きは、柔軟でしなやかだ。スピードもある。しかし、俺の出方を伺っているように感じた。
『トゥスカーナ・スペシャル』をどのように使ってくるのか。俺は的を絞られないように動きながら、ドリトルの様子を伺った。
ドリトルは弓を構え、一足飛びに俺へと近付く――――
「おわっと!!」
上体を反らせ、ドリトルの攻撃を回避した。ドリトルが『トゥスカーナ・スペシャル』をまるで棒のように持ち、スイングさせてきたのだ。
近距離で見ると、その弓に特殊な加工がされていることが分かった。
急に突進してきたので、俺はそのまま上体を反らせた勢いを使い、宙返りでドリトルと距離を取る。コイツ――弓と言えば狙撃が基本だが、近接戦闘もできるように訓練しているタイプか。
一目で『トゥスカーナ・スペシャル』の加工に気が付かなかったのは問題だが、それ以上に――できる。
「すげえな。この大会で弓を剣みたいに振る奴、俺以外で初めて見たよ」
ドリトルはそのまま、今度は矢筒から矢を引き抜いて構えた。……なんか言ってくれよ。寂しいぜ。
しかし、どうやって場外に落とすかな。決勝トーナメントでは鉛の矢を使うと決めていた俺だけど、こんなに速いんじゃ楽に当てさせてはくれなさそうだ。
ここは、第二の戦法を使うしかないか――――
「<ガトリング・アロー>」
――――えっ?
瞬間、避け切れない程に数の多い矢の乱打が俺を襲った。散弾スキルだから、わざと狙いを拡散してブレさせる事で攻撃範囲を広げているんだ。俺は横に飛ぶ事でその攻撃を避ける――……
「いっ!! てっ!!」
避け切れる筈もない。足首に当たり、俺はステージを転がった。<ガトリング・アロー>は魔力を使わない、純粋に一発の速度と回転率を極限まで高めた、職人気質の技だ。
<トリプルアクション>を使わずに、この速さ。決勝トーナメントまで勝ち上がって来たのも頷けるな。
ただ横に避けるだけでは、範囲攻撃を防ぐ事が出来ない。俺は弓を背中に背負い、矢筒から二本の『鉛の矢』を取り出し、両手に握った。
使えるものが弓と矢しかないんだから、仕方がない。
すう、と息を吸い込んだ。
「<パリィ><パリィ><パリィ><パリィ><パリィ><パリィ><パリィ><パリィ><パリィ><パリィ>」
「なっ――――!?」
『ルナ・ハープの泉』でも、マーメイドに囲まれた時の防御策として使ったものだ。一撃のダメージはそこまで高くないから、見切ってしまえば受け流す事はそう難しい事じゃない。――度肝を抜いたのか、一瞬ドリトルの声が聞こえた。
そうか、こいつは――――
「<パリィ><パリィ><パリィ><パリィ><パ><パ><パ><パリィ><パリィ>……」
相手が二本の腕を使って攻撃を繰り出している以上、俺の<パリィ>でも受け切れる数と速度でしか、攻撃は飛んで来ない。最も、相手の速度を上回り、矢を見てから受け流す事が出来ればだが――――この対戦からは、本気を出すと決めていた。
俺はドリトルの<ガトリング・アロー>を<パリィ>で受け流しながら、二本の矢をドリトルの両脇目掛けて投擲した。
威力は問題ではない。怯ませる事ができれば、充分だ。<ガトリング・アロー>を放つ腕が止まった事を確認して、俺はドリトルに向かって初心者用の弓を振り被った。
「<パリィ><パリィ><パリィ>――――<ソニックブレイド>!!」
ドリトル・ガフィーは咄嗟に矢筒から引き抜いた矢を手放し、両手で弓を握って俺の攻撃を受け止めた。
まるで棍棒同士が衝突したかのように鈍い音がして、俺の<ソニックブレイド>がドリトルに受け止められる。しっかりとした防御だ。一応、振り抜いて連撃を与えるつもりだったんだけどな。
「ヒュー。職人だねえ」
ドリトルの顔を覆っていた白い布が、<ソニックブレイド>の衝撃で傷が付き、捲れる。俺は不敵な笑みを浮かべたままで、落ちて行く白い布を見詰めた。
「――――なぁ、お姉さん?」
真一文字に結んだ唇と、思ったよりも大きな瞳が可愛らしい。ドリトル・ガフィーは俺の弓を受け止めているために両手が塞がり、落ちて行く白い布を巻き直す事ができない。
間もなくして、ストレートの綺麗な長い茶髪が、布の内側から姿を表した。
それを確認して満足した俺は、ドリトルから一足飛びに離れる。
ざわ、と観客が騒ぎ出した。
「オイ!! お前、女だったのかァ!?」
ガンドラの世にも間抜けな叫びは、この際だから無視しておくことにした。
ドリトルは俺を睨み付け、弓をふと降ろした。
「――――いつからだ?」
「うん、線が細いなーって思ってたからさ。もしかしたら、くらいのモンだったけど。それと――――アレでしょ?」
動きの柔軟性は驚く程のものだが、その動き方には妙な癖があった。まるで、『無理をして人の姿をしている』かのような――……
俺は人差し指をドリトルに向け、笑みを浮かべた。俺とドリトル以外の誰にも聞こえないように、気を遣う。
「魔族だろ? お姉さん」
ドリトルは一瞬、目を丸くして――直後、ふう、溜め息をついた。
「そうか。触れただけで魔力の質を見抜くのは、ロイス・クレイユ位のものかと思っていたが――……流石、ササナ様を出し抜いただけの事はある」
ちらりと、控室に座っているササナを見た。ササナは目を丸くして、ドリトルの真の姿に驚いているようだった。ドリトル・ガフィーってのも、偽名か――……ササナが何を呟いたのか、俺には聞こえなかったが。
その口の動きを見て、俺はササナが小さく呟いた言葉を把握しようとした。
……リ……ト……ル……フィーガード。
リトル、ねえ。小さくはないな。彼女の身体を見て、俺はそう思う。
「どこの馬の骨か知らないが、お前がササナ様を拉致していたんだな――王妃を返せ。……さもなくば、お前を殺す」
「おいおい、俺はササナを元の居場所に返す手伝いをしてるんだぜ? 殺すってのはちとあんまりじゃ――――え? 王妃?」
「問答無用っ――――!!」
再び、矢を乱射するドリトル――もとい、リトル・フィーガード。……仕方ねえなあ。俺はササナを誘拐した訳じゃないんだけど……ドリトルの矢の乱射を俺は屈んで避け、そのままドリトルに向かい、地面を這うように飛び込んだ。
とりあえずこの場は黙らせて、落ち着かせないとな。そのためには…………
「<イエロー・アロー>!!」
屈んで飛び込んだ姿勢のまま、リトルの足元に向かって一発。例え威力の低い<イエロー・アロー>だとしても、マーメイドならば威力は馬鹿にならないはずだ。
……マーメイドなら。他の種族だったらもう知らん。
「ちぃっ!!」
どうやらササナの関係者読みが当たったようで、リトルは舌打ちをして攻撃を止め、小さな前ジャンプで俺を飛び越えた。俺は素早く地面に手を付き、体勢を立て直して反対側に跳ぶ。
奴が女だと分かった今、俺の直感が正しければ、リトルには致命的な弱点がある。丁度リトルが着地した瞬間に俺は高く跳躍し、リトルに飛び掛かった。
空中で弓を引き、リトルに向かって矢を放つ。
「<イエロー・アロー>!! <イエロー・アロー>!! <イエロー・アロー>!!」
右へ、左へ。俺はわざとリトルを動かすように、雷の矢を乱射した。元リトルが居た場所へ着地し、俺は続け様に弓を剣のように構え、リトルへとダッシュ。
手の内が分かった以上、もう俺のターンだ。異論は認めない。
「<ソニックブレイド>!!」
そうして、弓を使って基礎剣技スキルを放った。
リトルは加工された『トゥスカーナ・スペシャル』でそれを受け止めるが、そこは予想済みだ。今度は止められないよう、剣に力を加えず、一気にリトルの後ろまで抜き去る。
さっき見せた強打が効いている。リトルは『俺が力を抜こうが抜くまいが、全力でガードするしかない』。
そして、次の一発への対処が遅れるのだ。
俺は矢筒から矢を抜き、未だ背中を向けているリトルの真後ろに立った。俺の手を抜いた<ソニックブレイド>に反応できなかったリトルが、現在の立ち位置を把握して、絶望の表情になる。
別に、取って食べやしないさ。俺はリトルの背中に矢を構えて立ち、笑みを浮かべた。
多分、今日一番に質の悪い笑みを。
「さて、問題です。わざわざサラシを巻いてまで隠したがってるもの、なーんだ」
「なっ、何を…………」
お前の弱点はっ――――、コレだああぁぁぁ――――――――!!
容赦なく、俺はリトルの背中に鉄の矢をあてがい、服越しに真上へ擦った。ぶち、と小気味のいい音がして、リトルの服の裏側に巻かれていた『それ』が表の服ごと切れる。
固く目を閉じて攻撃を耐えようとしているリトル、俺が何をしたのかなんて想像も付いていないだろう。弓士用のぴっちりとした、黒いライダースジャケット。更にその下に着ている、同じく黒い男物のシャツ。その隙間から、するすると白い布がステージに落ちた。
――完璧に、予想通りだ。
リトルの世にもでかい胸が盛り上がり、黒いシャツを内側から圧迫する。ちらりと見えるへそがキュートだ。
瞬間、隠れていたリトルのそれが元の形に戻る。リトルはゆっくりと目を開き、そして――――
「――――きゃああああぁっ!?」
外道、俺。サインは後にしてくれ。
これでリトルは戦闘不能だ。自分の胸を隠し、その場に蹲るリトル。そんなに巨乳が嫌か。服を脱がせた訳でもあるまいに。
俺はその肩を抱き、お姫様抱っこの要領で持ち上げた。
「なっ!? ……貴様っ!! 降ろせっ!!」
「どう、どう。落ち着けよ。俺はササナの味方だ。あれが捕まってるように見えるか?」
……うーん、しかし、予想以上にでかい。Fカップ……? いや、もしかしたらGくらいあるか? 身長が高くて脚が長いから、まるでアカデミーの職業モデルみたいな雰囲気だ。
こんな娘っ子に怪我をさせる訳にはいかない。まあこれがダンジョンに出てくるような魔物なら話は別だけど、こいつも心を持っている『魔族』なんだろうからな。
ステージ外まで連れて行き、俺はリトルを場外に立たせた。
呆気に取られて、俺とリトルのやり取りを眺めていた審判と周囲の観客。……少し盛り上がらない展開になってしまったけれど、俺はリトルの場外落ちを審判に指差した。
「はい、場外。……俺の勝ちでいいよね?」
「…………あ、ああ」
笛が鳴り、審判が駆け寄ってきて俺の右腕を上げる。いかん、ちょっと興醒めだったかな。観客は――――
程なくして、暖かな拍手が巻き起こった。…………男のみ。
「良いぞ――――!! 美女とは戦わないお前、男だぜ――――!!」
男から、そのように声援が送られる。
「サイッテ――――!! 女の子の胸を何だと思ってんのよ――――!!」
…………女子からは、主にブーイングが巻き起こった。いや、だったら女の子を蹴り飛ばすのは絵的にアリなのか。俺は何もせず傷付けず、場外に送ったんだぞ。
俺はステージに落ちたサラシを手に取って、リトルへ――うへぇ。まだ体温が残ってる。
スカートめくりは悪戯心で出来るけど、パンツを触るのは恥ずかしい男心。分かるよね? ……誰に同意を求めてるんだ、俺は。
「…………ほれ。とりあえずこれ、返す。それから、ササナに会えば分かるよ」
「お前は……何者なんだ」
「何者でもない。……全く、トーナメント中に面倒事増やしやがって」
リュックを背負うと、リュックに刺さっているゴボウを見て、リトルが目を丸くした。……すっかり元の居場所に戻ったゴボウであるが。
「なんだ……? この……棒? 魔力が……」
「魚娘よ、慌てるな。このラッツ・リチャードは、『魔族』を知っている者だ。お前達に危害は加えない」
俺は背中のゴボウを指差し、笑みを浮かべた。
「紹介するよ。こいつは…………ゴボウ」
「あは、初めましてゴボウですー。…………とでも言うと思ったか!! このたわけが!!」
こいつ、段々とツッコミのレベルが上がってやがる……!!