B30 ゴボウだって本気を出せば女の子になれるさ
ロイスの宿は、俺とササナが先日泊まった宿と違い、えらく豪華な宿だった。宿が埋まっていたから仕方が無かったとはいえ、夕食・朝食付きでベッドは広く、風呂も神話で登場するような女神の像が立った大層豪華な大浴場が一階に、それとは別に各部屋に個別の風呂が取り付けられていた。
これで一日辺りの宿泊料が一万セルだと言うのだから、そりゃあ隣の宿屋には人が入らないわけだ。せめて後二千セル安ければ、住み分けも出来そうなものだけど。
そして、あの忌まわしき『ホテル・アイエヌエヌ』の高さを改めて知る事となった。
真夜中に俺は一人、ベランダに出ていた。ベランダもまた王宮のような造りで、半円形の広いベランダには丁寧な装飾がされた柵が備え付けられている。勿論海側で、水平線の向こう側に満月がひっそりと顔を出していた。
……今日は満月なのか。ササナとロイスはすっかり眠ってしまい、今この場所には俺しかいない。
眠れないという事もそうだが、俺はすっかりササナの言葉が頭のどこかに引っ掛かってしまっていた。
『どこのギルドにもパーティーにも、相反する職業のスキルが使える人間……居ること、ある……どちらかと言うと……その人は……貴重……。ラッツが嫌われた原因…………他に、ある…………』
俺が属性ギルドに入る事が出来なかった、本当の理由――――初心者だからこそ、フラフラと色々なスキルが使える事は好まれないものかと思っていたが。
確かに戦力になるかどうかも見極めず、いきなり門前払いというのは腑に落ちない。
だとするなら、何だ……? 俺に何か理由があるとも思えない。炭鉱上がりのアカデミー卒業生、しかも首席。確かにアカデミー中に悪ふざけはしたが、成績に直接的に響くほどの事はしていない。ギャグの範囲で留めているつもりだ。
だとするならば、俺の知らない何かがあるんだ。
満月を眺めながら、俺はラムコーラを一口啜った。リヒテンブルクに吹く夜の風は心地良く、電力豊富なこの街が好まれる事も頷ける。
レインボータウンのように、リゾートホテルやら美術館やら、観光地らしい建物が沢山ある訳ではない。だから『アーチャートーナメント』のような催し物でもなければ、あまり人が来るような場所ではないが。それでも、良い場所だと思う。
「眠れないのか?」
ふと見ると、ダークブラウンの髪の毛を足下まで伸ばした、頭の両脇に角の付いた少女が立っていた。柵に肘を掛けると身長が足りないようだが――少女はどういうわけか、宙に浮いている。
俺は思わず口を間抜けに開いて、少女を指差してしまった。
「あ、朝の――――」
ふ、と少女は不敵に笑う。
「……やっと気付いたか?」
「部屋間違えた女の子」
少女はベランダの柵に、勢い良くデコをぶつけた。
「お、おい。それは痛いぞ」
謎の反応にどうして良いのか分からず、とりあえず怪我を心配する俺だった。少女は顔を上げて、涙目で俺を睨み付け――――そして、溜め息をついた。
「……どれだけ察しが悪いのだ、主は」
そう言って、少女は俺のリュックにいつも刺さっている――ゴボウを俺に見せた。……あれ? そういえば、話し掛けても全く返事を返さなかった。
ということは…………あれ?
――――あれ?
「おま、ついに擬人っ――――…………」
「し――――っ!! し――――っ!!
少女は俺の口を塞いで、人差し指を立てた。その体制のままで、部屋の方を見て――そして、慎重に耳を澄ます。
……そうか、ササナとロイスに見付かるとやばいのか。そういえば、今朝もササナが起きてきた時に姿を消していたな。
あの時は裸だったが、今の少女は真っ黒な――ドレスのような、服を着ていた。月明かりにフリルのついた、漆黒の衣装が栄える。確かに、その幼児体型はまったくゴボウのようだが……
仕方がないので、俺は小声で言う事にした。
「……残念だが、ゴボウの擬人化はあんまりウケないと思うぞ」
「あほか」
怒られた。
「……もう隠していても仕方がないし、主には見せる事にしたのだ。……私が女だということ、絶対に他の人間や魔族にはバラすなよ」
「なんで?」
本当に意味が分からなかったので俺は問い掛けたのだが、少女――ゴボウは涙目で俺に詰め寄った。
「なんでじゃない!! 世紀の大魔法使いがこんなちんちくりんで、しかも女だとか、格好悪いだろう!?」
……………俺は、右を見て。
左を見て。
そして――――頬を掻いた。
「いや、可愛いから良いんじゃないか?」
「かわっ――――――――と、突然何を言うのだ主は!! ばーか!!」
怒られた。
部屋の中で、何かが動く音がした。ゴボウは慌てて口を押さえ――もう遅いって――そして、薄くカーテンを開いて中の様子を伺う。
暫く様子を見て、カーテンを閉じた。安堵している様子を見ると、寝返りを打っただけ、という所だろうか。
「……私にも分からないが、満月の日だけは一日、神具から出られるようになるのだ。理由は分からない」
「そう、なのか」
宝箱の中ではどうしていたんだろう。……そして、元に戻っている時に誰かが宝箱を開けていたらどうなっていたのだろう。
きっと、お持ち帰りされたに違いない。そう確信を持てる程、ゴボウの真の姿は可愛かった。……俺の予想通りというか、なんというか。
いや、別に俺はロリコンではないのだけど。
「過去の記憶は、相変わらずコイツに封じ込められているようで――何も思い出せないのだが、な」
少女のゴボウはそう言って野菜のゴボウを見詰め、少し寂しそうに笑った。そのシュールな光景に、俺はなんとも言えない気持ちになった。
「どうしたら戻るのかも、分からないままなのか?」
「そうだ!! それを話したくて、今日は主の前に出てきたのだ!! 毎度毎度無視しおって!!」
俺のせいではない事も、多々あったと思うが。正直、お前のタイミングが悪いんだよ。
ごほん、とゴボウは咳払いをして、ベランダの柵に腰掛けた。
「主よ。嘗て…………いや、嘗てはやめよう。呪いの言葉のような気がしてきた」
丁度、俺もそんな事を考えていた。
「遠い昔、勇者と魔王が争っていた時のことだ。当時の事は語っても語り切れない程に色々あったが、大戦の末――魔王は封印され、魔族は散り散りになった。人間の望む本来の姿――いや、架空の『魔物』の姿、とでも呼ぼうか。それを反映させるために」
「それって、前に言ってた『ノーマインドの魔物』と関係がある話だな?」
ゴボウは頷いた。
「勇者と魔王は相談して、そのように決めたのだ。『ノーマインドの魔物』は次々と新しい種族を生み出し、そのためにダンジョンを造る――――外側からは絶対に解けない魔法公式、絶対に分からない魔法だ。真実を知る者でなければ、解読は不可能だろう」
その言葉を聞いて、俺は怪訝な顔になった。
「それは、世界の一部だからだ」
そう言って、ゴボウは笑った。
どうしてゴボウがそんな知識を持っているのか、どうしてゴボウに封印されたのか、頭の片隅では気になっていない事もなかったが――……それにしても。
「ずっと、気になっていたんだ。『ノーマインドの魔物』ってのは……心、というのか、理性を持たないじゃないか。どうして人間を襲うのかって」
ゴボウはふと笑みを浮かべて、言った。
「『人々がそう望んだ』からだ。今、世界に現れるダンジョンは全て、過去の私達が造り上げた空間。我々は『神具』に封印され、記憶を失い、人々は望み通りに魔物を敵とし、架空の魔物を倒す」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。じゃあ、今存在しているこの世界は全て、お前達が造ったもんだって言うのかよ?」
ゴボウは目を閉じて、首を振った。
空を見上げ、限りなく続いていく夜空の星々を掴むように、手を伸ばした。
「まだ、我々の居なくなった現代では解明されていないようだが――この世界は、途方もなく大きな魔法公式によって成立している。海も、川も、大地も、全てはその『秩序』とも呼ぶべき魔法公式の影響を受けている。我々はそこに――――追加したのだ」
今度は、俺にも分かった。
追加したのは、『世界の秩序を変えてしまう程の、大きな魔法公式』。
出来るのか? そんな事が――――いや、もう行われた後なんだっけ? そのせいでダンジョンは次から次へと生まれ、そして消えていく?
そこに住まう、『ノーマインドの魔物』を道連れにして。
俺はきっと難解な問題を前にして、おかしな顔をしていたのだろう。ゴボウはふと吹き出して、腹を抱えて笑った。
「――全ては過ぎた事だ。もう、何千年も昔の話なのだから。魔族にも、魔族の住む世界がある。たまにフルリュ・イリイィやササナ・セスセルトのように、こっち側の世界に出てきてしまう事もあるが……互いの領域を侵さなければ、平和なものだよ」
「…………そ、そうか」
またキャパシティを超えて、ふて寝をする所だったぜ。
「そこで、私の望みなのだが。私達が生み出した世界が何千年も経って、どのように生きているのかを見たかったのだよ。そのために、私の封印を解いて欲しいんだ」
「…………ゴボウの封印?」
「だからゴボウではないと……いや、もうゴボウでいいわ、あほめ。ゴボウの封印を解いてくれ、ラッツ・リチャードよ」
そう言って、ゴボウは笑った。……最早、どっちがどっちのゴボウなんだか分からない。
「なんで、俺なんだ?」
「主は、宝箱から私を拾ってくれたじゃないか?」
「たまたまな。大した理由、ねえぞ」
「たまたまでいい。大した理由もいらない」
ベランダに腰掛けたままで、ゴボウはクールな笑みを浮かべた。笑ってばかりだが、どうにもその笑顔には見惚れるものがあった。
少女の姿とのギャップがあるからなのか、それともゴボウの中に、途方も無い知識があるからなのか――――それは分からないが、とにかく。
「『旅』っていうのは、そういうものだろう?」
その時のゴボウは、俺が今までに見たどの人間よりも、輝いて見えた。
「…………そうだな」
ゴボウとこんなに長く話すのは、初めてだったが。案外悪くない奴なのかもしれない。どうにも有名な魔法使いのようだし、隣に置いておくのは正解だったかもしれない。
鼻高々にゴボウは天に向かって片手を上げ、語り出した。
「そもそもだな、<重複表現>も、我々の魔法技術あってこそなのだ。嘗て私達は次の魔法を生み出すことで」
その時、カーテンが開いた。俺は振り返り、カーテンを開けた相手を見た。眠そうに左目を擦りながら、ぼさぼさの緑髪が月明かりに照らされる。
あれ? ゴボウは――――すぐに顔を戻すと、そこには宙に浮いたゴボウが。
落下する直前だった。
「あぶねっ!!」
それを慌ててキャッチする俺。
「……ラッツさん……どうしたんですか……?」
「今、ラッツはわたちと話していたのだ。少年よ」
声が元の野太い男の声に戻っていたが、喋り方が色々とおかしい。
しかし、ロイスの格好……寝惚ける性質でもあるのだろうか。枕を抱いて、俺をぼんやりと見詰めている。
「…………あの、ラッツさん」
「んー?」
「明日、もし僕が、勝てなかったら……」
それは、夜に出たロイスの本音だったのだろうか。一体この小さな身体にどれだけのプレッシャーが掛かっているのか、俺には分からなかったけれど。
ワクにはまった生き方ってのも、大変だよな。
「……なんでもないです。おやすみなさい」
そうして、カーテンは閉められた。
「ところで、何で元に戻るわけ?」
「姿を見られたくない……」
どうせ封印が解けたら、皆に見られるんだけどな。
○
そうして、決勝トーナメントはやってきた。
今日もよく晴れた日。『真実の瞳』探しは二日程遅れてしまったが、まあこの程度の寄り道なら良いだろう。
そんな事より、俺は今日この日を勝ち抜かなければならないのだ。あのガンドラ・サムという男はあっさりしているが大味なので、笑って俺から搾り取れるだけの有り金を搾り取っていく可能性がある。
というか、ほぼ確実だ。
ならば、俺は勝ち上がるしかない。この『アーチャートーナメント』、なんとしても優勝を掴んでみせるぜ……!!
「よし、それじゃ行ってくるよ、ササナ」
俺はリュックを背負い、ゴーグルの位置を確認した。ササナはステージに一番近い控えの席で、俺に笑顔を返した。
「…………がんばって」
一応、参加者の関係者は控えの席に座ることができるみたいだったから、話は付けておいた。予選の時は八つあったステージ、今回も同じ円形で網目模様が入った石のステージだが、大きな一つのものに変わっている。
場外落ちの心配が少なくなった代わりに、場外へと運ぶ事が難しくなった。これは、俺にとっては少し痛い調整だ。
リュックから初心者用の弓を取り出し、俺は首を鳴らして準備運動をしながら、ステージに上がった。
対戦相手の、ガンドラと同じパーティーの――――ドリトル・ガフィー。対戦前からぎゃあぎゃあ騒いでいたハドゥバと違い、こいつは一切の情報を漏らさない。
顔全体に巻いた白い布が不気味だ。取り出したのは――あれは軽くて飛距離が出るが、一発のパワーに欠ける弓。確か名前は――そう、『トゥスカーナ・スペシャル』。俺が弓売り場でロイスに薦められた『トゥスカーナの弓』よりも、何段階か上物の弓だ。
すらりと立ち、俺を見た。随分と線が細い身体だ――――身長は平均やや低いくらいだろうか。弓と矢筒を装備し、ステージに上がる。
……どうにも、こいつには出会ってからずっと、睨まれている気がするんだよなあ。
審判は<パワーボイス>と呼ばれる声量を大きくする魔法を使い、コロシアムを囲うように座っている客席に向かって、右手を上げた。
「それであ、これより『ラッツ・リチャード』『ドリトル・ガフィー』による、決勝トーナメント、第一回戦を開始します!!」
わあ、と歓声が上がる。なんだなんだ、予選よりも随分と熱気が違うじゃないか。
俺はゴーグルの位置を確認し、顎を引いた。