B23 突撃! 隣の朝ごはん
真実の瞳というアイテムの存在を説明したが為に、真実の瞳を一緒に探せと俺に詰め寄ったササナ。
ゴボウの話によれば、『真実の瞳』は嘗て空の神・イングリナムが唯一手にした、大地を遠く見渡すためのアイテムだったのだと言う。
どうして通りすがりのマーメイドを救うために、唯一神レベルが手にしていた秘宝が何とやらを、俺の手で探さなければならないのかは甚だ疑問だが。
俺の時間を返せ。……まあ、それはさておき。
もしもまだ『真実の瞳』が現代にあるとすれば、それは空関係のダンジョンにある筈だというのがゴボウの意見である。
セントラル・シティを始めとするこの大陸で空と言ったら、空に浮かぶ島『スカイガーデン』。何でも魔力と磁場が関係してどうのこうので、大陸ごと海の上に浮かんでいるという不思議な場所だ。地形学者は現象を解明したらしいけれど、一般人の俺には何も分からない。
まあとにかく、上空に島が浮かんでいる場所がある、ということだ。特別アテがある訳ではないけれど、あるとしたらそこしか考えられない、ということで。
俺とササナは、『スカイガーデン』を目指す事を決意し。
『嘗て』だの『その昔』などと煩いゴボウを無視して、俺は久しぶりに屋根のある部屋で眠ったのだった。
「…………きて」
微睡みながら、俺は何者かの声を聞いていた。透き通るように美しいその声は、俺の左耳から入っては胸に染みていく。カーテンから僅かに漏れる光を受けながら、俺は熟睡していた。
ササナも、声だけは超一流に美しい。……いや、黙っていれば見た目も美しいのだが。
「…………ラッツ、おきて」
嫌だ、起きない。久しぶりに屋根のある睡眠なんだ。枕を抱き締めたまま、俺は更なる眠りに――……
「変な銀髪の女が来た」
俺は素早く身体を起こし、状況を確認した。
確かに俺はササナのベッドの下で寝ていた筈だったが、今はベッドの上に寝かされている。昨夜は結局、遅くなってしまったからササナの家――もとい、街の外れの小屋に泊まったのだったか。
身体を起こすと、銀髪を括ってアップにした涼しい雰囲気の桃色シスターが、なんとも言えない圧力に満ちた笑顔で俺を見詰めていた。
「おはようございます、ラッツさん。よく眠れましたか?」
よく眠れたが、寝覚めが最悪だ。
「昨日はどうせ泊まる所なんて無いだろうと高を括っていたのですが、まさかまた別の娘の所に転がり込んでいたとは。もう、あんまり浮気してると私、怒っちゃいますよ?」
「俺はお前の駄目な恋人か何かか」
ササナは青い髪をツーサイドアップにしていた。料理を作っていたのだろうか、下着も着ずにエプロンを巻いて、お玉を持っていた。赤い瞳が、フィーナをじっくりと見詰めている。
「……あなた、ラッツの……何?」
「お前は俺の浮気相手か何かか!」
フィーナは頬に手を当てて、ササナに微笑みかけた。
「一夜を共にした婚約相手ですわ」
「恋人じゃなくて嫁になっちまったよ!! 誤解を招くような言い方すんな!!」
一夜も共にしてないし、婚約相手でもない。どちらも未遂だ。
フィーナとササナは互いを見合う――……どことなく、その間に火花が散っているように見えた。いや、そんな事を俺が言ってしまったら完全に自意識過剰なのだが。
ササナは興味を失ったのか、キッチンに戻ってしまった。その場に取り残された、俺とフィーナ。……気まずい。
にこにこと微笑んだまま、フィーナはじっとこちらを見ている。……何かを言いたげなようだが、何も言ってくれない。そんな雰囲気だ。
「……あのー、何でしょうかね」
おずおずと俺が質問を口にすると、フィーナはいつになく真剣な様子になった。キッチンに居るササナの後ろ姿を一瞥すると、フィーナは部屋の扉を締める。
真面目な顔で腕を組んで、俺を見据えた。
「何を企んでいますの?」
「……何って、何が?」
「とぼけないでください。今回も、『魔物』――ハーピィの時はただのお人好しかと思いましたが、二度は見逃しませんよ」
……と言っても、特に理由は無いんだけどな。俺は頭を掻いて、どうしようもなく溜め息をついた。
「別に、なんも企んでねーよ。なんかそういう運命にあるだけだ」
フィーナはずい、と俺に向かって身を乗り出して――怒っている、のか? ……どうして? それとも、俺の言葉について真偽を見極めようとしているのか――……
不意に、その表情が儚げなそれに変わった。
「……私は、心配しているんです。いつからですか? 魔物と接触するようになったのは」
「いつから、って……」
別に、他の因果関係なんて何も持っちゃいない。何かの呪いに掛かった覚えもないし、ある日魔族を引き寄せるオーラが出るようになった訳でもない。
この問答には、最終的な解答なんて出ない。
フィーナはふう、と溜め息をついて、俺の手を握った。不思議なもので、その掌からは妙な温もりを感じた。
目を逸らして、顔を赤くする。何だ? こいつがこんな顔をするなんて、珍しい……
「……ずっと、心配しているんですよ。どうして、気付いてくれないのですか?」
えっ。
「私は、貴方がアカデミーに居た時から――……」
その時、扉が開く音がした。瞬間、フィーナに手を引かれ、俺は前のめりに倒れ込んだ。
「ラッツ、朝ごはん」
ツーサイドアップにしたマーメイドの娘は、俺が本来の場所に居ない事に気付いて、視線を下に逸らせた。
俺はフィーナに覆い被さるような格好になって、左手を胸に――あ、柔らか――じゃないわ!! フィーナが俺の手を引いて、後方に倒れ込んだせいだ。
僅かに頬を染め、フィーナは涙目で俺を見詰めた。
「ああんっ……!! ラッツさん、激しい……」
俺、絶句。
静かにササナの周囲に漂う大気の温度が下がっていくのを、その肌で感じていた。
フィーナは満足そうに微笑んで、俺にだけ見えるように舌を出した。
……この女。
ササナの手にしていたお玉が、ぐにゃりと拉げる。眉間に皺を寄せたまま、俺は身動きが取れずにいた。
「…………おまえら…………人の部屋で、何してる…………」
殴られたが、俺は何も悪くない。
○
フィーナはササナの作った朝食も食べずに、小屋を後にした。結局何がしたかったのか、俺にはさっぱり分からない。
まあ、たまにちょっかいを出したくなるのかもしれない。本人としては、俺はそんなにいぢっても面白くないキャラだと思っているのだが。
とにかく、空に浮かぶ島『スカイガーデン』に行くためには、勿論地面からは離れなければならない。高級な魔法使いのように自身で空を飛べれば楽なものだが、今の俺にはフルリュが居ないので、飛んで行く事は不可能だ。
ならば、どうするか。俺も行った事はないので情報だけだが、なんでもスカイガーデンの近くには、スカイガーデンとセントラル大陸とを行き来するための魔法陣――『スカイゲート』なるものがあるという。
観光地にもなっているくらいだから、そりゃ行く手段はあるのだろうが……マーメイドを海に帰したいから空に行くというのも、なんとも言えない気分にさせられる。
「さて、と。じゃあ向かうか、ササナ」
俺はアイテムカートのロックを外し、背中のササナに声を掛けた。
小さな鞄を肩に掛けたササナは、ごつい木製のトランクを転がしていた。全身を覆うマントにターバンを巻いて……
「って、何でターバン?」
ササナはにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「マーメイドは……太陽の光に長時間晒されると……人間よりもずっと、日焼けする……」
なんでちょっと得意気なんだよ。
「……まあ、お前なりの日光対策なんだな」
「日焼け止めクリームも…………ばっちり…………。かかってこい、日光…………」
謎の宣戦布告をして、ササナは歩いて行った。俺も慌てて後を追う――ターバンからはみ出たマリンブルーの髪の毛が、大変に可愛らしい。こんなファッションもありだな。
しかし、結局ササナの押しに負けて、ゴーホーム大作戦を手伝っている俺。アホと言うのか、お人好しと言うのか……
……まあ、特に金稼ぎ以外、やることもないから良いけどさあ。
「おいゴボウ、なんか話せよ」
俺はすっかり黙ってしまった、ゴボウに声を掛けた。
「……また、どうせ聞かんのだろう」
声色からも、すっかり拗ねていると分かる態度だった。そういや、今日は朝から黙ったままだったな。
しかし、こいつは本当に男なんだろうか。……と言うよりこのゴボウ、野太い声で知識自慢をする割に、いちいち反応が幼いのだ。スルースキルも持っていないし、こうやって拗ねるし。
ふてぇ野郎の男、と言うよりは、幼い子供が声だけ一生懸命作っているようなイメージさえ覚える。
ササナも歩きながら、俺とゴボウの様子を見守っている。周りには人が居ないので、楽なもんだ。
……ま、こいつが元の魔族に戻るような事がなければ、俺には何の関係も無いんだけどさ。
「まあまあ、そう怒んなよ。どうしてお前がそのゴボウに閉じ込められたのかとか、色々積もる話もあるだろ」
「私の事を完全に無視し続けた奴の発言とは思えんな」
「ほら、今回は二人も聞く人がいるぞ。片方魔族だけど」
俺がそう言うと、ゴボウは少し機嫌を取り戻したのか、周りの空気が穏やかになった。……表情も、口すらないゴボウの感情を理解できるようになったとは、俺も成長したものである。
「……私は、嘗て魔王と勇者が種族の運命を賭けて戦っ」「しっ。…………なにか、くる」
俺とササナは慌てて岩陰に隠れた。……今回は俺のせいじゃないぞ。
草原の向こうから、歩いてくる人物がいた――どうしても、アイテムカートがはみ出てしまう。ライトグリーンの髪の毛は肩くらいまで伸ばして綺麗にまとまっていて、栗色の瞳はくりくりと丸い。
「って、ただの人じゃないか」
「…………まちがえた」
何と間違えたんだよ。
身長は百五十くらいか……だが、男だ。どことなく落胆しているように見えるのは、俺の気のせいだろうか。
矢筒を肩から下げて、腰に回すタイプのポーチに半ズボン、布地の軽い服。鎧は装備せず、極めつけはその背中に背負った、でっかい弓。
間違いない。あれは、ギルド『イーグルアーチャー』の戦闘服だ。
「……あ、こんにちは」
「あ、どうも」
出て行くと、すぐに頭を下げる緑頭の少年。丁寧だった。思わず挨拶を返してしまった。その声色は少女のように明るく、見た目通りの清潔さを持っていた。
俺は両手をワキワキとさせて、少年ににじり寄った。
「限りない…………限りないショタの香りがするぜぇっ!! …………デュフフ…………」
「うわっ!? な、なんですか!?」
はっ!? しまった、俺は何をしているんだ!!
慌てて手を引っ込めると、少年は身を縮ませて……完璧にヒかれていた。
岩陰に隠れた状態のまま、ササナがぼそりと俺に告げる。
「ラッツ…………男も…………守備範囲?」
「違うっ!! 断じてそういう趣味はないっ!! ただなあ、やらなければいけない気がしたんだ!! そう指示されたんだ!!」
「えっ!? な、なんですか!?」
ササナに叫んだが為に、更に変な目で見られる俺だった。ササナは相変わらずの無表情だったが、頭に疑問符を浮かべて首を傾げる。
「…………誰に?」
誰だろうね。
「ラッツ……もしかして、あなたが噂のラッツ・リチャードさんですか?」
少年は上目遣いに俺を見詰め、桜の花びらのように愛らしい唇でそう問い掛けた。俺は断じてそっちの趣味はない。
「え、何? もしかして、俺のこと知ってるの?」
いやー、しかし俺も有名になったもんだ。冒険者アカデミーを卒業した時点では名のある男だった俺も、ギルドに入れなかったせいですっかり下火だったからな。やはり、ギルド・ソードマスターのパーティーが犯した悪事を暴いたというのが、世に広まるきっかけになったのだろうか。
ふふふ、サインを求められたらどうしようかな。
「ギルド・セイントシスターのギルドリーダーと魔物の女性をフタマタにかけて、結婚を求められて夜逃げしたとか!!」
俺は目に見えない誰かに殴られたかのように、その場に倒れ込んだ。その様子を見て、少年は目を丸くした。
「や、やっぱり本当なんですか!? 逃げられたセイントシスターのギルドリーダーが、全冒険者バンクに捜索願いを出したとか!!」
あのタヌキ女、そんな事してたのかよ!! もう執着心を通り越して怖いレベルだよ!!
「あと、ギルド・ソードマスターのギルドリーダーと婚約者を賭けて決闘したとか!!」
「ちょっ……ちょっと待て!! そこまでくると完全にデマだ!!」
「じゃあ、そこまでは本当なんですか!?」
「待て待て待て!! マジで今説明するから待てって言うか五分待ってください!!」
俺は何故か、気が付けば少年に頭を下げていた。
「ラッツ……やっぱり、悪いオトコ……」
「ちげーっての!!」
面白そうだったからか、ササナも岩陰から出て来た。くすりと笑って、俺の隣に歩いて来る。
「あ、お連れ様も居らっしゃるのですね。初めまして、僕はロイス・クレイユと申します」
「……サナは、ササナ・セスセルト……」
握手をする、二人。その瞬間の事だった。
ロイスと名乗った少年の眼の色が変わり、飛び退くように俺から離れた。背中から弓を抜いて――――あれ? 攻撃する、つもりか?
咄嗟にリュックから、初心者用ナイフを引き抜いた。まだ少年とはいえ、得意の武器を抜かれたんじゃ応戦するしかない。
いや、何で? ササナと手を握った瞬間、急に――……
――――ササナだけが狙われている?
「<スピリット・アロー>!!」
ロイスは矢筒から矢を手に取り、そう宣言した。<スピリット・アロー>。矢は特殊な重苦しい魔力を帯び、真っ直ぐに――――ササナ目掛けて放たれる。
ササナはロイスの矢を、ふわりと移動して避けた。全く無駄のない、滑らかな動き――ササナはフルリュと違って、ばっちり戦闘経験がありそうだ。
付与魔法を使っていないと、俺は全く反応することが出来ない。幸いにもササナは無事だが、あのロイスという少年もかなり腕が立つようだ。
「…………なんの…………つもり」
ロイスは舌打ちをして、矢筒から何本かの矢を引き抜いた。
「ラッツさん、騙されないでください。そいつは『魔物』ですよ」
唐突に放たれた言葉に、思わず俺は目を丸くした。
どうして、ササナが魔族だってバレているんだ……?