A02 何はともあれ金を貯めよう
アカデミーの授業料は親が払ってくれなかったので、奨学金という制度で先延ばしにしている。
これが成績優秀者なら支払いが免除されるとか、そういう制度があれば良かったのだが。残念ながら、『ライジングサン・アカデミー』の奨学金は完全返済制である。
俺がアカデミーにした借金は、四百万セル。まあどのみち炭鉱で稼ぐ事が出来るのなんて精々年間八十万セル程度なんだから、親に払わせる訳にもいかない。
いつまでも路上で絶望している訳にも行かなかったので、俺は一先ず立ち上がり、今日の宿を決める事にした。アカデミーの学生寮からは既に撤退しているから、何れにせよ宿は確保しておかなければならなかった。
勿論、手配は済んでいた。この一週間は近くにある、『ホテル・アイエヌエヌ』に寝泊まりする予定だったのだ。
一泊、一万セル。アカデミー時代にせっせこバイトして稼いだ貯金、残金は一万二千セル。
……今夜までなのだ。冒険者の稼ぎは『冒険者バンク』でミッションを受けて、ダンジョン攻略後に得たアイテムを冒険者バンクに売り付ける事で得る。だから、俺ならこっそり一人で行って、ダンジョンで高価なアイテムの二つや三つ、すぐに手に入ると思っていたのだ。
それが、この為体。雄大な景色を拝める崖の上で唯我独尊を掲げて胸を張っていたら、突如として崖が崩れて落下した時のような敗北感である。
まあ、落ち着こう。今の俺にも、まだ何か出来る事があるはずだ。
「……何はともあれ、お金を貯めよう」
それだ。それしかない。
先立つものがなければ、俺はこのまま実家か乞食の二択である。
やっぱり冒険して、アイテムを取ってくるしかないよな。そして、それを売ると。
一人で行くのか、ダンジョンに……
諦めてバイトするか。いや、何の為に今まで冒険者スキルを強化してきたんだ。働くなんて駄目だ。ダメ、ゼッタイ。
こうなったら自由気ままに、遊び人として生きていこうか。稼げるならそれもアリかもしれない。
冒険者だって楽じゃない。ダンジョンのボス――ダンジョンマスターはすごく強いし、うまく帰還できずにそのまま死亡というケースもある。まあ、そのせいで親からは反対されたんだけども。
でも、そのリスクと引き換えに得られる自由は素晴らしいものだ。『属性ギルド』に入れば、ギルドから払われる給料も高いし……ということで、冒険者を目指した。
……それが、就職浪人ほぼ無一文ときた。
いや、今の現実を見るのは止そう。一応、今夜の寝床を凌ぐ程度には金もあるのだ。悲観するのはまだ早い。とりあえず、手頃なダンジョンの攻略から初めてだな……ぼっちでも、ソロ攻略を成し遂げた強者だって居るのだから。
何はともあれ、冒険者バンクへ行ってみよう。
○
冒険者バンクには、冒険して得たアイテムを売り払う『セールス』、冒険用の手頃なアイテムを購入するための『バイ』、そしてダンジョンミッションを得るための『ビジネス』の三つの機関がある。
俺は『ビジネス』の間に貼られたビラを眺めて、仕事を探した。……ふーん。最近は薬草の類が不足しているのか。確かに、高い薬草は本当に希少だからな。レベル五のダンジョンの奥地とか、そんな所にあるものが不足していると冒険者も大変だ。
……でも、ダンジョンに潜って手頃な薬草『パペミント』をいくつか入手したとしても、『パペミント』の売値はたかだか四十セル。百個売ったって四千セル。今夜の宿代も出やしない。
一つ上級の『ハイ・パペミント』、高級な『ラスト・パペミント』辺りを狙わないと駄目か。……『ハイ・パペミント』でさえ、ダンジョンの必要レベルは三から。だからこそ、新米は属性ギルドに所属して、アイテムを差し出す代わりに日銭をギルドから貰うのだ。
ギルド専用スキルだって教えて貰えるし……
……くっ。俺はこのまま、初心者スキルの束縛から抜けられない。
属性ギルドに入って抜け駆けして、アイテムを独り占めしようなんて甘すぎた。そもそもギルドに入れない所からスタートとは……
「あれ? ラッツ? ――ラッツじゃないか?」
誰だ、俺の名を呼ぶのは。
振り返ると、細身で筋骨隆々な赤髪の男が俺を見ていた。相変わらず、逆立った短髪がビンビンしている。
レオ・ホーンドルフ。まさかこんなにも早く、アカデミーの同期と会うことになるとは思わなかった。
「奇遇だな、こんな所で」
「レオか。久しぶりだな」
一週間しか経ってないけれど、取り敢えず久しぶりな空気を醸し出しておいた。
「お前もギルドの初期講習で?」
ああ、新米ギルドメンバーにはそういう便利なものがあるんだ。知らなかったよ。
そうか。初期講習などというものがあるから、新米でも冒険者バンクに訪れる機会はあるんだな。てっきり、野球で言うところの球拾いレベルでダンジョン見学なんかをさせられるものかと思ったぜ。
俺は不敵な笑みを浮かべた。
「まあな」
「そういえば、色々悩んでたよな。結局、どこの『属性ギルド』に所属したんだよ」
どこの属性ギルドにも所属してないよ。そう思ったが、俺は毅然とした態度で答える。
「……まあ、あれかな。皆が入るような属性ギルドじゃなくて、まだパーティーみたいな少数ギルドでさ。でも、俺は伸びると思うんだよね」
……レオの目を直視する事は出来なかった。
「マジで! いきなりギルドクリエイトなんかに関わってんの? やっぱ首席は違うなー」
ギルドクリエイトというのは、新たに属性ギルドとは違うギルドを作る事で、多くの場合はソードマスターやマジックカイザーなんかの多種ギルドから人が集まり、長期のパーティー以上の付き合いをするものとして作られる。
就職して日銭を貰う『属性ギルド』、アイテムを皆で稼いで直接冒険者バンクに売る『無属性ギルド』。扱いは同じギルドでも、いつの間にかそんな言葉が流行るようになった。
所属メンバーの人数差が激しい無属性ギルドの代表には、『紅蓮の焔』や『荒野の闇士』辺りがある。属性ギルドに負けず劣らず、人が多い。
まあレオの言う通り新米は稼げないから、普通は無属性ギルドになんて入れて貰えず、属性ギルドで腕を磨く。安い薬草じゃ生活できないしな。
「ま、まあな」
何はともあれ、胸を張っておいた。虚勢、大事。
「すげーよラッツ。やっぱお前、俺達の首席卒業者だ。良いな、俺ももう少しスキルを上げたらそういう野心的な事、したいぜ」
「はっはっは。まあ、レオ君も頑張りたまえよ」
首席卒業者として背に腹は変えられない。
レオの背中で、笛の合図がした。レオは飛び跳ねるように振り返り、俺に手を広げて謝罪の意思を示した。
「あ、いけね。そろそろ新米は集合の時間だ……そんじゃ頑張れよ、応援してるからさ」
「……お、おう」
レオが背を向けて去って行く。……違うんだ。俺もそっちに連れて行ってくれ、レオ。
無職なんだよお――――!!
俺を入れてくれるギルドはなかったんだよお――――!!
声には出せず心の中で叫び、俺はレオの後ろ姿に手を伸ばす。
レオは……ソードマスターに入ったのか。新米冒険者達はそれぞれ、教育担当と思わしきリーダーの下へと集まっていた。
誰にも発見されずに虚空を切る右手。俺は伸ばした腕のやり場を失い、適当に壁に貼られたミッションのビラを手に取った。
「『ハーピィの羽』採集イベント……?」
書かれた文字に、目が留まる。ダンジョン名、『轟の森』。未開拓か……想定レベルは四、新米にはかなりハードルが高そうだが……ハーピィの羽、一枚あたり七千セルで売れるのか。どこかからそれとなく二枚入手できれば、明日の宿代くらいは出そうだ。
そういえば、アカデミーの座学で森系のダンジョンではパペミントが多く採集できるという話もあったしな。もしかしたら、この辺りが俺にとって有効な情報なのかもしれない。
俺は壁に貼られたビラを手に取り、受付まで持って行った。
「すいません、『ハーピィの羽』採集イベント、受けたいんですけど」
「はいはい、名前と住所、所属ギルドをここに書いてくださいね。……あら? 初心者の冒険者さんかしら? ここ結構レベル高いけれど、大丈夫?」
大丈夫かどうかなんて、判別のしようもない。
「大丈夫っす」
受付嬢から渡された、受付シートを確認。俺はペンを片手に立ち止まった。
そこに書いてある内容に、思わず目を見開く。
――――住所と所属ギルド、だと!?
住所にホテルの室名は……書けないよな。……ギルド名も何も、ギルドに所属していない。
…………あれ? 俺ってもしかして、ミッションすら受けられない?
「あのすいません、ギルドに所属してないとミッションって受けられない……」
「はい?」
「……あ、いや。何でもないっす」
にっこりと笑う受付嬢に、笑顔のままで俺は固まった。……駄目だ。こんな、アカデミーの本やら武器やらを丸ごと装備したみたいな格好で「実はギルド入ってないんすよね、テヘッ」なんて言えない。
もし、ミッションが受けられないとしたらどうするんだろう。……自分で取りに行くのか。そういえば、有名なソロって冒険者バンクにアイテム売ったりしないみたいだよな……直接需要がある所に売りに行くとか、なんとか。
いやいや。ミッションを受けないってことは、入手したアイテムが冒険者バンクで売れないって事だぞ? そんな事になったら、俺なんかの信頼できないアイテムを一体誰が買い取るって言うんだ。
ギルドを作るためにも金が必要だしなあ……百万セルなんて今の俺には出せる筈もないし……
……ま、いいや。適当にソードマスターとでも書いておくか。名前はレオ・ホーンドルフ……と。住所も思い出せる。こんな所で無駄な記憶力が役に立つとは。
「お願いします」
「はいはい……あら? ギルド・ソードマスターの剣士達はさっき、表に出て行ったわよ?」
「俺は特別待遇なんで、気にしないでください」
「そうなの、すごいのねレオ君……はい、じゃあこれ、ミッションバッヂね」
レオ、すまん。俺の背中は任せた。
俺は受付嬢から手渡されたミッションバッヂを受け取る。このバッヂにより、ダンジョン攻略後のアイテムを冒険者バンクで引き取って貰える事になるのだ。
そのまま売る事も出来るし、取得後にアイテムとして入手する事も出来る。冒険者バンクが開催するミッションは通常のアイテム引き取り価格に幾らか上乗せされるから、適当にダンジョンへ潜るよりは金になる。
さて、何にしてもこれで準備は整った。俺は冒険者バンクを出ると、青空の下でうん、と伸びをした。名前を偽った事は記憶の彼方に抹消。俺は何もしていない、うん。
空は快晴、今日は絶好の冒険日和だ。もしかしたら、レアアイテムなんかも期待出来るかもしれないぞ。
武器はアカデミーの初心者ナイフに初心者ロングソード、初心者アックス、初心者弓矢に初心者ロッド……
そして、アカデミー卒業記念のめっちゃ薄い初心者用パペミントが十個。回復量が少ないけれど、初心者にはこれで充分らしい。
基礎魔法の書と基礎支援の書を手に、俺は意気揚々と『セントラル・シティ』を出た。
○
さて。物申したいんだが、まず想定レベル四って書いた奴誰だ。
先程、教科書でしか見たこともない『リザードマン(レベル十六)』が通り過ぎるのをガタガタと震えながら木の陰に隠れて見ていた俺だが、おかしいだろこれ。何で中級者でも一苦労しそうな魔物ばっかり徘徊してるんだよ。
肝心のハーピィは見付かる気配もないし……。第一、ここに居る魔物って勇猛果敢に襲い掛かってくる奴ばっかりじゃないか。
未開拓ダンジョンの想定レベルは当てにするなと言われていたけれど、ここまで違うとは。当てにするなじゃなく、未開拓のダンジョンには潜るなって書いてくれよ、教科書。
入り口近くで悶々としていても仕方がない。ここは一先ず撤退してやり直そう。正直、今の俺にリザードマン(レベル十六)を相手にする自信はない。
薄暗い森の中で、俺は基礎支援魔法<ライト>で明かりを作り出し、基礎支援魔法<キャットウォーク>で移動速度を上げる。
えっと、出口はどっちだっけ。まだ探索を初めて一時間も経ってない筈だけど、もう出口が分からなくなっている。
「…………あれ」
出口に向かうつもりが、変な空間に辿り着いてしまった。少しだけ開けた場所に、宝箱。鍵が付いているから罠ではなさそうだけど、鍵を持っていないから開けられないな。
俺はそっと、宝箱に近付いた。
出口どっちだっけ……まあ、あれか。いきなり使うのは勿体無いけれど、セントラル・シティの冒険者ギルドの前でインプットした『思い出し草』を使えば良いか。普通に歩いていても迷うタイプの迷宮ダンジョンだったら、とは想定していたけど。
無駄に金が無くなるな……それでも万が一のために持っていて良かった。流石はアカデミー。
「あれ、開いてるじゃないか」
何故か分からないけれど、装着された鍵が開いている。どうしてわざわざ鍵を取り付けて、外しているんだ。あ、もしかしてもう他の冒険者が入手した後なのかな。
まあ、だとしたら仕方が無い。一応確認のため、俺は宝箱を開いた。
「ん?」
そして――――開いた状態のままで、固まってしまった。
「えっ」
…………ゴボウだ。
少なくとも俺には、ゴボウにしか見えない。
その少し土色っぽく、細長い物体はゴボウだった。ご丁寧に、「不要なので、どなたか持って行ってください」と書かれたメモが宝箱の中に落ちている。
いや、ちょっと待て。なんで鍵付きの宝箱の中にゴボウが入ってるんだ。
「そうか、ゴボウだったから誰も取って行かなかったんだな」
要らなかったんだね。要らないよね、こんなもの。
前にこれを開いた冒険者の意思は分かったけれど、問題は何も解決していない。……どうしよう。
「きゃあああああ!!」
叫び声がして、思わず俺は顔を上げてしまった。……何だ、今の悲鳴。もしかして、冒険者の誰かがピンチだったりするんだろうか。
このダンジョンに俺以外の人が入って来る所は、今のところ見ていないけれど――……もしかして、俺が出会わなかっただけで探索している冒険者は多いのかもしれない。迷宮ダンジョンっぽいし。
思いながら、叫び声のした方向へと向かって行った。ギルドの人だろうか。もしかしてここで格好良い所を見せれば、何処ぞのギルドに採用して貰えるかもしれない!!
邪なことを考えつつも、左手にはゴボウ――――ってゴボウ要るのか? あの宝箱に置いて行くべきだったんじゃないの?
冒険者バンクでも、こんなもの引き取って貰えないだろうし……
…………まあいいや。