A19 あの街に帰ろう
フルリュが白目を剥いて、その場に仰向けに崩れ落ちた。フィーナがぎょっとして、その頭を支える。俺も、二人の下に走った。
「フルリュさん!!」
「フルリュ!!」
フルリュはなんとか頭をぶつける前に体制を立て直すと、俺とフィーナに苦笑いをした。尻餅をついたような格好になって、あはは、と笑いながら俺を見上げる。
「魔力を使い過ぎて、ちょっと目眩がしてしまいました」
そうだ。これは、俺だけの勝利ではない。ずっと俺に魔力を提供してくれていたフルリュも、確かな役割を持っていた。
俺一人では、<重複表現>は使えなかったんだからな。
「これで私がゴボウではなく、有名な魔法使いだったと信じて貰えるだろうか?」
「はっ。まあ、ちょっと役に立つゴボウだという事にはしといてやるよ」
「なんだとお――――!! 主よ、誰が主に必殺の強化魔法を教えたと」
「ああはいはい、ありがとうありがとうね。そのうち元の姿に戻れると良いね」
「他人事!?」
随分と愛嬌のあるゴボウになったものだ。……いや、ゴボウじゃなくて神具なんだっけ。どうでもいいけど。
しかし、生物がアイテムに封じ込められるなんて話は聞いたことがない。宝箱を開けた前任者も、特に要らないから放置したんだろうし。
変な所に凄いアイテムというものは転がっているものだ。いや、魔族なんだっけ。どうでもいいけど。
「……ずっと誰と話しているのかと思っていたのですが、この細長い物体なのですか?」
「私は『神具』です。以後、お見知り置きを」
フィーナが苦い顔をして、薄目を開けて俺のリュックに刺さっているゴボウを見た。
「お見知りしても、ちょっと話し掛けるのは抵抗がありますわね……」
「がーん!!」
そんな野太い声で、「がーん」とか言われても。
岩陰に隠れていたティリルが、こそこそと現れた。きょろきょろと辺りを見回し、もうその場所に敵が居ないと分かると、フルリュに向かって走って行った。
「ティリル!!」
「お姉ちゃん!!」
両手を広げて妹を迎え入れる姉と、姉に全力で抱き付きに行く妹。……ああ、なんて素晴らしい光景だろう。金髪美人姉妹が山頂でそれをやっているのは、かなり絵になる。というか、写真を撮りたい。
カメラストーンって、いくらなんだっけな……。次にこういう事があった時のために――あって欲しくはないけど、買っておくのも良いかもしれない。
そうだ、レオはどうなった? 三百六十度辺りを見回し、ドラゴンの面影を探した。確か、さっきはあっちに飛んで行ったはず――落ちて行った訳では無さそうだったから、どこかに避難して……
「おーい、ラッツ!!」
……え? 後ろ? ……上?
振り返ると、見覚えのある緑色のドラゴンが広場に降り立つ直前だった。レオは俺に手を振って、着地するとドラゴンから降りる。
その向こう側でドラゴンを操っているのは――やたらと髪と髭の長い、白髪の爺さんだった。……俺、あの人を知っているぞ。冒険者アカデミーで散々怒ら……教わった、鬼コーチ。
「エト先生が助けてくれたんだ!!」
そして、レオの魂の師匠でもある。……まさか、こんな所で会うことになるとは。俺、この人苦手なんだよなあ……。
「エンドレスウォールが召喚されたから何事かと思い来てみたが、私が出る幕でも無かったようだな」
え? ……何、じゃあ俺が倒さなかったらこの人俺達を助けてくれてたの?
俺はじゃあ、何のために全力を……
エト先生はドラゴンから降りると、俺とレオの前に立った。余裕の笑みで腕を組むと、その阿呆のように高い身長で俺を見下ろす。
「少しは強くなったようだな、ラッツ」
カチン、ときた。
「うっせーばーかばーか、もうお前より強いっての」
「ははは、何処の属性ギルドにも入れて貰えなかったのにか?」
「ぐふっ、何故それを……」
高笑いをして、ふと険しい顔つきになるエト先生。たったそれだけで、ぞわりと寒気が走る。やっぱこの爺さん、只者じゃない。
「私が居なくなってから、『ソードマスター』も随分と腐ったギルドになってしまったようだな……」
やっぱり知ってるのかな、ダンドがエンドレスウォールを召喚したってこと。こう言っちゃ何だが、今回の問題は完全に『ギルド・ソードマスター』の落ち度だ。あんな奴がギルドに居たってのもそうだが、エンドレスウォールなんて高位のダンジョンマスターを誰にも相談せずに召喚なんかしたら、普通は大変な問題になる。
腹を空かせて街まで降りてきたりしたら、犠牲が一人や二人では済まないかもしれないのだ。エト先生は振り返ると、フィーナを見て柔らかな微笑みを浮かべた。
「そこの娘は、フィーナ・コフール嬢だな。父親は元気か」
「あ、はあ、まあ……。貴方は」
「古い友人、エトと会ったと伝えてくれれば幸いだ。魔族の娘も、皆まとめてセントラルまで送ろう。乗りなさい」
俺達は、エト先生のドラゴンに乗った。
○
レオは、結局『ギルド・ソードマスター』を辞めて、エト先生に付いて行く事に決めたらしい。エト先生は「ちょうど、そろそろ弟子が欲しい所だった」と言ってレオを連れて行った。
あんな爺さんでも、元は『ギルド・ソードマスター』のギルドリーダー。実力としては申し分ないだろうから、後はレオのやる気次第って所だろう。
セントラル・シティまで送って貰うと、俺はレオと別れの挨拶を交わした。固く手を握り、レオは笑みを浮かべてはっきりと、俺にこう言ったのだ。
「次に戻って来る時には、お前とパーティーが組める程度には強くなっておくよ」
レオの事だから、本当にやりそうな気がしてならない。……なんだか、厄介なライバルを一人抱えてしまったような気がした。
まあ、仲間なので問題はないんだけど。
エト先生とレオとの去り際に、俺はあることを思い出した。全く一致していなかったけれど、そういえば『ルナ・ハープの泉』の初期攻略者って、確か『エトッピォウ・ショノリクス』って名前で。エト先生は頑なに「エトと呼べ」といつも言っているのだが、それがあんなヘンテコな名前のせいだとしたら、なんて。
一人で勝手に俺は吹き出していて、フルリュに真面目に心配された。エンドレスウォールを倒したことで、俺がおかしくなってしまったのではないかと思ったらしい。
失礼な。
フルリュとティリルに茶色のローブを着せて、俺達はセントラル・シティを歩いた。もう夕方になってしまったし、フルリュとティリルを送るのは明日でも良いかなと思っていた。
「……それでは、私も帰りますね」
フィーナが静かに手を振った。最近多かった「一緒に帰りましょう」の誘惑もなく、すっかり疲れているようだった。まあ、あれだけの戦いがあったのだから当たり前か。
こうして何も腹黒い事をしなければ、普通に可愛いのだが。
「ああ。今日は助けてくれてありがとな、お前が居なきゃヤバかったよ」
「ちょっとは惚れ直してくれました?」
「いや、直すも何も惚れてねえけど」
「ふふふ。いつか私のモノにしてみせますから」
その時だった。
「こっちです、リーダー!!」
何の騒ぎだ……? と思ったら、何名かの人間が俺達の所目掛けて走ってくる。夕暮れ時の人が多い時間、一斉に走って来る『ギルド・ソードマスター』の連中に、皆が振り返って様子を気にしているようだった。
先頭を走っているのは……ダンド? その後ろには、ソードマスターのギルドリーダー、シルバード・ラルフレッドの姿も見えた。
左右に分けた栗色の長髪。ファンクラブまであるイケメン男がシルバード・ラルフレッドだ。
背が高くすらりとした好青年で、丁寧な態度。加えてこの顔でソードマスターのギルドリーダーだと言うのだから、そりゃファンも付くわけだ。
ダンドは真っ直ぐに俺の下に――いや、俺よりもダンドに近いフルリュの下に走って行き――……、えっ?
「おい、やめ――――!!」
俺が静止を掛けるよりも速く、フルリュとティリルのローブを剥ぎ取った。
バサ、と音がして、フルリュの全身が露わになる。薄い布地の服に、純白の翼。輝く金髪と、エメラルドグリーンの瞳。そして、足下と手先に生えた――――鳥のような、鋭い爪。
ざわ、と辺りで見ていた群衆が騒ぎ出した。俺は頭が真っ白になってしまい、その場から動けなくなった。
フィーナの瞳が、鋭くダンドを睨み付ける。
「見てくださいよ、これ!! あろうことか魔物の子供を捕らえて、こいつはアイテムを大量生産するつもりなんです!!」
大袈裟にダンドは身振り手振りで、人を集めた。何事かと辺りから人が集まる。その中には、治安保護隊員と呼ばれるセントラル・シティの用心棒に当たる人間も混ざっていた。
……やばい。こんな事態は想定していなかったぞ。エンドレスウォールと戦った直後で、まだ頭が回転していない。
嫌な所を突かれたものだ。……こいつはあれだけボコボコにされて、よくまた俺の前に現れる根性があったもんだな。
ダンドは両手を広げて、周囲の人間に示した。
「ハーピィの大群に襲われたらどうなるか、分かりますか!? これはセントラル・シティ全体に関わる脅威ですよ!!」
それ、俺が言ったことじゃん。
いや、しかし。言ってしまったら勝ち説も、あながち間違いではないのではないか。俺が今、ハーピィのフルリュとその妹、ティリルと行動していることは確かであるわけだし、ダンドには何も証拠なんて――……
冒険者バンクに確認を取れれば、或いは――そんな事をやっている時間がない。気が付けば俺は取り囲まれ、治安保護隊員に今にも捕まりそうになっていた。
「そいつを、捕らえてください!!」
ダンドの声に、視界の端にあった銀色の髪が、流れるように動く。
「……あまりにも、往生際が悪すぎますわね」
ぽつりと、横でそのような言葉が呟かれた。その姿は俺を通り過ぎ、真っ直ぐにダンド目指して歩いて行った。ダンドが振り返ると、その意外な人物に目を丸くした。
ああ、そういえばダンドって、俺がフィーナと行動していたことを知らないのか。
「貴女は、フィーナ・コフール嬢!! 聞いてください、そこのラッツとかいう男が――――」
パン、という乾いた音が、セントラル・シティの広場に木霊した。
その瞳は鋭く、唇はしっかりと結ばれている。フィーナがダンドの頬に、平手打ちを放ったのだ。
白銀の綺麗な髪が、フィーナの動きに合わせて揺れた。フィーナは直後、にっこりと笑って振り返った。
振り返った先は、ソードマスターのギルドリーダー、シルバード・ラルフレッド。何が起きているのか分からないといった様子で、頭に疑問符を浮かべている。
「あらシルバードさん、ごきげんよう」
「フィーナ。これは一体、どういうことなんだ?」
ああ、ギルドリーダー同士だもんな。この二人、知り合い同士か。
「先程まで、私はこのラッツ・リチャードという殿方と共に行動していましたわ。ええ、この方は先程までたった一人で、この騒いでいるクソガキが召喚してしまった『エンドレスウォール』と戦っていましたの。ラッツさん、あれを」
……あ、ああ。俺は訳も分からないまま頷いて、エンドレスウォールがドロップした『ゴールデンクリスタル』を出した。
黄金の眩い輝きに、周囲がざわつく。……あれ。皆、俺を見ている。
「ウソだろ……あのレベルのダンジョンマスターを、一人で……?」
「あいつ……何者なんだ……」
……え? ……あれ? なんか俺、人気者? というか、フィーナは一体何を考えているんだ?
「『ギルド・セイントシスター』の元ギルドリーダーが、証明しますわ。ここにいるラッツさんは、人間の街に迷い込んでしまった心優しいハーピィを故郷に帰すために働いていましたのよ」
初めてフィーナから『心優しいハーピィ』などと言われ、目を丸くするフルリュ。
どうして、フィーナは俺の味方をしてくれるんだろう。長く戦い、共に苦難を乗り越えて、仲間だと思ってくれているのだろうか。……まあ、そうか。あれだけの戦いがあったのだから。
フィーナの凛々しい顔が、俺を見た。その姿は気高く美しく、『ギルド・セイントシスター』のギルドリーダーに相応しい輝きを放っていた。
まるで今まで俺が見ていた、フィーナ・コフールその人が別人のように見える……!!
シルバード・ラルフレッドがフィーナを見て、喉を鳴らした。
「唐突にギルドを抜けたかと思えば、彼と行動していたのか……フィーナ、君は一体、何を考えているんだ……?」
フィーナはぐい、と、俺の腕を掴み。
俺を引き寄せ。
胸が当たる。胸が。
はっきりと、言った。
「わたくし、ラッツさんに求婚を申し入れましたの」
えっ。
「「――――えええええぇぇぇっ!?」」
え、ちょ、おま、おまっ、お前っ、お前えエエ!!
そういうことかよ!!
一瞬でも「ああ、やっぱりフィーナって最終的には俺の味方してくれるんだ」とか思っちゃった自分が馬鹿みたいじゃないかよ!!
結局お前の都合の良いようにしたいだけか――――!!
「ギルドを辞めてでも付いて行きたいと思えるような、素敵な方でしたわ」
お前俺の都合とは何の関係もなくギルド辞めるって言ってたじゃねえか!!
ざわざわと、辺りから驚愕と奇異の瞳で見詰められる俺。「いや、あのフィーナ嬢がそんなまさか」だとか、「セントラル・シティの聖女と結婚!?」だとか、「てめえ俺達のフィーナ嬢をラッツ殺す」だとか、ああこれは一番怖い、そんな声があちこちから上がった。
フィーナは俺の胸に身体を預け――――そして、耳元で囁いた。
「話を合わせた方が、賢明だと思いますわよ?」
た、確かにフィーナが加勢したとあらば、ダンドとは発言力が違う。ハーピィの娘を連れて歩いている俺も、瞬時に正義と化すだけの発言力をこいつは持っている。
何せ、『属性ギルド』のギルドリーダー。その顔の効きっぷりは国王顔負けだ。
だがっ……!! ぐ、うっ……!!
俺はフィーナの肩を抱き寄せ、胸を張った。
「……そういうことだ、ダンド。悪いがお前は手を出してはいけない奴に手を出したようだな」
ダンドが口をぱくぱくとさせて、俺を見ている。
「お前……そんなに有名な奴だったのか……? ただの初心者じゃ……」
フィーナが俺の胸に顔を預けたまま、シルバード・ラルフレッドを睨んだ。シルバードはこれ以上無いほどに慌てて――あ、こいつもフィーナの事好きだったクチだ。顔がそう告げている。
「そんな……フィーナ、僕との交際を蹴ってまで、どうして……」
そこまで進んでたのかよ!! お前も罪深いな、フィーナ!!
「落ち目ですわね、シルバードさん。私、貴方には少しだけ幻滅しましたのよ。このような、ソードマスターの風上にも置けないような男が、私の大好きなラッツさんに喧嘩を売っていると」
「そんな……じゃあ、『例のギルド』のことは……」
『例のギルド』って、多分いつかフィーナが言っていた『属性ギルドのリーダーだけを集めたギルド』のことか。
フィーナは曇りのない笑顔で答えた。
「貴方とのことは、『全て』白紙に戻させてください。勿論、ギルドのことも」
ああなるほど、そこまで計算していたんだね。シルバード・ラルフレッドはダンドをぎろりと睨んだ。ダンドは顔をひくつかせて、最早どうにも出来ない様子だった。
「――ダンド・フォードギア。これはどういう事なのか、説明してくれるかな」
「あ、いや、その……これは……」
ああ、これはもう駄目なやつだ。シルバード・ラルフレッドの顔がそう言っている。
「そういえば、君の所に任せていたレオ・ホーンドルフは、わざわざ僕の所に謝りに来たぞ。自分に力がないから、一緒にはやれないと……。君は初心者として非常識だから仕方ないと、そう言っていたな。あれは本当に、非常識な初心者だったのか?」
「そ、それは勿論……」
「……非常識なのは、君の方ではないのか?」
「いえ、違いますリーダー!! 俺はその、こいつが……こいつを……」
シルバード・ラルフレッドは指を鳴らした。後ろにいたシルバードの部下と思わしき剣士が何人か、ダンドとその一味を取り押さえた。
「このパーティーの行動を、徹底的に調べ上げろ。場合によっては――ギルド追放も辞さない」
多分、俺はダンドのソードマスター姿を、今後見ることは無いんだろうなと思う。