A18 重複表現(デプリケートスタイル)を覚えよう
「ブオオオオオオオ――――――――!!」
効いた……のか!? マジか!!
レオは自分が信じられないようで、目を丸くしてエンドレスウォールの様子を見ていた。エンドレスウォールはレオに斬り付けられた目を押さえ、痛みに悶えているようだった。
「やった!! やっ――――――――」
その言葉を、俺が最後まで聞く事はなかった。レオが、その場から忽然と消えたように見えたのだ。
俺は我が目を疑った。
――――違う。消えたんじゃない。
見えない程に速いモーションで払い飛ばされたのだ。青空の遥か向こう側に、豆粒のようになってしまったレオが見えた。
「レオおおお――――――――!!」
俺は叫んだ。あんな場所じゃ、もう助けには行けない。そして――山から落下し、下が地面なら――……
ぞわり、と悪寒が込み上げてきた。レオが、やられた? ……そんな、馬鹿な。
――いや、待て。豆粒のように動いているのは、レオだけじゃない。
レオの飛んで行った方向に、緑色の怪物が近付いて行った。……ドラゴン? なんで、あんな所にドラゴンが……レオが回収された。
なんだ、あれ……?
エンドレスウォールは虫でも払いのけたかのような雰囲気で、再び俺とフィーナの方を向いた。すっかり覚醒したようで、動きも先程までとは比べ物にならない速さだ。
いや、今までが遅かっただけなのだが。そもそも、俺達は今の今までエンドレスウォールにダメージひとつ与えていないのだ。
まずい。このままじゃ、フィーナは……
俺は、後ろを振り返った。
「ん……ラッツ、さん……」
駄目だ。フィーナはこの場所からまだ動けない。レオが時間を稼いでくれたが、まだそれだけじゃ。
その時だった。
俺の頭の中に、何かの情報が入り込んで来る。それは数字のようであり、またある時は文字であり、文章のようでもあった。
なんだ、これは……? 法陣……いや、術式か? アカデミーで覚えるものよりも遥かに複雑で、そして難解な――……。
「ラッツ様!!」
――――目の前に、フルリュの顔が現れた。
「お待たせしました!!」
俺の知識からすれば、それは間違いなく一つの魔法だった。だが俺の知る限りでは、そんな魔法を使う人間を今迄に聞いたことはなかった。
とてつもなく複雑で、難解。しかし、俺に分かるように入って来る。魔法の性質も、使い方も、手に取るように分かる。遠くから近付いて来るエンドレスウォールと、超至近距離で俺に迫るフルリュを前にして、俺は。
その術式を、把握した。
「<マジックリンク・キッス>!!」
緑と紫の入り混じったオーラを身体から立ち昇らせ、フルリュは俺の唇に口付けた。状況が状況だったがために、フルリュの事を気に掛けている余裕はなかったが――――俺はそのスキルの意味を理解すると、すぐにフルリュを背中に隠した。
目の前で拳を振り被る、エンドレスウォールをその視界に捉える。
事情はさっぱり分からない。レオが無事なのかどうかも、今の俺では把握できない所にある……とにかく、レオは無事だと思うしかない。
背中に隠れている、フルリュを。
力尽きてへたり込んでいる、フィーナを。
岩陰に隠れている、ティリルを。
助けなければ。
今、それが出来るのは俺だけなのだから。
「<重複表現>」
エンドレスウォールが、拳の弾丸を発射する二秒前。俺は、既に自分に対して使われている<キャットウォーク>の効果で、エンドレスウォールの拳の弾道を捉える。
そして、さらに――――――――
「<ホワイトニング(+1)>!! <キャットウォーク(+1)>!!」
全身が焼き切れる程に熱くなった。マグマのように吹き出す魔力は、フルリュのものだ。<マジックリンク・キッス>は、対象者と使用者の魔力を共通化するためのスキルなのだろう。
やっぱり、魔族の保有している魔力ってのは人間とは比べ物にならないんだな。その溢れんばかりの魔力量を制御する事のほうが難しい。
『二段階目』の強化を経て、俺は思わず歯を食い縛った。魔力の制御の難しさと、俺自身の肉体的限界突破に、頭がおかしくなりそうだった。
だが、その動体視力はエンドレスウォールの豪速の拳をしっかりと確認できるほどのレベルになっていた。しかし、受け止めるのは少々厳しそうだ。
こんなものでは駄目だ。
――――もう、一段階!!
「<ホワイトニング(+2)>!! <キャットウォーク(+2)>!!」
まるで、エンドレスウォールの姿がスローモーションのように見える。俺は左手を突き出し、その拳を受け止めた。
今の今まで、そのモーションさえ見切ることの出来なかった拳を、いとも容易く。
俺は、自身の肉体の数十倍、いや、下手すると数百倍――――の大きさを誇る、巨大な壁の怪物が繰り出す攻撃を防いだ。
それも、左手一本での行動だった。
「…………こういうことか、<重複表現>。……理解したよ」
全身が悲鳴を上げる。魔力の消費もケタ違いだ。フルリュの魔力なんか、すぐに使い果たしてしまう自信がある。
時間は、保って一分。いや、下手をすると三十秒。そんなものだろうか。
「主の戦闘スタイルに最も合う魔法を教えたつもりだったが……不服か?」
「いや」
ゴボウはリュックの後ろで、ぶっきらぼうにそう告げた。
俺は受け止めたエンドレスウォールの拳を握り締めた。その握力は<ホワイトニング>三回分。……でも、これは違うな。そんな、生易しい計算式じゃない。
レベルが一段階上がる毎に、信じられない程の魔力を消費している。効果は同じ<ホワイトニング>と<キャットウォーク>でも、その規模が違うというのは初めてだ。
使い慣れた、俺の基礎スキル。
俺はリンゴか何かを握り潰すように、エンドレスウォールの右拳を破壊した。
表情の変わらないエンドレスウォールが、少しだけ戸惑ったように見えた。
「サンキューな、ゴボウ。こいつは俺にとって、最高のスキルのようだぜ……!!」
フルリュは両手を握り、祈るように膝を突いている。俺は今一度ゴーグルの位置を確認し、構えた。
「だからゴボウではないとあれほど」
「うっせー!! 倒すからちょっと黙ってろ!!」
リュックから取り出したのは、初心者用ロングソード。俺は、すぐにロングソードに魔法を付与した。
「<ホワイトニング・イン・ザ・ウエポン>!!」
<重複表現>。自身に使用する強化系の魔法のみ、その効果を重複して跳ね上げるための魔法公式。だから、基本的な使い方は単発の時となんら変わりない。
攻撃系のスキルには使えないけれど、その威力は勝手に跳ね上がるっていう寸法だ。
俺のロングソードが眩い光を放つ。それを、エンドレスウォールに向けて。
大地を、蹴った。
「<ソニックブレイド>ォォォ――――――!!」
閃光のように、俺は一直線上にエンドレスウォールを捉え、そして振り抜いた。
最早、それは基礎スキルの<ソニックブレイド>とは、似ても似つかない。光の剣を構えた俺は、一足飛びでエンドレスウォールの背後へと剣を抜き去るまで跳んだ。光の剣が一閃、残像を残す様は今は亡き勇者の剣筋のよう。
初めてエンドレスウォールが、太く短い両足を折った。
「グオオオオオォォォォ!!」
雄叫びが漏れる。その雄叫びでさえ、地鳴りか何かのように聞こえた。
エンドレスウォールの動きが、遅過ぎる。先程までは捉え切れなかった拳。全身の反応なんて、既に止まっているのと全く変わらない。
魔力は有り得ない程に流れ出ている。ならば、その魔力攻撃さえも強化したらどうなるか。
リュックから、買ったばかりのステッキを取り出す。ステッキによる、強化魔法――どうせなら、出来る限りの最大火力だ。
「<マジックオーラ(+1)>!! <マジックオーラ(+2)>!!」
俺の体内を巡る魔力量が一時的に増加する。<マジックオーラ>を使った事で、より反動が身体に重く響く。やはり、魔法は無理か――――?
いや。
「<レッドトーテム>!!」
エンドレスウォールの真下に、火柱を出現させた。真下から吹き上がる業火が、エンドレスウォールの全身を包み込む。
「くらえこのクソ壁が!! 超!! <強化爆撃!!>」
ずしん、と大気がねじ曲がるような、重厚な衝撃があった。目には見えないのに、辺りの空気が変わった事を教えてくれる。
一瞬の出来事だった。しかしその時間は、俺にとっては随分と長い時のように感じられた。
火柱が不意に、大魔導師のそれのような超巨大爆発に変わる。爆風が生まれ、俺はその突風をものともせず、ステッキをリュックに仕舞う。
フルリュとフィーナは――――良かった。復活したフィーナが、<サンクチュアリ>でフルリュを守っている。
俺の事を、奇人か何かを見るような目で、見詰めていた。
もしもチャンスがあるとしたら、エンドレスウォールが膝を折り、攻撃を止めている今でしか有り得ない。俺はリュックから初心者用ナイフを二本、取り出した。
「<ダブルアクション><ダブルスナップ>」
爆風が止まないうちに、駆け出す。
エンドレスウォールを目指し、一直線に。
跳んだ――――――――
「終わりにしようぜ、エンドレスウォール!!」
今の俺が放つナイフの突き一発は、まるで武闘家の極めた拳一発のようだ。今、何倍だ? 分かんねー、計算するのも面倒だ。
俺は歯を食い縛り、そのナイフの一撃に全力を込めた。
「<チョップ>!!」
それは、ある意味では<ウェイブ・ブレイド>の強化版。速過ぎるスピードと魔力が、衝撃波となってエンドレスウォールに襲い掛かる。
鋼の鎧を、撃ち砕く。
もう一発!!
「<チョップ>!! <チョップ>!! <チョップ>!!」
眼光は鷹のそれか。宙に浮かぶ身体が制御を失わないのは、或いは鳥になったのか。吹き荒ぶ風の中に小さな身一つ、太陽の輝く青空の下で、放たれる基礎中の基礎スキル。
まだ、足りない。こんな数では、エンドレスウォールの強固な壁を破れない。
もっと。
――――もっと、速く!!
「<チョップ><チョップ><チョップ>!! <チョップ><チョップ><チョップ><チョップ><チョップ>!!」
今、自分の両腕がどのような動きをしているのか、俺自身にも分からない。
だが、それはある意味では、音速を超える程の速度にも達していたのではないかと思う。激昂する意識の奥底で、冷静な自分はその様子を眺めていた。
「削れろオォォォ――――――――!!」
叫んでいた。
張り詰めた空気が、限界まで怒り狂う筋肉が、更なる境地へと奮い立たせる。
爆風で焼け焦げた、エンドレスウォールの皮膚に突き立てた<チョップ>。岩のように強固な身体に、傷が付く。何千発にも膨れ上がったナイフの突きが、弾丸となって岩を削る。
エンドレスウォールは、壁に埋まっているような無粋な瞳に、初めて感情を見せた。
――――恐怖を、感じたか?
そうだ。
俺は生贄でもなければ、小さな蟲でもない。
「おおおおおおおおおおおおあああああああああ!!」
お前の――――敵だ。
お前を狩るものだ。
だって俺は、冒険者なのだから。
ただの壁でしか有り得なかった図太い体表に、ヒビが入った。僅かなヒビは瞬く間にその傷跡を広げ、やがて。
割れる。
――――――――割れろ!!
「あああああああがああああああああっ――――――――!!」
壁しか見えなかった視界に、光が差し込んだ。
撃ち砕くまでは途方も無い時間のように思えていたが、貫いてからは一瞬だった。
エンドレスウォールの身体――そのど真ん中をぶち抜いた俺は、ほんの数秒離れていただけなのに、久しぶりにも思える大地に降り立った。
途方もなく広い、『嘆きの山』の山頂。
円形の、広場に。
「グオオオオオオオオオオオ!!」
俺から<重複表現>の効果が切れ、その場に膝を突いた。両手に握っていたナイフを、取り落とす。
思わず膝を突いたが、しかしエンドレスウォールの全身から光が吹き出す様子を、俺は振り返って確認した。
あまりの眩しさに、目が眩んだ。
そして、それは――――――――爆発した。
「うおっ!!」
反射的に目を覆おうとして、俺はゴーグルをしていることを思い出した。光の次は、爆風が襲い掛かる。俺は決して顔を背ける事なく、エンドレスウォールを見詰めていたが――……
爆風に消えていたその姿の先が、ふと鮮明になる。
煙が――――晴れた。
俺は立ち上がり、エンドレスウォールの居た場所へと向かっていく。ゴーグルを押し上げ、その双眼でしっかりと、現在の状況を確認した。
フィーナが<サンクチュアリ>を解除し、すっかり目を丸くして、俺の事を見ていた。
「――――うそ」
嘘じゃない。
夢でも、幻でもない。もう、その場所に『エンドレスウォール』は居なかった。
奴が居なくなると、途端にだだっ広い山頂に戻ってしまったように感じる。エンドレスウォールの身体が巨大だったせいで、広場が小さく見えていたのだ。
そして、それは『消滅』した。
その証拠に。俺は、確かに光り輝き、その場所にドロップされている『ゴールデンクリスタル』を、手に取った。
「本当に……たった一人で、勝ってしまったの、ですか」
軽く真上に投げてキャッチし、その感触を確かめる。売れば百万セルはくだらない、高価な魔導宝石。オマケに流通が少ないせいで、一流の魔法使いでもこれを手に入れるのには苦労するという話だ。
俺はフィーナとフルリュに向けて、軽く笑顔を作った。
「――――まあさ、なんとか助かったみたいだな?」