K162 大地を登り詰めれば神になれるか
マウスの怒号に、俺達は一斉に振り返った。息を荒げているマウスの様子は尋常ではなく、一刻を争う事態が発生しているという事は、誰の目にも明らかだった。
目の前に居るトーマス・リチャードは、まだ話し終えていない様子だった。リリザとガングはマウスの言葉に従い、この部屋を出ようとした――……リリザが直後に振り返って、俺の事を不安気な眼差しで見詰めた。
「ラッツ!! 主はどうする!?」
俺は、眉間に皺を寄せたまま、その場に固まっていた。フィーナが心配そうに、俺の背中を撫で摩る。
……こんな、馬鹿な事があるか。リリザの封印を解く前に、この映像を見ていれば良かったのか――……今の俺には、じっくりと策を練る時間も、仲間を統率して計画について話し合う時間も、己を鍛える時間も無い。それなのに、こんな状況で『紅い星』は、復活するって言うのかよ。
無理だ。幾らなんでも、『境界線』を越えた人間四人掛かりで勝てなかった相手に、無策で勝てるとは思えない。絶望は確実に迫り、俺の服の裾を引き、奈落へと引き摺り込もうとしている。
指の先が冷たくなっていくような感覚を覚えた。瞬きする事さえ出来ず、その場に立ち竦む。
どうする。
……どうすれば。
瞬間、目を見開いた。直ぐにリリザの方へ顔を向け、余裕もなく張り詰めた声でリリザに返答する。
「先に行って、ペンディアムの皆と合流してくれ!! 場所は、交信して落ち合おう!!」
リリザは額に汗しながらも、俺の目を見て、徐に頷いた。
「待っているぞ」
忙しない様子で階段を上がって行く三人の足音が、俺から遠ざかって行く。冷えた手にどうにか力を込め、俺は両手で頬を叩いた。
気合一閃。混濁している思考を、今一度現実へと引き戻す。
「ラッツさん!?」
馬鹿か、俺は。何時如何なる状況下でも、立ち止まって迷っている時間なんていうのが一番無駄なんだ。戸惑う位なら行動を起こせ。決して思考を休めるな。
まず、壁の映像。爺ちゃんが何の理由もなく、こんな物を用意したとは思えない。ならば、今映像のど真ん中で派手な爆発を繰り返し引き起こし、人間を襲っている何かが、『紅い星』で間違いないのではないか。
さっきから、こればかり映っている。人間と同じように人型をしていて、しかし肌は銀色でどこか気味が悪く、目玉はあるのに瞳孔と虹彩は見当たらない。
まず、これについての情報を探すんだ。
部屋の中を見回した。複雑な機械ばかりが鎮座している空間に、一つだけ雰囲気の違うものがある。俺は真っ直ぐにそれ目指して走って行き、扉を開いた。
それは、本棚。その向こう側には、幾つものファイルが眠っている。両手で掴めるだけの書類を引っ掴み、俺は隣のテーブルへと広げた。
「ど、どうしたんですか!?」
「情報を集めよう!! フィーナも手伝ってくれ!!」
きっと、壁に映し出されている映像の真下。幾つものボタンが羅列している台も、操作すれば何かが出来るのかもしれない。だが、操作方法の分からない俺に、あの機械は無意味だ。
不自然にも置かれた本棚。灰色と銀色に包まれた空間の中で、唯一これだけが木材を利用して作られている。この形、装飾具合。間違いなく、セントラル・シティのものだ。
俺がボタンが羅列された台に手を出せないと知って、トーマスはこんな書類を俺に用意したんじゃないのか。
そうだ。きっと、そうに違いない。トーマス自身が映し出された映像といい、壁の映像といい、嘗ての『アース』に暮らしていた人間達というのは、情報を保存する方法に長けていた。それは、魔力を使える俺達よりも、遥かに進化した方法で。
だとするなら、書類にして保存すべき情報なんて必要無くなっていたに違いない。こんなアナログな方法で置いてあるという事は、誰かに読んで貰いたかったからに他ならない。
この情報を置き去りにして、『紅い星』と戦う訳には行かないだろう。
「何か、ある筈なんだよ……!! 誰の記憶にも残っていない、『紅い星』の情報が……!!」
半透明なファイルに収まった幾つものプリント。素早く捲り、俺はその内容について確認した。殆どは、嘗てトーマス・リチャードが居た星についての歴史の話。確かに情報としては有用だろうけど、切羽詰まっているこの状況で読んでいられるような内容でもない。
未来兵器。電力を主な動力源として活動する、俺達にとっては全く未知の機械。生命体ではない、人工的に作られた何か。
人型をしている筈だ。その絵を探せば、或いは…………
ふと、目に留まったものがあった。俺はそのページを開いて、中身を確認する。
――――あった。
『イカロスの翼』。そこにはそのように書いてあったけれど、壁に映し出された映像とも一致する。……これではないだろうか。
そういえば、ゴールバード・ラルフレッドが創り出した機械の名前は、『イカロスの羽』だった。あれは、世界の終わりに見えた化物をモチーフにして作られたモノだったのか。
なんとも、趣味が悪い。
記憶を奪う方法については、解析された魔法公式があった。俺はそれを読み取って、自身の中に蓄積する――……そうだ。こういう情報が必要だ。
今となっては、世に存在する全ての魔法公式は、内容さえ理解していれば打ち破られる状態となっているんだ。これさえあれば、俺にだって戦う方法が何かしら、ある筈だ。
それ以外に有用な情報はない。硬度がどれくらいだとか、力がどのくらいだとか、理屈っぽい説明はされているが……だからといって、実際に破壊する為に何かの役に立つかと言われれば、役には立たない。
結局の所、奴を破壊するに至る攻撃を繰り出さなければ勝ちは見えない。破壊出来るかどうかは、全力で攻撃をぶつけて見なければ分からない事なのだから。
「ラッツさん!! こ、これはどうでしょう!?」
同じように資料を捲っていたフィーナが、俺に情報の一部を見せた。俺はその内容を確認して。
驚きに、目を見開いた。
「これは…………!!」
○
『魔王城』を出てから、リリザには魔力を飛ばして信号を送った。打ち合わせなんて一度もしていなかったけれど、きっと理解してくれる筈だと信じて、俺は魔王城を出る。荒地を抜けて、大草原をひた走った。
俺の後ろには、ぴったりとフィーナが付いて来る。風の音だけが、俺の耳に届いている――……どういう訳か、魔王城を出た筈なのに俺は魔界に居なかった。遠く向こう側に見えるのは、『ペンディアム・シティ』。驚き戸惑う民衆の姿が、地平線に近い場所に小さく見える。
街から離れなければ駄目だ。もしも『紅い星』が覚醒したとするなら、まず真っ先に倒さなければならないのはリリザ、マウス、ガングを始めとする旧世代の連中だろう。なら、『紅い星』はきっと始めに彼等を探すはず。
それが分かっていた俺は、出来るだけ人の居ない場所へ、広く戦う事が出来そうな場所へと走った。
「ラッツ様――――!!」
遠くから、声が聞こえて来る。……このくらいまで離れれば、大丈夫だろうか。俺は立ち止まり、遥か頭上から俺を呼ぶ声に、顔を上げた。
「フルリュ!! ……と、ササナとキュート!!」
フルリュに捕まっているのは、ササナとキュート。三人それぞれ、俺を見付けて安堵したような表情を浮かべたが……どうして、この場所に居る事が分かったのだろうか。いや、それ以前に『ゲート』を潜って来たのか?
……いや。もう『ゲート』なんてものは、何の意味も成さないモノになりつつあるんだ。辺りを見れば分かる事だった。俺達の暮らしていた人間界に、薄っすらと『魔界』の姿が重なっている。広く遠方を見渡すことが出来るこの場所だからこそ、その実情が分かった。
フルリュ達もまた、真っ直ぐに俺の場所目指して飛んで来ただけなのだろう。
俺とフィーナの真上まで辿り着くと、キュートを先頭に、ササナとフルリュも降りて来る。地面に着地するなり、フルリュは感極まった様子で俺に飛び付いた。
「ラッツ様!!」
「お、おう。元気だったか?」
思わず、呆けた事を聞いてしまう俺だった。
フルリュは涙ながらに笑顔を浮かべ、俺を見た。吸い込まれるようなエメラルドグリーンの瞳が、光に反射して輝いている。
「良かったです。ずっと、探していて……。ペンディアム・シティに行けば何か分かるかと思って、ササナさんとキュートさんを連れて……」
「空の、裂け目のことか」
フルリュは頷いた。……そうだよな。俺が一度消滅して『境界線』を旅して来たことは、三人共知らない事なのだから。
ササナが俺の頬に手を当てて、心配そうに瞳を覗き込んだ。
「ラッツ……大丈夫……? 何か、様子が違う……」
相変わらず、異変を感じ取る能力に長けているな、こいつは。
「大丈夫だよ。ちょっとパワーアップしたけどな」
状況が絶望的だということは、言える筈もなかった。
それぞれ、故郷に帰って考える所もあったのだろうか。……そう思いながらも、俺は頭上を見上げた。天空に突如として現れた裂け目は大きく広がり、その向こう側に漆黒の空間を見せていた。
「お兄ちゃん、あれは……」
「ああ。どうやら、人類と魔族にとっての至上最強の敵ってやつが、現れる瞬間らしい」
「何、それ……ゴールバードの化物よりも、強いものなの……?」
俺は思わず、苦笑してしまった。
「比較にならねえ。親と子みたいなもんだよ」
キュートの顔が青褪めて行く様子と、殆ど同時にだろうか。ペンディアムの砦があった方角から、緑色のドラゴンが二匹、向かって来るのが見えた。
その上に乗っているのは、エト先生。それと、レオだ。背中に乗っているのはロイスにベティーナ、チークも居るのか。当然、リリザやマウス、ガングの姿もあった。
ちゃんと、俺の居場所を伝えてくれたらしい。
全員集合だ。俺が用意する事の出来る、最も大きな勢力。……参加させて良いのか。嘗て爺ちゃんが、封印された時空に『紅い星』を閉じ込めて戦ったのは、『境界線』を越えた者以外は太刀打ち出来ないだろう、という予測があっての事だったよな。
「ラッツ!!」
「ラッツ!!」
「ラッツさん!!」
殆ど一斉に、俺に声を掛ける。ドラゴンが着地すると、それぞれ駆け下りて、俺の下へと走って来る。
その様子を見て、俺は確信した。……以前は、時空に相手を閉じ込めて戦う事が出来たのかもしれない。……だが、奴は封印された時空を破り、今正にこの星へと、世界へと降臨しようとしている――……戦う者を絞るなんて、絶対に不可能だ。
覚悟しろ、ラッツ・リチャード。どうあっても、俺達『生物』と『機械』の最終戦争が起こる事は、免れられない。
駆け寄ってくるレオに、俺は笑みを返す事は出来なかったが。ベティーナが涙ながらに、俺の片腕を握って来る。
「ラッツ!! ……あんた、もう本当にどうなるかと……」
予感がした。全身が総毛立つ程の悪寒に身を震わせ、目の前の何もかもが暗闇に染まって行くかのように、俺の心に暗澹とした何かが流れて行くように感じた。
顔を上げて、空間を見る。
空の裂け目の向こうから、信じられない程に強大な力の存在を感じる。
これは……魔力か? きっと、魔力なのだろう。『境界線』を越えたことで喜んでいたが、『境界線』を越えた相手というものが敵として現れると、こんなにも恐怖を感じさせる存在になるとは思わなかった。
勝てるかどうか、だけではない。今の俺と、能力をぶつけ合う事そのものが怖いのだ。ともすれば、ぶつかり合って散った攻撃が何を破壊するのか、分かった物じゃない。
辺りを見回して、確認した。……エト先生が俺に微笑んで、肩を叩いた。
「ラッツ、安心しろ。生物達には我々と魔族を通じて、それぞれ別の方角へ、空間の裂け目から離れるように指示を出してある。ホワイトドロップの新聞記者を総動員させてな……戦う者は居るとも告げてある。連中がこちらに向かって来る事はない」
ナイス配慮。それなら、被害を最小限に食い止められる。
とはいえ、俺達がここで食い止める事が出来なければ、それまでだ。『紅い星』に滅ぼされて、この星から生物は居なくなってしまうかもしれない。
「久しぶりだな、エトッピォウ。まさかこんな所で一緒に戦う事になるとは、思わなかったぜ……」
そう言いながら、マウスが金色に輝く長剣を抜いた。エト先生もそれに笑って、自身の腰に携えた剣を引き抜く。
「『境界線』を超える事だけが、強さではない。私はそれを、お前に証明したかったんだがな」
「悪いな。もう嫌と言う程、味わったよ。なあ、ラッツ」
これだけの人数が一同に会すれば、積もる話もあっただろう。でも今は、目の前の障害を越える事だけに集中しなければならない。
「皆。……感動の再会ってやつは、一先ず後にしようぜ」
俺の言葉に全員固唾を飲んで、破けた空間を見上げた。間もなく――――来る。直感的に、そう感じていた。
巨大な空間の裂け目から、風が吹いている。各々の獲物を握り、俺達は『それ』の登場を待っていた。
…………出来るのか、俺に。いや、やらなければ。爺ちゃんが俺に託した、希望。俺は、一人で戦っている訳じゃないんだ。
「ラッツ、リュックはどうした? ……それじゃ、戦えないだろ」
レオの言葉に、俺は笑みを返した。酷くぎこちない、中途半端な笑みではあったが。
「気にすんな。ちゃんと戦えるから安心しろよ」
額のゴーグルを視界に被せ、俺は指貫グローブを取り出した。
無理を通せば、道理が引っ込む……常識を曲げろ。『紅い星』に、正しい道筋を辿らせるな。
ここは、俺達の縄張りだ。




