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超・初心者(スーパービギナー)の手引き  作者: くらげマシンガン
第九章 消えた初心者と追跡する少女と四葉の思い出し草
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K155 話を聞かない特権

 俺とリリザの間には、一本の線が引かれている。


 それだけが、リリザと俺とを引き裂く、たった一つの指標だった。真っ白な空間の中、しかしそれは確かな障害物のようで、それを越える為の数歩は、途方も無く遠い数歩のように感じられた。


 直ぐそこに見える位置に居るのに、何故かそこへと向かう為には苦労を要する事だけが分かる。


 距離など、この空間の中で意味を持たない。そう、言われているかのようだった。


「暫く、主はここに居てくれ」


 どこか儚げで、悲しそうな顔だった。なのに、まるで何かの決意をしているかのような、ある意味では晴れやかな笑顔だった。


 その様子にどういう訳か、俺は。苛立ちを、感じていた。


「……どうしてだ?」


 リリザまでの数歩を、踏み出したい。踏み出したいのに、踏み出せない。


 そこに計り知れない程の高い壁がある事に、俺は気付いてしまったから。


「やっぱり、主は――ラッツは、ここに居るべきだと思うんだ」


 どこか、淡々としていた。


「ここは、『魔法公式の境界線』。ここから先に行くことは、生物としての領域を超えること……なんだ。神に近付き、真理に手を染めるということ。莫大な能力を手に入れる代わり、ひとつ違う次元の存在になってしまう」


 まだ何をしようと企んでいるのか、それさえ分からないにも関わらず。俺はリリザの態度に不満を覚え、リリザの行動を止めようとしていた。


 どうしてだろう。


 他人とは思えない。俺はリリザ・ゴディール=ディボウアス等という魔族を聞いた事が無いし、出会った事もなかった。なのにその一挙手一投足は、まるで遠い昔に出会った事があるかのような身近さだった。寂しそうな微笑みで離れていく彼女に、俺は親近感を覚えていた。


 神具に居た時から、そうだったのだろうか。……もう、はっきりとは思い出せない。


「お前は、どこに行くつもりだ」


 まるで、精神だけが存在しているかのような錯覚さえあった。


 どこからか、音が聞こえてくる。何か、強い魔力の存在を感じる。足下から迫り上がってくるような、上昇気流のような風。髪の毛が舞い上がるように揺れる。


 胸騒ぎと警鐘は、絶えず俺の心中で鳴り響いている。緊張に、吐き気を催すほどに。


 これは…………なんだ?


 時計の、秒針の音のような。そのようなものを、感じる。


 その音は、段々と大きくなっている。




 ――――――――此処に、向かってくる。




「私は、戦いに」




 リリザが、精一杯の笑顔を浮かべた。


 風が、強い。途方も無いほどの強風を感じた。俺は双眼をしっかりと見開き、目の前に迫り来る変化を確認しようと動いた。


 辺り一面に広がるのは、数値の羅列。魔法公式の、羅列だ。それは単に何かの現象を起こす為に組み上げる、そういう類のモノではなかった。扱われる魔力の量が、大き過ぎる。


 時間。空間。距離。重量。質量。…………それだけじゃない。


 個体差。人格。或いは、触覚。嗅覚。味覚。視覚。聴覚。


 宇宙。


 数値として示されていて、数値ではないもの。無限に広がっていくもの。際限なく続いて行く旅路のように、目の前に現れては予想も出来ない程に多彩な感情を示すなにか。


 くそ。あまりに規模が大き過ぎて、それが何なのかを推し量る事さえ出来やしない。


 ざあ、と景色は変化した。


 真っ白な空間の代わりに、真下から上がって来るかのように俺達の前に現れたのは、この星の何処にも存在しない空間だった。


 何処までも続く、闇だ。……いや、『闇』と言うよりは、光が存在しない世界だと表現した方がしっくりくる。


 俺とリリザの周りに、幾つもの計測体が浮かんでいる。まるで時計のようだったが、はっきりとした形を確認する事は出来なかった。


 絶え間なく歪み、変化し続ける、円形の何か。それぞれ種類が違うのかどうかもはっきりとしないものが、宇宙空間とも呼べる複雑怪奇な場所の中に浮いている。


 それは、俺の視界を埋め尽くした。


「ラッツ。『時間』とは、誰かが決めた指標に過ぎない。際限なく経過するということは一つの『変化』でしかなく、時間もまた、尺度や重量、或いは引力と言ったような、条件が変われば姿を変える、一つの数値に他ならない。区別するなんてナンセンスだ」


 こんなのは、馬鹿げている。


 腹の底で煮え滾るような怒りが、渦を巻いていた。


「ただ一つ言える事は、『始点』と『終点』は定められていて、それは輪を描いている、という事なんだ。故に私達はいつ如何なる時でも変わらない『変化』を起こすという矛盾を手に入れ、今に至る」


 構わない。


 吐き出してしまえ。


「知らねえよ」


 リリザは、俺に背を向けた。


「どの星に居ても、どのような力を手に入れていても。人類でも、そうでなくとも、生物は『絶え間ない変化』を手に入れたからこそ、『永遠に繰り返す』という習性も手に入れた。それが、この世に生まれた唯一つの因果なんだ」


「知らねえっつってんだろ!!」


 俺は、分かったような事を言う、分からないものが嫌いだ。


 正義だとか悪だとか、道理だとか常識だとか、そういう曖昧で答えの出ないものが嫌いだ。覚えられない事が嫌いだ。経験できない事が嫌いだ。


 当然、失敗できないって事も大嫌いだ。


「人類は、『アース』から我々の星に来る事で、全てを無に帰す絶望的な存在を世界に齎した。……だけど、それは当然の事だったのかもしれないな。例え人類が『紅い星』をこの世に召喚していなかったとしても、我々は『魔力』を使って似たようなモノを創り出していたかもしれない」


 声は、震えていた。涙を流さないよう、必死で堪えているように見えた。


 リリザは、歩いて行く。途方も無い大宇宙の果てに向かっていくかのように、何処までも見えるようでいて、何も見えない空間の中に一身を投じるように。


「でも、そんな事はどうでも良かったのかもしれない。……私達は少しばかり、神に近付き過ぎたんだ。本当は、生物として、幸せに生きられる事が何よりも大切だったのだということに……生物を通り越してから、気付いてしまったんだ」


「俺の話を聞けよ!!」


「だから、同じ存在として、私は今一度『紅い星』に挑む。……今度は、刺し違えてでも止める。そうすることで、今度は平和な『輪』が産まれてくれる事を信じて。……『不死』など望まず、大地に還る事を、無に還る事を恐れない世界に。それが、新たな物語の始まりになる」


 胸の奥でつっかえたような何かが、離れない。


「お前の話を聞かないのは!! 俺の特権だろうが!!」


 最後に、俺を振り返った。




「私は、『ゴボウ』だった。……そういう事にして欲しい」




 ○




 ここには、何もない。


 リリザが行ってしまった後、すぐに世界は真っ白な空間に戻ってしまった。俺は相変わらず線の前に立たされたままで、帰り道も分からず、行く当てもなく、そこに大の字になって倒れていた。


 音はしない。空気の感覚も、匂いもない。そこにあるのは、ただ一本の『線』の存在のみだった。


 今の俺に、リュックはない。散々鍛えてきたスキルも使えず、武器も防具もなく、指貫グローブもなく、ゴーグルもなかった。


 ――――ああ。


 これが、『死んだ』という事なのだろうか。


 リリザが行って、どのくらい経っただろうか。


 時間の流れを感じない。今ここに例え何時間立っていようとも、それは俺が計測した『感覚』でしかなく、実際には変化が起こっていないのではないか、とも思えるような。


 事実、この世界は何秒、何分、何時間経とうとも、太陽が昇る事も無ければ沈む事もない。


 外では、きっと時間が動いているのだろうけど。


 不思議な、感じだ。


 まるで母親の胎内に、未だ眠っているかのような。


 これが、『境界線』の前に居るという感覚なのか――――…………


「いや」


 リリザの話は、間違っている。


 神に近付き過ぎただとかどうだとか、そんな事はいい。……でも、『始点』と『終点』が同じで、人は過ちを繰り返す『ものだ』という所が、どうにもおかしい。


 それなら、どうして俺達は経験し、新しいものを生み出そうとするんだ。


 もっと幸せになりたいからじゃないのか。


 もっと、面白可笑しくしたいからじゃないのか。


 俺達生物が最も大切にしている『経験』ってものは、そんなにも価値の無いものなのか?


 自分自身への問い掛けに今一度、立ち上がった。


「…………違うだろ」


 境界線だなんだと言っていたが。結局の所、これはスタートラインでしか無いのではないか。


 そうだ。


 そこにどのような障害があろうとも、世界は際限なく続いていく。それはある意味では繰り返すような、絶望的なものでしか無いのかもしれないけれど、ある意味では可能性だってあるんだ。


 だって、俺達が巡っている『輪』は、何処までも広がっていくじゃないか。


 家族の輪。経験の輪。友情の輪。


 同じ大きさなんて事はない。限りなく、広がっていくんだ。俺達が巡った数だけ、同じように。それは二本の線になるかもしれない。もしかしたら、球体になるかもしれない。


 だから、そんな得体の知れない法則の話なんて、もう、どうでもいいだろう。


「俺もお前も、生き物じゃねえか」


 そうして、『境界線』に、触れた。


 人は、誰だって初心者だ。初心者だからこそ、失敗する。失敗して経験して、学習することで、新しい何かが出来るようになっていく。


 人はいつか死ぬからと考えれば、それは確かに意味のないもので、何れ無に帰るかもしれない。でも、人は生きていく。生きていく中で、他の誰かと話をすることだって出来る。


 経験は蓄積されていく。唯一つとして、同じ人生なんてものは有りはしない。


 そうだ。『繰り返し』などない。


 そこには限りない、ひとつの『手引き』があるんだ。それは過去、現在、未来を通じて、俺達の生きる目的になっていくんだ。


 なら、俺は。




「もう、『分かったようなフリ』はやめろよ――――――――!!」




 踏み越えるように、『境界線』を跨いだ。


 瞬間、今まで感じていなかった筈の『魔力』を、限りなく吸い取られるかのような感覚を覚えた。足下は急速にふらつくようになり、倦怠感、疲労感にも似た感覚が全身を蝕んでいく。


 目を見開いた。肩から腰、足先に至るまで纏わり付くそれは、まるで俺を『死』へと、誘うかのようなモノの存在。


 いや、『死』ですらない。それは『消滅』に近い感覚のような――……


 歯を食い縛る。


「俺は、ラッツ・リチャード!!」


 叫んだ。


 気張れ。


 弾き飛ばせ。


 俺がここに居る理由。俺が成し遂げなければいけない事。助けなければいけないものは。


「『境界線』!! お前が本当に『時間』を管理していると言うなら、俺に見せろ!!」


 お前を越えた、その先にある。


 真っ白な空間の中、何処からか真っ黒な手が伸びて来る。それは俺の全身を掴み、場所も分からない何処かへと引き付ける。


 思えば、俺達は『魔力』などという、いつ尽きるかも分からない都合の良い力によって、支えられてきた。


 それが無くなった時、人はこんなにも弱くなるのだろうか。


「てめえを越えた『上級者』とかいう奴等が何を考えたのか、俺に見せろよ!! 俺は、その先を越えて行く!!」


 向かい風のように、俺の往く手を影が拒んだ。


 だが、知ったことか。


 俺の強さは、俺が決める。俺が諦めさえしなければ、妥協しなければ、拒絶しなければ、失敗を恐れなければ、確実に何らかの形で『結果』というものは、返って来る。


 自分自身の弱さなど、とうに気付いている。それが本当にどうしようもなく愚かで情けなくて恥ずかしくて、救いようもないものである事など、遥か昔に分かっていることだ。


 だからこそ、覚悟した上で、言うのだ。


 俺は、経験のない『初心者』だ。だから、失敗する。惨めで、悔しい思いもする。


 だが、覚えておけ。


「おおおおおおおおおおおおおおおお――――――――!!」


 俺は、『超・初心者』だ。未来を夢見る者だ。


 何度同じ穴に嵌っても、いつかは出る手段を手にする。例え誰に馬鹿にされても、邪魔されても、転ばされても、必ず立ち上がり、成長する為の方法を考え続ける。


 俺よりも先を行く者の事など、気にも留めるものか。俺は俺であるからして、俺の路を行く。


 そうして俺は、俺だけの答えを手にするんだ。


 限りなく真実に近い、己が進んで見定めた解答を手にするんだ。


 そうだ。


 俺は、俺だけの、手引きを。


 がなり立てるように、空白の世界に声を叩き付けた。水中をもがいて前に進むように、俺の身体に喰らいついて来る『後悔』や、『見栄』、『プライド』、そして『躊躇い』。


 全て、捨てる。自分がどうしようもなく弱い一個人であることを、有りのままに曝け出す。


 曝け出した上で、それでも先へと進む。明暗も分からない神秘の時間に、存在感を剥き出しにして。間違いなくこの世界に生きる存在であることを、認めさせるかのように。


 そして。




「ラッツ!?」




 先程まで姿も見えなかったリリザが、唐突に視界へと現れた。俺は未だ『境界線』にとっては異物のようで、俺の翼を引き千切ろうと、闇から伸びる手が俺を掴んで引っ張っている。


 リリザは目尻に涙を浮かべて、俺の事を見ていた。肺が押し潰されるように、痛い。歪めた顔でどうにか全身に力を入れ、その場に留まろうと、そしてリリザに近付こうと、もがき続ける。


 もう一歩、前へ。


「も、戻れ!! すぐに戻れ!! 分からないのか、こっちは――――」


「てめえは『ゴボウ』だ!! それでいい!!」


 手を、伸ばした。


 きっと今の俺は、とんでもなくみっともない顔をしているだろう。


「それでいいから、連れて帰る!!」




 リリザの手に、俺の手が重なった。


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