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J144 急速なる異変(上)

 それは魔界――人間界で言うところの、『サウス・レインボータウン』より南東に位置する海の近く。『人魚島』の空は青く、そして広かった。地表に見える『人魚島』から地下に位置する『海底神殿』に至るまで、通りの一帯は活気と喜びの歌声に溢れ、盛大な宴が行われていた。


 ラッツ・リチャードは明らかに心労と憔悴の見える顔で、左手にローストチキン、右手にはラムコーラを手にして、海底神殿の最奥に位置する城の屋上へと向かっていた。


 僅かに開いている屋上へと続く扉を蹴り開けると、彼は僅かに溜息をついて、安堵した。逃げに逃げ、ようやく訪れたそこは閑散としていて人気が無く、ラッツを呼び止める者は誰も居なかったからだ。


 ラッツは猫背のまま屋上の扉を閉め、その場所に唯一人、精悍せいかんな顔付きで立っている者へと向かって歩いた。先程まで胴上げ、パレード、その他見たこともない知名人物との謁見等々、溜息の一つも付きたくなるようなイベントを根こそぎこなして来たのだ。疲労も当たり前、寧ろ投げ出さなかっただけ優秀なのではないだろうか。


 冗談混じりに煽てられるのは満更でもないが、真に喜ばれ、囃し立てられるのはどうにも慣れない。等と、ラッツは愚にも付かない事を考えていた。


「表は一段落付いたか」


「……ああ。色々話を聞かれたけど、実際に閉じ込められた奴等に押し付けて来たよ」


 白髪を伸ばし放題に伸ばしているが、どことなくその姿は気品に満ちていて、優雅だ。ポセイドン・セスセルトは面倒を絵に描いたような顔をしているラッツの返事を聞き、僅かな笑みを浮かべた。


『真・魔王国』を打ち破ったラッツ一同は、魔族にとっては英雄扱いだった。彼等が人間であることさえ悪く思われない程に、その功績は大きなものだった。


 寧ろ、魔族にとっての『人間』のイメージさえ覆ったのではないかと思われる程だった。


 実際、印象は変わったのだろう。嘗てラッツが人としての正体を明かした時、その場には恐怖や憎悪などの感情が混じっていたように見えた。


 古き日の事を思い返しながら、ラッツは通りで未だ騒いでいる民衆を見た。


「愚かなものだ。国王の儂一人では、マーメイド族の衰退を止められなかった。……それが、どうだ。海底神殿の貴族達が戻って来てから、瞬く間にこの場所は活気を取り戻した」


 どこか哀愁にも似た雰囲気を見せて、ポセイドンは言った。物憂げな瞳孔と虹彩は雄大な『マーメイド族』の住処、『海底神殿』近隣の街全体を見詰め、吐息を漏らした。


 だが、その様子は直ぐに変化した。直後に垣間見る事が出来たのは、この世に生を受けて長い時が経ち、老衰と引き換えに得た数多の経験を直に映し出すかのような、見通しの明るい視線だった。


「……トーマス・リチャードか。……儂も、幾らかは覚えておるぞ」


 ポセイドンは、ラッツの着ている若葉色のジャケットに目を留めた。――これが一体、何だと言うのだろうか。ラッツは疑問に思ったが、口には出さなかった。


 口を挟まずとも、察した。それは、嘗てのトーマス・リチャードが着ていたジャケットと、ほぼ同じ色だったのではないか。


 海の中に埋没しているかのような『海底神殿』からは、空は見えない。どういう仕組みになっているのか、海底神殿そのものは水中に巨大な気泡が永遠に停滞しているかのような外観だ。それでも少し遠くを見れば、『人魚島』からぽっかりと空いた竪穴があり、その向こう側に雄大な蒼穹そうきゅうの一部を拝む事は出来るのだが。


「だが、奴は許せん。魔界という魔界から、貴重な武器防具を盗んで雲隠れしおって……」


「爺さん、知ってるのか? 俺の爺ちゃんのこと」


 ラッツが言葉を挟むと、ポセイドンは屈強な巨体の向こう側から、窘めるようにラッツを見下ろした。


「誰に向かって口を聞いておる。せめてポセイドン王と呼べ」


 だが、それも運命と見定めたのか。ポセイドンは渋い顔で目を閉じ、眉を怒らせた。


「…………そういう奴だったよ、お前の祖父も」


 遅れて、ポセイドンは語り出した。ラッツは澄んだ瞳で、ポセイドンの言葉を聞いていた。


「不思議な奴だ。人の筈なのに、儂の生まれる遥か前からトーマスは生きておった。自らを『宇宙人』だと自称し、どこか別の、魔力を持たない星からやって来たなどと豪語していた。我々が『紅い星』だと話していたのは『自分が作った機械だ』などと言っていた」


『紅い星』というキーワードに、敏感にラッツは反応した。よもやこの男から単語を聞く事になるとは、考えていなかったからだ。


 しかし、ラッツはおかしいと思っていた。


 ラッツの祖父――トーマス・リチャードは、『紅い星』を滅ぼす為に家を出た筈だった。しかし『紅い星』そのものは、遥か昔、まだ神具の少女が生きていた世代に天より降って来たのだ。


 先住民族マウロの遺跡で、ラッツは見ていた。確かに彼等の言語で、太古の昔に『先住民族マウロ』とやらは『紅い星』の存在を知っていたのだ。


 助けてくれ。此処は間もなく、地中深くに埋まるだろう。あの紅い星が、我々を殺しに来る。そのように、先住民族は言っていた。


 トーマスが正常な――――少なくとも人間としての寿命を持つ存在であれば、先住民族マウロが生きていた時代にトーマス・リチャードは生きていない。人の寿命は、そこまで長くはないのだ。


「自分が作った機械、って!? 爺ちゃんは、そう言ったのか!?」


「ああ、そう聞いたな。自分だったか、自分『達』と言っていたようにも……だから自分が、どうにかすると。その後、どうなったのかは分からん。だが少なくとも言えることは、『紅い星』は人間界も魔界も襲いはしなかった。トーマスは、各地の貴重な武器という武器を盗んで、雲隠れした。これだけだった」


 それは、違う。直ぐに、ラッツはそのように気付いた。


 ならばその時、何かがあったのだ。トーマスが『紅い星』に挑んだ時はラッツの幼少時代で間違いないだろうが、少なくとも世界に災いは訪れなかった。それは、ある意味ではトーマスにとっての成功を意味していた。


 しかし、トーマスの記憶は殆どの人にとって、断片的にしか思い出せないものだ。まるで重要な記憶から順に上塗りされているようにさえ感じられるこの現象は、ある意味ではトーマスにとっての失敗のようにも感じられた。


 そして、誰もがトーマス・リチャードの事を『伝説の大泥棒』だと言う。まるで伝説の武器防具を盗んだ事と、伝説級に恐ろしい盗みを働いたことで二重の意味合いを持っているようにさえ感じられるが――……


「……爺ちゃんは、泥棒なんかじゃないよ。きっと」


 トーマスは、甘んじて汚名を受け取ったという可能性もあった。その得体の知れない可能性を、信じる事しか出来ないラッツだった。


「ラッツ、下で皆が呼んでるわよ。そろそろ『魔王城』に戻ろう、って」


 屋上の扉を開いて、金色の豊かにカールした髪の毛が覗いた。くりくりとした碧眼を瞬かせて、ベティーナは扉に凭れ掛かったままでラッツを呼んだ。


「おー。今、行く」


 そう言いながらも、中々その場を離れる事が出来ないラッツだった。




 ○




 常に陽光が差し込む事は無い、荒れた大地。乾いた空気が、暗澹あんたんたる世界を幾重にも通り過ぎていく。所々にそびえる木々さえ色褪せ、痩せた大地に果実や花等の潤いは見られない。


 荒地に唯一つ、まるで君臨し支配するかのように建てられた巨大な城は、閑散としていて生物の姿を視認する事は出来なかった。


 しかし、そのように白昼でも闇が昏々(こんこん)と深い場所であるからこそ、いにしえより存在する神秘なる力――魔力――は、強まると考えられた。古色蒼然こしょくそうぜんとした建物は見た通りに遥か昔の建築物であり、その云百年に渡り、闇に包まれた土地を見守って来たのだ。


 それだけの長い月日を経てなお朽ち果てる事のない建物である事からも、この土地に秘められた魔力の強さが分かる。まるで守り神のように、過ぎ去る時だけを黙して耐え忍ぶ。


 魔王城。今日では、『旧・魔王城』とも呼ばれた。


 その乾燥した建築物の中に一人、仲間を待つ者の姿があった。魔王城の中でも最も高い位置に存在する、窓の無い吹き抜けの部屋。元は王座として使われていたであろう真紅の生地が張り込まれた豪勢な椅子からは、荒地と化した辺り一帯を見通す事が出来る。


 美しい白銀の髪は療養中の為に乱れていたが、意志の強い瞳は生傷がどのように傷もうとも、朽ちる素振りさえ見せないのだと懸命に主張しているかのように、冷静に一点を見据えていた。


 ハンス・リースカリギュレートは椅子に座り、両腕と両足を組んでいた。沈黙しているが眠りはせず、唯ひたすらに人魚島に行ったラッツとフィーナの帰りを待っていた。


 彼の前には何とも奇妙な形状をした、五つの文物があった。これもまた、古くから存在する宗教にも類似した、神を信仰する為に作られたかのような道具だった。


 人々はそれを、『神具』と。


『真実の瞳』、『深淵の耳』、『百識の脳』、『虚言の口』、そして『決断の指』。今より数百年前に実在していたと語られる、とある少女を封印していた。


 彼女の封印を解く事は、即ち時代を前へと進める事。ハンスはそのように考えていた為、己の人生の大半を捧げてまで『神具』を集めていたのだ。


 ラッツが戻って来てから、戦争には勝ったと告げられた。『真・魔王国』はついに滅び、その代表であった酷悪な男も大戦の敗者となったのだと。


 それは、ハンスの目的の半分以上が達成された事を示していた。


 時代は変わり、新たな目的が浮かび上がる。魔族は再び手を取り合い、平和を目指して生きていくのだと。


「封印は解かれ……いにしえの知識を持つ者が再び現世へと降臨する……」


 ハンスは一人、譫言うわごとのように呟いていた。


 目を閉じ、淡々と語る。紡がれた言葉は葬られた最大の友に祈りを捧げるかのように、深く遠い。


「勝ったぞ…………。ロゼ…………」




 ――――そのとき、ぽつり、と小さな音がした。




 水が滴り落ちる時のような、僅かな音だった。危うく聞き逃してしまう所だったが、その日、魔王城の上空から雨は降り注いでいなかった。大地が揺れている訳でもない。……何より、吹き荒ぶ風の音だけが耳に届いていたこの場所で、一体何処に水滴が落ちたと言うのだろうか。


 異変を感じた。ハンスは一人椅子から立ち上がり、辺りを見回した。だが、闇に呑まれるかのように沈黙は広がり、その変化を目視で確認する事は出来なかった。


 ざわざわと、心の奥底でハンスは恐怖を感じ始めた。


 何も起きてはいない。起きてはいない筈なのに、何故か胸の内側を棘で抉られているかのような気分だった。ハンスは起きた変化の正体を探ろうと、どうにか思考を巡らせた。


 景色は正常。音もそれきり、何もない――――とすれば、何だ。


 ぽつり。


 そして彼は再度、同じ音を耳にする事となった。今度は、ハンスにも理解出来る変化が訪れた。


 ぽつり、という小さな音は、豆粒ほどに小さな光が出現した音だったのだ。ゆらゆらと揺れ、それはハンスの視界にも入って来た。蛍の光ほどに小さな光球から虫の羽音は聞こえて来なかったが、それはただ目的もなく空中を浮遊する。


「ラッツ…………」


 まずい。


 何が危険なのかは分からなかったが、唐突にハンスはそう思っていた。理屈は繋がらないが、どこかで見覚えがある気がしたのかもしれない。


 先程までの沈黙が嘘のように、ぽつり、ぽつり、と光は増えていく。青白い光球はゆらゆらと揺れ、やがてハンスの目の前で二つの光が結合した。


 光が、一点を目指して集まっていく。ハンスは思わず後退し、真紅の椅子を踵で蹴った。冷汗は止め処なく溢れて来たが、依然としてその光球の正体を察する事は出来なかった。


 ――――いや。


 ハンスが奇妙にも覚えていた既視感は、やがて脳裏にある幾つかの記憶を結び付け、一本の線となった。ハンスはそれを手繰り寄せ、どうにかこの事態に先手を打とうと考えた。


 青白く光る球体。それは、まるでダンジョンに現れた魔物が消滅する瞬間、そのものではないか。


 いや、或いはそれは、『誕生』――……


 まずい。


 ハンスの心中で、二度目の警鐘が鳴り響いた。魔王城に戻って来た時、ラッツはなんと言っただろうか。ゴールバード・ラルフレッドは、まるでダンジョンに潜む『ノーマインドの魔物』のように、光の粒になって消えたのだと、そう言わなかっただろうか。


 青白い光は、やがて個体を形作っていった。はっきりと、人型であることを示していた。


 ハンス・リースカリギュレートは、自身の脳裏に浮かんだ悪い予感が的中したことを悟った。


「ラッツ……!! 早く戻って来い……!!」


 暗闇に溶けるように、青白い光は霧散した――――気付けば、そこには男が立っていた。ハンスと目の前にある五つの神具を見て、彼はほくそ笑んだ。


 黒いスーツと紫色のシャツは、戦闘後のように傷だらけだった。しかし血の痕は見えず、服の向こう側にある地肌は何者にも傷付けられてはいなかった。


 後頭部へと纏められた黒髪は艶やかではあったが、光の差し込まないこの場所では光を反射する事は無い。黒で埋め尽くされたような風貌は、まるで暗闇から浮き上がるように現れているかのようで、この上なく不気味だった。


「…………ククク。どうやら、お前独りのようだな」


 ゴールバード・ラルフレッドは陰湿に笑い、血走った瞳でハンスを見据えた。小動物を憐れむような眼差しに、ハンスが心臓を鷲掴みにされたかのような顔をして、動きを止める。


 皮膚と融合しているかのように見える、銀色の左胸。それだけが、暗闇の中で僅かに光を反射させていた。


「言っただろう……? 私は『死なない』。……いや、『死ねない』のだよ」


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