I140 魔力無効化空間
何故、ゴールバードは冒険者と戦う上で絶対的有利に立てる、『相手の魔力を無効化する』というスキルを、温存してきたのか。
どういう訳か、魔力が出ない。『魔孔』が塞がった時と違い、特に痛みも感じない――……まるで、この場から魔力が消えて無くなってしまったかのようだ。
なんだ、これは。夢でも見てるみたいだ……
つまり俺は今、魔力という意味では丸腰の状態、ってことか? 武器を失ったという意味ではないが、冒険者としてのスキルも魔法も、その一切を封じられた状態。
なんだよ、それは。
防御しようにも、恐らくは<堅牢の構え>が使えない。<インパクトスイング>は出なかったし、先程まで宙を舞っていた<反転>の魔法陣も、忽然とその姿を消していた。
急速に、全身に冷えを感じた。未だ嘗てない恐怖に身体は凍り、身動きを取る事が出来なくなった。
…………やばい。
ゴールバードは冷静ではあったが、俺に恐ろしいまでの殺気を見せ、特に急ぐ訳でもなく歩いて来る。
「『びっくりどっきり箱』!!」
ガングが投げたのは、アドワン戦でも見せた、防御の為の巨大なびっくり箱だ。ガングはゴールバードへと向かっていくが、ゴールバードはガングを一瞥すると、腕が変化した銃を構えた。
「侮るなよ、玩具屋。お前の手の内など把握している」
……おい、待て。やめろ。
どういう訳か、ガングの投げた箱からは何も飛び出さない。気付けば、『マンホール』でさえも地に落下していた。その現象から得られる答えは、どう考えても一つしか無かった。
ガングは焦り、ゴールバードから後退していく。
「私が何もしなくとも、だ。ガング・ラフィスト。どうせお前は、私に触れる事すら叶わない。……なあ?」
魔力が消されたのは、俺だけじゃないんだ。……つまり、この場を取り巻く一帯。ゴールバードは、空間を指定して魔力を無効化する方法を知っている。
……そんな事って、あるのか? 『魔孔』が塞がれた訳ではない。魔力を無効化する、だと?
この世の全てのものは、魔力を持っている。それがなければ生きていけない魔族だって居るんだ。魔力を無効化するということは、即ちこの世にあるエネルギーの一つを、無かった事にするということ。
どうすれば、そんな事ができる。
『魔力を無効化するための魔法公式』。
矛盾している。魔法公式を発動させる為には魔力が必要なのに、その魔法公式は魔力を無効化するのだと言う。
発動した直後、魔法公式に秘められた魔力も無効化の対象になって然るべきだ。その魔法は打ち消され、何も起きないだろう。
『魔力』に、印を付ける事はできない。発されたものが自分の魔力か、相手の魔力か。そんなものを、魔法公式に判断させる術は無いはずだ。
どちらも、同じ『魔力』であることには変わりないのだから。
例えば量とか性質とか、そんな判断材料があれば話は違うかもしれない……が。
…………出来るのか? どうすれば。
「止めなさい、ゴールバード。……『境界線』をみだりに超える事は、許されない。それは、この世の秩序を狂わせるという事なんですよ……!?」
ガングの両腕が、だらりと垂れ下がった。……ガング・ラフィストは、既に両手両足が無い状態なんだ。元々、そのままでは死んでしまう予定だった人物。
――――いや、待て。
もしかしたら、ガングが今も生きていられるのは。そういう類の、『魔力を持った』アイテムが使われているから――――!?
「やめろ、ゴールバード!!」
ガングに向かって、走った。ガングはゴールバードに近付かれただけで、何をする事もなくその場に崩れ落ちた。
倒れたガングの頭を、抱きかかえた。
ぐうの音も出ない。……呼吸が、成立していない。ゴールバードが言った、『ガング・ラフィストは私に敵わない』という台詞は、決して自信でも余裕でもなく。……本当に、まったく理に適った現象で、絶対に勝てないという意味だったのか。
わざわざガングが『マンホール』を使って、ゴールバードと距離を置いて戦っていたのも。拳を強化して壁に突き立てた時、「厳しい」と漏らしていたのも。厳しかったのは壁を破壊すること、そのものではなくて。
ゴールバードに近付く事の出来る距離が、限界だという意味だったのかもしれない。
俺はゴールバードとガングの間に壁になるように、ゴールバードに背を向けた。
魔力は使えない。技を選ぶどころか、そもそも技が使えないのだ。矛盾した現状に納得の行く答えを見付ける事は出来なかったが、とにかく今、この場でガング・ラフィストを助けられる人物は俺しか居なかった。
リュックから、投げナイフを取り出して投げる。ゴールバードは防御するでもなく、首を僅かに傾けて俺の投げナイフを避けた。
「ガングさん…………!!」
その間に俺はガングの腕を掴み、背中へと回した。
自分の身長の二倍程もあるガングを、どうにか持ち上げようとした。その身体は魔力を使えない俺にはどうしても重かったが、とにかくこの場から離れなければ、勝機は見えない。
いや、俺だけじゃない。この世界に居る、『魔力』を使う全ての冒険者がゴールバードには敵わない。どうにかして、この不条理な現象を破る事が出来なければ。
「一度ここを離れるぞ、ガングさん……!!」
どうにかガングを担いで、俺はゴールバードに背を向けた。
「愚かな――――」
瞬間、激痛を感じた。
……振り返る。ゴールバードの左腕が槍のようなものに変化し、俺の左足を貫いていた。
銃だけじゃ、ないのか。腕は変幻自在、何にでもなる。
やっぱり、こいつは魔力を使える。魔力の無効化されたこの空間で、ゴールバード・ラルフレッドだけが。
そんな馬鹿な事が、あってたまるかよ……!!
堪らず、その場に膝を突いた。
「魔力が無ければ、何も出来ない。……本当に、人というのは愚かになってしまったものだ。ラッツ・リチャード。トーマスもそれを知っていたからこそ、私に託した。……いずれ訪れる終焉よりも前に、この星に決着を付けると」
ガングの呼吸がない。……このままじゃ、ガングが死んでしまう。
ゴールバードさえ、離れれば。離れてくれれば。ガングは今まで通り、息を吹き返す事ができるのに。
何度も揺さぶるが、当然ガングが目覚める事はなかった。まさに糸の切れた人形のように全身の力が抜け、抱えるのも難しい状態になっている。
駄目だ。今のままで、こいつに勝つ方法は存在しない。何か、ゴールバードの戦略を上回る何かがなければ――……
「ガング。お前はそれを、理解していると思っていたがな」
目を閉じて、歯を食い縛った。
「やめろ!!」
ガツン、と音がした。瞬間、ガングが息を吹き返す。
俺はすぐに目を開いて、状況を確認しようと目を動かした。予想もしない方向からの攻撃だったのか、ゴールバードは驚いた様子で、すぐそばを凝視している。
その、視線の先を追った。
「お兄ちゃんに、手を出すな……!! みんな、あたしの仲間なんだ!!」
キュート……!! ずっと様子を窺っていたのか……!! ゴールバードへの恐怖も、感じているように見えたが……
…………みんな?
「<ウェイブ・ブレイド>!!」
懐かしい斬撃波動が、ゴールバードに向かっていった。聞き覚えのある声はすぐ近くまで駆け寄り、俺の肩を叩いてゴールバードを見据える。
「すまねえ、遅くなっちまった。どいつもこいつも、行きたいって言うもんだからよ」
レオ!!
……ガングが、フィーナに増援を手配させたのか。僅かな安堵と同時に、いくらメンバーが増えてもこの状況はどうにもならないという現実を噛み締め、俺は何とも言えない気持ちになってしまった。
当然、レオの<ウェイブ・ブレイド>はゴールバードに当たる前に虚無へと帰った。その様子に、レオが驚いて目を見開いた。
「なんだ、ありゃあ……!?」
ゴールバードは、驚いたような顔をしている。
…………あれ? どうしてだ?
「奴は魔力を無効化してきます。……お気をつけて」
レオの問い掛けに、ガングが答える。
俺は、『真・魔王国』入り口に目を向けた。レオが来ているということは、つまり……
見れば、フィーナがすぐそこまで来ていた。後ろに居るのは、フルリュとササナ……魔族を全員、連れて来た格好になるのか。
ガングの選択は正しい。正しいが……このままじゃ、犠牲者が増える一方だ。
「ラッツさん!! ……どうやら、危ない所だったようですね」
「俺より、ガングさんがやばかった。今は大丈夫だろうけど……」
「<ハイ・ヒール>」
俺の左足を、フィーナが回復魔法で治療する。すう、と痛みが引くのと同時に、俺はゴールバードに対峙した。……やはり、仲間が増えたからといって、表情に変化は見られない。
当然だ。……何人増えようが、こいつには意味のない事なのだから。
魔力にリミットが無いということは、効果時間は無限ということだ。効果範囲を絞っているのは、他に何らかの影響があることを鑑みてだろう……それでも、その気になればゴールバードは、俺達全員を即座に機能停止させる事だって可能。
意味が、ないのだ。
意味が、ないなら。
フルリュが駆け寄って、俺に屈み込む。
「ラッツ様、大丈夫ですか?」
「ああ、なんとか……でも、この場はまずい。すぐ引き返さないと」
どうして、ゴールバードはフィーナを凝視しているんだ……?
いや、フィーナじゃない? フィーナの右手……か?
ササナがゴールバードを見て、青い顔をしていた。
「あいつ……普通じゃない……生き物じゃ、ないみたいな魔力……」
そりゃ、そうだ。奴の周りを見れば、異質な事くらい一目で分かるだろう。ゴールバードの周囲だけ、魔力が無効化される。ゴールバードの魔力だけが、そのまま。通常なら有り得ない現象なのだから。
特に魔族にしてみれば、恐怖さえ覚えるのかもしれない。
フィーナが俺に右手を差し出した。握られたものを、黙って受け取る――……これは、『決断の指』。ゴボウ扱いしていた少女のいる、あの神具じゃないか。……持って来たのか。
…………いや、待てよ。
魔法公式の、境界線。
化物みたいな、制限の無い魔力量。
当たり前のように通り過ぎてきた言葉に、疑問を覚えた。
言葉は違うが、聞いたことがある気がした。ゴールバード・ラルフレッドが際限なく魔力を引き出し、その魔力を無効化する事まで出来る理由って――……
俺だって、今となっては随分身近に、自分の身体能力を格段にレベルアップさせる魔法を教えられて来たじゃないか。
黙って、神具の少女を見た。
そうだ。魔力の無効化。それだって、きっとできる。
『海も、川も、大地も、全てはその『秩序』とも呼ぶべき魔法公式の影響を受けている。我々はそこに――――追加したのだ』
今現在の、ダンジョンがあって当然の生活空間を、この少女が『生み出した』ように。
土気色をした細長い物体から、光が発された。程なくして、ダークブラウンの長い髪を持つ、小さな少女が出現する。
ルビー色の瞳がゴールバードを見るなり、鋭くなった。眉をひそめて、少女は呟いた。
「貴様、その魔法公式は……? それは、我々に対する冒涜だな……名を名乗れ」
唐突に現れたゴールバードの変化を俺は見ていた。少女の姿を見て、驚き。
やがて愉しそうに、笑みを浮かべる。
「自在に、姿を現すようになったのか……!? ……そうか、神具が揃ったということか……!! っはは、ははははは!!」
唐突なゴールバードの態度に、誰もが唖然としてゴールバードを見ていた。……目の前で行われるやり取り。それは、俺には分からない。
でも、俺はゴールバードの秘密に気付き始めていた。
やっぱり、ゴールバードも神具の少女とは訳ありの存在なんだ。
「何だ……!? 何がおかしい……!!」
神具の少女は、語気を荒らげてゴールバードに向かう。
フルリュに、そっと目配せをした。事態が分からず困惑していたフルリュが、俺の視線に気付いて疑問の眼差しを見せる。
際限なく、魔力を引き出す事が出来る。相手の魔力を、無効化することもできる。俺だって、似たような事をしてきた。
そうだ。別に、自分自身の魔力を使う必要はないんだ。この星に溢れている、限りない魔力を利用すること。それもまた、魔力の制限を超える一つの方法じゃないか。
「いや、失礼。……面白くてね、お前は私を覚えていないだろう。……私は忘れんぞ。記憶を失った、滑稽な魔女よ」
静かに、神具の少女が動揺していた。
魔法公式を使い、『あらゆる魔力』を無効化する事は出来ないだろう。しかし、『ある条件に適合する魔力』を無効化するということなら、きっと可能だ。
その許可された魔力を使って、魔法公式を発動させれば良いのだから。発動したら即座に無効、とはならない。
傍から見れば気付かないというだけで、もしも、ゴールバードが自分自身の魔力を使っていないとしたら。
「貴様、何を知っている……!? まさか、私の生きていた時代を知っている訳などあるまい……!!」
ガングが危険を感じたのか、起き上がってゴールバードと神具の少女に近付いていった。
「ならば、封印を解いてやらなければ。なあ?」
少女の前に、ガングが立ち塞がる。
「いやー。……今の貴方に、彼女は渡せませんねえ」
どうにも、三人共消えない因果のようなものを抱えているらしい。……だけど、この場で俺の敵はゴールバード・ラルフレッド、ただ一人だ。どうも奴は、俺の存在を既に対処したものとして捉えているようだが――……
それが間違いであることを、教えてやらなければ。
<計画表現>を、俺の魔力で発動させたのは失敗だったな。それがなければ、もっと早く気付いていたかもしれない。
自分自身をも作り変える、ノーモーション魔法の正体、というものに。
フルリュが、魔力を高める。フルリュの腰を抱き寄せ、俺は口付けを交わした。
ゴールバードが、気付く前に。
「<マジックリンク・キッス>」
試してみよう。