A14 嘆きの山では嘆かないように注意しよう
眩い光に包まれ、俺達はサウス・ウォーターリバーに辿り着いた。
俺はいつものカーキ色のジャケットに初心者用ナイフ、ゴーグルとリュックはなし。フルリュは茶色いローブで、レオが黒とチャコールグレーのソードマスターの戦闘服。
……そして、フィーナが桃色のシスター服を着ていた。
「まあ、素晴らしい所ですわね」
温泉宿でフィーナ・コフールに話を聞かれていた俺達は、フィーナの提案で一晩をその宿で過ごした。それはというのも、フィーナ・コフールのようなレベルの高い聖職者は、<マークテレポート>と呼ばれるスキルを使用する事が出来るからだ。
<マークテレポート>は非常に難しい魔法だが、一度行った事のある土地にもう一度行く事が出来るという魔法なのだ。術者のレベルと魔力量によって、行ける距離やら最後に訪れた時間やらの制約は付くらしいけど、フィーナはサウス・ウォーターリバーに行く事が出来たらしい。
普通はダンジョンを挟んでいると、魔力の問題でテレポートなんて出来ない筈なんだけど……。何か裏技のようなものがあるのだろうか。……この腹黒聖職者の事だから、きっとあるに違いない。
「はい、こんな所ですか?」
「ああ、ばっちりだ。ありがとな、フィーナ」
俺が礼を言うと、フィーナは微笑んで、俺の前に立った。
「では、私のモノになってくださいますか?」
「嫌だ」
ハンカチを噛んで、舞台演劇か何かのように泣き崩れるフィーナ。心なしか、その周囲にスポットライトのようなものが見えた。気がした。
「そんなっ!! 温泉宿で一晩過ごした仲ではないですか!!」
「別の部屋だろ。熱愛カップルみたいに言ってんじゃねえよ」
アホらしい。こいつに振り回されていると、時間が幾らあっても足りないな。俺はフィーナに背を向け、すぐにサウス・ウォーターリバーの宿屋に向かった。
セントラル・シティと違って、サウス・ウォーターリバーは街と言ってもかなり小さな街だ。宿屋が一つしかないから、『迷いの森』を抜けた先の『嘆きの山』に向かうなら、絶対的にその宿屋を使う筈なのだ。
従って、ダンドがまだこの街に留まっているとするなら、宿屋に居る。
セントラル・シティよりは雑に舗装された道を歩き、俺は木造の建物へと向かった。小さな宿マークのある扉を開くと、中へと入った。
木造の建物に入ると、カウンターが一つ。階段を上がって二階と一階に、それぞれ二部屋ずつ用意してある。
カウンターには何年やっているのか分からない、婆さんが座っていた。俺は婆さんの前に立って、カウンターに肘を付いた。
「おやおや。今はまだ朝だよ。夜においで」
「すいません。ここに、ギルド・ソードマスターのパーティーが現れませんでしたか?」
俺が話している間に、遅れて三人も宿屋に入って来る。婆さんは耳に手を当て、俺に近付けた。
「あー?」
「ここに、ギルド・ソードマスターのパーティーが現れなかったか!!」
「そっとマスタード?」
「ソー・ド・マ・ス・ター!!」
大丈夫か、この婆さんが受付で。ちゃんと金は払って貰っているのかなあ。
やっぱり、逃げられたりするのかな。
「……あー、昨日泊まりに来た子かい?」
俺の話じゃないよ。まあ、事情が分かれば何でも良いのだけど。『昨日泊まりに来た子』ってことは、昨日誰か、若者が泊まりに来た事は間違いないってことだ。
そして、『泊まりに来た』ということは、もうここには居ない、ということ。
「……ラッツ様」
フルリュが不安そうに、俺の名を呼んだ。……仕方ない。予想以上に『迷いの森』を抜けるのが早いけれど、俺達も『嘆きの山』に向かわないと駄目か。
「今日はもう、誰も居ないね?」
「ああ、お仲間はみんな出て行ったよ」
「だから俺の話じゃないって……ありがとう、婆さん。助かった」
「また遊びにおいで」
勘違いされたままってのは釈然としないけど、今は婆さんの認識修正よりも『嘆きの山』へ向かう事が先決だ。
俺達は宿屋を出て、サウス・ウォーターリバーの街並みの向こうにある――全く植物の気配もない、寂れた山を見た。
確か、山の真ん中の道が通れるようになっているんだよな。攻略レベルは確か『十』、とても俺達が寄り付けるような場所ではないけど――……まあ、フィーナが居れば百人力って所だろう。
俺は全員に目配せをした。
「『嘆きの山』に向かうぞ。準備をしよう」
そして、およそ一時間後。
「高い山……ですね」
開口一番、フルリュが呟いた。
『嘆きの山』に到着して、すっかり人気の無くなったフルリュは茶色のローブを外した。すっかり健康体の両足と、ハーピィの翼。白い肌と、ウエーブした金髪が美しい。
「フルリュ、飛べないか?」
「ごめんなさい、これだけ高いと、私の力では厳しいかもしれません……ハーピィは一定の高度を過ぎると、飛べなくなるんです」
俺はカーキ色のジャケットに詰められるだけアイテムを詰めて、魔法使い用の杖――どこの武器屋でも手に入る、『ステッキ』を買った。
リュックの中に武器が山程入っている以上、重複して買うのも勿体無いという貧乏思考が働いた。故に、安物の革袋に詰めてあるのは殆どが『カモーテル』。魔法ベースで戦うつもりだ。
レオは愛刀を握ると、緊張に喉を鳴らしていた。
「……俺達のレベルで、越えられるのか、これを」
まあ、向かうのは山頂のダンジョンマスターの所なんだけど。ダンドのパーティーがどれだけ速いか分からないが、ダンジョンマスターにハーピィの子供が捧げられる前に接触しないといけない。
魔法ベースと言っても俺では、所謂大魔法と呼ばれる大技を撃つことが出来ない。
戦力としてはかなり乏しいが――まあレオは新米と言っても前衛だし、なんと言っても支援職の王様、聖職者のフィーナが付いている。レベルとしては物足りないくらいだろう。
フィーナは笑顔で呟いた。
「それでは、お土産を楽しみにしていますわ」
えっ。
「来ないの? ……いや、来てくれ。アンタが居ないとレベルが足りない」
「私のモノになってくださいますか?」
……このアマ。
「分かるか? 事態は一刻を争うんだよ。冗談言ってる場合じゃないだろ」
「お、おい。元ギルドリーダーのフィーナ・コフールになんて事を……」
レオが慌てて、俺に口を挟んだ。お前は知らないかもしれないが、こいつはとんだタヌキ女なんだ。人の実力を測るために、ダンジョンマスターを俺に仕向けるような奴なんだぞ。
……よく考えてみたら、そんな奴をパーティーに入れていても良いことは無いかもしれない。
「……本当に、来ないのか?」
「うーん、私的にはラッツさんが手に入ればそれで良いので、それ次第というところです」
どんだけ愛されてんだよ、俺。そしてやり方が汚いよ。やっぱりこいつ、どう考えても聖職者ではない。
フィーナ・コフールと言ったら、聖なる白銀の長髪と美しい桃色のシスター服で、爽やかに味方をサポートする天使のような存在だと思っていたのに。俺だって、こんな人が相方だったらと思ったさ。
俺の青春を返せ。
「……分かった。俺達だけで行くよ」
「ええっ!? ラッツさんはただ一言、『今日から貴女の奴隷になります』と」
「もういい。マジでもういいわ」
一時でもこの女に期待した俺が馬鹿だったよ。
呆れて物も言えない俺は、苦笑しながら明後日の方向を見詰め、『嘆きの山』へ第一歩を踏み出した。フィーナの事を完全に無視しているフルリュが、遅れてフィーナを気にしながらもレオが付いて来る。
「えっ。……ラッツさん、ちょっと……」
悪戯心が過ぎるから、そこでしっかり罪悪感を養っておくといいさ。
○
俺は右手にナイフを、左手にステッキを構え、敵の背後に回った。
岩山に居る魔物の代表格、『ストーンゴーレム』。俺は左手のステッキを振り翳し、ゴーレムの上空に水のカーテンを出現させる。
「<ブルーカーテン>!!」
上空から現れた大量の水が、ゴーレムを襲う。動きは遅いが一撃は速く、そして一度でも喰らえば誰もが即死。そんな状況から、否応無しに俺の心拍数は上がっていく。
レオが愛刀を低く構えた。ゴーレムが水を受けてもがいている間に、レオは抜刀。滑り込むようにゴーレムの懐に入り、流れるようにゴーレムを抜き去った。
「<ヘビーブレイド>!!」
重厚な一撃は、確かにゴーレムへインパクトを与えた。ガツン、と岩に亀裂が入り、ゴーレムは膝を突く。
岩系モンスターは水の魔法が苦手だ。俺は一際大きな水の弾を出現させ、構えた。一瞬にして無くなった魔力により、息が上がる。
「<ブルーボール>!!」
ステッキを通して投げ付けた水の弾は、ゴーレムを溶かして行った。ドロドロに溶けたゴーレムは一瞬の放光の後に消滅し、俺は近付いて、アイテムドロップを手にした。そして、その辺に捨てる。
『大きな岩』。ストーンゴーレムって倒すのが面倒な割にアイテムドロップが情けないものばかりで、本当に使えない。
ふう、と溜め息をついて、俺は近くの岩に腰掛けた。
「……ラッツ、もう、三分の一くらいは登ったか?」
レオが額の汗を拭いて、やれ、とその場に座り込む。
俺は顔を上げて、山頂を眺めた。
「わっかんねー、高すぎて……」
遠目には分からなかったが、近付いてみれば岩ばかりで足場も悪く、登るのは大変。ハイキングにしたって、もう少しまともな山を選ぶだろう。出て来る魔物も『ストーンゴーレム』に『マウンテンバード』、ドロップが寂しいものばかりだ。
そんな『嘆きの山』でも、山頂に居る壁の化物『エンドレスウォール』だけは話が別。売れば百万セルと言われる『ゴールデンクリスタル』をドロップする、倒すのが難しい魔物の代表格だ。
「ラッツ様、お顔を上げてください」
「ん?」
「<リラクゼーション・キッス>」
フルリュが魔力を込めた唇で俺を癒やす。じんわりと暖かいものが流れ込み、俺は体力と魔力を回復させた。
同時に、フルリュがどうしようもなく愛おしくなってしまい、俺はフルリュの首筋にキスした。
「んっ……。ラッツ様ぁ」
フルリュが艶かしい声を出す。
「可愛いぞ……フルリュ」
「えへへ……ラッツ様に捧げられるモノがあることが幸せです……」
「なあ、なんかお前等見てるとすげぇムカつくんだけど何でかなあ」
俺とフルリュを見て、レオが冷めた目でパペミントを飲んでいた。仕方ないだろ、これが<リラクゼーション・キッス>の効果なんだから。
おっと、俺は一体何をしていたんだ。フルリュから身体を離し、立ち上がった。少しだけフルリュが寂しそうな顔をしたが、まあ今はイチャついている場合じゃない。
フルリュも我に返ったようだ。
「そうですね、妹と、ゴボウさんも取り返さなければなりませんし……」
あーあーあー!! 居たね、そういやゴボウみたいなのも!!
俺のリュックに刺さったままなんだった。道理で静かだと思ったぜ。
「……『エンドレスウォール』ってさ、確か食事の後だけ、弱点が剥き出しになるんだっけか」
レオが居た堪れない様子で、そう言った。フルリュの妹の事を心配しているのだろう。
俺は頷いた。
「モノを喰った後に突き出た腹が、唯一ぶち抜ける程度の硬さになるらしいな。それ以外は、何をどうやってもダメージが与えられないとか」
「……じゃあ、妹を食べさせるつもりなのですね」
フルリュが俯いて、歯を食い縛っていた。俺は笑って、フルリュの肩を叩く。レオにも合図して、上を向いた。
「そうならないために、助けに行くんだろ」
「……はい」
俺は上を向いて――――ん? なんか、坂道の向こうに小さな……人影。人影、だ。随分と山頂に近い――……
あ。一瞬、止まった。……ん? ……見られて……いる?
「ティリル!!」
フルリュが叫んだ。黄土色の岩山に、黒い点――あれは、ソードマスターの戦闘服か!!
くそっ、もうあんな場所に居やがるのか!!
一人、やたらでかい荷物を抱えている奴がいる……あれは、俺のリュックじゃないか!? どうしてあんな所に……
まさか、フルリュの妹ごと『エンドレスウォール』に食べさせるつもりか……!?
戦慄が走った。魔物に喰われた後じゃ、光になって消滅する過程で俺のリュックも消えちまう。
「ティリルッ!!」
大きく純白の翼を広げ、フルリュは飛び立った。辺りに風が巻き起こり、フルリュは山道を大幅にショートカットし、人影――ダンドの所へと向かっていく。
「待て、フルリュ!!」
叫んだが、フルリュは我を忘れているようだった。……俺が居ないと、お前一人では戦えないだろ!! そうは思ったが、今迄のフルリュの気持ちを考えれば、当然の行動のように思えた。
高度があると飛べなくなると言っていたが、火事場のなんとやら、だろうか。
そして、やっぱりダンドが抱えているのはフルリュの妹か……!! これで、物事のからくりがはっきりとしてきたぜ。
「ラッツ!! どうする!?」
「決まってんだろ!! 俺達もさっさと登るぞ!!」
『轟の森』へと迷い込んだ、フルリュの妹。それを探しに追い掛けたフルリュ。ティリルと呼ばれたフルリュの妹は、轟の森でダンドに捕らえられたんだ。
あの、『ハーピィの羽採集イベント』によって。迷宮ダンジョンだったから、俺はダンドと妹に出会わなかった。
そして羽は毟られ、ティリルは今、『エンドレスウォール』の餌食になろうとしている。
――――急げ、時間がないぞ。